第47話 名前の重さ
森の中。
木々の密度がわずかに途切れて、ほんの少しだけ視界が開けた場所に出る。
風が、通る。
閉じていた空気をほどくように、静かに、しかし確かに流れていく。
「……」
三人は、その中をまた歩き出している。
さっきまでのように追われる勢いではなく。
それでも立ち止まることは許されないと知っている、ぎりぎりの速度で。
「……」
歩幅は、少しだけゆっくり。
呼吸を整えながら、次へ進むための歩み。
「……」
ルティが、ちょこちょこと足を動かしながら位置を変える。
気づけば、ザーラとリオンのあいだに並ぶ形になっている。
左右を見上げるように。
挟まれるように。
それが自然であるかのように。
「……」
しばらく、足音だけが続く。
風の音と、葉の擦れる音が混じる中で。
ぽつりと。
「……りおん」
小さな声が落ちる。
「……」
リオンの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
意識しなければ見逃すほどの、わずかな変化。
だが。
すぐにまた歩き出す。
「……なんだ」
振り返らずに返す声は、変わらず低く、余計な感情を乗せない。
「……」
ルティが、その背中を見上げる。
「……リりおんって、なに?」
「……?」
「……なまえ?」
「……」
沈黙が落ちる。
風の音だけが、間を埋める。
「……」
ザーラが、わずかに横目でリオンを見る。
反応を測るように。
「……」
リオンは、少しだけ視線を上げて空を見る。
考えているのか。
それとも、考えるふりなのか。
「……」
やがて。
「……呼び名だ」
短く、そう答える。
「……」
ルティは、その言葉をそのまま受け取る。
少しだけ考えるように間を置いて。
「……」
それから。
「……ほんとのなまえは?」
「……」
今度は、完全に足が止まる。
空気が、わずかに変わる。
見えない何かに触れたような、微かな緊張。
「……」
ザーラも、それを感じ取る。
踏み込んだ。
だが。
ルティには悪意がない。
ただ、知りたいだけ。
「……」
リオンは、ほんの一瞬だけ目を閉じる。
呼吸ひとつ分の間。
それから、開く。
「……忘れた」
「……」
嘘。
だが。
完全な嘘ではない。
「……」
ルティは、じっとその顔を見る。
見抜くほどの経験はない。
けれど。
「……」
それ以上は聞かない。
小さく、こくんと頷いて。
「……じゃあ、りおん」
それでいい、と決める。
「……」
その言い方が、あまりにもまっすぐで。
選び直した名前を、そのまま受け入れてしまうようで。
「……」
リオンの中で、何かがわずかに引っかかる。
だが、それを言葉にすることはない。
再び歩き出す。
◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらく進んだあと。
また、ぽつりと。
「……りおん、すごい」
ルティの声。
「……」
「……つよい」
「……」
リオンの眉が、わずかに動く。
軽い言葉。
子どもの率直な感想。
だが。
「……」
どこか遠いところに、触れてくる響き。
「……」
ぽつりと。
「……昔はな」
「……?」
ルティが、首をかしげる。
ザーラの視線が鋭くなる。
“昔”。
その一語に、重さがある。
「……」
だがリオンは、それ以上を語らない。
自分から閉じるように、言葉を止める。
「……」
沈黙が落ちる。
「……」
それでもルティは、深く考えない。
ただ、感じたままに。
「……いまも、つよい」
「……」
即答。
迷いのない肯定。
「……」
リオンが、わずかに息を吐く。
「……そう見えるか」
「……うん」
迷いなく、うなずく。
「……」
そのまっすぐさに、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
何かを受け取ったように。
だが、何も返さない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
やがて、夕方。
三人は、少しだけ足を止める。
短い休息。
「……」
ルティは、その場に座り込んで、手の中のスプーンをくるくるといじっている。
光が、わずかに揺れる。
「……」
ザーラは、周囲を警戒しながら水を用意する。
無駄のない動き。
「……」
リオンは、少し離れた位置。
あえて距離を取るように。
一人で。
「……」
腕に巻かれた布を、ゆっくりとほどく。
露わになる傷。
浅くはない。
だが、慣れている処理。
「……」
顔色ひとつ変えずに、巻き直していく。
手際がいい。
迷いも、躊躇もない。
「……」
そのとき。
「……りおん」
呼ぶ声。
振り向く。
ルティが、立っている。
いつの間にか、距離を詰めて。
「……」
そのまま近づいてくる。
ザーラが一瞬だけ身構える。
だが、止めない。
「……」
ルティが、そっとしゃがむ。
目線を合わせる高さまで。
「……」
じっと見る。
傷を。
「……」
小さな手が伸びる。
触れる寸前で、止まる。
「……」
リオンは、何も言わない。
拒まない。
許すわけでもない。
ただ、そのまま。
「……」
ルティが、ぽつりと。
「……いたい?」
二度目の問い。
同じ言葉。
「……」
今度は、ほんの少しだけ間があって。
「……平気だ」
静かに答える。
「……」
ルティは、その答えを受け取って。
しばらく見つめてから。
こくん、と頷く。
「……」
納得したように。
それ以上は踏み込まず。
くるりと向きを変えて戻っていく。
何も言わずに。
「……」
リオンは、その小さな背中を見送る。
「……」
ほんのわずかに。
目の奥の硬さが、ほどける。
誰にも気づかれない程度に。
静かに。




