王の道の験し
領地で己にできる限りのことをする、それが貞俊の信条だった。
貞俊は大河のほとり、針葉樹林と大河のあいだに広がった街の活気に満足していた。
領地の教育は教会が担っており、教会のために供出する作物の出来不出来の調査や徴収は領内各集落に散った若者たちが務め、彼らの身柄を集落の長が預かり、収穫に見合わない量の作物を教会が求めたときには調停役が動く。実用品や工芸品は職人組合が商人たちと交渉して、職人たちが不利益を被らずに済むように事務手続きをしていく。
商人や職人組合の羽振りは日増しによくなり、彼らは芸術振興に力を入れるようになった。商人たちは手の掛かる美術工芸品を自ら注文して作らせ、職人組合は自分たちの肖像画を画家たちに描かせる。
富を得た商人たちは職人組合とともに自警団を組織した。
(これまで二妃と蘭俊が苹州を欲したのは頴州の隣だからだと考えていたが、そうではなかったのかもしれない)
貞俊は顔をしかめた。
交易が織りなす権力遊戯。
苹州という場所は農地の改良や山河の調整では絶対に六心に敵わない五心の皇子にとって、神としての力がなくとも権力を手にすることができる場所だったに違いない。
馬車の車中でじっと目を閉じていた貞俊は、目を開いて窓から外を見た。
「私はなんで王都に戻ったのだっけ?」
「第二王子の婚約の儀があるからです」
カヴィニンがそっけなく言った。
「そうか」
王都の賑わいを見ながら、貞俊は小さく笑う。
「第二王妃と第二王子は、そろそろ緑垣を欲しがる頃だ」
カヴィニンが貞俊を見る。
「緑垣を繁栄させたのは殿下です」
「二妃と蘭俊殿が苹州を欲しがった。第二王妃と第二王子はきっと緑垣を欲しがる。どうにかして私を陥れようとするはずだが、はて」
貞俊は「力があると分からないことがあるものなのだな」と息をついた。
*** *** *** *** ***
王都、貞俊は緑垣から持ち込んだ贈答品を交流のある貴族と、王都の教会に持ち込んだ。
教会に持ち込むのは職人に作らせた凝った装丁の経典その他儀式に使う香炉など、いずれも教会にあっておかしくないものばかりだが、金額のかけ方が違う。
「正直に言えばこういうのは嫌いだ」
そう言いながら、貞俊は第二王妃と第二王子に近い勢力の切り崩しに時間をかける。
宮廷に集まる貴族たちは、緑垣に近い貴族ほど清潔感ときらびやかさを誇る。
「虚」
貞俊は首を振りながら笑った。
それでも見た目の華やかさは第二王妃の気を惹いた。
「領地がよく収まっている様子でなによりだ」
王の言葉に貞俊は「お褒めいただき光栄です」と笑みもなく返す。
宰相が咳払いして「して」と王の顔を見ながら「王家に収める献上品について」と貞俊に言い、貞俊の笑みを確認した。
(この大陸は蘇と違い、統一された王権も統一税制もなく、それを担っているのは教会だ)
「十分に教会への寄付を行っておりますよ。司教区への協力はもちろん、中央の大聖司教の教区にも寄付を惜しんではおりません」
内心でひとつ、貞俊は付け加える。
(不作でもないしな)
宰相の笑顔が引きつった。
「教会へ、ではなく、王家への」
「緑垣の職人組合からは私の領地運営に十分なだけの資金協力が得られております。貨幣や収穫で貢献できない者は賦役で領地の安定に貢献してくれております」
貞俊の、のらりくらりとした言い方に、緑垣と交流のある都市の貴族が笑い、大聖司教が「おっしゃるように」と横から口を挟む。
「第一王子の領地からは司教区運営に必要な寄付だけでなく、制度的にも協力を得られていると報告を受けております」
「王家としては」
続けようとした宰相に、貞俊は「ふむ」と頷いて周囲に聞こえるように独り言を呟き始める。
「宰相がお持ちの情報では、私は王子ではなく緑垣を領地とする独立貴族だということだろうか? さて、緑垣は私が父王からいただいた私の直轄領であるから、税制上は私の独立採算であると思っていたが違ったかな? しかしそういえば私は叙爵された記憶がないな」
宰相の表情が引きつった。
白い装束の司教が貞俊に「殿下、あと五分です」と横から囁いた。
「この部屋から抜け出す正しい道は、王の首を取り王冠に飾られた宝玉を奪い取ることです。御託でけむに巻こうとしていると時間がなくなります」
「案内役が初めて役に立ったが、王冠の宝玉が必要か」
「首を取り、それから宝玉を奪う、両方を満たすことです」
「血腥い」
「それができねば、心臓は食われます」
笑った司教の表情は、まるで楽しんでいるようだった。
「腹立たしい、どうあっても武力に訴えさせようというのだな?」
そこから半年後、緑垣に戻り周りに城壁を築かせた貞俊は、王都の城下に兵を忍ばせ、自分も王都にひっそりと居を用意し、そこで烽火を見た。
王の勢力が緑垣を攻撃したら上げるようにと伝えておいた烽火だった。
埋伏した兵を城下から王城に入れ、貞俊は王の首を取り、王冠の宝玉を手に奪う。
「それが王の心臓の中核でございます」
白い装束の司教が笑い、貞俊の周囲が暗くなる。
「韋州を本当に安定させたいのであれば、王になることを望むほうがよい」
「王を扶けるのではなく、王にとって代わる気概が欲しい」
「弟たちを蹴落としていくぐらいの覇気がなくては困る」
貞俊は白い装束の案内役が「王の心臓を得た王たちの亡霊ですよ」と囁くのを聞いた。
*** *** *** *** ***
貞俊は飛び跳ねるように起き上がり、無限に続いているのかとでも思うような空間のなかで体を起こした。手には透き通った赤い宝玉がある。
暗い空間の片隅で明るくなった場所に泰俊が顔を覗かせる。
「どんな道でした?」
泰俊を眺めてから、貞俊は顔をしかめた。
「最低だ。なにが黄梁一炊の夢だ」
そう言いながら貞俊は泰俊に透き通った赤い宝玉を渡す。
「これはなんです?」
「王の心臓とやらの中核だと言っていたが、はたしていったい本当なのかどうかわからん」
「私は、この王墓そのものが王の心臓だと案内役に言われました」
貞俊は泰俊に向かって「泰俊殿が深奥の書庫で写した話をもう一度しっかりと」と言いながら、続きが言えないまま「比轍はどうした」と首を傾げた。
「まだです」
「泰俊殿、桑州と頴州は膠着状態だったかな」
「さようです」
「韋州から頴州に兵を出そう」
貞俊の言葉に泰俊が「本当ですか?」と目を見開く。
「なに、蘭俊殿は本来州の統治権を得られる立場ではない。頴州兵が苹州に侵攻した記録を以って本来ならば王命なしに統帥権を動かすことはならないことを朝議の場で訴え、王の斧鉞を奪う」
「比芦二氏の解放と、煕俊殿の牛は」
「当然、解決せねばならん。芳俊殿には州の統治経験がない。どうにかまともに苹州を建て直せるように指導役を立てる必要があろう。指導役が史官の比轍しかおらんのでは困る」
泰俊がじっと貞俊を見つめて「王の道、験しの部屋、王の心臓」と言いながら顔をしかめた。
「これまでずっと、桑州と頴州の衝突も、頴州の苹州侵攻も静観していた一殿下が兵を動かしますか」
そう言いながら泰俊が「こちらは」と貞俊に言葉を向けたところで「比轍」と通路の奥を指さす。
「戻ったか。十五年間分の記録について書き写しをさせられたと聞いた」
比轍がちらりと貞俊と泰俊を見る。
「おふたりが王の心臓を開いたと最後に書き付けました」
泰俊が手元に視線を向ける。
「王の心臓」
貞俊は泰俊に肩を叩かれて「なんだ」と顔をしかめた。
「兄上、三王爺のところにまいりましょう」
比轍もまた、泰俊を見てから貞俊を見た。
「その前に、倉農部に牛の記録をもう一度確かめにまいりませんか」
「消された記録を探すのか?」
「消された記録が、見られるようになったかどうかを確かめに行きたいのです。十五年分の記録を書いたご褒美に、記録を修復してもらえるという話が本当であれば、あるはずなんです」
比轍の言い分に貞俊と泰俊が顔を見合わせる。
「そういうことならば、私のほうは殺人事件の被害者を掘り起こしたい」
「殺人事件の被害者ですか?」
「厩舎係が埋められた場所を覚え込んだ」
泰俊の言葉に「ああ」と比轍が頷いたが、貞俊だけは「やはり殺されていたのか」と嘆息し、泰俊と比轍の怪訝な視線に出会った。
「私が見たのは家族のことで、比轍が読まされたのは十五年分の記録。王の道とやらに連れて行かれた兄上だけがなにか違うものを見せられたらしい」
「ご家族のことですか?」
「そう。炎妃と二妃が嫁いできて、炎妃と七王爺の逢瀬を延々と見せつけられた」
比轍が泰俊を見上げる。
「二妃と七王爺ですか?」
「そう。二妃と七王爺の逢瀬だ。どうも七王爺は蘭俊殿を我が子と思っておいでらしい」
泰俊の呆れたような言葉に、比轍が「それならば説明がつきます」と頷く。
「私は記録に、蘭俊殿と菖俊殿を「王甥」と書かされました」
北陽王墓の狭い通路を歩きながら、泰俊と比轍は自分が見せられたことを話したが、貞俊だけは「私は韋州を安定させるために来たと言ったはずなんだが」と嘆息した。
泰俊と比轍が貞俊の背中を見る。
「一殿下は、なにを見せられたのですか?」
「私も兄上から聞けていない」
比轍が泰俊に目を向けて「兄上ですか」と呟いた。
「なんだ」
「ここに入るまでは「貞俊殿」とおっしゃっておいででいらした」
「兄上と呼ぶのも悪くないと思っただけだ」
泰俊が言い、比轍が「さようですか」と頷く。
「私は」
貞俊はふたりの会話を背に口を開いた。
「珊州のような実り豊かな山河であれば韋州の者も今年の不作を凌げようと思い、珊州が欲しいと考えはしたが、力ずくで奪うようなやり方は好かん」
「そんなことをお考えだったんですか」
比轍が思わず泰俊の後ろに隠れる。
「あの道の先で、王の首を取り宝玉を奪えと案内役に言われて干戈を動かした。後味の悪い妙な夢を見せられた気分だ」
*** *** *** *** ***
王墓の外に出て、泰俊はもう一度「王の心臓」と言いながら深奥の書庫で書き写した紙を取り出す。
「滲んでますね」
「水道を通ったからだな」
比轍と貞俊の呆れた言葉が泰俊に突き刺さる。
「もう一度、深奥の書庫に行って確かめた方がよいだろうか?」
「この核とやらがなんなのか」
貞俊が袖から「核とやら」を取り出そうとして顔をしかめた。
「なくなった」
「兄上は肝心なところで抜けている」
大袈裟に呆れながら「先ほどお預かりした」と石を取り出した泰俊を見て、比轍が「ご兄弟」と頷き、貞俊と泰俊から顔をしかめられた。




