第21話 隠すという選択
扉が、静かに閉まる。
その小さな音だけが、やけに大きく響いた気がして——
「……」
しばらくのあいだ、誰も言葉を発さなかった。
ただ、その場に立ったまま、動くこともできずにいる。
部屋の中には、さっきまで交わされていた会話の余韻と、言葉にしきれない緊張だけが、重たく残っていた。
「……来たね」
ミーナが、空気を壊さないように、それでも確かに現実へ触れるみたいに、小さく口を開く。
「……ええ」
ザーラは短く答える。
その声はいつもと変わらないようでいて、ほんのわずかに、深いところで固くなっていた。
「……どうするの」
何気ない調子で投げられたその一言は、軽く聞こえるくせに、逃げ場のない問いとして、まっすぐ胸の奥へ落ちてくる。
「……」
ザーラは、すぐには答えない。
答えられない、ではなく——
選ばなければならないと、わかっているから。
ゆっくりと、視線を奥の部屋へ向ける。
「……」
そこにいる、小さな存在。
ルティ。
さっきまで笑っていた顔。
不器用に動く、小さな手。
スプーンを握って、うれしそうにしていた姿。
「……」
胸の奥に、いくつもの感情が重なる。
守りたい、という気持ち。
そして——
失うかもしれない、という予感。
「……」
ゆっくりと、息を吐く。
それから。
「……隠す」
はっきりと、言葉にした。
迷いは、もうなかった。
「……」
ミーナが、その言葉を聞いて、ほんの少しだけ目を細める。
「……やっぱりね」
小さく笑う声には、予想通りだという響きと、同時にどこか安心したような色も混じっていた。
「逃がさないの?」
あえて軽く。
でも、核心だけは外さずに問う。
「……まだ早い」
ザーラは、間を置かずに答える。
「あの子は、何もわかってない」
「……うん」
ミーナは静かにうなずく。
「森の外に出したら、守れなくなる」
その言葉だけ、ほんの少し低くなる。
「……それもそうね」
今度の返事は、さっきより少しだけ真面目だった。
「じゃあ、隠すか」
あっさりした口調。
けれど、その目はもう完全に、“関わる側”のものになっている。
「あんた、一人で抱える気だったでしょ」
「……」
ほんのわずかな沈黙が落ちる。
否定しない。
否定できない。
「……無理よ、それ」
やわらかいけれど、はっきりとした声。
「……」
ザーラが、ほんの少しだけ視線をそらす。
それは図星だったから、というより——
“もう一人でいいと思っていなかった”ことに、自分で気づいてしまったからだった。
「手伝うよ」
ミーナが、いつもの軽さを崩さないまま言う。
「……」
ザーラが、その顔を見る。
「……いいの?」
「何が」
「巻き込まれるわよ」
「もう巻き込まれてるって」
くすっと笑う。
「さっきの人、あたしのこともちゃんと見てたしね」
「……」
否定できない。
あの視線は、人を“覚える”目だった。
「それにさ」
少しだけ声を落とす。
「あの子、いい子じゃん」
「……」
その一言が、妙にまっすぐ胸へ落ちる。
「守りたいって思うの、普通でしょ」
「……」
ザーラの指先が、ほんのわずかに動く。
“普通”。
自分には、ずっと遠かった言葉。
でも、今は——
「……」
少しだけ間を置いてから。
「……頼む」
小さく、けれど確かに口にする。
それは、誰かに何かを預けることを、初めて選んだ声だった。
ミーナが、にっと笑う。
「任せなさいって」
そのとき。
「……ザーラ」
小さくて、少しだけ不安の混じった声。
二人が、同時に振り向く。
扉のところに、ルティが立っていた。
スプーンを握ったまま。
少しだけ肩をすくめるようにして。
「……」
ザーラの表情が、ふっとゆるむ。
ほんの一瞬だけ、さっきまでの緊張がほどける。
「……来なさい」
手を伸ばす。
ルティは、とことこと小さな足音を立てながら近づいてきて——
迷いなく、服の端をきゅっとつかむ。
「……」
ザーラは、そのまましゃがみ込み、目線を合わせる。
「……大丈夫」
できるだけやわらかく、言葉を落とす。
「……」
ルティは、じっと見上げる。
「……こわい?」
小さな声で。
でも、まっすぐに聞く。
「……」
ザーラは、一瞬だけ言葉を失う。
ごまかすことも、できた。
でも。
「……少しね」
静かに、正直に答える。
「……」
ルティは、少しだけ考えるみたいに眉を寄せる。
それから。
スプーンを、ぎゅっと握り直して——
そっと、ザーラへ差し出した。
「……?」
言葉はない。
でも。
「……これ、あるよ」
そんな気持ちが、その小さな手いっぱいに詰まっているみたいで。
「……」
ザーラの目が、ほんのわずかに見開かれる。
それから。
ふっと、肩の力が抜ける。
「……ありがと」
小さく、やさしく言う。
スプーンには触れない。
代わりに、その小さな手ごと、そっと包み込む。
「……」
ルティの顔が、ほっとゆるむ。
「……だいじょうぶ?」
もう一度、確かめるみたいに聞く。
「……ええ」
今度は、ちゃんとうなずく。
その瞬間、ザーラの中で、何かがはっきりと形を持つ。
守る、ということ。
ただ遠ざけることでも、閉じ込めることでもない。
“ここに置いて、隠して、守り抜く”という選択。
そして——
一人ではやらない、という選択だった。
「……よし」
ミーナが、ぱん、と手を叩く。
「作戦会議ね。ちゃんとやろ」
「……何するの」
ザーラが聞く。
「とりあえず——」
にやっと笑う。
「“普通に見せる”準備と、余計な噂を消すこと」
「……できるの?」
「やるの」
軽い口調。
でも、その裏にある覚悟は揺れていない。
「……」
ザーラは、小さくうなずく。
ルティは、二人の顔を交互に見て——
よくわからないまま、それでも。
「……いっしょ?」
小さく聞く。
「……そうよ」
ミーナが笑う。
「いっしょ」
ザーラも、静かに言う。
「……!」
ルティの顔が、ぱあっと明るくなる。
ぎゅっと、スプーンを握って。
そのまま、ザーラへぴったりとくっつく。
外では、風が木々を揺らしている。
まだ見えないものが、確実に近づいている。
それでも。
この小さな部屋の中には。
守ると決めたものと。
守ると決めた人たちが。
確かに、そこにいた。




