閑話 料理長、思わず祝福
ソワソワとした情緒の中、まだ暗がりに包まれた外からの月明かりが入り込む廊下を手元に持つランタンで淡く照らす。
現在、このエリアル公爵邸に住まう全ての使用人には、とある事件の速やかな収束の為、前日から既に自室待機を命じられている。
とは言っても、時刻は見ての通り早朝も早朝である午前四時程。
普段の仕事始めの時間よりもまだ早い時間な為、事件の仔細について不安に思っている者もいるだろうが、ここに存在するのは公爵家に使える一流の使用人達だ。
自身の不安な心根を優先した浅はかな行動をする者などここには存在し得ない。
では、何故、現在自室待機を命じられた一人である料理長のミルヴァが使用人棟の廊下を静かに歩いているのか。
答えは一つ。
自室の窓から予告通り、旦那様から伝言を預かった騎士によるモーニングコールがあったからだ。
通常であれば自身の長いベージュの髪は綺麗に編み込み、料理の邪魔にならないようお団子ヘアにする。
しかしこの瞬間だけは被っていたナイトキャップを外し、一度髪に櫛を通し髪紐で軽く団子にした。
「…………くぁ……」
緊迫した心中とは別に、起きたばかりの自身の体はまだ睡眠を要するように欠伸を齎す。
旦那様達が住まう本邸へと向かう為、使用人棟の出入り口をゆっくりと開け、暗がりの庭園を見渡す。
月明かりがない新月だった今夜は、橙の光を持つ街灯がある場所やランタンを持っていなければその他は闇夜だ。
認識できる近くの範囲でも、公爵家お抱えの騎士団に所属している騎士が普段より多く配置されているのが見て分かる。
スゥっと駆け抜ける夜風を肌に浴びれば、体にあった眠気が少し抜け、急がねばと言う気力が沸き上がり少し早足になりながら本邸へと続く道を駆け出した。
本邸の入口に立つ、騎士に促され中に入れば、屋敷内の廊下は、灯りが付けられていなかった。
窓から入ってくる街灯の灯りと自身が持つランタンの灯りを頼りに、旦那様の自室へと足を運ぶ為、二階へと続く階段を登っていく。
部屋に近づいていくうちに、男女二人の談笑する声が耳へと入ってくる。
状況から見ればおそらくは、旦那様と奥様であろう。
旦那様の部屋前の廊下のみ、室内魔灯がつけられており、当然の如く二人の騎士が警護の為待機していた。
「警護、お疲れ様です」
「ミルヴァ様。旦那様と奥様がお待ちで………」
「きゃぁあああ!!カイルゥウウ!!!」
「「!?!」」
その二人の騎士に挨拶をし、中に入ろうと言葉を交わそうとすれば、突然旦那様の部屋から奥様と思われる女性の黄色い悲鳴が上がってきた。
驚いた騎士が直ぐ様ドアノブへと手をかけ扉を開ければ、室内魔灯により煌々と明るい光が目の前に広がる。
暗がりばかりを歩いてきていた私には眩しすぎて、思わず眼前を手で覆いながら部屋の中を凝視する。
「何かありましたか!?」
切迫した状況が訪れたのかと、騎士が慌てたように自らの相棒である長剣を手に、部屋へと入って行く。
「………あぁ、いや、すまないね。有事では無いよ」
しかしそんな騎士とは裏腹に聞こえてきたのは、何やら安堵したような、申し訳なさそうな声色をした旦那様の声だった。
何やら複雑そうな表情をした旦那様が頭を抱えながら部屋へと入っていった騎士達に制止する。
「もうぅ〜〜とっっても良いわ!!ね!!そう思いますわよねスワン様!?」
「分かったから落ち着きなさいマリエッタ。今、そんな声を出してしまったら皆が驚いてしまうだろう」
「うぅ〜〜ごめんなさい〜〜でもでもカイルとナツメが〜〜」
「只でさえ無断で盗み聞きをしているのだから間違っても通信なんてしてはいけないよ………」
「……?」
何やら机上にある道具に向かい、興奮した様子を見せる奥様を旦那様が宥めるように肩を摩っていた。
少々状況が飲み込めないながらも、雇い主である旦那様の私室へと無断ではいる訳にも行かず開け放たれた入口で一礼をする。
「旦那様、早朝から失礼いたします。ミルヴァ、只今参上致しました」
正直なところ、今現在が夜分遅くなのか早朝の括りになるのか一瞬迷ったものの、明らかに夜明けの時間が近いだろうと納得付け、それに付随する言葉を紡ぐ。
「あぁ。朝早くから騒がしくてすまないね」
「いえ、とんでもないです」
先に旦那様の私室へ待機していた次期執事長候補のマーティンが促す方へと歩み寄る。
旦那様達が座るソファの向かいに着席すれば、その机上にある機械が青く光っていた。
恐らくこれが、ミア・アルバスの言動を確認する為ナツメ様を隠れ蓑にし渡された聴取専用魔石を使った通信機。
しかし、今現在私がここに居ると言うことは事件の主犯であるミア・アルバスは拘束されその魔石の役割はもう終わったものだと思っていた。
と言うことは、この魔石で聞き出しているこの通信はもしかしなくともナツメ様の元にある魔石と繋がっているのか。
「ねぇ!ミルヴァ!!カイルとナツメが結婚するのよ!!」
「………………はい???」
「待て待て待て。まだ気が早いよマリエッタ……」
奥様の言動により即座に私の脳内には大量の疑問符が浮かんだ。
言われた内容を理解しようと、起きたばかりの思考能力を駆使しその言葉を噛み砕く。
カイルとナツメ様が…………結婚……………結婚!?!
「はい!?!どういう事です!?!」
一体この短い期間の中何があったというのか。
あれだけ女性の影がひとつも見当たらなかったカイルに女性が現れたかと思えば、お付き合いを吹っ飛ばして結婚!?
旦那様と同じく幼き頃から知っているカイルは誰がどう見ても、模範的行動を遵守する旦那様一筋の人間。
自分自身の難しい立場に頭を悩ませながら、突然屋敷の全てを任されたにも関わらず、泣き言を吐かずに執事長という大役を今までやってきた。
そんなカイルが…………
カイルが!?!?!!!?
「ミルヴァさん驚きすぎです………」
開いた口が塞がらずに、思わずその場で絶句していたのを目の当たりにしたマーティンが指摘してくれる。
若干の眠気があった自身の脳内はもうすっかり覚醒してしまった。
先程奥様が呟いていた、ナツメ様とカイルの名前の意味を知れたは良いものの、内容が衝撃的すぎた。
今この瞬間に、この旦那様の部屋に招集されたのは、事件の主犯であるミア・アルバス。
彼女が昨夜ナツメ様に会いに行く前、最後に私と出会った事で確立したミアのアリバイ。
これを事実と照らし合わせ、確固たる証拠を上げる為に来た筈なのに。
「…………お、おめでとうございます……?」
本人が目の前にいる訳でもないのに、思わず口からついて出たのはそんな祝いの言葉だった。
何だかんだ、事前にこの犯行について近々実行されるだろうと仄めかされていた私としては普段よりも幾分か気を張っていた。
主犯の裏にいるその他の勢力の動きにより、どのような思惑があるのかを旦那様伝から大まかに把握をしていた。
だが、一介の使用人である私には何時何処で、どのようにして誰をどうやって犯行に巻き込むのかと言う仔細は限られた使用人以外には伏せられていた。
それに私は、よく弟子達に思っている事が顔に出やすいと言われる。
きっと、私に事の仔細を話されていれば、ミアを泳がしている最中不自然な態度を取ってしまうと危惧されたのだ。
それでも不安な表情は普段から出ていた自覚はあったのでその点は改良するよう努力していた。
故に、自身が手を施した食事から敬愛すべきお方達に危害を加えてしまう可能性がゼロではない事に大きな恐怖を抱えていたのだ。
そんな私の心中に入り込んできたのは、そんな仄暗い内容とはかけ離れたおめでたい報告。
本能的に祝いたくなるのも納得だ。
「…………あぁ、まぁ。そうだな………私もカイルの理想が叶えば、それを最大限汲み取ると約束してしまったしな…………」
「スワン様?男に二言があってはなりませんよ??」
「……………うぐぅ……そう、だな………」
惚れた弱みか、最愛の奥様から囲い込まれるかのように聞き出された言質はもう取り消すことができないだろう。
しかし、これはこの公爵邸で起こった今夜の事件よりも骨が折れる案件が発生してしまったかもしれない。
ハイディア王国の聖女となったナツメ様。
この国の聖女や英雄と言った称号を賜った者達の意思を妨げる事が出来ないと言うのは周知の事実。
民達の関心を集める称号持ちの人間の行く末は誰も彼もが気になる注目の的。
そんな彼女の縁談が、このハイディア王国に降りたってたった数週間で成り立ってしまった。
まず間違いなく話題の中心となり、様々な憶測も飛び交うようになるだろう。
念願のカイルの婚約者が現れたと思えば、それはそれは大層なお相手。
流石の旦那様も胃が痛い話だろうな………
「じゃあやっぱり!早く二人の婚姻準備を進めなくては!」
「いやいや待ってくれマリエッタ!それはまだ早いと言うか……!」
「こんなもの早い方がいいに決まってます!!この機会!どうせなら私はナツメと一緒に母親になりたいもの!」
「分かった分かっ…………は!?!」
興奮した様子の奥様を旦那様が宥める様に諭していれば、そんな発言が投下される。
流石の旦那様も軽く流そうとはできない内容に、酷く狼狽したように明らさまに目が泳ぎ始める。
可笑しきかな。これがあの威厳漂うエリアル公爵家の当主であるスワン・エリアル。
その最愛である奥様だけが旦那様を困らせ、様々な表情を引き出す。
(これはまた………旦那様も気苦労が耐えませんね)
今日ばかりは、各所方面から振り回される旦那様の心労に同情する。
こんな火急の事態でありながらも今は事件の仔細を確認し合うなど出来ないのではと思いながら、その様子をマーティンと苦笑し合いながら夫婦の戯れを見守ったのだった。




