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境界に眠る光 ━はじまりの外の世界へ━  作者: くいたん


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第19話 扉の向こう

午後の光が、ゆっくりと傾きはじめて、部屋の中の影を少しずつ長く伸ばしていく。


「……」


ルティは、床にぺたりと座り込んだまま、小さな布を両手でつまんで、何度も確かめるように折り直していた。


スプーンは、いつものようにしっかり握ったまま。


その上から、ぎこちないけれど一生懸命に、角を合わせようとしている。


「……」


ザーラは、その様子を、何も言わずにじっと見ている。


ほんの少しだけ歪んでいる折り目。


けれど。


昨日より、確実に整っている形。


「……上手になってる」


ぽつりと、静かに落ちる言葉。


「……!」


ルティの顔が、一瞬でぱあっと明るくほどけて、目がきらきらと輝く。


うれしさが、そのまま全部あふれ出たみたいな笑顔。


「ほんと、完全に親バカだよねぇ」


ミーナが、肩をすくめながら笑う。


「うるさい」


ザーラは短く返すけれど、その声の端はわずかにやわらいでいる。





空気は穏やかで、いつもと変わらない午後が、静かに流れていた。


そのはずだった。






——コン。




乾いた音が、唐突に空気を裂く。


「……」


三人の動きが、ぴたりと止まる。




コン、コン。




今度は、さっきよりもはっきりとした、意志のあるノック。


扉。




「……こんな時間に、誰……?」


ミーナが、声を潜めてつぶやく。




「……」


ザーラは答えない。


ただ、視線だけが静かに扉へ向かう。




コン。




三度目。


今度は、間が長く、妙に落ち着いた響き。




「……」


ザーラが、ゆっくりと立ち上がる。


無駄な音を立てないように、静かに。




「……ルティ」


低く、短く呼ぶ。




「……」


ルティは、すぐに反応する。


さっきまでの柔らかい空気とは違うものを、言葉がなくても感じ取っている。




「……こっちに来なさい」


差し出される手。




説明はない。


けれど。




「……」


ルティは迷わず、その手を取る。


小さな指で、ぎゅっと。




奥の部屋へと連れていかれる。




「……ここで、少しだけ待ってなさい」


やわらかく、でも芯のある声。


いつもより、ほんのわずかに低い。




「……」


ルティは、こくんと頷く。




けれど。




そのまま、服の端をきゅっとつかむ。


離したくない、というみたいに。




「……大丈夫」


ザーラが、短く言う。




その一言だけで。




「……」


ルティは、少しだけ迷ってから、そっと手を離す。


でも、指先は名残惜しそうに、ほんの一瞬だけ布を引く。




ザーラは何も言わず、静かに背を向けて戻る。



ミーナと、目が合う。



「……誰だと思う?」


小さな声。




「……わからない」


短い返答。




けれど。




二人とも、同じ予感を抱いている。




ザーラは、扉の前に立つ。




一度だけ、深く呼吸を整えて。




ゆっくりと、扉を開ける。




そこに立っていたのは——




「突然すまない」


落ち着いた、よく通る声。




森には似つかわしくない、整った服装と、隙のない姿勢。


視線は柔らかいのに、どこか測るように鋭い。




あの小屋にいた、“上”の男。




「……何の用」


ザーラの声は、平坦で、冷たい。




「少し、話を聞きたくてな」


穏やかな口調。




しかし。




その目は、ゆっくりと室内をなぞる。


机。


薬。


すり鉢。




「……」


ミーナの肩が、わずかに強ばる。




「……ここで話すわ」


ザーラは、一歩だけ外に出て、扉を半分閉める。


中が見えないように、確実に遮る。




「……用件は」




男は、わずかに口元を緩める。




「最近、評判がいいと聞いてね」




「……」


無言。




「薬の効きが、ずいぶん安定しているそうだ」




「……たまたまよ」




「そうかもしれないな」


否定はしない。


だが。



「……興味はある」


静かに続ける。




その視線が。




ほんの一瞬だけ。



扉の隙間へ滑る。




「……」


ザーラの体が、わずかに動く。



それを、遮るように。



「……それだけなら、帰って」


冷えた声。




男は、ほんの少しだけ目を細める。




「……子どもがいると聞いた」




空気が、凍りつく。




室内。




「……」


奥の部屋で。




ルティは、じっとしていた。




でも。




聞こえている。


声。


気配。


いつもと違う、硬い空気。




「……」


胸の奥が、少しだけざわつく。




それでも。




「……」


スプーンを、ぎゅっと握る。




ザーラの「大丈夫」が、まだ残っている。




「……」


そっと、床に座り直して。


さっきの布を、もう一度折ろうとする。




指が、少し震えて。


うまくいかない。




「……」


それでも、やめない。




折る。


もう一度。


ゆっくり。



——大丈夫。




言葉にはならないけれど。




そうやって、待つ。



外。



「……関係ないわ」


ザーラが、即答する。




「……そうか」




納得していない目。




「……まあいい」


男は、一歩引く。




「今日は顔を見に来ただけだ」



その言い方は。




“これで終わりではない”と、はっきり告げていた。



「……また来る」




「……来なくていいわ」




「難しいな」


わずかな笑み。




男は、背を向けて歩き出す。


森の中へ。




足音が、ゆっくりと遠ざかる。




完全に消えるまで、ザーラは、一歩も動かなかった。




やがて、静かに扉を閉める。




「……」


重い静寂。




ミーナが、小さく息を吐く。




「……来たね」




「……ええ」




短い返答。




ザーラの視線が、奥の部屋へ向かう。




「……」


ルティ。




待っているはずの、小さな存在。




ゆっくりと歩き出す。




襖を開ける。




「……」


ルティは、そこにいた。




少し歪だけれど、きちんと折られた布を前にして。




スプーンを握ったまま。




顔を上げる。



「……」


ほんの少しだけ、不安そうで。


でも。




それ以上に。




「……だいじょうぶ?」


たどたどしく、そう聞く。




「……」


ザーラの呼吸が、ほんの一瞬止まる。




そして。




「……大丈夫よ」


今度は、はっきりと答える。




ルティは、じっと見つめて。




「……」


こくん、と強く頷く。




それから、とことこと歩いてきて。




何も言わずに服の端を、きゅっとつかむ。




「……」


ザーラは、その小さな手を見る。




そっと。 その手の上に、自分の手を重ねる。




「……」


離さない、というみたいに。



さっきまでの“日常”は、もう戻らない。




けれど。




守るものだけは、はっきりしていた。

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