第66話 やさしい場所の、やさしくない問い
光の中へと、一歩踏み出す。
その瞬間、空気そのものが、やわらかく変わる。
やさしく……あたたかく包み込むような感触。
でも。
どこか現実から切り離されたような、奇妙な浮遊感。
「……」
ミーナが、小さく息を呑む。
「……なに、ここ……」
足元を見る。
草が、淡く光を帯びている。
踏んでも、ただ揺れるだけで。
まるで傷つくことを知らないみたいに。
「……」
ふと、空を見上げる。
色が違う。
青とも、夜とも違う。
透明な光が、ゆっくりと流れている。
まるで。
“世界の内側”そのものを覗いているかのように。
「……」
ザーラは、何も言わない。
ただ、ルティを抱いたまま確かめるように、ゆっくりと歩みを進める。
「……」
その腕の中で。
ルティが、ゆっくりと目を開ける。
ぼんやりとしたまま。
でも……すぐに、その光景に気づく。
「……わぁ……」
小さな、感嘆の声。
それだけで。
空気が、わずかに変わる。
光が、応えるように揺れる。
ゆらりと。
やさしく、触れるように。
「……」
ミーナが、はっと目を見開く。
「……今の……」
「……」
リオンが、低く告げる。
「……反応している」
「……!」
「……」
ルティが、そっと手を伸ばす。
空へ向けて。
すると。
光が、静かに集まり始める。
小さな粒となって。
指先へと引き寄せられる。
「……!」
ルティが、ほんの少しだけ笑う。
かすかな、でも確かな笑顔。
「……きれい……」
「……」
ザーラの胸が、きゅっと締めつけられる。
その笑顔を。
守りたいと、強く思う。
何があっても。
「……」
そのとき。
風が、ふわりと流れる。
さっきまでとは、少し違う。
明確な“方向”を持っている。
まるで、どこかへ導くように。
「……」
リオンが、わずかに目を細める。
「……来るぞ」
「……?」
ミーナが、反射的に身構える。
だが。
敵意は、感じられない。
むしろ、どこか穏やかな気配。
「……」
静かに。
“それ”は現れる。
光の粒が集まっていく、ひとつの形を取るように。
ゆっくりと……輪郭を伴って。
それは。
人の形に、似ている。
だが、完全ではない。
半分は光。
半分は風のように揺らいでいる。
「……っ」
ミーナが、息を呑む。
「……これ……」
「……精霊だ」
リオンが、静かに言い切る。
精霊は、言葉を発しない。
だが“意識”が、そのまま流れ込んでくる。
――来訪者
「……!」
ザーラの内側に、直接声が響く。
やさしい響き。
それでいて。
ただやさしいだけではない深さ。
――境界の核を伴う者
「……」
ルティの周囲の光が、わずかに強くなる。
精霊は、見ている。
深く。
測るように。
――そして
――それを、手放さぬ者
「……」
ザーラの腕へと、意識が集まる。
ルティを抱く、その手。
決して離さないという意思。
沈黙。
重く、静かな時間。
そして。
問いが、落ちてくる。
――なぜ
短い。
だが。
あまりにも重い問い。
ザーラの呼吸が、止まる。
「……」
ミーナも、リオンも、何も言わない。
答えられるのは。
ただ、ひとりだけ。
「……」
ザーラが、ゆっくりと口を開く。
言葉を探しながら。
うまく形にならないまま。
それでも。
「……この子が」
声が、わずかに震える。
それでも、止めない。
「……ひとりで、怖がってたから」
「……」
精霊は、何も言わない。
ただ、静かに聞いている。
「……だから」
一瞬、言葉に詰まる。
それでも。
「……一緒にいたいって、思ったの」
「……」
言葉としては、不完全。
理屈も、整っていない。
それでも。
嘘ではない。
沈黙が、長く続く。
そして。
精霊の光が、やわらかく揺れる。
受け入れるように。
――理解した
「……!」
空気が、ほんの少しだけ軽くなる。
だが。
続く言葉は。
やさしさを保ったまま、鋭い。
――ならば、証明せよ
「……」
ザーラの心臓が、大きく跳ねる。
――その選択が
――この世界にとっても
――価値あるものであると
「……!」
ミーナが、思わず息を呑む。
「……それって……」
精霊は、静かに続ける。
――この地に留まることを許す
一拍。
――ただし
光が、わずかに強まる。
――境界が揺らぐ時
――お前が“支えよ”
「……!」
ザーラの目が、大きく見開かれる。
――その子ではない
――お前が
「……」
重い。
あまりにも重い意味。
ルティを守るために。
ザーラ自身が、“役割”を背負うということ。
「……」
沈黙が落ちる。
ルティが、そっとザーラの服を掴む。
小さく。
確かなぬくもりで。
ザーラは。
ゆっくりと息を吸い込む。
「……わかった」
はっきりと。
迷いなく。
「……やる」
光が、ふわりと広がる。
まるで祝福のように。
だが同時に。
それは確かに――契約でもあった。




