第57話 一人に……
遺構の中心に満ちる光はなおも静かに揺れ続ける。
その不規則な明滅が空間そのものの呼吸のようにも感じられる。
ルティはザーラの腕の中に包まれたまま、小さく身体を震わせていた。
「大丈夫」
ザーラはその震えを逃すまいとするように、何度も繰り返す。
まるでルティだけでなく自分自身にも言い聞かせるかのように。
その言葉を胸の奥へと落としていく。
そのとき、不意に空気の質が、すっと変わる。
周囲の音が、遠くへ引いていくような感覚が広がっていく。
ザーラだけがその異変に気づいた瞬間、これはただの静寂ではないと直感的に理解する。
視界の端がわずかに歪み、光が細く引き延ばされるように変質する。
世界そのものが、ほんのわずかにずれて重なり合うような異様な感覚。
ザーラは息を詰めながら振り返り、リオンの姿を確認する。
「静かに……聞こえるはずだ」
リオンは動くことなく、その場に立ったまま告げる。
その言葉が合図であるかのように、次の瞬間、逃げ場のないやわらかな声が上から落ちてくる。
――あなた
呼びかけるその声にザーラの身体は強張る。
「その子に触れているのは、はじめて」
続いてと告げられた言葉の意味を理解しきれないまま、かすれた声で問い返す。
「本来なら触れられない」
返ってきたのは静かな断定。
その一言がザーラの胸の奥で大きく脈打ち、抱きしめている腕に無意識のうちに力がこもっていく。
それでも彼女は問いを重ねるが、声は変わらぬやさしさのまま告げる。
「その子は“境界”にあるものだ」
世界と世界のあいだに存在する重なりの中心であるという説明が、理解を拒むようにザーラの思考を止める。
それでもなお、ザーラは震える声で言い切る。
「この子はただの子どもよ」
その言葉に対して一瞬の沈黙が訪れた後、わずかに笑ったような気配。
「今は、まだ」 と返される。
その言葉の重さが背筋を冷やす。
「だから、あなたが選ばれた」と続けられた。
理由を問うと、迷いがない答えが返ってきた。
「離さなかったから」
森での出来事、それの一つひとつが頭の中に鮮明によみがえる。
抱き上げたこと。
食べさせたこと。
名前を呼んだこと。
手を握ったこと。
そのすべてが見られていたかのような感覚に包まれる。
「触れられることで形を保っている」
という言葉が突きつけられる。
「もし手を離せば境界へ還る」
瞬間、ザーラの腕は反射的に強く締まり、その力にルティが小さくうめく。
それでも彼女は決してその手を緩めようとはしなかった。
否定したい思いと言葉にならない恐怖の狭間で揺れる中、さらにもう一つの声が重なる。
「だから、離さないで」
ルティの中に存在するもう一人が願うように告げる。
その声はルティに似ていながらも、より深く静かな響きを帯びている。
ザーラの目からは気づかぬうちに涙がこぼれ落ちる。
彼女は小さく、しかしはっきりと「離さない、絶対に」と答える。
その瞬間、空間を満たしていた光がふっとやわらぐ。
まるでその決意を受け入れたかのように優しく広がっていく。
張り詰めていた空気がわずかにほどける。
リオンはその変化を見届けるように静かに息を吐く。
ザーラはなお震えを残しながらも、その腕に込めた意志だけは揺るがせることは絶対にない。
その思いを胸に、ルティをしっかりと抱き続けていた。
そしてルティは目を閉じたまま、先ほどまでの苦しさが嘘のように穏やかな表情を浮かべる。
それはまるで、すべてを聞き届けていたかのように。
ふたたび、静かな眠りへと再び沈んでいくのだった。




