第29話 残るもの ミーナ
昼の光が、小屋の中に斜めに差し込んでいて、外の穏やかさとは裏腹に、室内の空気だけがどこか乾いた緊張を帯びているように感じられる中で、ミーナはひとり、いつもと同じ場所に立ち、いつもと同じように手を動かしていた。
「……」
静かであるはずの時間が、妙に耳に残るほど重く感じられて、薬草をすり潰す音だけが、やけに大きく響いている気がする。
ごり、と石と石がこすれる感触を確かめながら、ミーナは自分の手がいつもよりほんのわずかに遅れていることに気づいていたが、それをあえて修正しようとはせず、むしろ“普段通りに見える範囲の乱れ”として許容することで、逆に自然さを保とうとしていた。
「……」
視線が、ふと扉へと流れる。
来る。
その確信は、もう予感の域を越えていて、時間の問題だとわかっているからこそ、先に構えすぎないように自分を抑え込む必要があった。
コン、と乾いた音が響いた瞬間、ミーナの指先がほんの一瞬だけ止まり、呼吸が浅くなるのを自覚するが、その“止まり”すらも次の動作の中に溶かし込むように、すぐに肩の力を抜いて表情を整える。
「……はいはい」
少しだけ気だるさを混ぜた、いつもの調子の声を作りながら立ち上がり、扉へ向かう足取りにわざと軽さを乗せる。
扉を開けた瞬間に、視界に入った顔を見て、内心では“やっぱり来たか”と冷静に確認しながらも、その認識が表に出ないよう、ほんのわずかに間を置いてから言葉を続ける。
「いらっしゃい——……あら、また来たのね」
昨日の男、その背後に控えるもう一人の存在を認識した瞬間、空気の密度が一段階上がったことを肌で感じながらも、ミーナはあえてその変化に触れず、視線を軽く流すだけに留める。
後ろの男の無言の圧、その観察するような視線が小屋の中へ向けられているのを理解しながら、真正面から受け止めないことで“興味がない側”を演じる。
「人気出ちゃった?」
冗談めかした軽口を挟むことで、場の主導権をわずかでも自分側に引き寄せる意図を込めながら、笑みの角度をほんの少しだけ調整する。
「……調子はどうだ」
「ぼちぼち、かな」
短い応酬の中で、相手の声色と間合いを測りながら、“どこまで踏み込んでくるか”を探る。
「……確認だ」
その言葉を聞いた瞬間、ミーナの中でいくつかの選択肢が一斉に浮かび上がるが、どれも顔には出さず、ただ一度だけゆっくりと瞬きをすることで時間を稼ぐ。
「……ここにいた子ども」
ああ、そこか、と内心で即座に理解しながらも、反応は半拍遅らせて、“思い出しているふり”を丁寧に挟む。
「……子ども?」
とぼける声の温度を、ほんの少しだけ上げることで“重要度の低さ”を演出する。
「……いたはずだ」
「……あー、昨日の?」
わざとらしく記憶を辿る仕草を入れたあと、間を置かずに結論へ落とす。
「帰ったよ」
迷いのない即答、その速さ自体が“嘘ではないように見せるための技術”であることを、自分でもはっきり理解している。
「……どこへ」
「知らない」
肩を軽くすくめながら、“関心のなさ”と“関係のなさ”を同時に示す。
「親探してたみたいだし、泊める理由もないでしょ?」
理屈を足すことで話を終わらせにいくが、相手が引かないこともまた想定内だった。
「……中を見せてもらおう」
来た、と心の中で小さく呟きながら、ミーナは一瞬だけ視線を伏せて計算する。
ここで強く拒めば不自然、かといって簡単に通せば危険、その境界線を一息で測りきり、最も“面倒くさがる一般人”に見える選択を選ぶ。
「えー、やだよ」
顔をしかめる仕草に、ほんの少しだけ本音の苛立ちを混ぜることで、逆に演技の精度を上げる。
「片付いてないし」
「……関係ない」
「あるよ、乙女の部屋なめないで」
軽口を挟みながらも、視線だけは相手の動きを細かく追い、踏み込みの強さを見極め続ける。
「……少しでいい」
その一言で、押し切られる流れを受け入れるふりをしながら、小さく息を吐いて肩を落とす。
「……ちょっとだけね」
扉を開けるその動作の裏で、“見られて困る場所はどこか”“何を優先して隠すべきか”を一瞬で整理し終えている。
「散らかってても文句言わないでよ」
中に入ってくる二人の視線の動きを、空気の流れごと感じ取りながら、ミーナはわざとらしく部屋のあちこちへ注意を逸らす言葉を投げる。
机、薬、寝床、そのどれもが“いつも通り”であることを強調するように配置されていることを、改めて確認する。
「……」
床に残るわずかな痕跡に気づいた瞬間、ミーナの中で警鐘が鳴るが、顔には出さず、自然な流れの中でそこへ踏み込み、さりげなく崩す。
「昨日さー、子どもが走り回って大変でさ」
軽い愚痴に偽装した説明をかぶせながら、痕跡そのものの意味を塗り替える。
「……新しいな」
すり鉢に触れた指先を見て、ミーナは一瞬だけ呼吸を止めるが、その直後には肩をすくめて返す。
「さっきまで使ってたし、薬屋なんだから当たり前でしょ?」
当たり前を重ねることで、疑問を“無意味なもの”へと押し戻す。
「……子どもは本当に帰ったのか」
その問いに対して、ほんのわずかだけ声の強さを上げる。
「帰ったってば」
強くしすぎない、けれど揺らがない、その絶妙な線をなぞる。
「疑うなら探せば?」
あえて踏み込ませるような言葉を投げることで、“隠していない側”の立場を完成させる。
張り詰めた空気の中で、相手が一歩引いた瞬間、ミーナは内心で小さく息を吐くが、それすら表には出さない。
「……今日はいい」
その言葉を聞いた瞬間、ようやく“第一段階は越えた”と判断し、すぐにいつもの軽さへ戻す。
「でしょ? 無駄足だよー」
二人が外へ出て、扉が閉まる音がしたあとも、ミーナはすぐには動かず、耳だけで足音の距離を測り続ける。
完全に気配が消えたと確信してから、ようやく背中の力を抜き、そのまま壁へと体を預ける。
「……はぁー……」
長く息を吐き出しながら、天井を見上げるその目には、ほんのわずかな疲労と、それ以上に“やり切った”という感覚が滲んでいる。
「あっぶな……」
小さく笑いながらこぼすその言葉の裏で、“あとどれくらい時間が稼げるか”“次はどう動くか”という計算がすでに始まっている。
「……ほんと、面倒なの拾ったね」
そう言いながらも、その口元にはどこか楽しげな色が浮かんでいて、“巻き込まれている”という状況すら、完全には嫌っていない自分を自覚している。
危ない橋だとわかっている、それでも降りるつもりはない。
「……」
視線を扉へ向ける。
もういない場所、けれど確かに繋がっている先。
「……急いでよ、ザーラ」
小さくつぶやいたその声には、軽さの奥に、はっきりとした“信頼と賭け”が乗っていた。




