第11話 だいじだから
その夜。
ルティは、深く、静かに眠っていた。
小さな寝息が、規則正しく繰り返されていて、胸がゆっくりと上下するたびに、そこに「ちゃんと生きている」温度があるのがわかる。
「……」
ザーラは、その隣に座っていた。
本来なら、とっくに自分の寝床に戻っている時間。
灯りも落として、何も考えずに眠っているはずの時間。
でも。
「……」
動けない。
立ち上がる理由が、見つからない。
というより——
離れる理由のほうが、見つからない。
「……」
視線が、どうしても逸れない。
ルティから。
ほんの少しの変化でも、見逃したくないみたいに。
昼間の光景が、何度も浮かぶ。
苦しそうに息をしていた子ども。
熱に浮かされた顔。
ミーナの、あの震えた声。
——もし、間に合わなかったら。
「……」
その続きを、考えないようにする。
でも、勝手に浮かぶ。
——もし、効かなかったら。
——もし、手遅れだったら。
「……」
無意識に、手が伸びる。
ルティの額に触れる。
指先で、そっと。
「……」
熱はない。
落ち着いている。
呼吸も、安定している。
「……」
それでも。
「……」
もう一度。
触れる。
確かめる。
今ここにあるものが、消えていないかを確かめるみたいに。
「……」
小さく、息を吐く。
でも。
胸の奥に残っているざらつきは、消えない。
「……起きてるの?」
後ろから、小さな声。
ミーナ。
「……」
ザーラは振り返らない。
「……まだ寝てる」
「そうじゃなくて、あんたが」
「……」
沈黙。
ミーナが、少しだけ距離を詰める。
「……心配?」
「別に」
即答。
間も置かずに。
「はいはい」
くすっと、小さく笑う。
「顔に出てるよ」
「……」
無視する。
でも。
「……」
視線は、やっぱり動かない。
ルティから。
「……あんたさ」
ミーナが、ぽつりと言う。
軽くではなく、少しだけ慎重に。
「ちょっと怖くなったでしょ」
「……」
その言葉が、静かに刺さる。
深く。
思っていたよりも、ずっと。
「……助けられるってことは」
ミーナの声が、少しだけやわらぐ。
「助けられなかった時も、あるってことだからね」
「……」
ザーラの指先が、ほんのわずかに強ばる。
ルティの額に触れていた手が、ほんの少しだけ止まる。
「……」
否定しない。
できない。
その言葉の先を、知っているから。
知ってしまっているから。
「……だからって」
ミーナが続ける。
少しだけ、優しく。
「全部、自分で抱え込もうとすると——」
一拍、間を置く。
「今度は、こぼすよ」
「……うるさい」
返す声は、いつもと同じようで。
でも、ほんの少しだけ、弱い。
押し切れない感じが残る。
その夜。
ザーラは、結局。
自分の寝床には戻らなかった。
ルティの隣に、横になる。
距離は近い。
手を伸ばせば、すぐ触れられる距離。
「……」
何度か、目を閉じて。
でも、すぐに開ける。
確認する。
そこにいるかどうかを。
「……」
そうやって、ようやく。
浅い眠りに落ちていった。
翌朝。
「……」
ルティが、目を覚ます。
すぐ近くに、ザーラの姿。
「……」
ぱち、ぱち。
瞬きをして。
少しだけ考えて。
「……!」
にこ。
安心した顔。
「……起きたの」
ザーラも、すぐに目を覚ます。
「……」
ルティは、こくんと頷く。
それから——
体を起こそうとして。
「……」
ぐら。
「……っ」
ふらつく。
「……なにしてるの」
すぐに手が伸びる。
迷いなく。
支える。
「……」
ルティは、きょとんとする。
「まだ寝てなさい」
「……?」
「無理しなくていい」
「……」
昨日と、少し違う。
距離が、近い。
声も、少しだけ固い。
もう一度、起きようとする。
「だめ」
ぴしゃり。
迷いなく。
「……」
止まる。
少しだけ、しゅんとする。
「……」
スプーンを探す。
見つける。
ぎゅっ。
握る。
「……」
それだけで、少し安心する。
⸻
もう一度。
ゆっくりと、体を起こす。
「……」
今度は、立てる。
ちゃんと。
「……」
ザーラが、じっと見る。
見守るというより——
監視に近いくらい、しっかりと。
「……」
ほんの少し、眉を寄せる。
でも。
「……無理したら、すぐ戻る」
ぽつりと。
低く。
「……」
ルティは、こくんと頷く。
朝ごはん。
ザーラの視線は、ずっとそこにある。
「……」
一口、食べる。
「……大丈夫?」
「……」
こくん。
「……ほんとに?」
「……」
もう一度、こくん。
「……」
まだ見る。
じっと。
「……」
ルティは、ちょっとだけ困る。
どうしていいかわからない顔。
「……」
でも。
スプーンを持つ。
ぱく。
もぐもぐ。
ちゃんと食べる。
「……」
視線。
まだある。
「……」
ちら。
「……なに」
「……」
首をかしげる。
「……食べなさい」
「……」
食べる。
⸻
「……過保護」
ミーナが、ぼそっとつぶやく。
「うるさい」
「いや完全にそうでしょ」
「普通よ」
「どこが」
「……」
少しだけ、黙る。
言い返そうとして。
でも、言葉が続かない。
食後。
ルティが立ち上がる。
「……」
器を見る。
自分の仕事。
「……」
持つ。
歩く。
ぺた、ぺた。
「……」
ザーラの視線が、ついてくる。
離れない。
ずっと。
ほんの少し後ろから。
すぐ手が届く距離で。
「……」
置く。
ことり。
「……!」
振り返る。
「……」
ザーラが、すぐに言う。
「……えらい」
「……!」
ぱあっと笑う。
でも——
「……」
次の瞬間。
ザーラが、すぐに近づく。
「手、見せなさい」
「……?」
「切ってない?」
「……」
手を見る。
問題ない。
「……」
それでも。
指先で、ひとつひとつ確かめるように触れる。
傷がないか。
痛くないか。
確かめる。
「……」
ルティは、少しだけ首をかしげる。
でも。
嫌じゃない。
むしろ、安心する。
そのあとも。
ルティが動くたび。
ザーラの視線が、必ずついてくる。
近い。
昨日より、ずっと近い。
「……」
ルティは、ふと気づく。
なんとなく。
空気で。
「……」
少しだけ考えて。
それから——
とことこと歩いていく。
ザーラのところへ。
「……なに」
「……」
何も言わない。
ただ。
服の端を、きゅっとつかむ。
「……」
ザーラが、少しだけ目を見開く。
「……」
ルティは、そのまま。
ぴた、と寄り添う。
くっつく。
「……」
離れない。
ミーナが、小さく笑う。
「ほらね」
「……なにが」
「お互い様じゃない」
「……」
言い返さない。
ザーラは、ほんの少しだけ迷う。
一瞬だけ、手が浮く。
離すか、そのままにするか。
それから。
「……好きにしなさい」
ぽつりと。
ルティは、小さくうなずく。
そのまま、くっついている。
安心したまま。
それは、
ただ守られているからじゃない。
ザーラが、離れない理由も。
ルティが、離れない理由も。
どちらも同じで。
「失いたくない」と思ってしまったからだった。




