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境界に眠る光 ━はじまりの外の世界へ━  作者: くいたん


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第60話 帰る音、還るもの

カーン――。


鐘楼から広がった音は、白い湖の上を、どこまでも静かに渡っていった。


それは、不思議な音だった。


耳へ響いているはずなのに、どこか胸の奥で鳴っているみたいな音。


冷たかった世界へ、少しずつ温度が戻ってくる。


そんな音だった。


「……」


ルティは、息を止めたまま湖を見る。


湖面へ映っていた無数の影たちが、ゆっくり顔を上げている。


今まで空っぽだった瞳へ、少しずつ感情が戻っていく。


懐かしさ。


寂しさ。


そして。


“帰りたい”という気持ち。


――おかあ、さん。


誰かが呟く。


――……家。


別の影が、震える声を漏らす。


白い湖へ、さざ波みたいに声が広がっていく。


「……」


セレナが、小さく息を呑む。


「戻ってる……」


崩れた町の景色へ、灯りが増えていく。


灰だらけだった道端へ花が咲き始める。


窓明かり。


食卓。


人の笑い声。


忘れられていた“帰る景色”が、少しずつ世界へ戻っていく。


「……すごい」


セレナの声は、ほとんど呟きだった。


ザーラも、湖を見つめている。


その瞳には、驚きが滲んでいた。


「……こんなの」


「初めて……」


ルティは、胸の前でパンを抱えたまま、小さく息を吐く。


怖かった。


でも。


少しだけ、うれしい。


本当に、少しだけ。


「……」


その時だった。


どくん。


ルティの左腕が、大きく脈打つ。


「っ……!」


急激な熱。


今までとは比べものにならない。


包帯の下で、黒い痣が焼けるみたいに疼く。


「ルティ!?」


セレナが駆け寄る。


ルティは、自分の腕を押さえたまま湖を見る。


白い水面。


その奥。


ずっと深い場所。


「……」


何かがいた。


花が咲き始めた湖の底。


戻り始めた灯りの、そのさらに下。


黒い。


深い。


底のない穴みたいな影。


「……ザーラ」


ルティが、かすれた声で呼ぶ。


ザーラの顔色が変わっていた。


さっきまでより、はっきりと。


青ざめている。


「……だめ」


小さな声。


「……え?」


「だめ」


今度は、もっと強かった。


ザーラが、一歩後ずさる。


「鐘を鳴らしすぎちゃだめ」


白い湖が、大きく波打つ。


さっきまで穏やかだった水面が、急にざわめき始める。


崩れた町の景色が、ぐにゃりと歪む。


灯りが揺れる。


花が枯れる。


「っ……!?」


バルドが、ルティを引き寄せる。


その瞬間。


湖の底で、“目”が開いた。


ぞわり、と。


世界そのものへ見返されたみたいな感覚。


「……っ!!」


ルティの呼吸が止まる。


深い。


深すぎる。


悲しいとか、怖いとか、そんな言葉じゃ足りない。


まるで、“帰れなかったもの全部”が混ざって出来たみたいな暗さだった。


カーン――。


鐘が、もう一度鳴る。


その瞬間。


湖中の影たちが、一斉にこちらを見た。


「……!」


セレナが息を呑む。


違う。


さっきと違う。


戻りかけていた感情が、急速に揺らいでいる。


――帰りたい。


――帰りたい。


――帰りたい。


その声に混ざる。


別の声。


もっと深く。


もっと重い声。


――還せ。


ルティの背筋が凍る。


「……っ」


ザーラが、震える声で言った。


「聞いちゃだめ」


湖の底が、ゆっくり割れる。


黒い亀裂。


その奥から、巨大な影が蠢いている。


「……鐘は」


ザーラが、苦しそうに言葉を絞る。


「帰りたい気持ちを呼ぶ」


「でも」


「呼ばれたもの全部が、“帰りたい”とは限らない」


カーン――。


鐘が、また鳴る。


今度は、さっきより少し重い音だった。


その瞬間。


湖面へ映る町の窓明かりが、一斉にこちらを向く。


ありえない角度で。


ぎぃ、と。


家々の扉が開いていく。


「っ……」


ガイルが剣へ手をかける。


リオンの目が鋭くなる。


「まずいな」


低い声。


「境界が、“こちら”を思い出し始めている」


「どういう意味だ」


バルドが唸る。


リオンは、鐘楼を睨んだまま言った。


「今までは、閉じ込められていた」


「だが今、“帰る道”が開き始めている」


「……」


セレナの顔色が変わる。


「まさか……」


ザーラが、ゆっくり頷く。


その瞳には、恐怖があった。


「鐘は、“帰る者”だけを呼ぶんじゃない」


「“帰りたかったもの全部”を呼ぶの」


白い湖の底で。


巨大な黒い影が、ゆっくり身体を起こし始める。


ずるり、と。


湖そのものが歪む。


影たちの声が、急速に大きくなる。


――帰りたい。


――帰りたい。


――還せ。


――開け。


「……っ」


ルティの痣が、どくん、と激しく脈打つ。


その瞬間だった。


鐘楼の最上階。


割れた窓の奥に。


“誰か”が立った。


「……!」


ルティが息を呑む。


人影だった。


細い。


長い髪。


でも。


ザーラじゃない。


その人影は、静かにこちらを見下ろしている。


顔は見えない。


なのに。


見た瞬間、本能で分かる。


「あれはだめ」


ザーラが、はっきり言った。


声が震えている。


「ルティ」


「絶対に、あれへ呼ばれちゃだめ」


その瞬間。


鐘楼の上から。


今までで一番大きな鐘の音が、世界へ響いた。


カァァァァン――――。

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