8. 兵の冬着
二十三日目。若い隊長が、また奥の間の戸口に立つ。二十日目に家令を通して訊いた冬着の数、その答えを今度は自分の手で運んできたのだ。敷居を跨ぎ、外の冷気を肩に残したまま告げる。
「冬着、五十。去年のが四十。破れが十」
届いた数を帳の上で分ける。
「新しく縫うのが十着、繕うのが十着、ということですね」
「はい。冬までに。……もう冬ですが」
家令が帳から目を上げる。紙を押さえた指は動かない。
「先代の奥様は、村の女たちと縫っておいででした。奥の蔵に、去年の綿と布が」
奥の蔵を開ける。冷えた暗がりに、綿の袋と布の反物が、麻の束と同じ荷札を付けて並ぶ。先代の字だ。指に紙のざらつきが残る。買い置いて、縫う前に亡くなったのだ。綱と冬着を、同じ秋にそろえる人だった。
「女たちを、呼びます。中の村の」
「縫い賃は、いかがなさいますかな?」
「割符で。麦と替えます」
「……ふん。綱の次は針でございますか?」
「切れ目の形が違うだけです」
家令は荷札の字を指で押さえる。紙だけでなく、残された段取りまで留めるような手つきだ。
「奥様は、切れ目をいくつ数えれば、お気が済むので?」
「数え終わるまでです。冬は、まだ始まったばかりですので」
「……ふん。針の数は、足りますかな?」
「足りなければ、村の針を借ります。針も、手から手へ渡ります」
その日の夕、中の村から、綱を受け取りに来た年かさの女と連れの者たちが、冷気と薪の匂いをまとって屋敷へ集まる。台所の隣の部屋に縫い台を置く。火が近く、かじかんだ手もほどける。年かさの女が、針先を灯りにかざして訊く。
「奥様も縫うだか?」
「縫います。針は、伯爵家でも持ちました」
連れの女が、綿の袋を開けながら言う。白い中身が火の色を含む。
「綱は綯えんかったのに、針は持てるだか?」
「綱は買う物でしたが、繕いは買えません」
女たちの笑いが天井に返り、針が動き始める。綿の重さが膝を温め、糸を引くたび、布はきゅっと締まる。針は麻と違って、指の皮を削らない。剥けたところは治りかけていて、針の頭が当たるとそこだけ熱を持つ。痛みの居場所を、手はもう覚えている。年かさの女が、反物を裁ちながら言う。
「先代の奥様は、袖口を二重にしとっただで。見張りは、袖から冷えるで」
「では、二重に」
連れの女が、張った糸を歯でぷつりと切って言う。
「奥様は、先代の奥様の縫い方を知らんのに、同じ物ができるだか?」
「知っている方が、ここにいますので」
料理番が湯を運んで来て、縫い台の端に置く。白い湯気が、灯りを映す針先で割れる。
「奥様、針の女たちに湯を。……台所の隣が、こんなに賑やかなのは久しぶりですよ」
「賑やかなのは、切れ目が無い印です」
閣下が来たのは、翌日の昼だ。戸口に立ち、縫い台と女たちへ順に目を移してから、自分の外套を脱ぐ。肩の所が破れ、白い光が裂け目を通る。巡視で枝に引っ掛けたのだろう。何も言わず、それを針仕事の脇へ置いた。重い布から、外の冷気と濡れた木の匂いが立つ。
誰も、何も言わない。閣下は外套を置いたまま出て行く。戸口を越すとき、足が一度だけ止まる。それきり、靴音は冷えた廊下の奥へ遠ざかっていく。
女たちが顔を見合わせ、止めていた息を吐く。連れの一人が、針を伏せて小さな声で言う。
「殿が、奥へ外套を」
わたしは外套を手に取る。まだ冷たい肩の破れをなぞれば、枝ではなく刃の跡に近い。布の切れ方が、あまりにまっすぐだった。
「頼まれてはいません」
家令の声が戸口から届く。帳を抱える手だけが、表紙の角を強く押さえている。
「……殿は、頼めぬのです」
「では、頼まれていない分を、繕います」
「先代の奥様も、殿の外套は頼まれずに繕っておいででした」
「では、これも先代の切れ目です」
料理番が、湯の盆を下げに来て外套へ目を留める。冷えた布に、まだ外の匂いが残る。
「奥様、それは台所で乾かしましょうか?」
「いいえ。縫い台で。切れ目が見えるうちに繕います」
針を通す。刃の跡は、枝の傷より縫いやすい。まっすぐな切れ目は、糸を引くほど素直に閉じる。この人が巡視の先で何と向き合っているのか、指へ返る布の硬さからだけ知る。帳には書けない重さが、膝に残る。
◇
二十五日目。表の広場に、白い息を吐きながら兵が並ぶ。新しい冬着が十、繕ったものが十、去年のままがその余り。仕立てた布の色だけが、曇り空の下で淡く浮く。若い隊長が数え終え、こちらを向く。
「五十。足りました。一人も、欠けずに」
「では、冬が来ても切れません」
「はい。……去年は、薄着で見張りに立った者がおりました」
「今年は、立たせません」
若い隊長は列へ目を走らせ、それからこちらへ一歩寄る。数を言うときより声が低く、白い息も短い。
「冬着の礼は、誰に言えばよいですか?」
「縫ったのは中の村の女たちです。綿と布は、先代の奥様の買い置きです」
「両方に、申します」
若い隊長は、それだけ言って列へ戻りかける。いつも勘定から口にする人が、礼の相手を先に挙げたのは初めてだった。数歩で足が止まり、肩越しに振り返る。
「袖が二重の分、腕が重いと申す者がおります」
「重い分は、暖かい分です。慣れます」
隊長が深く頷き、厚くなった袖を揺らして列へ収まる。
縫った外套を、家令が閣下へ届ける。閣下は並んだ兵の前で袖を通し、指が肩の繕いに一度触れて止まる。その小さな動きを、わたしは列の端から見る。
「……暖かいな」
「奥の蔵の綿と、中の村の針で」
「……奥から、か」
それだけ言い、閣下は兵の列へ向き直る。外套の肩が、低い冬の光を受けた。若い隊長が息を吸い、声を張る。
「冬着、五十。奥から」
兵たちが、一度に頭を下げる。表から奥へ向けられた礼を、家令は列の端で黙って見ている。家令が、抱えた帳を抱え直す。後ろの者が、隣へ小声で言うのが聞こえた。
「去年は、薄着で立ったよな」
隣の兵は前を向いたまま、白い息に声を乗せて返す。
「今年は、袖が二重だ」
夜、帳にある兵の冬着の行へ、線を引く。窓の外では、雲が昼より低く垂れ、石壁まで冷えている。家令が戸口で、閉じた表紙を抱えて言う。
「根雪が来ます。妹御は、峠が閉じる前に着いていただかねば」
「峠は、いつ閉じますか?」
「根雪が来れば、その日に。馬車は通れませぬ。通るのは塩の橇だけで」
「妹は、届けの期限までに着くと書いてきました」
「……ふん。王都の方は、根雪をご存じない」
家令は垂れた雲を見て、それ以上は言わない。戸口から入る冷気が、帳の紙をかすかに鳴らす。
「では、峠が閉じる前に。峠にも、切れ目はありますので」




