アンタにいわれたくないわよ
全体的に暗い話になります。
苦手な方はご注意ください。
客が来ることが決まってからの2週間は、ただただ憂鬱だった。
話をまともに聞かないクルカラ。
「ジュリじゃないなら安心」となぜか納得する皆。
僕が客の相手をすると聞いて自分の時のことを思い出したのか、体調を崩してしまうアイビス。
なぜかキスの練習が必要だとか意味不明な話が盛り上がり、毎日かわるがわる年上の子たち全員とキスする羽目になったり。
夜寝る前にシアノが「今日の子たちはどうでしたか?でも結局私が1番ですよね?」とか言いながらキスとくすぐりによる窒息落ちをさせられたり。
…まぁ、シアノのは今に始まったことではなく、基本毎日なんだけれども…
朝と寝る前のキスは強制的にされてしまうが、日中の水分補給を目的としたキスに関しては、僕は今まで極力しないように避けてきたのだ。
遊び疲れた時に周りにクルカラしかいなくて、散々ゴネられて無理やり気味にぶっちゅうとされてしまった事はあるけれど、それだってこの1年半で数回…片手で数えられるくらいだ。
それなのに…
一緒に暮らしているとはいえ、可愛い美少女たちに囲まれて代わる代わるキスされるなんて状況にドキマギしないわけもなく…
先の不安といろいろな心配、日々の緊張と興奮の急落により、精神的にボロボロの日々。
唯一の救いは夜に強制的に意識を刈り取られるおかげで寝不足にならない事だろうか。
…なんかこれ、去年も同じこと思った気がするな…いつだっけ…まぁいいか。
「はぁ…」
「セラ、緊張しているのか?」
朝、食堂で列に並びご飯をトレーに取っていると、無意識に出てしまったため息を耳ざとく聞きつけた世話人から声をかけられた。
「え?えっと、ううん、だいじょぶ」
「そうか。午後にお客様が来るが、身構えなくていい。今日のお相手は優しい雰囲気をした青年だ」
青年だ、の部分が強調されていたような気がするが、言外にジュリじゃないぞと言いたいのだろう。
ジュリの方がいいんだけど…世話人も僕の話はまともに聞いてくれないのだ。
…というか、優しい雰囲気?
「あったの?おきゃくさま」
「ああ。予約を正式に取り付けた時にな。あのお客様なら恐らく何の心配もいらないだろうと俺もオーナーも思っている。だからそんな心配そうな顔をするな」
そうか…世話人とオーナーの2人が見て大丈夫だと思うなら、本当に心配いらないのかもしれない。
弱い者の前で豹変するタイプもいるだろうし、完全に安心はできないけれど…
というか、心配いらないとか心配するなとか、子どもに身体を売らせようとしている奴らが言っていいセリフじゃないと思う。
言ってる本人に悪気がないのだからタチが悪い。
…今更か。
そんな取り留めもないことを考えながらご飯を食べ終わり、庭に出る。
季節は秋を迎えようとしており、これから旬を迎えるビグルミの甘い香りがほのかに空気に混ざり始めている。
きっともう少ししたらアッポの甘酸っぱい匂いも漂い始めるんだろうな。
ぼーっとしながら歩き、ちょうどいい太さのアッポの木に背中を預けて座る。
上を向くと枝の間に緑の小さい実がいくつかできていて、アッポの美味しさを思い出してヨダレが出てきてしまった。じゅるり。
「アンタ、おひるのあとにおきゃくさまがくるって…だいじょうぶなの?」
甘酸っぱいアッポの幻想に逃避していた僕を現実に引き戻してきたのはアイビスだ。
いつの間に目の前にいたんだろう。全然気が付かなかった。
「ん、だいじょぶ、だとおもう」
アイビスはトラウマを刺激されてしまったのか、ここしばらく体調を崩して寝込んでいた。今も気丈に振舞っているけれど、目の奥に隠し切れない不安な感情が揺れているのがわかってしまう。
あまり心配させるような事を言いたくないな。
「…せわびとがね、きょうのおきゃくさまは、やさしいひとだっていってた」
「やさしいひと?」
「うん」
「…そっか。わたしのときは、とっても…とってもこわいひとだって、いってたから…」
怖い人って…世話人…あまりにも正直すぎるでしょ…
客の相手に慣れている子ならいざ知れず、初めての仕事の前にそんな怖い事を言うなんて…
「えっと…アイビス…その…」
「…きっとだいじょうぶよ。せわびとってみためはこわいけど、うそはつかないもの」
そう断言するアイビスの目からは、さっきまでの不安そうな様子が消えていた。
…すごく意外だけど、アイビスの世話人への信頼は厚いようだ。
さっきまでの険しい顔付きはなくなり、代わりに寂しい様な表情に変わったアイビスは、僕の隣に並んで木に背中を預けて座り込んだ。
…少しの沈黙。
それ以上話すことも無いのか、さっきの僕と同じように上を向いて、寂しそうな、少し不満そうな、何とも言えない表情のまま上を見上げている。
…アイビスは今でも毎日お勉強が続いていて、いつも目を真っ赤に腫らせて帰ってくるけれど、本人が何事も無かったように振る舞うものだから、僕達も何も気が付いていないふりをしてそのまま遊んだりしているのだ。
…今まで何も聞けなかったけれど…思い切って少し聞いてみることにした。
「アイビス、いつもおべんきょう、しにいってるよね」
「…そうね」
「なんで、まいにちなの?みんなは、ときどきなのに」
「………」
上を向いたまま、ムッとした表情をしただけで何も答えてくれず、時間だけが過ぎていく。
僕も上を向いてまだ青いアッポの実を眺めながら、やっぱり聞かないほうがよかったかな、なんて考えていると、アイビスがぽつりぽつりと話しだした。
「…わたしはアリスみたいになりたいの」
アリスって確か、娼婦が王子様に見初められるとかって絵本の少女だろうか。去年みんなが憧れだって話してたやつ…
「…えほんの?」
「それいがいになにがあるのよ」
いやぁ、色々あるんじゃないかな…
呆れた様な顔をされてしまったけれど、もしかしてその絵本以外の物語では使われないような珍しい名前なのか?
「はぁ…アンタにはきをつかうだけムダかもね…」
ひどい言われようだが、僕はこう見えて中身は大人だ。子どもに気を使ってもらわなくても大丈夫なのだ。
「まえにわたし、おきゃくさまのおあいてをしたでしょ?そのとき…こわいことをされて、おとこのひとがこわくなっちゃったのよ。だからこわいのがなくなるように、せわびとにれんしゅうさせてっておねがいしてるの」
「そんな…どうして…」
「どうしてって、アリスだっていやなことも、つらいこともあったじゃない」
それは作り話だろう。なんて事は言えなかった。
アイビスは信じてるんだ。絵本で見たアリスみたいになりたいと、アリスにも辛いことがあったからと、絵本の中のアリスを心の支えにしている。
汚い大人が自分達に都合のいいように作り上げた歪んだ常識を植え付けられ、押し付けられ、あまつさえ憧れまで抱いて。
憧れの為に…心を削って…
「…これからおきゃくさまのおあいてがあるアンタにするはなしじゃなかったわね…ごめん…」
「…あっ…えっと、その…」
絶句して何も言えない僕を見て何か勘違いさせてしまったのか、アイビスに謝られてしまった。
アイビスのほうが辛いはずなのに…何を言えばいいのか、言葉が見つけられない。
大人になるまで生きてきたのに、こんな時にどんな言葉をかければいいのかすら分からない。
平和で守られた世界の中でただ歳を重ねてきただけ。自分の知らない常識の中では、こんなにも無力だという事を突きつけられた気がした。
こんなの間違ってる?
普通はこんな事しなくていい?
日本ではそうだった。
子どもは守られるべきだし、性的に搾取されるなんてあっちゃいけない事だ。
でも、アイビスはそんな僕にとっては当たり前の事を知らずに生きてきて、この場所の『常識』しか知らない。
まだこんなに小さいのに、性的な暴力を受けて、トラウマを抱えてしまって、それでも幼い頃から絵本で植え付けられてきた『アリスという娼婦』に憧れて、娼婦になるために努力して。
なんて…残酷なんだろう…
そんな彼女に、何が言える。僕は何を言えばいいんだ。
「…ちょっとまって、いまのなし!!」
!?
いまのなし?今のって…え??
「かんがえてみたら、アンタがきいてきたんじゃない!わたしがあやまるのはへんよ!だからいまのなし!!」
「あっ、えっと、うん。セラがきいたから…ご、ごめんね?」
「…べつに、あやまってほしいわけじゃないけど…」
そして再びの沈黙。
お互いに何か言いたいけれど、何を言えばいいかわからないような、そわそわした微妙な静寂が流れ…
先にその静寂を破ったのはアイビスだった。
「と、ともかく!アンタのおあいてはやさしいひとなんだから、そんなふあんそうなかおしなくてだいじょうぶよ!」
「あ、ありがと」
もしかしてアイビスは僕を勇気付けようとして話しかけてくれたんだろうか。
「もしかして、しんぱいしてくれたの?」
「ちがうわよ」
即答されてしまった…違うのか。
「…わたしのときはケガしてきたから、それみてコワイっておもっちゃってたら、かわいそうかなっておもっただけ」
怪我どころの騒ぎじゃなかったけれど…あと、それって心配してくれたって事なのでは?
「いーい?アリスだって、こわいおきゃくさまも、らんぼうなことするおきゃくさまもいたけど、おうじさまにみつけてもらえたの。いいことばかりじゃないけど、いつじぶんだけのおうじさまにであえるかわからないんだから、そんなくらいかおでおきゃくさまのおあいてをしちゃダメよ?」
「…じぶんだけの?」
「そう、じぶんだけの。わたしだけのおうじさま。ここはアリスがいたとっきゅうのしょうかんじゃないから、ほんもののおうじさまはこないけど…でも、わたしだけをだいすきになってくれる、わたしだけのおうじさまにであえるかもしれないじゃない」
あ…そういう…ことか…
アイビスは勘違いしてる。客は嫁を探しに来ているのではなく、遊びに来ているんだ。そして、気に入ったら嫁ではなく『妾』として買っていく。
ジュリだってそうだ。ジンムカ様はジュリ一筋のようだが、ジュリのことを嫁ではなく妾として迎えようとしているし、ジュリもそれを承知している。
それを…多分アイビスは、わかっていない。自分だけを見て、自分だけを好きでいてくれる、自分だけの王子様に出会えると信じているんだ。
「アンタもみためはかわいいんだから、いつもみたいにニコニコするのよ?きょうのおきゃくさまが、アンタのおうじさまかもしれないんだからね」
…ここにアイビスの幸せはない。ここに居ちゃダメだ。
けれど、それを伝えてしまったら…
ずっと無理を重ねているアイビスの心は、壊れてしまわないだろうか。
「…うん。がんばる」
「えっ、ちょっ、なんでニコニコしながら、ないてるのよ!?」
今はまだ何もできない。それでも。
連れ出そう。こんな場所から。
みんなを連れて逃げるんだ。
「…アイビス、むりしないでね」
「アンタにいわれたくないわよ…」
ここまで書いててふと思ったんですが、世の中には、必要なネタバレというものがあるらしいのです。
例えば、作品に出てくる犬や猫などのペットが最終的に無事なのかどうか、とか…
私にはその基準がよく分からないのですが、なんだか似た様な事なのではないかと思い立ちまして、ここにネタバレを記しておきます。ネタバレが苦手な方はごめんなさい。でもどうしても書いておきたいのです。
アイビスは幸せになります




