外伝② リオン
高台の風は、森の中よりもひとつ冷たい。
枝葉に遮られないぶん、流れが速く、音もまっすぐに通り抜けていく。
リオンは、その縁にひとりで立っている。
足元に広がるのは、見慣れた森。
その奥に、見えない境界。
目で追うことはできないが、確かにそこにあるとわかる“歪み”を、彼はいつもここで測っている。
「……」
目を閉じる。
視界を閉じることで、余計な情報を切り落とす。
代わりに、空気の密度と流れ、光の偏り、音の減衰を拾う。
わずかな揺れ。
規則性のない、しかし消えない波。
その中心にあるもの。
ザーラの存在。
「……また、無茶をする」
誰に向けるでもなく、低くつぶやく。
責める響きではない。
確認に近い。
事実として、そこにあるものを言葉にしているだけ。
止めることはしない。
止められないと、最初から理解している。
あの場所は、剣でどうにかできる領域ではない。
一歩踏み込めば、壊すだけになる。
だから、踏み込まない。
「……」
リオンは、右手を開く。
剣を握る手。
硬くなった皮膚と、わずかな古傷。
この手は、外側に対しては十分すぎるほど機能する。
切ることも、弾くことも、守ることもできる。
だが。
境界の内側。
そして、ザーラが立っている場所には届かない。
届かせてはいけない。
それを理解しているからこそ、彼はここにいる。
一歩手前。
ぎりぎりの外側。
「……」
目を開ける。
視線は自然と、森の一角へ落ちる。
木々の隙間。
かすかに動く影。
耳を澄ませば、風に混じって届く声。
「……リオン、見て!」
「……転ぶぞ」
ミーナの声。
そのあとに続く、軽い足音と笑い声。
ルティ。
三年前よりも、少しだけ音のリズムが変わっている。
走り方が安定して、転びにくくなっている。
呼吸の取り方も、無駄が減っている。
そういう細かい変化を、リオンは無意識に拾っている。
「……」
ほんの一瞬だけ、表情がやわらぐ。
だが、それ以上は近づかない。
声もかけない。
呼ばれれば応じる。
だが、自分から輪に入ることはしない。
それが、最初に決めた距離。
「……それでいい」
小さく、自分に言い聞かせる。
近づきすぎれば、視野が狭くなる。
離れすぎれば、間に合わない。
その中間。
常に動く、最適な距離。
リオンは、それを状況ごとに測り続けている。
ザーラに対しても、同じだった。
近づけば支えられるわけではない。
むしろ、境界を乱す可能性がある。
だから、あえて踏み込まない。
だが、離れない。
何かが越えてくるなら、その瞬間に斬る位置に立つ。
それが、自分にできる唯一の関わり方だと知っている。
「……」
風向きが変わる。
外側から、わずかな違和感が混じる。
人の気配ではない。
だが、完全に自然でもない。
リオンの目が、細くなる。
測る。
距離。
速度。
侵入の可能性。
頭の中で、いくつもの経路が組み上がる。
もしここを抜けてくるなら、どの位置で迎撃するか。
ガイルの動線。
ミーナとルティの位置。
ザーラへの影響。
すべてを、同時に並べる。
「……」
一歩だけ、立ち位置を変える。
ほんのわずか。
だが、その差で届く範囲が変わる。
「……来るなら来い」
風に向かって、低く言う。
挑発ではない。
確認でもない。
ただ、準備ができているという宣言。
その目は、すでに戦場にある。
だが同時に。
森の奥で笑う声も、聞き逃してはいない。
すべてを視野に入れたまま。
踏み込まず。
離れず。
その距離を保ち続けること。
それが。
リオンの、守り方だった。




