69話
聖なる炎が、謁見の間を満たしていた。
轟々と燃え盛るそれは、ただの火ではない。穢れを拒み、存在そのものを削ぎ落とす、白き浄化の意志。その光に照らされ、崩れた石壁も、砕けた床も、すべてが淡く、現実感を失って揺らいでいる。
まるで、この場だけが別の理に置き換わってしまったかのように。
その炎の中を、ひとりの魔女が歩く。
星篝の魔女、リースペイト。
燃え盛る浄化の中を、熱すら感じていないかのように、悠然と。
その一歩一歩が、この場の主導権が誰にあるのかを、はっきりと示していた。
やがて、その視線が落ちる。
床に崩れ落ちているセレナへと。
「……魔族が消えて、はい終わり、なんて甘い話じゃないのよ」
声音は淡々としている。だが、その奥には容赦のない現実がある。
「わかっているわよね?」
「……ええ」
応じた声は、か細かった。
セレナは、倒れ伏したまま、ゆっくりと呼吸を整える。頬の痛み、魔力の無い身体。それでも、止まることは許されない。
止まれば、終わる。
指先に力を込めて、床を押し、身体を起こす。
視界が揺れる。足元がおぼつかない。それでも、立つ。
立たなければならない。
そのまま、ふらつく足取りで歩く。
向かう先は、ひとつ。
レオニスへと。
崩れ落ちたまま動かないその背に、セレナは辿り着く。
膝をつくと、そっと、手をかざす。
掌に、光が集まる。
謁見の間に満ちる浄化の光と、なお燃え続ける聖なる炎。その両方を、無理やり掬い上げるようにして、ひとつに束ねる。
眩い。その光は不安定だった。揺らぎは、今にもほどけそうなほどに。
それでもセレナは、その手をレオニスの背へと当てた。
触れた瞬間。
レオニスの身体を侵していた瘴気と、浄化の光がぶつかり合う。
じり、と音を立てるように。
紫に浮き出ていた血管が、ひとつ、またひとつと色を失っていく。
黒ずんでいた脈動が、正常なリズムへと戻る。
やがて、レオニスの身体が、わずかに動いた。
指が、震える。
呼吸が、戻る。
そして、ゆっくりと身体を起こした。
「……ありがとう」
掠れた声。
「いいえ」
セレナは、首を横に振る。
その表情は、どこか穏やかで。
同時に、どこか、諦めているようでもあった。
ふと、セレナの手が、レオニスの頬へと伸びる。
触れる。
その温度を、確かめるように。
指先が、ほんのわずかに震えていた。
次の瞬間。
セレナは、身を寄せる。
唇が、重なる。
一瞬。
ほんの一瞬のはずだった。
だが、その刹那は、やけに長く感じられた。
温もり。
呼吸。
触れた柔らかさ。
それらすべてが、焼き付くように刻まれる。
そして。
離れる。
惜しむように。
ゆっくりと。
レオニスの視界の中で、セレナの顔が遠ざかる。
その表情は……。
あまりにも、悲しみで満ちて、あまりにも、優しかった。
「……嫌だ」
思わず、言葉が漏れる。
それは拒絶ではない。
懇願だった。
失いたくないという、ただそれだけの。
「もう、決めたことです。今、外では……魔族に操られた人たちが集められています。その意味が……分かりますよね」
レオニスは、言葉を失う。
理解してしまっている。だから否定できない。
「それを……終わらせてきます」
セレナは、立ち上がる。
レオニスも立とうとする。
だが。
足が、動かない。
力が入らない。
身体は、まだ完全には治っていない。
「……ッ!」
歯を食いしばる。
叫びたい。
引き止めたい。
それでも。
「ユークリッド! セレナを!」
絞り出すように叫ぶ。
だが。
ユークリッドは、目を閉じたまま動かない。
聞こえているはずなのに。
応えない。
それが答えだった。
セレナが、ユークリッドの隣に並ぶ。
「……最後まで、すまない」
ユークリッドの声は、懺悔しているようだった。
「いいえ」
セレナは、穏やかに微笑む。
「貴方はただ……愛を失うのが、怖かっただけです」
その言葉は、責めるものではなかった。
理解だった。
「私も、知りましたから」
そっと、目を伏せる。
「だから……苦しまないでください」
そのとき。
リースペイトが、玉座へと手を向けると、手から光弾が放たれ、謁見の間の壁を消し飛ばす。
外が、開けた。
王都が、一望できる。
空は、まだ夜の名残を残している。朝だというのに星が輝いていた。
あり得ないほどに鮮やかだった。
セレナは、一歩、前へ出る。
レオニスの手が、伸びる。
でも届かない。
その背中は、段々と遠くなる。
「……」
呼び止めることは、できなかった。
セレナの覚悟を、壊す言葉を。
彼は、選べなかった。
「リースペイト」
「はいはい、付き合うよ」
「……どうぞ」
短く。
それだけを交わす。
そして。
二人は、空を仰ぐ。
星が、瞬いている。
『『星よ』』
声が重なる。
二人分の詠唱が、ひとつになる。
『『遥か高みに在りて、すべてを見届けし観測者よ』』
空気が、震える。
地上には。
五芒星。
王都全体に刻まれた巨大な魔法陣が、光を放ち始める。
『『瞬きに刻まれた無数の生。零れ落ちた祈りと、救われなかった叫びを、照らせ』』
光が、強まる。
リースペイトが、口を閉ざす。
セレナの身体から、白い湯気が立ち上る。
熱ではない。
命が、蒸発している。
『止まった夜を覆う闇。白き血を始まりに、命を代価として、すべてを許し、すべてを還せ』
白の蒸気が、赤に染まる。
血。
代償。
身体が、透けていく。
『五芒に刻まれし理よ、今ここに重なれ。歪みを断ち、あるべき時間に、あるべき真実に』
光が、空へと伸びる。
王都を貫くように。
『星は鍵。血は誓約。星篝よ、道を示せ』
五芒星が、応じる。
光が、立ち上がる。
天へと。
『夜を照らし、影を赦さず、名残すら残さず、存在ごと浄め尽くせ』
光が、広がる。ベールのように王国を包む。
『救いを拒む者には始まりを。救いを求めた者には安らぎを』
光が降りる。
優しく。
すべてを撫でるように。
セレナは、ふと振り返る。
レオニスを見る。
ほんの一瞬。
目が合う。
それだけで、十分だった。
そっと、目を閉じる。
『すべては等しく、星の中へ』
そして。
『星篝ノ大浄界』
光が、すべてを覆い尽くす。
その中心で。
白の魔女の身体は、消えた。
跡形もなく。
ただ、光だけを残して。
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