外伝① ガイル
森の朝は、いつも同じように始まる。
湿った土の匂いと、まだ冷たい空気の中で、斧の音だけが一定の間隔で響いている。
ガイルは、無駄のない動きで木を打ち続けている。
振り上げて、落とす。
ただそれだけの繰り返し。
呼吸も、視線も、乱れない。
そのすぐ近くで、小さな足音が止まる。
「……またやってる」
ルティの声。
少しだけ背が伸びて、でもまだ高さは足りない位置から見上げている。
ガイルは振り向かない。
「……危ないから離れてろ」
短く、それだけ言う。
いつもと同じ。
でも、ルティは動かない。
「……見てるだけ」
少し間を置いてから、そう返す。
以前なら「うん」とすぐ引いていたのに、今は違う。
距離を測るようになっている。
ガイルは、斧を止めない。
だが。
ほんのわずかに、立ち位置をずらす。
木とルティの間に、自分が入る形。
無意識の動き。
「……」
ルティはそれを見ている。
気づいている。
でも、何も言わない。
代わりに、少しだけ近づく。
「……それ、重くないの?」
「……重い」
「……毎日やってるのに?」
「……慣れるだけだ」
短いやり取り。
でも、会話は続いている。
ルティは、しばらく斧の軌道を目で追う。
正確に同じ場所へ落ちる動き。
ぶれない。
「……外の人って、みんなああなの?」
不意に、そんなことを聞く。
ガイルの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
すぐに戻る。
「……ああ、じゃないやつもいる」
「……ガイルは?」
問いが、まっすぐ向く。
ガイルは答えない。
斧を打ち込む音だけが続く。
数回。
そのあとで、ようやく口を開く。
「……昔は、ああだった」
それ以上は言わない。
でも、ルティはそれで十分だった。
「……そっか」
納得したようにうなずく。
それ以上、踏み込まない。
その距離感を、自然に選んでいる。
しばらくして。
ルティは、地面に落ちている細い枝を拾う。
ガイルの動きを真似るように、小さく振り下ろしてみる。
当然、折れない。
「……できない」
「……当たり前だ」
少しだけ、低い声。
でも、突き放してはいない。
ルティは、枝を見つめたまま言う。
「……でも、やらないとできるようにならないよね」
ガイルは、その言葉に反応しない。
ただ。
次の一撃を、わずかに緩める。
木が、静かに割れる。
「……」
沈黙のあと。
ガイルは、斧を地面に立てる。
そして、足元の枝を一本拾う。
ルティの前に、軽く投げる。
「……それじゃ折れない」
それだけ言う。
ルティは顔を上げる。
「……じゃあ、どうするの?」
ガイルは、少しだけ考えて。
短く答える。
「……見る」
「……見る?」
「……どこが弱いか」
それだけ。
説明は少ない。
でも、ルティは枝を回して、じっと観察する。
節。
曲がり。
細い部分。
「……ここ?」
「……ああ」
初めて、視線が合う。
一瞬だけ。
ルティは、その場所に力を込める。
ぱき、と小さな音がする。
枝が折れる。
「……できた」
少しだけ、嬉しそうに言う。
ガイルは、うなずかない。
褒めない。
でも。
そのまま背を向けて、再び斧を手に取る。
「……危なくない範囲でやれ」
それだけ残す。
ルティは、折れた枝を見ながら、小さく笑う。
「……うん」
その声は、どこか確信している。
この人は、離れない。
ちゃんと見ている。
言葉にしなくても。
ガイルは、再び木を打つ。
一定のリズム。
変わらないようでいて。
ほんの少しだけ、音がやわらかくなっている。
森の奥で、風が通る。
その音に混じって。
過去の残響は、もうほとんど聞こえない。
完全に消えたわけではない。
でも。
今、ここで。
別の形に変わっている。
切り落としたはずのものの、残り。
それが。
確かに、そこにある。
そしてそれが。
あの子を守る理由になっている。




