第56話 奥のひかり
光の道を一歩ずつ踏みしめて進むたびに、足音の響きがわずかに変わる。
外の世界とも遺構の内側とも異なる、どこか境界の曖昧な場所へと入り込んでいくような感覚が、三人の足取りに静かにまとわりついていた。
ザーラはルティを抱きかかえたまま歩みを進めている。
その体は本来の軽さとは違い、見えない何かを含んでいるかのよう。
じわりとした重みを帯びて感じられる。
その違和感が胸の奥に引っかかりながらも、彼女は足を止めることなく前へと進み続ける。
一方でリオンは、周囲に気を配りながらも視線をまっすぐ前へと据えている。
その目の奥には単なる警戒心とは異なる、すでに起こるべきものを知っているかのような、確信に近い静かな緊張が沈んでいた。
やがて、細く続いていた光の道がゆるやかに開けた。
その先に現れたのは、音さえも吸い込むような広がりを持つ円形の空間。
中央には何も存在しないはずなのに、そこに満ちる空気が濃い。
この場所こそがすべての中心であることを否応なく感じさせていた。
床に刻まれた模様はこれまで見てきたものよりもはるかに明瞭で、複雑に重なり合う線の一つひとつが、まるで世界の構造そのものを写し取ったかのように広がる。
その上に立つだけで意識の奥へと何かが触れてくるような感覚を伴っている。
そのとき、ザーラの腕の中でルティの指先がかすかに動く。
彼女は思わずその変化に気づいて名を呼ぶが、返事はない。
代わりにルティの体がゆっくりと起き上がろうとする気配が伝わってくる。
ザーラは慌てて支えようとするものの、ルティは自分の意志で立とうとするように足を伸ばし、ふらつきながらも床へと触れた。
その瞬間。
空間全体の模様が一斉に光を帯びて強く脈動した。
思わずザーラの手がルティから離れてしまう。
呼び止める声も届かない。
ルティは円の中心にひとり立ち、目を閉じたままゆっくりと顔を上げる。
その姿はまるでここが初めて訪れた場所ではなく、遠い記憶の中で知っていた場所へ帰ってきたかのような、奇妙な安定を帯びていた。
リオンは一歩も動かず、その様子を息を潜めて見つめ続けている。
やがてルティの足元から広がった光が円を描くように拡張していく。
その中心に、輪郭を持たない“影”のような気配がゆらりと揺れ始める。
それはやわらかな光に包まれていながらも底知れぬ深さを宿した何か。
確かにそこに存在していると感じさせる異質な気配として、空間に静かに満ちていった。
やがてルティの唇がゆっくりと動く。
そこから零れ落ちた声は彼女のものとは思えないほど静かで深い。
「――やっと」
告げる響きに、ザーラの背筋が凍りつく。
「――遅かったね」
響いたその声は優しさを帯びていながら逃げ場のない圧を孕んでいる。
ザーラは思わず名を叫んで駆け出すが、その声はまるで届かない壁に遮られたかのように、ルティの意識には触れない。
リオンは低く呟きながらも視線を外さない。
「あれが“もう一つ”だ」 と静かに告げる。
その言葉はルティの中に存在する何かを明確に指し示していた。
その瞬間、光の中の影がわずかに近づき、それに呼応するようにルティの体がふわりと浮かび上がる。
ザーラは迷いなく踏み込み、今度こそ取り戻すように腕を伸ばす。
指先が届いたその刹那、ルティの目が開かれ、薄紫の瞳の奥にもう一つの光が重なるのを見た。
ザーラは息を呑む。
「ざーら」
次に響いた声は、確かに彼女自身のものであり、その瞳には涙が滲んでいた。
「こわい」
小さく零れたその言葉が、張り詰めていたすべてを引き戻すように現実へと繋ぐ。
ザーラはためらうことなくルティを強く抱きしめる。
「大丈夫、ここにいる」 と必死に言葉を重ねる。
ルティは震えながらもその腕にしがみつく。
ようやく現実に縋りつくように息を整えていく。
周囲を満たしていた光は弱まりながらも完全には消えず、なおもこの場所が終わっていないことを静かに示し続けていた。
「もう、引き返せない」
その様子を見据えたまま、リオンは淡々とと告げる。
ザーラは何も答えない。
ただ腕の中の温もりを確かめるように、ルティを抱きしめ続けていた。




