回想録«カイル»②
『むぅ!!!スワン様なんて大ッッッッッ嫌い!!!!』
『はぐぅわぁ!!?!!?!?!!?!?!?!!』
美しいブルートパーズの瞳いっぱいに涙を溜め込み、これでもかと言うほどその頬をパンパンに膨れさせていたのはこの国の第一皇女マリエッタ・イリス・ハイディア。
普段通り、公爵に着いていき、マリエッタ皇女の元へ足を運んだその矢先。
目が合い対面したその瞬間、マリエッタ皇女から突然告げられたその言葉にスワン様はその場に立ち尽くした。
この様子を隣で見ていた私には、マリエッタ皇女が本心からスワン様を嫌っている風には見えなかった為、おおよその予想はついた。
真実と嘘が入れ混じった噂が各方々へ広がり続けた結果、この頃にはあろう事かマリエッタ皇女に対するスワン様の寵愛は薄れてきたと言う事実無根な噂が立っていた。
耳の早い貴族達が頻繁に出入りする王宮での噂は伝播しやすい。
故に、錯綜する情報の中、正確な情報を掬いとる事が不可能なマリエッタ皇女の耳にスワン様の不穏な噂が入ったのだと推察。
王宮の様々な教育を受けているマリエッタ皇女とは言え、歳はまだまだ生まれてから数える方が早い年頃。
人の口にとは立てられず、良いも悪いも全ての噂が平等に入り交じれば事実を確認しようのないマリエッタ皇女にとってそれは不安の種になるのは至極当然の事だ。
私はこの事を懸念し、少しでも二人の仲を良好に進ませようと尽力していたはずなのに、どうやら間に合わなかったようだ。
頭を抱え、自分の無力さに打ちひしがれていればスワン様同様に懐いてくださっていたマリエッタ皇女は、その場で固まったスワン様を押しのけあろう事か私の方へと駆け寄ってくる。
『もうスワン様なんて知らないわ!!カイル!!私をどこかへ連れ出して!!!』
『はい!?え、あぁ…………えぇと………』
必死にしがみつくように私の腰周りに手を回しスワン様に不満を訴えるマリエッタ皇女は不貞腐れたように、スワン様の方を全く見ずに私へと訴えかける。
数歩先にいたスワン様は絶望した様な表情でマリエッタ皇女にしがみつかれている私を見る。
私は脳内で、主であるスワン様を優先すべきか、単純な身分の高さによる判断をすべきかを考えていれば、苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せたスワン様が私の背後へと指差す。
その意図を理解した私はスワン様に今一度確認するよう視線を送り、背を向けるように向きを変えその場からマリエッタ皇女を連れ出した。
一先ずは、スワン様とマリエッタ皇女の関係が変に拗れる前に接触を許された私自身が全力を尽くしマリエッタ皇女へ向けられるスワン様の御心を本人不在ながらも吐露した。
そして、噂の真偽についての誤解を解く事に成功したのは、それから数時間後。
公爵と共にスワン様が公爵邸に帰宅する為に、私を探しに来た夕暮れ時のことだった。
マリエッタ皇女の繊細かつ、女性として成長していく心の変化。
それにより、元々好意を抱いていたスワン様の不義理な噂を耳にしたことでどうしようもない寂しさが湧き上がって居たらしい。
幼きマリエッタ皇女自身、スワン様と共に過ごす時間が無くなってしまうかもと言う寂しさがあったとは言うものの、それが私にはただの寂しさだとは思えなかった。
『………ごめんなさいスワン様。私、酷いことを言ってしまいました』
『いえ、こちらこそ。私が不甲斐ないばかりにマリエッタ皇女を不安にさせてしまいました。謝るべきは私の方です』
互いが互いを想い合うが故に、相手からの気持ちが自分に向いていないと聞いてしまえばそれが寂しさに繋がる。
それは既に、王室と公爵家の繋がりを強く持つために政略的に結ばれた婚約者という枠組みから外れた、心から相手を思い、愛す婚約者となっている。
本人達に自覚が無くとも、マリエッタ皇女が感じたその寂しさはきっと、無意識の内に好いてしまったスワン様から引き離される。誰かに取られてしまうと言う焦りから来る独占欲だったのではないか。
『もうこの手を離しては嫌よ?』
『……ふふ。承知致しました。私の可愛いお姫様』
可愛らしい姿で手を差し出すマリエッタ皇女の掌は、この短期間で精神的に成長したであろうスワン様の手により握り込まれる。
先日まであったあのぎこちなさは何処へやら。
心底満足そうにブルートパーズの瞳を輝かせるマリエッタ皇女を、慈愛に満ちた優しい眼差しでスワン様が見つめる。
(…………恋情)
小さく芽生えた恋しいと思う感情からやってくるのは、相手の心が欲しいという欲望。
無自覚ながらも、それが心の内に湧き出たマリエッタ皇女の瞳は、以前のような無邪気な幼子ではなくスワン様を心から慈しむ一人の"女性"だった。
私はこの時、人が人へと初めて恋愛的な好意を向ける、その瞬間を垣間見た。
王宮と、カーミリア学園。
生活する場が物理的に離れた距離感の中でマリエッタ皇女の御心を守る為に、スワン様は学園内で行われる数々のアプローチを大衆の面前で断り始める。
今まで当たり障りのない対応をしてきたスワン様の変わり様に、周囲は混乱しながらもその効果は絶大だった。
王家と公爵家との政略的結婚の本人達の明確な感情の有無等は傍から見れば分からないもの。
それが、この事件を経てスワン様自らがマリエッタ皇女に心を砕き、付け入る隙が与えられないと態度で示された事で今まで社交界全体に漂っていた不穏な噂は忽ちに消え去って行った。
『カイル様………こちら、スワン様に……』
しかし、その間にも未だにスワン様宛ての手紙やプレゼントは無くなることはなかった。
私へと差し出されたそれらは、一度断りを入れ、尚も引いてくださらない場合に限り受け取った後、スワン様に気付かれないうちに処分する様にしていた。
『すみません。最近はこう言ったものはお預かりしていないのです………』
『そんなこと仰らず、是非ともお願いしたく……』
こう、何度も何度も同じやり取りをしていれば内心、面倒くささが増してきていた。
それでもどうにかして先日のようにお二人の関係性に亀裂が入らないようサポートするためには大切な事だと自身の中で割り切る。
いつもの様に、これは断りきれないと決断付け、一度受け取ろうと渡される手紙を手に取ろうとすればその手紙は目の前で別の人物の手元へと渡った。
驚いて手紙を回収した人物を見れば、更に驚いた。
『すまないが、私は今後マリエッタ皇女以外の艷文は受け取らないよ』
『『!!』』
そこに居たのは、別行動をしていたと思っていたスワン様だった。
私を経由し間接的に渡される筈だったそれを今、目の前でその存在をスワン様本人に見られてしまった女生徒は何やら複雑そうな表情をした。
『あ!いえ……これは、その…………』
先程の勢いはどこに行ったのかと思う程に口篭り始めた女生徒を見定める様にスワン様がまじまじと見つめる。
(…………レッドカード、ですかね……これは)
私は彼女を知っていた。
正しく言えば、彼女の素行の全てを情報として把握していた。
彼女は、反王室派に属する貴族の一人。
陰でスワン様とマリエッタ皇女との婚約関係に異議を唱える反王室派の流れに乗り、あわよくばを狙っていたブラックリスト入りの一人である。
スワン様が公に邪険にしていないお陰か、それを良い事に他の令嬢も利用し、幾度もお手紙やプレゼントを預かって来た。
私が全てを把握しているとも知らずに。
『私に対する艷文は今後一切、受け付けない。勿論、カイルに渡す事も考えないでくれ。必要な私用が有るのであれば我が公爵家へ送りたまえ』
『!!』
公爵家へ送る。
それ即ち、婚約者が存在する公爵子息へ艷文を送れば最悪自身の名誉を自ら傷つける行為になるに留まらない。
多くの場合、屋敷に届く封書や手紙の全ては屋敷に務める執事長やメイド長が確認する。
故に、何か一つでも不審な点があればそれは直ぐ様公爵家当主の耳へも入るという事だ。
さすがにそこまでのリスクを背負ってでもやりたい事では無いだろう。
『カイル、今まで公に口に出来ずお前に任せっきりですまなかった。今後もまたこのようなことがあれば直ぐに私に言ってくれ』
『! は、はい!承知致しました』
そう言って、スワン様は陰ながら貴族子女達の対応に追われていた労苦を労うように、少し背の低い私の頭へと手をやる。
凛とした佇まいは齢十五の青年に似合わず、その姿は既に、覚悟を決めたエリアル公爵家次期当主としての風貌だった。
この時、この瞬間から。
カイル・ウィリタースの心に何かが強く宿った。
一つ。ウィリタース子爵家三男としてではなく、ただの"カイル"として一生スワン様の元に仕えたいという欲。
一つ。敬愛すべき主であるスワン様の様に、誰かを深く愛し、愛される、そんな人物と共に人生を歩んで行きたいという欲。
これはウィリタース子爵家の姓を捨て去る私にとって、同時に叶わぬ欲望だと言う事を頭で理解しているにも関わらず。
私はそれらの欲望に酷く、焦がれるようになってしまったのだ。




