第8話 がんばりすぎたあさ 【挿絵あり】
その朝。
ルティは、ふっと目を覚ました。
「……」
まだ、暗い。
窓の外は、夜と朝のあいだみたいな、やわらかい青に染まっているだけで、鳥の声も、まだほとんど聞こえない。
「……」
ぱち、とゆっくり瞬きをする。
ぼんやりとした意識のまま、しばらく天井を見つめて——
それから。
はっと、思い出す。
「……!」
体が、小さく跳ねる。
昨日のこと。
できたこと。
「えらい」と言われたこと。
胸の奥に、あのあたたかさがよみがえる。
「……っ」
起きる。
もぞもぞと布団から抜け出して、まだ少しふらつきながらも、きょろきょろとあたりを見回す。
探す。
「……」
あった。
スプーン。
自分の。
「……!」
ほっとした顔で、ぎゅっと握る。
指の中に、その形を確かめるように。
それだけで、すっと落ち着く。
「……」
小さくうなずく。
それから、そっと立ち上がる。
音を立てないように。
起こさないように。
こっそりと。
ぺた、ぺた。
まだ誰もいない部屋を、小さな足音で歩く。
「……」
テーブルを見る。
床を見る。
昨日と同じ場所。
昨日と同じ光景。
「……」
昨日。
できた。
ちゃんと、できた。
ほめられた。
「……」
胸の奥が、じんわりあたたかくなる。
思い出すだけで、うれしくなる。
「……っ」
小さく、息を吸う。
決めるみたいに。
——やる。
小さな布を見つける。
両手で持つ。
ちょっと大きい。
でも、離さない。
「……」
しゃがむ。
ぐらっとする。
でも、こらえる。
「……」
ごし。
ごし。
ゆっくり。
慎重に。
「……」
できる。
昨日、やった。
だから、できる。
「……」
少しずつ。
ほんの少しずつ。
きれいになっていく、気がする。
「……!」
ぱっと、顔が明るくなる。
うれしい。
ちゃんとやれてる気がする。
「……っ」
もっと。
もっと、きれいにしたい。
ごし、ごし。
ごし、ごし。
ちょっと力が入る。
ふと、止まる。
「……」
考える。
目が、きょろ、と動く。
「……」
テーブル。
上。
「……」
手を伸ばす。
届かない。
「……」
むむ、と眉が寄る。
背伸び。
ぐいっ、とつま先立ち。
「……っ」
届いた。
ほんの少しだけ。
「……!」
ごし。
ごし。
ぎこちなく。
でも、一生懸命に。
「……!」
できた。
やった。
「……」
満足そうに、小さくこくんとうなずく。
そのあとも。
止まらない。
ちょこちょこ、動く。
布をたたむ(ちょっとぐちゃぐちゃで、途中で形が崩れる)。
椅子を押す(ちょっと斜めになって、むしろズレる)。
スプーンを握ったまま、うろうろして確認する。
「……」
全部。
全部、自分でやってるつもり。
全部、がんばってる。
やがて。
「……なにしてるの」
後ろから、声。
「……!」
びくっ、と体が跳ねる。
振り向く。
ザーラ。
まだ少し眠そうな顔。
でも——
部屋を見た瞬間、目がぱちっと覚める。
「……」
床。
テーブル。
微妙にずれている椅子。
中途半端に整えられた布。
そして——
真ん中で、得意げに立ってるルティ。
スプーン、しっかり握ってる。
「……」
沈黙。
「……」
ルティは、じっと見る。
期待。
ほめてほしい気持ちが、そのまま表に出ている。
「……」
ザーラは、ゆっくり息をつく。
それから。
「……やったの」
「……!」
こくんっ!!
全力でうなずく。
体ごと、上下するくらいに。
「……」
もう一度、部屋を見る。
正直、整ってはいない。
むしろ、ちょっとした混乱状態。
でも。
「……」
「……えらい」
ぽつり、と。
「……!」
その瞬間。
ぱあっと。
顔が一気に明るくなる。
ぴょこん、と小さく跳ねる。
うれしさが、体からあふれる。
「……でも」
ザーラが続ける。
「……やりすぎ」
「……?」
きょとん、と首をかしげる。
「……まだ朝早い」
「……」
「寝る時間だったでしょ」
「……」
止まる。
考える。
ほんの少し。
「……」
でも。
やった。
できた。
ほめられた。
それが全部、上に来る。
「……」
にこ。
満足そうな、にっこり。
「……」
ザーラは、一瞬言葉に詰まる。
「……はぁ」
小さくため息。
でも。
「……朝ごはん、食べるわよ」
「……!」
ぱっと顔が上がる。
こくん!
テーブルに座る。
今日は、いつもよりちょっとだけ背筋が伸びている。
「……」
なんだか、誇らしい。
「……」
ザーラが準備をしている。
ミーナも、いつの間にか来ている。
「おはよー……って」
部屋を見て。
「なにこれ、かわいい事件起きてる?」
「うるさい」
「絶対ルティちゃんでしょこれ!」
「……」
ルティは、えへん、と胸を張る。
(ちいさい)
「やっぱりー!」
ミーナが笑う。
朝ごはん。
スプーンを持つ。
「……」
ぱく。
もぐもぐ。
「……」
今日は、ちょっとだけゆっくり食べる。
えらいって言われたから。
ちゃんとしたい。
「……」
でも。
まぶたが。
「……」
重い。
「……」
ぱち。
ぱち。
「……」
もぐ。
「……」
こく。
「……」
こく。
「……」
——ぐら。
「……ちょっと」
ザーラが気づく。
「……」
ルティの手。
スプーン、しっかり握ってる。
でも。
頭が。
ゆら。
ゆら。
「……」
こく。
「……」
こく。
「……」
前に、傾く。
「……危な——」
その前に。
こてん。
テーブルに、こつん。
「……」
止まる。
完全に。
「……」
寝てる。
スプーン握ったまま。
「……」
沈黙。
それから。
「……ふっ」
ミーナが吹き出す。
「ちょっと! なにこれ可愛すぎるんだけど!」
「……」
ザーラは、無言で近づく。
そっと、スプーンを取ろうとする。
「……」
ぎゅっ。
離さない。
「……」
もう一度。
そっと。
「……」
ぎゅう。
さらに強く。
「……はぁ」
あきらめる。
「……そのままでいいわ」
小さくつぶやく。
そっと。
体を抱き上げる。
軽い。
あたたかい。
「……」
ルティは、起きない。
完全に、力を抜いている。
でも。
スプーンだけは、しっかり握っている。
「……ほんとに好きね、それ」
ぽつり。
ベッドに寝かせる。
布をかける。
「……」
それでも。
手は離れない。
スプーン。
ぎゅっと。
「……ねえザーラ」
ミーナが、小さな声で言う。
「なに」
「この子さ」
少しだけ、やわらかく。
「完全にあんたのこと、“安心”って思ってるよ」
「……」
ザーラは、何も言わない。
ただ——
少しだけ、視線を落とす。
眠っているルティ。
その小さな手。
握られたスプーン。
「……」
そっと、髪を撫でる。
淡い金の巻き毛が、指にふれる。
やわらかい。
あたたかい。
「……」
小さく、息をつく。
「……起きたら、また褒めてやるか」
誰にともなく、ぽつりとつぶやく。
その日。
ルティは——
はじめて、
「がんばりすぎて眠る」という、
とてもやさしくて、あたたかい幸せを知った。




