第10話 はじめてのまち
森を抜けると、足元の感触が変わった。
それまで踏んでいた土の道とは違う。
踏み固められ、平らに整えられた道が、森の外へ向かってまっすぐ伸びている。
ところどころに小さな石が埋め込まれていて、歩くたびに靴の裏へかたい感触が返ってきた。
「……」
ルティは、その上に立ったまま、少しだけ自分の足元を見る。
かたい。
へんなかんじ。
でも、歩きやすい。
「……」
一歩、踏み出す。
こつ、と音がした。
「……?」
もう一歩。
こつ。
同じ音が返ってくる。
「……」
それが少しだけ不思議で、少しだけ楽しい。
こつ、こつ。
歩くたびに同じ音が鳴り、知らない道が、自分の足に合わせて返事をしているみたいだった。
「……」
そのまま、しばらく歩く。
やがて、風に混じって人の声が聞こえてきた。
最初は遠く、ざわめきのように曖昧だったものが、進むにつれて少しずつ形を持ち始める。
話し声。
笑い声。
何かを叩く音。
車輪が道を転がる音。
「……?」
ルティは、顔を上げる。
遠くに、建物が並んでいた。
木と白い壁でできた家がいくつも寄り添うように立ち、屋根からは細い煙が立ちのぼっている。
森の中では見なかったものばかりだった。
家の前には荷車があり、布をかけた箱が積まれ、長い外套を着た人たちが行き交っている。
寒い土地の町なのだろうか。
木の壁は厚く、窓は小さく、店先には毛皮や乾いた草束、木箱に詰められた果物のようなものが並んでいた。
「……」
ルティは、立ち止まって、じっと見る。
知らない場所。
知らない人。
知らない音。
「……」
少しだけ考える。
それから。
「……いく」
小さくつぶやいて、また歩き出した。
町に入ると、空気が一気に変わった。
森の中にあった静けさはなく、代わりにたくさんの音が重なっている。
人の声。
足音。
木槌で何かを叩く音。
荷車の車輪が石の道を転がる音。
どこかで笑う声。
どこかで誰かを呼ぶ声。
「……」
ルティは、町の入口で一度立ち止まる。
きょろ、と周りを見る。
人がいる。
たくさん。
大きな荷物を背負った旅人もいれば、店先で声を張る人もいる。
木の台に野菜やパンを並べる人、籠を持って歩く人、馬の手綱を引く人。
小さな町なのに、人の流れだけは大きく、まるでいろいろな場所から来たものが、ここに一度集まっているみたいだった。
「……」
見られている。
それも、わかる。
小さな子どもがひとりで歩いているからか、通り過ぎる人の何人かがちらりとこちらを見る。
でも。
怖くはない。
誰かがすぐに手を伸ばしてくるわけでもなく、怒鳴られるわけでもない。
「……」
ひとりの人が、近くを通る。
そのまま、通り過ぎる。
「……」
もうひとり。
通る。
「……」
ルティは、少しだけ首をかしげる。
誰も、とめない。
それが少し不思議だった。
森の入り口では止められたのに、ここでは誰も止めない。
「……」
とりあえず、歩く。
そのまま、まっすぐ。
通りの両側には露店が並び、布を張った屋根の下に、パンや干し肉や木の器、毛織物や薬草の束が置かれていた。
焼けた小麦の匂い。
煮込みの匂い。
煙の匂い。
木の匂い。
いくつもの匂いが重なって、森とはまったく違う空気を作っている。
「……」
途中で、ルティは立ち止まった。
店があった。
木の台の上に、丸いパンや細長いパンがいくつも並べられている。
表面はこんがり焼けていて、湯気がほんの少しだけ立っているものもあった。
いい匂いがする。
「……」
じっと見る。
「……」
店の人と、目が合う。
「……?」
ルティは、少し考える。
それから。
「……ください」
素直に言った。
「……はい?」
店の人が、止まる。
「えっと……どれを?」
「……これ」
ルティは、一番近くにあったパンを指さす。
「……お金は?」
「……?」
ルティは、首をかしげる。
「……おかね?」
「え、いや……代金」
「……?」
わからない。
でも。
「……ください」
もう一度、同じ調子で言う。
「……」
店の人が、困ったように固まる。
周りの人たちも、なんとなくこちらを見始めた。
「えっと……あのね」
店の人が説明しようとする。
そのとき。
「……」
ルティは、スプーンを取り出した。
大事そうに持っていたもの。
「……これ」
差し出す。
「……?」
店の人は、さらに困る。
「いや、それは……」
「……あげる」
「いやいやいや」
店の人は慌てて手を振った。
「違う違う、そうじゃなくて」
「……?」
ルティは、きょとんとする。
話が通じていない。
でも、本人はちゃんと説明しているつもりだった。
「……お金っていうのはね」
店の人が、言いかけたときだった。
「おい」
後ろから声がした。
振り返ると、別の男が立っていた。
荷を担いでいたのか、肩には太い革紐の跡がついている。
顔つきは少し荒っぽいが、目はそれほど怖くない。
「その子、旅の子だろ」
「あ、いや……たぶん……」
「……」
男は、ルティを見る。
少しだけ目を細める。
それから、店先のパンをひとつ取った。
「ほら」
差し出される。
「……?」
ルティは、それを受け取る。
「いいの?」
「いい」
男は短く言う。
「腹減ってんだろ」
「……」
ルティは、少し考える。
それから。
「……うん」
こくん、と頷く。
「……ありがとう」
ちゃんと言う。
「……」
男は、それを見て、少しだけ口元を緩めた。
「気にすんな」
そう言って、背を向ける。
店の人も、困った顔のまま少しだけ笑った。
「……まあ、いいか」
小さくつぶやく。
「次からは、お金持ってきなよ」
「……?」
ルティには、まだよくわからない。
でも、パンは手の中にある。
「……」
ルティは、パンを見る。
それから、一口かじる。
「……!」
目が、開く。
おいしい。
あたたかい。
やわらかい。
表面は少しかたくて、中はふわっとしている。
口の中に、焼けた小麦の味が広がる。
「……」
そのまま、もぐもぐ食べる。
止まらない。
道の端に立ったまま、両手でパンを持って、夢中で食べる。
通り過ぎる人がちらりと見て、少し笑う。
誰かが「迷子か?」と小さく言う。
でも、誰も取り上げない。
誰も怒らない。
「……」
ルティは、パンを食べ終わる。
手を見る。
何も残っていない。
「……」
少しだけ考える。
それから。
「……おいしかった」
ぽつりと、つぶやく。
誰に聞かせるでもなく。
でも、どこかにちゃんと届く気がしていた。
少し離れた場所から、その様子を見ている影があった。
「……」
ガイルは、何も言わない。
ただ、静かに見ている。
ルティがパンを受け取り、人の中に立ち、戸惑いながらも食べている。
危なっかしい。
あまりにも危なっかしい。
それでも、今すぐ手を出すほどではない。
「……」
小さく息を吐く。
「……なんとかなるか」
ぽつりと、つぶやく。
完全に安心したわけではない。
ただ、少なくとも今は大丈夫だと思った。
「……」
視線を外し、周囲を見る。
人の流れ。
音。
気配。
露店のざわめき。
荷馬車の動き。
遠くの路地。
異常はない。
「……」
ガイルは、そのまま影の中へ戻る。
姿を消す。
気づかれないまま。
ルティは、まだ町の真ん中に立っている。
知らないものばかりの場所で。
それでも、さっきより少しだけ、そこにいてもいいような気がしていた。




