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境界に眠る光 ━はじまりの外の世界へ━  作者: くいたん


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第52話 北へ


森へ続く旧街道は、朝の霧に沈んでいた。


白樺亭を出てから、もう半日ほど歩いている。


町の気配は、だいぶ遠くなっていた。


石畳は途切れ、土の道へ変わり、道の脇には背の高い草が揺れている。


空は曇っていない。


それなのに、北へ進むほど光が薄くなっていく気がした。


「……」


ルティは、小さな荷物を抱えながら歩いていた。


まだ旅には慣れない。


歩幅も小さいから、どうしても周りより少し遅れる。


すると。


「遅え」


すぐ後ろから声。


バルドだった。


「……あるいてる」


「見りゃ分かる」


「……」


「歩いてるじゃなくて、“ちゃんと進め”」


ルティが、むっとする。


「……すすめてる」


「足が短い」


「……」


「うわ顔」


バルドが吹き出した。


ルティが、じとっと睨む。


その顔が、妙に真剣なので余計おかしかった。


セレナが、少しだけ笑う。


「バルド、子ども相手に張り合わないで」


「張り合ってねえ」


「張り合ってるわよ」


「……」


ルティは、二人を見比べたあと、小さく言った。


「……なかよし」


「違う!!」


「違うわ」


ぴったり同時だった。


リオンが前を歩いたまま、小さく息を吐く。


ほんの少しだけ。


笑ったみたいだった。


「……?」


ルティが不思議そうに見る。


リオンは、すぐにいつもの無表情へ戻った。


「……進むぞ」


低い声。


「霧が濃くなる前に抜けたい」


「霧?」


ガイルが周囲を見る。


確かに、森へ近づくほど白い靄が増えている。


昼間なのに、遠くが見えない。


「普通の霧じゃない」


リオンが言う。


「境界が近い」


その言葉で、空気が少し変わった。


ルティの腕が、じん、と熱を持つ。


包帯の下。


黒い痣が、かすかに脈打つ。


「……」


ルティは、そっと左腕を押さえた。


それに気づいたセレナが、歩調を少し緩める。


「大丈夫?」


「……うん」


「無理しないで」


「……うん」


返事はする。


でも。


本当は、少しだけ息苦しかった。


森が近づくほど、鐘の音も近くなる。


こん。


こん。


遠い。


壊れた音。


「……」


ルティは、こっそり白樺亭でもらったパンを握る。


袋の中から、まだ少し匂いがする。


それだけで、少し落ち着いた。


セレナが、その様子を見て小さく頷く。


ちゃんと覚えている。


“帰るための糸”を。


昼過ぎ。


一行は、旧街道の途中に残る小さな廃村跡へ辿り着いた。


崩れた家。


半分埋まった井戸。


風の抜ける音。


もう何年も人が住んでいないのが分かる。


「ここで少し休む」


リオンが言った。


バルドが、周囲を見回す。


「気味悪ぃ場所だな」


「昔、境界に飲まれた」


ガイルが短く答える。


「……」


リックがいたら絶対騒いでたな、とルティは思った。


ちょっとだけ、寂しくなる。


「ルティ」


セレナが声をかける。


「座って」


「……うん」


崩れた石段へ腰を下ろす。


その瞬間。


ぐううううう。


「……」


沈黙。


ルティのお腹だった。


バルドが顔を逸らす。


セレナが肩を震わせる。


リオンは無表情。


でも、ほんの少しだけ目を閉じた。


「……おなか」


ルティが真顔で言う。


「知ってる」


バルドが即答する。


「……すいた」


「だからパン持たせたんだろうが」


「……たべる」


ルティは、もそもそ袋を開け始める。


その様子があまりにも普通で。


セレナは、不意に目を細めた。


この子は、本当に境界へ触れているのだろうか。


そう疑いたくなるくらい、今の姿は普通の子どもだった。


パンを両手で持って、もくもく食べているだけの、小さな子。


「……」


セレナの胸が、少しだけ痛む。


ザーラには、こんな時間が少なすぎた。


「……?」


ルティが、ぱんを咥えたままセレナを見る。


「……いる?」


半分ちぎったパンを差し出している。


セレナが、少し目を瞬かせる。


「……私に?」


「……うん」


「……」


セレナは、小さく笑った。


「ありがとう」


受け取る。


あたたかい。


白樺亭の匂いがした。


その時だった。


リオンが、ふと顔を上げる。


空気が変わる。


「……静かすぎる」


低い声。


ガイルも即座に周囲を見る。


風が止んでいた。


草も揺れていない。


鳥の声もない。


「……来るぞ」


その瞬間。


霧が、動いた。


ざわり、と。


生き物みたいに。


「っ……!」


ルティの腕が熱を持つ。


白い霧の向こう。


“誰か”が立っている。


人影。


ぼんやりしていて、顔がない。


でも。


数が増えていく。


ひとつ。


ふたつ。


みっつ。


霧の向こうで、じっとこちらを見ている。


「下がれ」


リオンが、一歩前へ出る。


バルドもすぐルティの前へ立つ。


「ルティ、見るな」


「……でも」


「見るな」


低い声。


でも。


遅かった。


ルティには、もう見えていた。


人影の中に。


小さな子どもがいる。


泣いている。


「……っ」


胸が痛む。


助けたい。


その瞬間。


――こっち。


声がした。


「……!」


ルティの身体が、前へ引かれる。


「ルティ!」


セレナの声。


「呼吸して!」


「……っ」


だめ。


行っちゃだめ。


「……」


ルティは、ぎゅっとパンを握る。


白樺亭の匂い。


帰る場所。


「……」


人影が、ゆらゆら揺れる。


――こっち。


――さむい。


――ひとり。


「……」


ルティの目に涙が滲む。


怖い。


寂しい。


その気持ちが、流れ込んでくる。


「……」


でも。


「……だめ」


小さく言う。


震えながら。


「……わたし」


「……かえるから」


その瞬間。


左腕の痣が、どくん、と光る。


紫が、淡く脈打つ。


霧が、一瞬だけ後ずさる。


「……っ!」


人影たちが揺れる。


セレナが叫ぶ。


「名前を!」


「……!」


ルティが、はっとする。


帰るための糸。


「……バルド!」


「いる」


即答。


「……セレナ!」


「ここよ」


「……リオン!」


「前を見ろ」


「……ガイル!」


「離れるな」


声。


ちゃんとある。


「……」


ルティは、涙を拭った。


それから。


霧の向こうへ向かって、小さく言った。


「……わたし」


「……まだ、そっちいかない」


その言葉は、弱かった。


でも。


はっきりしていた。


霧の人影が、ゆっくり薄れていく。


風が戻る。


草が揺れる。


鳥の声が遠くで鳴く。


「……はぁ……」


バルドが、深く息を吐いた。


「心臓に悪ぃ……」


「……」


ルティは、その場へへたり込む。


怖かった。


すごく。


でも。


「……かえれた」


小さく呟く。


セレナが、静かにその肩へ手を置いた。


「ええ」


やさしい声。


「今のは、大きいわ」


リオンが、霧の消えた森を見る。


その目は、いつもより険しかった。


「境界が、近い」


低く言う。


「想像より早い」


ガイルも頷く。


「鐘楼まで急ぐべきだな」


「……」


ルティは、遠くの森を見る。


北。


霧の向こう。


鐘の音は、前より少し近くなっていた。

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