第二章 乱流 1
まるで霧にでも切りつけているようだ。救うべきもののため振るう剣に、まるで手応えがなかった。
――戦場の執行者の唄
贅と粋を尽くしたトンネルを、零は栗毛の次女に案内され進んだ。ボルニア帝国総旗艦アルゴノート貴賓区画。その廊下。ここに来るのは、ヴァージニアの居室でルナ=マリーを迎えてから、二度目だ。ミラト王国との前哨戦から、十時間が過ぎていた。何故このような場所に零が居るかというと、女帝から夜半呼び出しを受けたからだ。本来ならば何ごとかと己の進退に思いが至るところだろうが、零は違った。
次女の背を見て赤い絨毯の上を進みながら、零は夜空の瞳を鋭くする。
――少し暇になれば呼ばれるとは、いよいよこれは危ない。
女性のように中性的な麗貌に、零はいつも氷のような無表情を刻む。
――女帝の遊興の相手など、俺は破滅したいのか。尤も俺に否やなどあろう筈もない。それこそ、虎の尾を踏む行為だ。
確実に悪い方向へ一歩一歩近づいているというのに、零は退くことができない。もどかしさが零を襲い、自分は何をやっているのだと腹立たしくなる。敵から逃れ彷徨い気が付けばこんなところまで流れてきた。その日を生きること以外何の目的もなく、命の危険が迫れば対処するだけなのが今の零だ。基本的にそんな零だったが、ささやかな目的ができた。部下にもった懲罰部隊・決死隊を生き延びらせ戦後待ち受ける悲惨な運命を回避させること。その為に少なからず零は、己の才を発揮し命を燃やしてきた。零に自覚はないが決死隊が生きる支えとなっていることは事実だったし、できた戦友を除けばそれ以外興味が無いのが零だ。
面倒ごとは避けたかった。女帝ヴァージニアとの関係は今後を考えれば、災厄の火種以外の何ものでもない。だがヴァージニアの意向に背けば、それはそれで零の身が危うい。進むも退くもままならないのだ。
暫く進むと、突き当たりで廊下は終わりだった。先の両開きの扉は、これまであった貴賓室のドアとは一線を画した豪華さだった。その両側には、年若い未だ少女のキャバリアーが二人。銀色とアイボリーの戦闘礼装を纏った二人は、インターンで構成されるという親衛隊員だ。一人は艶やかな赤髪を肩下まで伸ばした赤い瞳の気の強そうな女の子で、もう一人は煌めく銀髪を肩下まで伸ばした青い瞳の思慮深そうな女の子だ。
次女の後について近づくと、二人の視線が零へと注がれた。二組の視線は、非友好的だ。赤毛の子は射貫くような目で、銀髪の子は冷ややかな目で零を見ていた。
次女が両扉の前まで行き着くと、赤毛の子が張りのある声で問い掛ける。
「このような刻限に、何用か?」
「女帝陛下に客人でございます」
一礼して次女が答えると、背後の零へ赤毛の子が再び向ける視線に殺気が籠もった。
赤毛の子に変わって銀髪の子が、柔らかな声で次女に応える。
「通って宜しい」
「ありがとうございます」
一礼すると次女は背後の零へ振り向き、付いて来るように目で合図した。豪奢な両開きの扉は次女が軽く引くとすっと音を立てず開き、人が一人通れる程度の隙間を作ると中へと入って行く。二人の少女の不埒者を見るような視線を受け、内心来たくて来たわけじゃないと言い訳し、零は女帝の居室へと入って行った。
女帝の寝室へ通されると、やや低めの声が部屋の中央から掛けられる。
「よく来たな、零」
部屋の中央に置かれたテーブルを囲むソファーには、女帝ヴァージニアが座していた。ヴァージニアが纏う深紅のナイトドレスは、彼女の肢体に絡みつくように纏わり付いている。サテンの生地は滑らかな光沢を放ち、僅かな動きにも反応して艶やかに揺れる。細いストラップが滑らかな肩の上に乗り胸元から裾にかけて流れるようなシルエットは、夜の闇に浮かび上がる一輪のバラを思わせた。
ヴァージニアの前まで進むと、零は丁寧に腰を折り一礼する。
「今宵はお招き頂きありがとうございます」
一片氷心の隙の無い零の所作は精巧で、それを眺めるヴァージニアの煌めく赤瞳が見張られた。ヴァージニアの美貌が自然と綻び、零へと賞賛を浮かべる。
己の隣を手で示しつつ、ヴァージニアはすっと目を細める。
「予の隣へ、零。ヴァネッサ、零にもわたしと同じ物を」
ヴァージニアが命じると零を案内した次女ヴァネッサは一礼し、寝室に設えられたサーブスペースで飲み物の用意を始めた。
ヴァージニアが指し示す左隣へ、「失礼します」と零は腰を下ろす。
身を寄せるとヴァージニアは、零へと優しげな声を落とす。
「急に呼び出して済まなかったな。戦の後だ、ゆっくり休みたかったであろう?」
「戦の後だからこそ、女帝陛下のお誘いは嬉しかった。一人無聊を慰めるでは、あれこれ考えてしまうだけでございます」
零の口を衝いて出てくる言葉は、白々しいまでの嘘だ。女帝の言うとおり、大戦前、ゆっくり休みたかった。尤も一人無聊を慰めることは、今の零にはできない。ネリーが今頃零を労っていたことだろう。
零の手に己の手を絡めてくるヴァージニアは、妖艶な美貌に笑みを湛える。
「ふふ。予と一緒であれば、余計なことを考えずに済むか。予だけを見ていればいいのだからな。予も零に余計なことなど考えさせるつもりもないが」
「でしょうね。惑星ゴーダに発つ前の晩のことが、頭から離れません。陛下の御前に控えれば、考えることは無礼なことばかりです」
これは、本当のことだ。ただ、ヴァージニアが期待するような無礼ではないかも知れないが、そのようなこと零はおくびにも出さない。女帝との密会は命がけの綱渡りで、不興を被れば零の身の破滅だ。嫌われても、飽きられても零の未来は決して明るくない。
――じゃれるに飽きたら嬲られる。
初めてヴァージニアと見えたとき、零が抱いた感想だ。あのときは関心を惹かずに済ませたいと思っていたが、不味いことになってしまった。
無礼な考えを女帝は己への情欲と受け取ったようで、低めの声が甘やかなものとなる。
「それはけしからぬな。無礼者は罰を受けねばな。今宵はどうしてくれよう」
零を見詰めるヴァージニアの赤瞳が、怪しい輝きを帯びた。
――ああ、雌虎がじゃれてくる。
そんな思いが零の頭を過ったとき、次女が右肩に垂らした栗毛を揺らし零の前にグラスを置いた。コーヒーで割ったアイリッシュクリームリキュールだ。
片手を軽く上げ、ヴァージニアが声を掛ける。
「ヴァネッサ、下がってよい」
「失礼します」
一礼し次女が下がるとヴァージニアは自分の分のグラスを持ち零も己のグラスを持つと、コツンとぶつける。
「乾杯、今宵の激戦に」
「麗しい女帝陛下に」
互いにグラスを掲げると、少しだけ口に含んだ。




