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蒼山碧海に龍は遊ぶ  作者: 望月かける
天乱
23/115

意志の在り方

段達と常梅香、芳俊と比轍。

 常梅香は預かった仔虎を見つめ、呆けていた。

 段達は臥渓公主で、六皇子と、あるいは一皇子か四皇子かと、婚約することになる。龍として女児であるという自覚には乏しい、むしろ女児であることに拒否感を示していて、公主だと言われて外にも出してもらえない段家の邸を出て地公廟に働きに来てしまった。

 一方の六皇子、芳俊は、芳児として下働きの娘たちに混じって女の子たちの噂話に混じりながら、なぜか客観的に皇子としての自分の評価を聞き、とても冷静に自分の状況を分析しては現実逃避するかのように、臥渓の気を惹くと言って段達の好みに合うように芳児の見た目を整え、宮中から抜け出してくる。

 これはまるで、期待と逆だ。

 そもそも天龍の自分たちは地公とは地龍王の公主だと聞いていたから、少しでも警戒されないほうがよいと女の形を選んだが、結果として段達は臥渓として公主の振る舞いを身に付けるよりも、芳児に好かれようと男性的に振舞い、芳俊は芳俊で臥渓よりも段達を意識して芳児の外見や振る舞いを気にしている。

 十五歳か十六歳の年頃の少年と少女として眺めれば、段達は人から好かれる外見をしているし、明るく素行も悪くない少年だ。芳児は常梅香と同じく芳俊が作っているものだから天性の見た目とは言えないが、少女としては申し分ない存在に見える。

(央原君は、ご自分たちがふたりに与えた性とは逆の振る舞いをする彼らに寛容であってくださるだろうか)

 芳俊には王族内での後継者争いの問題もある。

 芦楓たち苹州の旧臣たちは、まだ三皇子の弔い合戦を諦めていない。

 半分以上が天龍としての権力も能力も身分も剥奪されて、存在を封じる枷で魂を縛られている。

 龍とは言うが、今の彼らは人間と変わりない。

 自分ももまた比轍として、比一族の釈放と権利の回復のために、芦楓たちと伝書鳩を交わしている。

(三殿下が亡くなられて、七殿下が生まれて、一度は王家が落ち着いたように見えている。だが二妃は、地龍の公主探しを諦めていない。二妃にとって地龍の公主と婚約するのが二殿下でも七殿下でも関係ない。自分の息子でありさえすればよいのだ)

 地龍そのものが天龍にとってはほとんど見ることのない伝承の生き物だというのに、二妃も炎の親族たちに色々と言われているのだろう。しかしこの点でいえば段達が臥渓という地龍の公主という身分を選ぶことなく、段達という少年のまま振舞っていることが彼の身を守っている。

 芳俊が持ってきてくれた祖父比河の手紙を箱に仕舞う。それは手紙というよりも、司空としての、治水や人の動かし方の要諦を孫に伝えるための、教科書のような構成だった。

 史官のなかには二妃に従うことを条件に生き延びた者たちもいると聞く。

 千年を生きる龍の世界で、たった十五年前に火蓋が切られた王族の動乱は、まだ始まったばかり。

(比轍としての自分は、芳俊に戦をしろ、妖女や佞臣ねいしんを倒せ、あなたには皇子としてその責任があると叫びたい。だが常梅香としての自分は、芳俊にも芳児にも、戦は避けてくれと叫びたい)

「眠れませんか?」

 男の声にハッとして、常梅香は顔を上げた。

「段達殿、そうだ、泊っていくと言うから寝台を貸しましたね」

「ええ、叔父じゃなくてすみません」

 段達が笑いながら常梅香が座っていた椅子の横に、手近なところから椅子を持ってきて並べて座る。

「梅香姉さんとは男女ですが、比轍さんとは男同士ですから少し話せませんか」

 常梅香は段達の前置きに首をひねる。

「なにか気になることでもありましたか?」

「苹州の東にある蓮邑は頴州えいしゅうと境を接しているんです。関はありませんし結界を張ってあるのですが、どうもきな臭いのだそうで、地公廟からも天公廟からも結界の補強に何人もの祭司官が派遣されています」

「頴州州境ですか? 頴州は二殿下の」

 言いかけてから常梅香は段達を見つめた。

「そんなことをしても州は奪えませんでしょうに」

「天龍の王族がどのように州を受け継ぐのかはわかりませんが、三皇子が亡くなってから十数年、あなたの話によれば六皇子がこの州を継いだことは伏せられている」

 常梅香は段達の確認に頷く。

「あなたが知っている戦のことを教えてください。私は臥渓じゃない。昔、臥渓だったから地龍の世界では臥渓として地龍の姉たちと同じように地龍としての役割を求められている誰かであって、ここにいる私は商邑段家の息子、段達です」

 常梅香は段達が微笑するのを目に、席を立って書架から本を何冊か選んで段達の前に出した。手は本の上に置いたまま、段達に問う。

「段達がどう逃げようとしても、あなたが臥渓公主の転生者で、地龍たちの前では臥渓公主として振舞うことが求められる人間であり、臥渓公主が持つ地龍の公主としての力を扱う人間であるということは変わりません。あなたには臥渓として戦に向かう人々の意志を戦に向けていく力がある。ですが戦に向かう人々の意志を曲げ、戦を回避することもきっとできます。それでも、段達としては戦に向かうほうを選びますか?」

 段達は常梅香に問われ、常梅香の手に自分の手を重ねた。

「梅香は、戦を避けたがる。臥渓としても段達としても、常梅香という人間の女性、伎芸天という地龍の女性はそういう者であってほしいとそう願う。比轍だけは臥渓の意志も段達の意志も関係ない、天龍の男性だ。比轍は戦を避けますか?」

 常梅香は首を振る。

「私が戦を避けたいと思うのが臥渓公主や段達がそういう者であってほしいと願うから、ということなら比轍としての私がどうしたいか、それが純粋な私の考えだということになりますね」

 常梅香の手に重なる段達の手をどけて本から手を放し、常梅香は窓を開けた。

「比一族はまだ天牢にいる、比轍としては、一族の者たちが釈放されるまで戦いますよ」

「そういうことです」

 段達は笑い、常梅香が出してきた何冊かの本を手に取って風呂敷で包んで「ありがとうございます」と頭を下げた。

「阿達、この争いは天龍のものです」

 段達が常梅香の言葉を「違う」と否定する。

「ひとつ目、二皇子は臥渓の婚約者候補ではない、つまり王位の継承権がない。それなのに継承権を求めて臥渓との婚約を望んでいる。私は臥渓として二皇子を拒否するし、地龍は臥渓の眷属として二皇子を拒否する。これは天龍と地龍の争いです」

 常梅香は「なるほど」と小さく呟いて視線を下に落とした。

「ふたつ目、二皇子は頴州天公として先の苹州天公を死なせた。その上、頴州の人間が苹州を奪いに来るなら、私は苹州の人間として受けて立つ」

「三殿下の旧臣たちが動きますから、あなたが動く必要はありませんよ」

「三つ目」

 段達は常梅香の目を自分に向けて正面からしっかりと見つめる。

「苹州には芳児がいる。ここで私たち地公廟の祭司官たちが頴州との間に設けた結界が破られるのを容認したら私は後悔する」

 常梅香は段達を眺め、それから大きく嘆息した。

「人の見た目で十五、六歳の龍なんて、龍としてはもう三十年近く生きているのですから、十五、六歳の人間の子供より精神的に大人ですよね」

 段達が「そうですよ」と首肯しゅこうする。

「頴州が苹州に兵を向けてくる。それだけで人間も戦に向かっていく。もう天龍だけの争いではないんです」


 *** *** *** *** ***


 朝、用意された粥を食べながら比轍の話を聞いて、芳俊は「あ?」と声をあげてしまった。

「阿達が頴州州境に向かう? 地公廟の祭司官として? どうして?」

「頴州州境の関は閉じられていますが、関の代わりに境を封印している結界が破られそうなんだそうです」

 芳俊は比轍を見上げ、口に入れた粥をぐっと飲み下す。

「段達は臥渓公主だ。公主が頴州州境に一介の祭司官として出るなど、地龍たちが許すか?」

「そこが問題です」

 比轍は息をつく。

「段達殿は、ご自分が臥渓公主であることに納得がいっていない。臥渓公主として地龍のなかにいるときも、臥渓の姿の段達なんです」

 芳俊は「ああ、常梅香の姿でも比轍が比轍なのと同じか」と納得する。

「ええまあそうです」

 比轍は曖昧に芳俊の理解を肯定した。

「十五年間、苹州の暫定州公が殿下であることは鵬安宮の者たちが隠し通してきました。それは三殿下の弔い合戦に向けて、誰を攻撃するべきかを二殿下に悟らせないためです」

 芳俊は頷く。

「段達殿が言うには、二妃が臥渓を狙うというなら天龍と地龍の争いであり自分は無関係ではない、それに二殿下が三殿下を死に追いやり頴州から兵を向けてくるなら苹州の人間としても無関係ではない、だから迎え撃つのだそうですよ」

 比轍は芳俊の前に果物を出しながら、付け加える。

「ここで引いて芳児を危ない目に遭わせてしまったら後悔するとおっしゃってましたよ」

 芳俊は「そんなこと」と呟いた。

「私には婚約者や恋人がいたことがないので、段達殿の不安は分かりません」

 比轍が申し訳なさそうに笑う。

「范延が二殿下制止の許可を央原君からもらえるようになるまで、あと数年待つつもりだった」

「思うようにならないことばかりと思うかもしれませんが、生きていたらそんなことばかりですよ」

「比轍も、思うようにならないことばかりか?」

 芳俊を見て比轍は大きく「そうですよ」と答えた。

「地公廟に入るという目的のために人間の女性の器を使った結果、龍に戻れなくなったのは想定外でしたし、祖父が天牢に入って一族連座になるというのも考えたことはありませんでしたし」

 言いながら、比轍は芳俊を見る。

「下働きの娘たちの噂話に混じるなら、二殿下の動向を訊いたほうがよろしいでしょう」

「十歳の七殿下を蹴落として母に可愛がられたい百歳の二殿下」

 年齢だけ聞くと凄まじいなと比轍は呆れた。

「まあいい、芳児は二殿下の噂を集めながら動くことにしよう」

「殿下に信頼のおける間者がいればよいのですが、すぐには心当たりがなくて申し訳ありません」

「気にするな」

 芳俊は比轍に向かって笑って見せた。

天龍と地龍と人間と、それぞれが巻き込まれる。

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