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嫌われ者のネクロマンサー  作者: 海の紅月くらげさん


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60話

◇◇◇◇



 朝から空に散っていた星々は、夜の訪れとともに、いっそう深く、濃く、世界を覆い尽くすように輝きを増していた。


 まるで、空そのものが夜に侵食されているかのように。


 その異様な光の下で。


 ヴァルディウス王国の王、ユークリッドは牢にいた。


 王城へ戻ったその日から、彼の声に耳を傾ける者は、ひとりとしていない。


 かつて隣にいた王妃も。


 王妃からあったのは、ただ一言。


『一度は愛した男よ。死ぬまで生かしてあげる』


 その言葉だけを残して。


 彼女は、彼をこの場所へと落とした。


 石造りの牢は冷え切っている。湿気を含んだ空気が肌にまとわりつき、肺の奥へと沈んでいく。差し出される食事は粗末で、味も温度もなく、ただ命を繋ぐためだけのものだった。


 ユークリッドの身体は、見る影もなく痩せ細っていた。


 それでも。


 彼の瞳だけは、死んでいなかった。


 瘴気に満ちたこの国においてなお、彼の精神は侵されていない。


 魔族の魔法、傀儡の術。


 それが、彼には通じなかった。


 理由は、ただ一つ。


 揺るがぬ心。


 それだけだった。


 鎖に繋がれた両手を振り上げ、鉄格子へと叩きつける。


 ガン、と鈍い音が響いた。


 もう一度。


 ガン、ガン、と。


 だが力は続かない。数度打ち付けただけで、息が荒くなる。腕は細く、骨ばり、叩くたびに痛みだけが返ってくる。


 それでも、止めない。




「うるっさいわね」


 対面の牢から、呆れたような声が飛んできた。


 星篝の魔女、リースペイト。


 同じ牢に囚われているはずの存在。


 だが、その有り様は、あまりにも対照的だった。


 石床の上に置かれた机には、湯気を立てる料理と、深い色のワイン。香りだけで満足できそうなほど豊かだ。奥には柔らかな寝具を備えたベッドがあり、さらに数冊の本が無造作に積まれている。


 牢というより、閉じ込められた客室。


 そんな印象すらあった。


「さっきまで死んだ魚みたいな顔してたと思ったら、急に暴れ出して。気まぐれにもほどがあるんじゃない?」


 リースペイトはグラスを傾けながら、退屈そうに言う。


「違う……思い出したんだ」


 ユークリッドは鉄格子に手をついたまま、顔を上げた。


 その瞳に、かすかな光が宿る。


「早く、ここから出ないといけない」


 リースペイトは肩をすくめる。


「確かに、魔族の術に耐えられるくらいの精神力はあるみたいだけど……」


 ちらりと、その痩せた身体を見やる。


「ここを出たところで、貴方に何ができるの?」


 冷静な言葉だった。


 現実を突きつけるように。



 だが、ユークリッドはそれでも折れない。


「思い出したんだ。私の執務室にアメリアの名が記された羊皮紙があることを」


 息を荒げながらも、言葉を繋ぐ。


「それを破れば、蘇りの魔法は無効になるんじゃないか!」


 リースペイトの動きが、わずかに止まった。


「それは、なに?」


「白の魔女がアメリアを蘇らせる時に使った魔法陣だ」


「……まだ残っているの?」


「ある」


 短い肯定。


「……」


 リースペイトは、しばし沈黙する。


 指先でグラスの縁をなぞりながら、何かを測るように。


 やがて。


「破ってはダメよ」


 静かに、言った。


 ユークリッドが顔を上げる。


「命令するの」


 視線をまっすぐ向ける。


「その羊皮紙を持って、『冥界へ帰れ』と命じるの」


 言葉は淡々としていたが、その奥には確かな確信があった。


「魔族が冥界へ戻ったあとで、羊皮紙を破る。そうすれば、こちらの世界と冥界を繋ぐ橋が断たれる」


 ユークリッドの瞳が、はっきりと光を取り戻す。


「それで……終わるのか」


 希望が滲む。


 だが。


「いいえ。終わりじゃないわ。悲しみが残る」


 その声には、わずかな重さがあった。



「アメリアは消える」



 ユークリッドの表情が曇る。


「それでも、やる?」


 問いかけ。


 試すように。


 ユークリッドは、目を閉じた。


 脳裏に浮かぶのは、かつての彼女。


 笑っていた顔。


 寄り添っていた温もり。


 そして、いまの姿。


 ゆっくりと、目を開く。


 奥歯を噛み締める音が、わずかに響いた。


「……私は、王だ」


 心を押し殺した声。


「国民のためなら、私情は切り捨てる」


 それは誓いだった。


 誰に向けたものでもない。


 ただ、自分自身に対する。


「……そう」


 リースペイトは短く応じる。


 その瞬間。


 ガタン。


 鈍い音が、牢内に響いた。


 ユークリッドの前の鉄格子が、力を失ったように外れ、ゆっくりと倒れる。


 リースペイトの牢屋も同様に。


 まるで、最初から閉じ込める意思などなかったかのように。


 リースペイトは、何事もなかったかのように立ち上がる。


 手首にはめられていた魔法封じの枷を、軽く外し、床へと放り投げた。


 乾いた音が、カンと鳴る。


 そして。


 軽く振り返り、微笑む。


「じゃ、行きましょうか」


 まるで、夜の散歩にでも誘うような気軽さで。







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