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嫌われ者のネクロマンサー  作者: 海の紅月くらげさん


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52話

◇◇◇◇



 セレナは、気配を殺すようにして兵舎へと忍び込んだ。


 夜の城は静まり返っている。だが、その静寂の中にも、見張りの足音や、遠くで交わされる声が微かに混じっていた。


 見つかってはいけない。


 特に、レオニスには。


 そのために、隣を歩く男の存在は欠かせなかった。


 フェンはセレナに呆れながら、廊下を先導する。

 靴音を極力殺しながら、それでもどこか落ち着かない様子で、ひそひそと声を落とした。


「これが陛下にバレたら、俺、殺されるんじゃねぇかな」


「大丈夫よ。レオニス様は、こんなことで怒るような人じゃないわ」


 セレナは小さく微笑みながら答える。


 だがフェンは、納得していない顔をする。


「ほんとかよ。俺たち兵は、戦で負った傷をセレナに治させるなって、王命まで出たんだぞ」


「だから毎夜、自然治癒を助けるだけにしてるじゃない。完璧には治してないわ」


「屁理屈」


 セレナはわずかに目を細める。


「それにこれはフェンにしか頼めないの」


「……ちっ。しょうがねぇな」


 小さく吐き捨てるように言いながらも、足は止まらない。


 兵の寝室は全部で十二。

 そのうちの八つは、すでに回り終えていた。


 フェンが次の扉に手をかける。

 軋みを抑えるように、慎重に開き、中を覗く。


 数秒の沈黙。


 やがて彼は小さく頷き、廊下へ戻った。


「……よし、こい」


「はい」


 セレナは頷き、静かに室内へと足を踏み入れる。


 部屋の左右には二段ベッドが並び、それが奥へと続いている。

 全部で八台、十六人が眠れる造りだった。


 そのすべてが、埋まっている。


 兵舎の中は、寝息だけが満ちていた。


 規則正しく並んだ寝台の上で、男たちが深い眠りに沈んでいる。

 鎧を脱ぎきれぬままの者。包帯を巻いたままの者。


 疲労と痛みを抱えたまま、ただ眠りに落ちた身体。


 セレナは、音を立てないように扉を閉める。


 起こさない。


 それだけを意識して、ゆっくりと部屋の中央へ進んだ。


 視線の先、包帯の隙間から滲んだ血が目に入る。


「無理しすぎよ」


 誰に届くわけでもない声。


 セレナは胸の前で、そっと手を重ねる。


 詠唱はしない。

 強く願いもしない。


 ただ、呼吸を整える。


 その瞬間、空気が、わずかにやわらいだ。


 セレナの手の奥に、かすかな光が滲む。


 灯りのように明るいものではない。

 月明かりが溶けて、空気そのものに混ざったような淡く、やさしい光。


 気づかなければ見落としてしまうほどの微かな輝きが、静かに広がっていく。


 床をなぞり、寝台を伝い、眠る兵たちをそっと包み込む。


 荒れていた呼吸が、少しずつ穏やかになる。

 大きないびきは静まり、こわばっていた眉間がゆっくりとほどけていく。


 痛みは消えない。


 これは治癒ではない。


 回復する時間を、少しだけ早めるだけの、ささやかな奇跡。


 セレナは目を閉じたまま、呼吸を合わせる。


 朝になれば、ほんの少し楽になったと感じる程度でいい。


 それが、この場で許される、唯一の魔法だった。


 やがて、満ちていた光がゆっくりと薄れていくと、何もなかったかのように消えていった。


「……次、行きましょう」


 目を開き、セレナは振り返る。


 何も変わっていないように見える光景。

 兵たちはただ、寝息だけが、少し穏やかになっていた。


「……これで、少しは」


 小さく呟き、踵を返す。


 扉に手をかけ、音を殺して開く。


 外へ出ようとした、その瞬間。


「少しは……何だ?」


 圧を帯びた声が、すぐ目の前から落ちてきた。


 扉の影に、ひとつの影。


 壁に背を預けるように立っていたのは、レオニスだった。


「陛下……」


「げっ……!」


 セレナとフェンの声が、同時に漏れる。


 声に反応して、起きるものはいなかった。








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