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境界に眠る光 ━はじまりの外の世界へ━  作者: くいたん


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第12話 言葉のつかいかた

朝。


「起きてるかー」


扉の外から、少し低くて眠そうな声がした。


「……」


ルティは、ゆっくりと目を開ける。


視界に入るのは、知らない天井。


木の梁と、薄く差し込む朝の光。


昨日目を覚ましたときとは違って、もう驚きはしなかった。


「……」


まず、手を見る。


スプーンがある。


ちゃんと、ある。


それを確かめてから、ルティはこくんと小さくうなずき、ゆっくりと体を起こした。


「おーい」


また声がする。


「開けるぞ」


がら、と扉が開いた。


昨日の男が入ってくる。


寝ぐせの残った茶色い髪に、少しくたびれた顔。


それでも、昨日よりはいくらか目が覚めているように見えた。


「……おはよう」


「……」


ルティは、じっと見る。


少しだけ考える。


「……おはよ」


小さく返す。


「お、言えんじゃねえか」


男が少しだけ笑った。


「……」


ルティは何も言わない。


ただ、じっと見ている。


「ほら、朝飯食うだろ」


「……」


こくん、と小さくうなずく。


店の方へ出ると、夜とは少し違う匂いがした。


火を入れたばかりのかまどの匂い。


温めたスープの匂い。


焼き直したパンの匂い。


白樺亭はまだ静かで、客の姿もほとんどない。


けれど、朝の支度が始まっただけで、昨夜の寂しさは少しだけ薄れていた。


「ほら」


木の皿にパンが置かれ、小さな器に入ったスープが並ぶ。


「……」


ルティは、じっとそれを見る。


「……これ」


「パンだ」


「……ぱん」


小さく繰り返す。


それから、両手でそっと持って、一口かじった。


「……!」


目が、少しだけ開く。


おいしい。


表面は少しかたくて、中はやわらかい。


昨日も食べたはずなのに、朝に食べるパンは、また少し違う味がした。


「……」


もぐもぐ食べる。


止まらない。


「はは、気に入ったか」


「……」


ルティは何も答えない。


けれど、食べる速さでだいたい分かる。


男はそれを見て、少しだけ笑った。


そのとき。


「おじちゃーん」


店の外から、明るい声が聞こえた。


次の瞬間、扉が開いて、小さな女の子が入ってくる。


ルティより少し背が低い。


年は九つくらいだろうか。


肩口ぐらいで切りそろえられ、真っすぐな黒髪には可愛いピンが留められている。


歩き方には町の子どもらしい慣れた調子があった。


「パンちょうだい」


「はいはい」


男が慣れた声で返す。


「いつものな」


「うん」


女の子はうなずき、それからルティを見た。


じっと。


「……だれ?」


「……」


ルティも見る。


少しだけ考える。


「……ルティ」


「ルティ?」


「……うん」


「わたし、ミコ」


「……みこ」


ちゃんと返す。


「……」


男が、少しだけ目を丸くした。


昨日から見ている限り、この子はほとんど単語でしか話さない。


聞かれたことにも、うまく答えられない。


そう思っていた。


けれど、今は違った。


ゆっくりではあるが、会話がつながっている。


ミコは、それを不思議とも思っていないように、自然に近づいた。


「どこからきたの?」


「……もり」


ルティは、すぐに答える。


「森?」


ミコが目を丸くする。


「ほんとに?」


「……うん」


「すごいね」


「……」


ルティは、少しだけうなずく。


会話が、続く。


途切れそうで、途切れない。


「ねえ、それなに?」


ミコが、ルティの手元を見る。


「……これ」


ルティは、スプーンを少し持ち上げる。


「スプーン?」


「……すぷーん」


ちゃんと繰り返す。


「それでなにするの?」


「……たべる」


「へえー」


ミコが笑う。


「大事なの?」


「……うん」


「そっか」


ミコは、それ以上深く聞かなかった。


ただ、そうなんだ、という顔でうなずく。


「……」


ルティの口元が、ほんの少しだけゆるんだ。


その様子を見ていた男が、ぽつりと言う。


「……おい」


「……?」


ルティが見る。


「さっきより喋ってねえか?」


「……」


ルティは、少し考える。


意味が分からない。


「……?」


「俺のとき、単語ばっかだっただろ」


「……」


ルティは、男を見る。


それから、ミコを見る。


また男を見る。


「……」


少しだけ考える。


「……ちがう」


「なにがだよ」


「……」


ルティは、言葉を探す。


うまく出てこない。


でも、何かは確かにある。


「……わかる」


「は?」


「……みこ」


ミコを指す。


「……わかる」


「俺は?」


「……」


少しだけ間が空く。


それから。


「……むずかしい」


「おい」


男が思わず笑う。


「なんだそれ」


「……」


ルティは、真面目な顔で続ける。


「……はやい」


「早い?」


「……いっぱい」


「……あー」


男は少しだけ納得したように頭をかいた。


「俺、早口でごちゃごちゃ言ってたか」


「……」


ルティは、こくんとうなずく。


「なるほどなぁ……」


男は困ったように息を吐いたが、少しだけ楽しそうでもあった。


ミコが、くすっと笑う。


「おじちゃん、むずかしいって」


「うるせえ」


そう返す声も、どこか柔らかい。


「……」


ルティは、パンを食べ終える。


手を見る。


もう何も残っていない。


それから、少しだけ顔を上げる。


「……ありがとう」


ちゃんと言う。


「おう」


男が答える。


「言えるじゃねえか」


「……」


ルティは何も言わない。


けれど、ほんの少しだけ安心している。


ミコは受け取ったパンを抱え、入口の方へ向かう。


「じゃあね、ルティ」


「……うん」


「またね」


「……また」


短い。


でも、ちゃんと返す。


ミコは満足そうに笑って、朝の光の中へ出ていった。


その頃、白樺亭から少し離れた路地で、リオンは足を止めていた。


朝の町は、昨日の夜とは違う顔をしている。


市場へ向かう人の流れが生まれ、荷車の音が石畳を鳴らし、店の戸がひとつずつ開いていく。


その中で、リオンだけが流れに混ざらず、白樺亭の方を静かに見ていた。


「……あそこか」


低くつぶやく。


昨夜、ルティの気配が入った場所。


そして、ガイルが屋根の上で見張っていた場所。


今朝になっても、大きな乱れはない。


少なくとも、すぐに何かが起きる気配はなかった。


「……」


それでも、リオンの視線は鋭いままだった。


宿の前を出ていくミコの姿を見る。


九つほどの、町の子ども。


白樺亭に慣れた足取り。


そして、そのあとに残るほんのわずかな揺らぎ。


「……あの子も少し近いな」


小さく言う。


完全にこちら側ではない。


だが、まったく無関係でもない。


「……面倒だ」


そう言いながら、表情は変えない。


リオンは白樺亭へ近づかない。


今はまだ、姿を見せる必要はないと判断している。


ガイルが中を見ているなら、自分は外を見る。


町の外側。


森へ続く道。


昨夜の足跡が消えかけている方角。


「……」


リオンは静かに歩き出す。


白樺亭から離れるように。


けれど、その場所を意識の外へは出さないまま。


屋根の上。


「……」


ガイルが、それを見ている。


白樺亭の中では、ルティがまだ椅子に座っている。


ミコは外へ出た。


リオンも動いた。


今のところ、異常はない。


「……」


少しだけ、目を細める。


「……喋れるじゃねえか」


ぽつりとつぶやく。


その声には、わずかに呆れと、ほんの少しの安堵が混じっていた。


「……相手か」


それだけ言うと、ガイルは視線を外す。


町の外へ向かうリオンの気配を追いながら、静かに身を沈めた。


ルティは、空を見る。


朝の光。


少しだけ、まぶしい。


「……」


小さく息を吐く。


それから、また歩き出す。


昨日よりも少しだけ、町の音が遠く感じなかった。

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