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嫌われ者のネクロマンサー  作者: 海の紅月くらげさん


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21話

◇◇◇◇



 湖は静まり返っていた。


 水面を撫でるたび、光が砕け、波紋がゆるやかに広がっていく。

 岸辺の岩に腰を下ろした白の魔女は、指先だけを水に沈めた。


「冷たい」


 その感触は、胸の奥に沈んだものとよく似ていた。

 体温を奪うだけの、澄みすぎた冷たさ。


 白の魔女は、レオニスの決意など露ほども知らない。

 ただ、自分がなぜここにいるのか、それだけが曖昧だった。


 断れたはずだ。


 王の誘いを退ける理由なら、いくらでもあった。

 なのに、その場では言葉が見つからなかった。


 国境を越えるほどの木々を焼いた男。

 あの夜、空を裂いた炎を、彼女は遠くから見ていた。


 魔力が空気を震わせ、魔物の断末魔が悲鳴のように爆ぜる。

 白く、黄色を含んで燃え上がる炎が闇を侵食していく。


 迷いのない炎だった。


 だからこそ、恐ろしかった。


 ためらいのない力は、いつだって人を踏み潰す。


 白の魔女が、そうされたように。



 ヴァルディウス王国を追われた日。


 門の向こうから飛んできた石。

 それは、救ったはずの人々の手のひらから投げられたものだった。


「禁忌の魔女が!」

「神の名を語っていたんだ! 偽りの神だ!」

「人を化け物にする気だったんだろ!」


 助けた命が、彼女を拒絶した。


 あの日から、彼女は迷うようになった。


 人を救うべきかどうか。


 白の魔女は祈りを受け取らない。

 礼金も、感謝も、跪く膝もいらなかった。


 ただ「生きたい」と言われたときだけ、手を伸ばした。

 それだけだった。


 守りたいものは作らない。

 持てば、また裏切られる。


 そう決めたはずなのに、ノクスグラートで、また繰り返した。



 ノクスグラートからの追放は、バリスハリスの王が止めてくれた。


 市場では香辛料を真顔で吟味し、干し肉をかじって露骨に顔をしかめ、当たり付きの菓子で子供のように笑う男がいる。


 戦場の王と、隣に立つ男。


 どちらが本当なのか。


 どちらも、本当なのだろうか。


「……意味がわからない」


 呟きは湖に落ち、波紋にもならず消えた。水面に反射した白の魔女の顔は、眉を八の字にして、困ったように視線を落とした。


 足音が近づく。

 隠す気のない、堂々とした歩み。


「待たせたか」


「待ってません」


 振り返らない。

 それでも、彼が隣に立ったことはわかる。近すぎず、遠すぎない距離。


「今日は静かだな」


「湖ですから」


「つまらん返しだ」


「陛下に上品に返すなと言われていますので」


 くくく、と笑い声が白の魔女の耳に届く。


 横顔は戦場のそれではない。王の仮面を外した、一人の男の顔。


 どうしてその顔を、自分に向けるのか。なぜ恐れないのかが、白の魔女には全然理解できなかった。


「白の魔女」


「なんです」


「お前は何が好きだ」


 唐突な問いだった。


「質問の意図がわかりません」


「そのままだ。好きなものはなんだと聞いている」


 水面が揺れる。


「……ありません」


 欲しいものは、ヴァルディウス王国の人々の笑顔だった。守りたいものも、とうに置いてきた。


 レオニスはしばらく黙り、やがて言う。


「では、これから作ればいい」


 あまりにも軽い声音。


 思わず顔を上げる。


「簡単に言いますね」


「簡単だ」


「簡単ではありません」


「ならば俺にしろ」


 理屈になっていない。


 だが、その強引さが胸の奥をわずかに軋ませる。


「……陛下をですか?」


「ああ。俺はお前が好きだ」


 言い切る声に迷いはない。


 なぜ自分なのか。

 なぜ排除しないのか。


 問えば、何かが崩れそうだった。白の魔女が心に建てた堅牢な城が決壊しそうだった。


「なんだ」


「いえ」


 視線を逸らす。


 日が強い。木々がざわめく。白の魔女は顔を伏せる。今、この距離で顔を見られるのは、好ましくないと。


 隣で王は静かに湖を見ている。


 彼がどれほどの決意を胸に秘めているのか、白の魔女は知らない。


 知らないまま、ただ隣に立つ。


 白の魔女がどれだけの痛みの中から、好きなものを切り捨てる選択を選んだのか、王は知らない。


 知らないまま、ただ隣に座る。


 この静かな時間が、二人には新鮮だった。









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