第55話 夜の遺構
夜の遺構の内部には、昼間とは違う静けさが満ちており、壁に刻まれた光だけが、かすかに揺らめきながら空間を淡く照らしている。
ルティはザーラに抱きしめられたまま、その腕の中で体を預けている。
乱れていた呼吸も次第に落ち着きを取り戻しつつあった。
それでも、安心しきれないのか、彼女の小さな手はザーラの服をぎゅっと掴んだまま離れない。
指先にかすかな震えが残っている。
ザーラはそんな様子を感じ取りながら、「大丈夫」と低くつぶやく。
それがルティに向けた言葉であると同時に、自分自身に言い聞かせるためのものでもあるように響く。
少し離れた場所に立つリオンは、その光景を横目にしながらも、意識の大半を遺構のさらに奥へと向けていた。
そこには先ほどまで存在しなかったはずの“道”が、淡い光の線となってゆっくりと浮かび上がり、奥へ奥へと導くように伸びている。
ザーラもやがてその異変に気づき、視線をそちらへ向ける。
「何あれ」
と警戒を含んだ声で問いかける。
リオンはすぐには答えず、わずかな間を置き「呼ばれているな」と静かに告げる。
その言葉に、空気が一段階冷えたような感覚が走り、ザーラはさらに問いを重ねる。
「誰に」と。
しかし、その答えはすでに二人の中で共有されている。
自然と視線は同じ対象――ザーラの腕の中にいるルティへと向けられる。
小さな体はまだ完全には落ち着いていない。
かすかな震えを残したまま、どこか遠い場所に意識を置いているようだった。
そのとき、ルティの指先がわずかに動き、ゆっくりとザーラの服を掴んでいた手が離れていく。
宙を探るように漂ったその手は、やがて迷いなく遺構の奥を指し示す。
「あっち……」
かすれた声でつぶやく。
ザーラの表情が一瞬で固まる。
「ルティ?」
呼びかけるが、彼女は目を閉じたまま、もう一度同じ方向へ指を伸ばす。
「いかなきゃ……」
言葉は小さく、それでいて不思議なほどはっきりと響いた。
リオンの目が細まる。
その言葉に確信の色を帯びる一方で、ザーラは即座に首を振る。
「だめよ、今は休む」
強い口調で否定する。
その瞬間、眠ったままのはずのルティの眉がわずかに寄る。
ぽつりと、つぶやく。
「おこる……」
次の瞬間、遺構全体が低く唸るような音を響かせ、空間そのものが震える。
ザーラは反射的にルティを強く抱きしめ、周囲の光は一斉に強まる。
さきほどとは比べものにならないほどの輝きを帯びる。
リオンはその変化を見逃さず、奥へと続く光の道に視線を向ける。
それが今度は広がるように形を変え、まるで何かが“開こうとしている”かのように脈動しているのを確認する。
「時間がない」
リオンは低く告げる。
「説明しなさい」
ザーラは鋭い視線を向け、短く迫る。
リオンは一度だけ息を吐き、言葉を選びながら続ける。
「これは選択だ」
進めば戻れない。
しかし進まなければより大きな崩壊が起きる―
―その簡潔な説明は、状況の重さを十分に伝えていた。
ザーラの腕に力がこもり、ルティを守るように抱きしめながら、その視線がわずかに揺れる。
守るために留まるか、それとも進むことで守るのか――その選択が迫られている。
そのとき、ルティがうっすらと目を開く。
「ざーら……」
弱く呼びかける。
ザーラはすぐに顔を近づけ、「なに」と優しく応じる。
ルティはぼんやりとした意識のまま、それでもまっすぐにザーラを見つめる。
「だいじょうぶ……」と小さく告げる。
「いっしょ……だから……」と、かすかに笑みを浮かべる。
その言葉は短く、それでいて確かな重みを持ってザーラの中に落ちる。
ザーラはゆっくりと息を吐き、一度目を閉じてから開き直す。
迷いを振り切るようにリオンへ視線を向ける。
「行くわよ」
告げる声には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
リオンは短くうなずき、「ああ」と応じる。
ザーラはルティを抱えたまま立ち上がり、一瞬だけ体勢を崩しかけるが、すぐに抱き直してしっかりと支える。
ルティは再び服をぎゅっと掴み、その温もりにしがみつくように身を寄せる。
三人はそのまま、静かに、しかし確かな意志をもって、光の道へと一歩を踏み出した。




