王の道
貞俊は道と言うには細い場所をひとりで進まされた。
案内役は早々にどこかに消えた。
着物を軽くして来たのがよかった。
動くのには適さない着物は邪魔にしかならない。
細い通路は延々と続いている。
案内役は王の道と言ったが、これのなにが王の道なのか全くわからない。
ずいぶん歩いて嫌気がさした頃に、貞俊はふたつの扉を見た。
左右に並んだふたつの扉を眺めているうちに、片方の扉が開かれた。
門扉を開いた門番が貞俊に向かって笑みを浮かべる。
「この先にあるのは、ヴェスタブールです」
「異国?」
「央原君の験しです。他人の人生を駆け抜けていただきます」
貞俊は胡散臭そうに門番を見て、「そんな暇があるか」と言いながら踵を返し、また目の前に扉があるのを見た。
「この先にあるのはひとつの人生、しかし人生は古人申しますに黄梁一炊の夢。殿下の時間を無駄にするものではございません」
貞俊は足の向きを変えて体を回したが、どこを向いても、向いたところに扉があるのを見て苛立った。
「ここは北陽王墓だろう?」
「いかにも、ここは北陽王墓でございます。北陽王墓本来の姿は国の心臓であり、本物の玉座。央原君が王の資格を与える気になった皇子にのみ、王の道の手掛かりが示されます」
貞俊は胡散臭そうにしていた表情を、さらに胡散臭そうに歪めて「私は」と声を上げる。
「私は王に向かない」
「向き不向きは央原君が見定めます」
扉の前に押し出され、貞俊は後ろを振り返る。
「ひとりで異国で短時間で人生を過ごしてこいだと? 泰俊と比轍はなにをしてる」
「泰俊殿下は王の心臓のなかで記憶を覗いておいでです。比轍殿は史官として十五年分の記録を資料用に書写しておいでです」
貞俊は門番を見つめた。
「私は韋州が安定していないのになぜ来たと問われ、韋州を安定させるために来たと答えた。なぜ現実には存在しないのであろう異国で人生を経験する話になる」
「央原君の験しです」
門番を前に、貞俊は頭を抱える。
門番は言う。
「帰り道を間違えると、王たちの心臓を食うまえに、王たちの心臓に食われますのでお気を付けください」
「なんだと?」
貞俊は門番に蹴り込まれるようにして扉のなかに落ちた。
*** *** *** *** ***
他人の人生を他国で一時間で終わらせる。
「ふざけるな!」
大声を上げた貞俊は、周囲の男たちが目を見開いているのを見た。
「一殿下」
そう言われて貞俊は「なにも変わってい」と息をついてから、周囲を見て頭を抱える。周囲の様子は間違いなく蘇と違う。
「そろそろ領地に出発いたしますよ。まだ九歳なのにご両親から離れて領地に行くのはお辛いでしょう」
貞俊はちらりと世話係らしい男を見上げて、青い目に黒い髭と記憶に留めた。蘇の者たちが細身なのに比べて、どうやらヴェスタブールの男は身幅が広いほうが好まれるらしい。
「王も第一王妃様より妾妃から格上げした第二王妃様の王子ばかり可愛がっておられる」
「またか! ここにも二妃がいるのか!」
貞俊は既視感に襲われた。
「一殿下?」
「なんでもない」
この世界で過ごす一生は王墓の一時間。
「領地に行くまでに資料を読むから集めておいてほしい。領地に問題があるようならば解決策を出さないとならない」
「昨日まで第二王妃について泣いて文句を言っていらしたとは思えない諦めで、カヴィニンは嬉しい限りです」
「おまえカヴィニンと言うのか」
「はい?」
貞俊はまんじりともせず笑う。
「紙と筆」
「紙と筆?」
出された羊皮紙と羽ペンを見て貞俊は「うむ!」と唸る。
(使いこなせる気がしないが、昨日まで使っていたなら使えるだろう)
「王は第二王妃と第二王子を可愛がるのにお忙しく、見送りもない」
「構うまいよ」
資料を捲りながら、貞俊は文字と数字を見る。
(蘇は縦書きだがヴェスタブールは横書き。左から右に読む。領地の名前は緑垣)
しばらく羊皮紙に領地の情報を書き写してから「さっさと領地に行こう」と言った貞俊は、カヴィニンに奇妙なものを見る目で見られた。
「なんだ」
「領地までまだあと二週間かかります」
「遠い! 飛べば一時間もかからなかろうに!」
「人間飛べれば苦労いたしません」
カヴィニンが笑い、貞俊はまた頭を抱える。
領地は辺境にあった。
韋州もだいたい辺境にあり、貞俊は特に気にしなかったが、カヴィニンにとってはいたく矜持を傷付けられることだったらしい。
「辺境でなにが悲しい。辺境にも民はいる。悲しむより己の民に王都よりもよい生活をさせてやろうという気概でいればいまは十分だろう」
貞俊はその辺境を見て感嘆の息をつく。
「針葉樹林に大河、よい土地だ」
貞俊は百数十年に渡って韋州各地を見て回ってきたが、針葉樹林を見るのは初めてだった。
韋州という州は広葉樹林が中心で、針葉樹は丘陵帯にある程度のものだった。ここでは平地に針葉樹林が広がっている。
「前向きでなによりです」
「中央の祭祀や儀式の日付を書き出し、それから」
「教会の司教と懇意になさるのをお忘れなく」
貞俊は「教会」と繰り返す。
「司教というのはこの国の三公のひとつだったか?」
「なにをおっしゃっているのかわかりませんが、司教は神の教えを説く祭司です」
神。
天公、地公、央原君。
「すぐに司教に挨拶に行こう」
「行くのは明日です。王都の大司教から幼児洗礼でいただいた経典をお持ちください」
カヴィニンに渡された「経典」は分厚い物だったが、それを眺めて貞俊は肩を落とした。
「良い子にしていれば選ばれし者として神様が助けてくれる。よいか礼部、良い子にしていても衣食住に困窮すれば善人でも悪事に手を染める。それは君主の不徳であり、王の不徳だ」
貞俊は経典を閉じて用意された寝台に潜り込み、「これで二週間がやっと過ぎたところだ。王墓では何時間が過ぎたんだ?」と顔を上げた。
司教区。
貞俊はヴェスタブールの制度を頭に叩き込む。
この大陸には統一税制がない代わりに、教会が王と一対の存在として動き、本来は王が整備すべき教育や貧民救済を担っている。
「この司教区の教会では七日に一度の聖人の日に子供たちに経典を使って読み書きを教えています。毎朝と夕は鐘に合わせて施粥所を開き、貧困区の者に食事を提供します」
「すごいな」
(教会というのは邑の里長や郷長よりも役に立ちそうな制度だが、選ばれし者になれれば救われるという教義が気に入らない)
しばらく司教区を眺めてから、貞俊は「ああ」と気付いた。
(ここには仕事がない。教会か領内のどこかに仕事がなければ貧困区は貧困区のままか)
「彼らは教会の手伝いをして、そのぶん教会から三食と寝床を与えます」
それだけか、と貞俊は思う。
「読み書きができる子供のなかから、私の友人として領地の管理を学べる子供を探す」
「一殿下の学友ですか?」
「そう」
貞俊は邸に戻る馬車に乗り込み、思案する。
カヴィニンがその貞俊を眺めていた。
「殿下は九歳ですが、ここのところの殿下はずっと大人びておいでに見えます」
「そうだろう。実は私は百年以上生きている龍王なんだ」
「ご冗談までおっしゃる。龍というのは伝説の生き物ですよ。今でも別の大陸には龍族が棲むと言いますが、エニシャから先、果てのピンジまで行った者も龍は見ていないと申しますよ」
エニシャ、ピンジ。
貞俊はどこかから足元に落ちてきた地図を拾い、「ほお」と声を上げた。
(エニシャは炎、ピンジは苹州のことなのか。ピンジで龍を見たことがない、龍の姿で生活しているものはいなかろうから当然だ)
「よいかカヴィニン、私はいま神様に試験されている」
「はあ」
カヴィニンの表情が曇ったが、貞俊は気にしなかった。
(言ってはならないとは言われていない)
「私は王に向かないと思っているが、神様はそれを確かめるには試験が必要だと言う」
貞俊の言葉にカヴィニンは大きく頷き「それは神様が正しいのでしょう」と言う。
「カヴィニンは一殿下が王に向かないと思ったことはございません」
「私はここで自分に見せられる選択肢を、ただしく選ばねば、心臓を食われるのだそうだ」
「教会に戻ってお祓いしていただきますか? それともお医者様を呼びますか?」
「どちらも要らない」
貞俊は言い切る。
「司教区では教会が毎日二回の施粥会を開かねばならないという。教会は司教たちが食べる分だけでなく施粥で出すための備蓄もせねばならない。その備蓄は農家から教会が徴収する穀類だが、無尽蔵ではない。つまりこれは私が神様から出された解決すべき問題のひとつなのだろう」
カヴィニンは貞俊の説明に渋々頷いた。
「どこかで頭を打たれたようですが、問題をしかと見ていらしたことだけはご立派です」
「頭は打っていないが尻は蹴とばされた」
「誰にです?」
「異国の案内人だ」
貞俊は白い着物の案内役に蹴り出されたことは絶対に忘れない、と決めていた。
*** *** *** *** ***
十五歳。
貞俊は「時間の経過が遅い!」と苛立った。
「王城で第二王子のお披露目があるそうですよ」
カヴィニンが言う。
「それがどうした」
「殿下は九歳で辺境の領地に出されたのですよ、悔しいとは思われませんか」
「別に思わん。弟を可愛がって遊べるなら別だが、どうせそんなことはできないのだろうが」
不貞腐れながら、貞俊は「貧困区の住民はだいぶ減って農家が教会に徴収される負担は多少減った。学識のある若者が増えて、だいぶ識字階級が増えた。文化教養に馴染めない者は労働や護衛などの戦力に回ることも当たり前になってきた。山賊が減った。盗賊も減った。ここの統治はそれなりの環境が整ってきたと思うわけだ」とひとりで満足する。
「殿下が王太子であれば、国中がこういう発展に向かっていくのでしょうね」
カヴィニンの言うことに貞俊は「いや」と首を振った。
「こういう発展を促すのは、私よりも煕俊殿が得意だった」
「またスジェのお話しですか?」
「うん、煕俊という弟がいた。煕俊の領地は、特産品に目立つ物があったわけではないが、文化を広げて支え、交易で領地を豊かにしていた」
カヴィニンが「シジェン殿下」と頷き、貞俊は「シジェンじゃなくて」と言ってから訂正をやめ、カヴィニンに「私の名前は貞俊だった」と言ってみた。
「殿下の、スジェでのお名前がジュジェン殿下ですか」
貞俊は目を瞬かせてから「ふ」と笑い出した。
「私の名前はジュジェンになるのか」
「発音が、妙でしたか?」
「いやいやいや、私が一番目で貞俊、二番目が蘭俊、三番目が煕俊、四番目が泰俊、五番目が慶俊、六番目が芳俊、七番目が菖俊」
「ジュジェン、イェンジェン、シジェン、デイジェン、チジェン、ハジェン、ジュンジェン」
カヴィニンが繰り返し、貞俊は笑い転げた。
「殿下がなにを笑っておられるのか分かりませんが、スジェ王に七人も皇子がいたのであれば後継者争いが大変でしたでしょう。それで、ジュジェン殿下は、王になりましたか?」
貞俊は「まだわからん」と首を振る。
「皇子たちはみんな龍で、いわゆる神々のひとりなんだ」
「龍神ですか。そのようなことを申されると異端審問で尋問されますよ」
「外では言わない」
「そのようにしてください」
カヴィニンが頷いた。
*** *** *** *** ***
「人生が慌ただしい! カヴィニン! いま私は何歳だ!」
「十八歳です」
貞俊はカヴィニンを前に領地の情報を整理する。
「商工会による東西市場の特権的利用! 自由交易特権の解放、司教区前での露店の許可! 職業組合つまりギルドによる互助体制の保護と振興!」
領地の賑わいを眺めながら、貞俊は「煕俊には劣るが」と鼻で息をつく。
「一殿下、お忘れかもしれませんが」
「忘れてない。父君の誕生日にはエニシャ経由で最上級のザニジの刺繍、ウィジの織布、ギジの磁器を用意して献上してある」
「全部スジェ産ですね」
「慌ただしすぎて、自分の目利きでは自信が持てるのがこれしかない」
「スジェの物については目利き自慢ができる。一殿下がスジェの一皇子だったという夢物語を信じるなら納得できますが、転生というのは教会では異端者として裁かれる対象です」
「カヴィニンがそのことを言わねばよい。私はカヴィニンにだけ話しているし、私の人生そのものが、そのスジェの皇子が一時間のなかで過ごす夢だ。転生じゃないからな! 私は死んでないぞ!」
貞俊は主張した。
(しかし躊躇いなく武力を見せつける弟たちとは違って私は武力を扱うのが苦手だ)
蘭俊は苹州を武力で制圧した。泰俊は蘭俊が州境に置いた頴州軍を前にして、躊躇うことなく桑州軍を配置した。地公を味方に得た芳俊は不作や豊作といった手段を交渉の場に持ち出した。
(私はどうだ)
貞俊は異国の城を覆うように広がる空を見上げた。
夕刻の薄闇に、たなびくような雲が墨色に霞んでいく。
(私がしたことは、行幸で各地を見ていただきたいと父に陳情しては退けられ、審問の開催を要求して退けられ、不作でも民を見ないと自暴自棄で礼部に八つ当たりして牢に入れられたことぐらいではないか。煕俊殿の冤罪も証拠が掴めず、比芦二氏の釈放も目処が立たないまま、なぜかこの異国で一回、一生を過ごせと言われている)
「せっかく異国で一度人生過ごすというのだ、手ぶらでは帰らん」
「たくましい殿下でなによりです」
貞俊はカヴィニンを見て、それから「私はいま、央原君の験しが武力衝突ではないことを神様に祈りたい」と弱音を吐いた。
「教会の司教がおいでです」
貞俊は司教を見つめる。
白い装束の案内役。
「一時間の残りはどれぐらいある」
司教が頭を下げた。
「残り、二刻」
「やっぱりおまえが央原君の手下だったか」
「道を誤れば、過去の王たちに心臓を食われることをお忘れなきよう」
貞俊は目を眇め、踵を返す。
王都まで二週間。
一時間の制限時間は残り三十分。
「半分しか経ってないのか」
貞俊は嘆息した。
貞俊の一時間異世界体験。




