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境界に眠る光 ━はじまりの外の世界へ━  作者: くいたん


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第28話 揺らぐ境界


夕方が近づくにつれて、白樺亭の空気は少しずつ重くなっていた。


昼間の賑わいは、まだ残っている。


客の声もある。

皿の音もある。

パンの香りも、ちゃんと漂っている。


それなのに。


「……」


誰もが、どこか落ち着かなかった。


理由は分からない。


けれど。


店の奥の空気が、ときどき“ずれる”。


ほんの一瞬だけ。


見間違いみたいに。


「……」


ルティは、パンの籠を抱えたまま立ち止まっていた。


視線は、店の奥。


壁際。


昼間、“何か”が揺れた場所。


「……ある」


小さく、つぶやく。


「ルティ」


バルドの声が飛ぶ。


「止まるな」


ぶっきらぼうな声。


だが、その目は前よりずっと周囲を見ていた。


客。

窓。

入口。

そして、ルティ。


全部を確認している。


「……」


ルティは、小さくうなずく。


それから、また歩き出した。



「嬢ちゃん」


リックが、片手を上げる。


「今日はちゃんと数合ってるぞ」


「……」


ルティは、じっと見る。


「……あってる」


「おう、偉い偉い」


笑いが起きる。


いつもなら、それで終わる。


でも今日は。


笑ったあと、みんな少しだけ静かになる。


視線が、無意識に店の奥へ向いてしまう。


「……」


オットーが、低くつぶやいた。


「……近いな」


「何がだよ」


リックが聞き返す。


だが、オットーは答えない。


酒を飲む手も止まっている。


「……」


ルティは、その言葉を聞いていた。


近い。


その感覚は、自分にも分かる。


昨日より。


今日の昼より。


もっと。


「……」


空気が、薄くなっている。


世界の“向こう”が、近い。



そのときだった。


からん。


入口の鐘が、小さく鳴る。


全員の視線が向く。


「……」


知らない男だった。


旅人。


灰色の外套。

泥のついた靴。

深くかぶった帽子。


だが。


「……」


ルティの足が止まる。


違う。


普通じゃない。


「いらっしゃい」


バルドが声をかける。


男は、ゆっくり顔を上げた。


その瞬間。


ルティの胸の奥が、強くざわつく。


「……っ」


息が止まる。


男の首筋。


皮膚の下。


黒い線のようなものが、わずかに浮いていた。


「……」


境界病。


ガイルが言っていた。


侵食の痕。


「……」


男は、ふらつくように席へ向かう。


歩き方がおかしい。


地面を踏んでいるのに、どこか感覚が合っていない。


「おい、大丈夫か」


リックが声をかける。


男は答えない。


ゆっくりと椅子へ座り――


ぴたり、と止まった。


「……?」


ミーシャが不安そうに目を細める。


「……なんか変」


その瞬間。


男の足元で。


空気が、“沈んだ”。


「――下がれ!!」


ガイルの声が、店中に叩きつけられる。


次の瞬間。


男の影が、ぐにゃりと揺れた。


「っ!?」


悲鳴が上がる。


椅子が倒れる。


床へ、黒い滲みのようなものが広がっていく。


「……あ」


ルティの顔から、血の気が引く。


昨日までとは違う。


これは。


“人”から開いている。


「全員外だ!!」


バルドが怒鳴る。


「急げ!!」


常連たちが、一斉に動く。


リックがミーシャを引っ張る。


オットーが出口を開け放つ。


ミコが立ち尽くしたまま震えている。


「……みこ!」


ルティが駆け寄る。


小さな手を掴む。


その瞬間。


男が、ゆっくり顔を上げた。


「……ぁ……」


声にならない声。


目が、真っ黒だった。


「……っ!」


空気が歪む。


店の壁が、軋む。


窓ガラスが、びき、と音を立てる。


「侵食が深い……!」


ガイルが低く吐き捨てる。


「もう境界を抱え込んでる!」


「どうすりゃいい!」


バルドが怒鳴る。


ガイルは、一瞬だけ迷った。


ほんの一瞬。


だが。


その沈黙で、ルティには分かってしまった。


「……」


間に合わない。


このままなら。


この人は、消える。


「……」


ルティの手が、ぎゅっと握られる。


怖い。


怖いけれど。


「……」


白樺亭を、見る。


パンの匂い。

木の机。

みんなの声。


なくなったら、いやだ。


「……」


ルティが、一歩前へ出る。


「ルティ!!」


バルドが叫ぶ。


でも止まらない。


「……だいじょうぶ」


小さく言う。


誰に向けた言葉か、自分でも分からない。


ただ。


「……まだ、いる」


男を見る。


黒く沈みかけた、その奥。


まだ、ほんの少しだけ。


“人”が残っている。


「……」


ルティは、ゆっくりと手を伸ばした。


その指先には。


薄く残っていた黒い痣が、わずかに熱を帯び始めていた。

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