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蒼山碧海に龍は遊ぶ  作者: 望月かける
天乱
24/115

下働きの皇子

宮中での芳俊。芳児として動いてはみたものの、改めて自分の残念な評判を目の当たりにする。

「暁寧殿の伊様の紹介なんだってさ」

 厨房で忙しく立ち回っている男女が芳児の背を押し出して口々に「へえ」と興味を示す。

「暁寧殿に人がいたんだね」

「六殿下の配膳はこれからこの子が行くのね?」

「ならこれでやっと伊様も手が空くな」

 厨房の会話を聞きながら、芳児はがっくりと肩を落とした。

(私は厨房でもこんな評価なのか)

 次々に用意されていく皿の数々は、だいたいが父のところや他の皇子たちのために作られたものだ。

(宴でもないのに立派な皿が作られていくのだな)

 大量に並べられた皿すべてを王族の者が平らげるわけではないが、暁寧殿に出される皿は、芳俊が食べ切ってしまう量しかない。

「暁寧殿の配膳はどれ?」

 芳児の質問に厨房の男が膳を出す。

「これだ、持って行け」

「ありがとうございます」

 これをこれからわざわざ暁寧殿に持って行って冷めたころに食べるのだと思うと、芳児は切なくなる。

(ここで食べてしまいたい)

 比轍が常梅香として苹州で過ごすようになってから、比轍はあれやこれやと貴陽の者たちから苹州の特色料理の菜譜を教わっては帳面にまとめている。芳俊が訪ねていくと、火を通したばかりの食事が出てくるようになった。その食事は徐々に慣れが出てきていた。

(この膳は暁寧殿に運んでいるあいだに冷めてしまう)

 そんなことを思いながら豆をつまみ食いした芳児の耳を厨房の男がひっつかむ。

「殿下の膳をつまむんじゃない」

「豆ひとつぐらい気付かないでしょ」

「つまむな! 次にやったら出入り禁止にするぞ!」

「はい」

 芳児は耳を赤くして膳を手にする。

「二妃の膳や二殿下の膳もここで作っているのでしょ?」

「二妃や二殿下の膳は向こうだ」

 厨師が示した先には広い机いっぱいに並べられた無数の皿があり、芳児は呆然としてしまった。

「あれ全部? あんなに出すの? あれが二妃と二殿下と七殿下の三人分? 暁寧殿はこれだけ?」

「暁寧殿からは特にどんな膳がいいか、要望をもらってないからな」

 厨師を見て、芳児は「なら、暁寧殿からも要望を出したら変わる?」と訊いてみる。

「要望があるならな。無理だと思うがね」

「なぜ? これよりはマシにならない?」

 冷めると食べるのが辛い膳を見せて、芳児は厨師に見せる。

「おまえなあ、暁寧殿の六殿下にまともなことを言えると思うか? ほとんど宮から出ない、宴に出ても華美な装いひとつできない、うだつの上がらない皇子だぞ」

 別の厨師が「母君が生きていらしたら玄からの仕送りもあっただろうけどな」と苦笑した。

(せめて温め直して食べたい。今度、暁寧殿に竈を作ろう)

 膳を手に暁寧殿に戻り、芳児は机に冷めた膳を置いた。


 *** *** *** *** ***


 芳児が厨房の次に行った洗濯物を担当する女たちの仕事は、ほぼ力仕事だった。

 伊五子に「洗ってもよいもの」を探させた芳児は、洗い場に混ざる。

「暁寧殿の子だって?」

「そうです」

「暁寧殿は側室もいないから洗う物が少なくていいわね」

 芳児は苦笑いで答えるしかなかった。

「二妃様や七殿下の宮は? 洗いに出される着物は暁寧殿よりも少ないの?」

 女たちは芳児の質問に顔を見合わせ、それから一斉に笑いだす。

「二妃のところは、七殿下が着物を汚したら捨ててしまうもの! 尚衣しょういのところに行ってみなさいよ、洗濯場より絶対に大変よ」

「そうそう、毎日あれ何着あるのかしら、尚衣の仕立担当はいつも七殿下の着物を仕立てているのに、洗濯場に来るのは下着しかないの」

「丁寧な刺繍がないと手抜きだと文句を言われるらしいわよ」

「刺繍をして一度で捨てられるなら、刺繍したくなくなるわよね」

 芳児は伊五子に持って来させた自分の着物をたらいに入れて水を入れる。

「それ六殿下の着物?」

「そう」

「刺繍もなにもないのね。それに、絹じゃなくて」

「綿」

 芳児は苦笑を返した。

 簡単に言うと伊五子にこれ以外の着物を渡してもらえなかったからだ。

 伊五子の主張は「殿下に絹の着物が洗えるわけないでしょう、縫い目を引っ掛けて裂いたり袖に穴をあけたりしたら困ります。綿の着物、これなら殿下が洗濯に失敗しても悔いはありません」だ。

「洗濯ぐらいできる」

 そう言って機嫌を損ね乱暴に着物の水をはたこうとした芳児を見て、周りの女たちが慌てた。

「そんなに乱暴に着物を引っ張ったら破けるわよ」

「綿の着物を破くんじゃ、そりゃ伊様も絹の着物は任せられないわね」

 自分が手に持った着物を見て、芳児はちらりと周りの女性たちの手元を眺め、自分の着物に目を戻す。

「破けるほど弱くはないと思う」

「あんたがそう思うのは勝手だけど、そんなのでも六殿下の着物でしょうが」

 芳児は着物を持ち上げ、その陰に顔を隠した。

(私の着物をどう扱おうと、私の勝手だ。しかしこれで破いたら、結局、伊五子に「絹の着物なんて洗えるわけがないと言ったでしょう」と言われてしまうのだな)

 隣に盥を置いて着物を叩いていた二十歳ぐらいの女が芳児の肩をつつく。

「十五歳? 十六歳?」

「十六」

 芳児はそう言ったが、思う。

(人間なら、そのぐらいだ。年数としては二十七年ぐらい生きてるけど)

 心の声は外には出さない。

「好きな男の子はいないの?」

「いないわけじゃない」

 これも、芳児は躊躇いがちに答える。

 芳俊としてはどうにか臥渓にこっちを見てもらえたらよいと思うが、臥渓は段達で、段達は芳児を見ていて、芳児としては段達の気を惹いておきたい。ただ、次に芳俊として臥渓と話をしたときに、自分が芳児なのだと臥渓に言えればよいとは思う。

「六殿下の着物だと思わないで好きな男の子の着物だと思ったらいいのよ」

 芳児は水浸しにした自分の着物を広げて、隣の女を見る。

「阿達の着物は、もっとしっかり刺繍されてる」

「なら六殿下の着物より丁寧に洗うのね」

 芳児は嘆息した。

「そう言えば、聞いた?」

「なにを?」

「五殿下の話」

「五殿下?」

「三殿下が苹州公でいらしたでしょ? 十五年も経つのにまだ暫定州公の名前が公開されないから、天廟で央原君にお伺いを立てるんですってさ。尚衣は二妃と七殿下の着物で忙しいのに、五殿下がお伺いの儀式で着る衣装を仕立てないとならないって愚痴を聞かされたわ」

 芳児は思わず「儀式で着る着物?」と顔を上げて女たちを見る。

「そう」

「二殿下が荒れるわよ、二殿下も苹州を狙っているんですもの」

「でも不思議よね。十五年も州天公が不在なのに、苹州は荒れることもなし、相変わらず羽振りがよいらしいのよ」

「へえ?」

「でもお伺いを立てるって言ってるなら、五殿下ではないのよね?」

「頴州から苹州を攻めたい二殿下も違う」

「なら、一殿下か四殿下のどちらか」

 芳児は横からちらりと「六殿下かも?」と口を出してみる。

 女たちが黙り込む。

「絶対違うわよ。六殿下は珊州を作りかけで放り出しっぱなしだって言うじゃない。苹州をまともに統治できるわけがないって、うちの旦那が言ってたわ」

「だいたい六殿下ってなにしてるのかしらね、祭祀や宴にもあまり出ないでしょ?」

「そう言えば、なにしてるのかしらね」

 芳児は肩を落とした。

(なにもしてないわけじゃない)


 *** *** *** *** ***


 衣装を仕立てる尚衣では、刺繍の腕を競う者たちや飾りを扱う職人たちが忙しく手を動かしていた。

「六殿下の着物を取りに来たって?」

「あら新しい子なのね」

「暁寧殿に配属されたんですって?」

 芳児は諦めたかのように冷静に頷く。

(なんなんだ、どこの者たちも、暁寧殿から来る者は珍獣だとでも思ってるのか)

「六殿下の着物って頼まれてたか?」

「ないわよ」

「暁寧殿の侍従が勘違いしてるんじゃないか?」

 芳児は力なく「確かめてからまた来ますね」と言って尚衣を後にした。


 *** *** *** *** ***


 暁寧殿に戻り、芳俊は人払いをしてからぞんざいに寝台に腰を下ろした。

 二皇子が苹州を取りに動き始めただけでなく、五皇子が三皇子の弟として苹州の委譲打診に動き出した。赤ん坊だった七皇子が少しずつ自分のわがままを言える年になってきたことで、二皇子と七皇子の関係が変わり始めた。二皇子は、このまま州公の名前が伏せられていれば苹州は七皇子の物になると踏んだだろう。頴州が兵を動かし始めた。それを知ってのことだろうが、五皇子が苹州公に名乗りを上げようと動き出した。三皇子に一番近い弟だ、三皇子の遺恨を晴らすと言えば苹州はついてくると踏んだのかもしれない。

 三皇子が死んだときに苹州にいて暫定州公の座を得たのは芳俊だ。

 それを公にすることには危険が伴う。

 ひとつに、偶然とは言え芳俊が苹州にいた理由を説明しなければならないこと。三皇子の牛が倒れたことに自分は関係ないと言っても、もし、それを芳俊が企んだのだと二妃や二皇子に主張されたら、十五年前の三皇子の一件で王に訴えられ、今度は自分が命を落としかねない。

 ふたつ目に、これまでずっと暫定州公が芳俊であることを隠してきた理由を訊かれたら、これにも答えられない。報告義務を怠ったと言われて、やはり詰問されるのだろう。

 しばらく黙り込んだあと、芳俊は立ち上がって伊五子を呼んだ。

 伊五子が来ると、芳俊は苹州で比轍が用意した着物を着せつけてもらった。

「見事な刺繍ですね」

「比轍が試しに作らせたんだ」

「比轍様がですか? 十五年お目にかかっていませんが、ずいぶんと多才ですね」

「伊五は常梅香の姿の比轍と会ったのが最後だっただろう」

「ええ、さようです。形だけの常梅香は本当にきれいな人形でしたが、比轍様が魂魄繋げられて動き出したときには、驚きました。華やかさのない史官なのに、常梅香の姿がその仕草にぴったりと会うのがなんとも不思議で、目を見張った覚えがあります」

 伊五子が芳俊の腰に帯を留めて、手を放す。

「どうなさるおつもりですか?」

「苹州天公を私に任せていただきたいと父上に申し上げる」

「それを今言うのは危険です」

 芳俊は、笑みを浮かべる。

「却下されてもよい、それならばと違う要求をする」

「はい?」

 伊五子の疑問に芳俊は「その前に」と暁寧殿から苹州に繋がる道を開く。

 道は、州公になると貫海宮の宮殿から担当する州の宮殿と天公廟に向けて央原君の許可で開かれる。暁寧殿から苹州に繋がるこの央原君の道が開いたことが、芳俊が苹州天公を引き継いだことの証明だった。

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