番外編 ー ルティの里帰り(後編)ー
暖炉の火は、夜が更けるほど静かに赤くなっていった。
窓の外では雪が降っている。
森は暗い。
けれど、この小さな家の中だけは違った。
湯気。
笑い声。
鍋の匂い。
誰かが呆れた声を出して、誰かが言い返す。
そんな音たちが、ゆっくり部屋を満たしている。
「だから、あんた昔から無茶ばっかりなのよ!」
ミーナが腕を組んで怒る。
ザーラが、少しだけ眉を下げた。
「……反省はしてるわ」
「してたら消えないの!」
「それはそう」
「認めるな!」
ルティが、もぐもぐしながら呟く。
「……ザーラ、まけてる」
「完全に負けてるわね」
セレナが面白そうに笑った。
ザーラが、じろりと見る。
「助ける気ないの?」
「ないわね」
「即答……」
ミーナが、ふんっと鼻を鳴らす。
でも。
その怒った顔の奥に、まだ泣きそうなものが残っていることを、ルティはちゃんと見ていた。
「……」
暖炉が、ぱちりと鳴る。
ルティは、その音を聞きながら、ぼんやり目を細めた。
不思議だった。
ザーラは、ずっと静かな人だった。
少し遠くて。
消えそうで。
どこか、ひとりで立っている人。
でも今は違う。
怒られてる。
言い返してる。
困ってる。
笑ってる。
「……ザーラ、いきてる」
ぽつり、と言う。
ザーラが、きょとんとした。
「え?」
「……ちゃんと」
ミーナが、ふっと笑った。
「そりゃそうよ」
静かな声だった。
「このバカ、昔からしぶといんだから」
「ひどい言い方ね」
「事実でしょ」
ザーラが、小さく肩を落とす。
その顔が、少し若かった。
境界で見せていた、“帰れないもの”の顔じゃない。
昔、森でミーナと喧嘩していた頃の顔に近かった。
「……」
夜が深くなる。
ルティは、暖炉の前でだんだん眠そうになっていく。
「寝るなら上で寝なさい」
ミーナが言う。
「……ここがいい」
「だめ」
「……あったかい」
「分かるけどだめ」
ルティが、むう、と頬を膨らませる。
その時。
ザーラが、ぽつりと言った。
「昔もそうだったわね」
ルティが、ぱちっと顔を上げる。
「……?」
「暖炉の前で寝ようとして、よく転がってた」
「……わたし?」
「あなた以外誰がいるの」
ミーナが吹き出した。
「そうそう! 毛布ごと落ちて泣いてた!」
「……ないてない」
「泣いてたわよ」
「うそ」
「ほんと」
ルティが、じわじわ赤くなる。
「……しらない」
「本人だけ忘れてるのよねえ」
セレナが、くすっと笑った。
その笑い声を聞きながら。
ザーラは、静かに暖炉を見る。
火が揺れている。
あったかい。
昔、自分は。
こういう場所へ戻れないと思っていた。
森で生きて。
境界へ近づいて。
いつか、自分は消える側になるのだと思っていた。
だから。
帰る場所なんて、考えないようにしていた。
「……」
ミーナが、ふとザーラを見る。
「……何」
「いや」
ミーナは、少しだけ視線を逸らした。
それから、ぶっきらぼうに言う。
「ちゃんと帰ってきたんだなって」
ザーラの目が、少し揺れた。
「……」
「ほんと、遅かったけど」
ミーナは、そう言って鼻をすすった。
泣きそうになるのを隠すみたいに。
ザーラは、しばらく黙っていた。
それから。
本当に小さく笑う。
「……うん」
その声は。
長い冬のあと、ようやく雪の下から戻ってきた春みたいに、静かだった。
夜は、ゆっくり更けていく。
ルティは結局、暖炉の前で半分寝ていた。
「だから寝るなって」
ミーナが呆れる。
「……ねてない」
「寝てる」
「……め、とじてるだけ」
「それを寝てるって言うのよ」
ザーラが、小さく吹き出した。
「ほんと変わらないわね」
「……?」
「そこ、昔から」
ルティは、半分眠った顔で首をかしげる。
その様子を見て。
ザーラが、少しだけ目を細める。
変わらないものがある。
でも。
変わったものもある。
昔は。
この子を守らなきゃと思っていた。
ひとりで。
自分だけで。
でも今は違う。
白樺亭がある。
帰る場所がある。
名前を呼んでくれる人がいる。
そして。
自分にも、帰ってきていいと言ってくれる人がいる。
「……」
次の日の朝。
雪は少しだけ止んでいた。
森へ、淡い光が落ちている。
帰り支度をしていると、ミーナが不機嫌そうに腕を組んだ。
「……もう行くの」
「白樺亭もあるからね」
セレナが答える。
「分かってるけど」
ミーナは、ちらりとザーラを見る。
その目が、少しだけ揺れる。
ザーラは、その視線へ気づいて、小さく笑った。
「そんな顔しないで」
「してない」
「してるわよ」
「うるさい」
でも。
その声は、昨日より少しだけ軽かった。
ルティは、荷物を抱えながらそのやり取りを見る。
それから。
ちょっと考えて。
ミーナへ言った。
「……またくる」
ミーナが、ぴたりと止まる。
ルティは、真剣な顔だった。
「……パン、もってくる」
「そこなの?」
セレナが笑う。
でもルティは真面目だった。
「……しろかばていの、あったかいの」
ミーナの顔が、少し崩れる。
それから。
ぐしゃぐしゃになりそうなのを隠すみたいに、乱暴にルティの頭を撫でた。
「……ちゃんと帰ってきなさいよ」
その言葉は。
昔みたいな、“もう会えないかもしれない”願いじゃなかった。
また来る。
また帰る。
ちゃんと会える。
そんな未来を信じている声だった。
ルティは、こくりと頷く。
「……うん」
それから。
少しだけ笑った。
「……またくるね」
白い息が、冬の空へ溶けていく。
その声は。
雪の森の中で、不思議なくらいあたたかかった。




