理不尽と不条理
苹州に仲間ができた芳俊と、地公の能力が判明した段達。
なんの心の準備もなく臥渓に一方的に宣戦布告された芳俊は、臥渓との対面に使われた建物を出て技官を見上げた。
「あれ、女心?」
「どちらかというと男心じゃないでしょうか」
芳俊が肩を落としたところに、苹州天公廟の儀典官が芳俊の前に走り出してきて転げた。
「恐れ入ります、苹州の州儀典官、典章と申します」
「典章」
「三殿下の空位から数日で州天公が公廟においでになるとは思いませんでしたのでご挨拶が遅れました」
「私が天公廟に来てから小半時だよ」
「三殿下がお亡くなりになったのが数日前です、央原君から通達された暫定の州天公のお名前が伏せられておりましたので、どの公子か分からずご連絡ができずにおりました」
芳俊は「伏せられていた?」と首をひねった。
「さようです。理由は分かりませんがお名前は明確には出ませんでした。天公廟に殿下がお越しになったと聞いて、やっと芳俊殿下のお名前が分かりました」
典章の言葉に芳俊は考え込み、それからふと顔を上げた。
「私が人の器で動いていたからか。入境記録も人の名前だ」
「ああなるほど、そういうことでしたか」
芳俊の前で大きく頷き、典章は後ろに伴ってきた男を芳俊の前に押し出す。
「苹州の州宰相を務める芦楓でございます」
「苹州芦家?」
「さようです」
「芦一族は、司徒の一族だ。二妃に睨まれているのではない?」
芳俊は比轍のことを考えながら不安な面持ちで芦楓を見た。
「六殿下のご心配には及びません」
にっこりと笑い、芦楓は続ける。
「そう申し上げたいところですが私も芦一族の例に漏れず、現在は役立たずです」
芳俊は芦楓を見て呆れた。
(役立たずの割に楽しそうだな、この男)
芦楓は芳俊を見て改めて笑顔を作り直す。
「母上の違う六殿下にとって三殿下は兄と言っても親戚程度の縁であろうとは思います。ですが、三殿下に従ってきた我々が六殿下に求めるのは三殿下の弔い合戦です」
「三殿下の家臣たちの期待が重い」
芳俊は小さく呟いてまたがっくりと肩を落とした。
芦楓は怖い男だ、と第一印象を頭に刻んで天公廟から離れた芳俊は、表に出たところで范延の視線に気付いて顔を上げた。
「三殿下が亡くなったのは二殿下のせいだ」
「はい」
范延の落ち込んだ声を聞いてから、芳俊はぐっと范延を睨みつけた。
「二殿下はご自分の州ひとつまともに統治できない! それなのに三殿下の州を奪って我が物にしようとしたんだ! 違うか!」
「そうかもしれません」
「かもしれないじゃない! 間違いなく、そうだ!」
芳俊は技官の女に小さな体を抑え込まれながら范延を罵倒する。
「三殿下の次は誰だ! 一殿下か! 四殿下か! 私か!」
足を振り上げて暴れる芳俊を押さえていた技官は、芳俊が体を反らした弾みで芳俊を落として壁にぶつかった。
「二殿下には、おまえが怪我をして死にそうになってまで守る価値なんかない」
芳俊は范延に告げる。
「おまえが二殿下に引導を渡す役目の持ち主なら、他の兄皇子たちが二妃と二殿下に殺される前に動いてほしい」
范延は芳俊を凝視した。
「殿下は、范一族の役目をご存じでしたか」
「私が知っていたわけじゃなく、比轍が知っていたんだ。比轍は史官だ。史書にはおまえのような役目の者が幾人かいた、おまえが二殿下を止めるのだろう、自分はそれを見てみたいのだと言っていた」
「比轍殿がですか?」
「でも、違った。私と比轍がおまえを買いかぶっていただけだ」
芳俊は范延から視線を背け、人込みの中で比轍を探した。
*** *** *** *** ***
夜になり、段一族が借り切っている宿に間借りしながら比轍が芳俊の話を聞く。
「州天公だ」
芳俊の言葉に比轍は「はい」と頷いてため息をついた。
「なんでしょう、妙なおとぎ話でも見ている気分です」
「妙なおとぎ話?」
「一か月前に外廷を歩いていて出会った子供が六皇子で、州を作っていると宇宙を見せられて、地公を訪ねるために人の器を借りて苹州に来て、都でなにが起きたのかわからない間に一族が天龍としての権限を剥奪され、一緒に苹州に来た六皇子はなぜかちゃっかり苹州天公の座を手に入れている」
比轍はもう一度ため息をついた。
「なにはともあれ、州公の座、おめでとうございます」
官僚らしく格式ばった挨拶で祝賀を述べる比轍に、芳俊は少し表情を曇らせる。
「州公ってなにすればいい?」
「そうですね、まずは三殿下がこれまでどのようなことをなさっていたのか知るのがよろしいでしょう」
「芳俊が州公になったと聞いたら臥渓は芳俊を見直すと思う?」
「それは残念ながら、思いません」
芳俊が比轍を見上げる。
「なんで?」
「芳俊殿下は臥渓公主に恋敵として負けないと啖呵切られたのでしょう・」
「タンカ?」
「喧嘩を売られたという意味です」
芳俊は比轍を見つめ、それから「喧嘩は」と首をひねった。
「別に、喧嘩は売られてないと思う」
「段達殿は殿下に喧嘩を売ったおつもりでおいででしたよ」
「なんで? 私、阿達になにかした?」
比轍は苦笑しながら芳俊を寝台に座らせて着替えを行李から出して揃える。
「暁寧殿は変わりないかな」
「なにか異変があれば伊五子が知らせてくるでしょう」
「うん」
芳俊を着替えさせて段家の従僕を外の見張りとして呼ぶ比轍を寝台の布団から頭を出して眺め、芳俊は「比轍」と声をかけた。
「なんでしょう?」
「明日はなにをするの?」
「これから段公子と相談して決めるところです」
「なら、廟じゃなくて外を見たい」
「市を見て回りますか?」
「せっかく人間なんだもの、人間がどんなふうに生活しているのか見てみたい」
比轍は「そうですね」と頷く。
「段公子に相談してまいりましょう」
笑って部屋を出た比轍を見送ってから、芳俊は布団からもぞもぞと抜け出して比轍の荷物を勝手にひっくり返す。芳児の着物を入れた行李を背負うために、比轍は自分の荷物をそうとう減らしていた。
それが芳俊には少々不満だった。
(梅香の見目はきれいに作れたのに、比轍は化粧も飾りも不慣れだと言って拒否するのだもの。そりゃ比轍の魂魄がないと梅香は死んでしまうけど、梅香は私が作った人形なのだからもっときちんときれいにしてほしいのに、荷物に簪も耳飾りも首飾りもない)
二妃のようにとは言わないが、それなりに着飾った宮中の男女を見て育ってきた芳俊としては、比轍の飾り気のなさはおかしい。
(着物、簪、化粧品、そういう物はなにもない。あるのは、本、帳面、絵の具、それから)
重石が付いた鎖と匕首。
(たぶん護身用なのだろうな)
芳俊は比轍の荷物を荒らすだけ荒らしたまま部屋の見張りに立っている従僕に声をかけた。
「阿達の部屋はどこ?」
「少爺の部屋ですか?」
「そう、あげたい物があるの」
芳俊の問いに従僕は笑顔を見せ、段達の部屋に芳俊を案内する。
*** *** *** *** ***
段達は叔父の部屋で、叔父と話をする常梅香を眺めていた。
比轍という男がそもそも特に男女という観念を強く持っていないのか、常梅香という女はとても自然に見える。
「比轍さんは」
「比轍でよいですよ、公主」
「公主って呼ばれるの好きじゃないから、阿達でいいです」
常梅香は少し間を置いて「わかりました」と答えた。
「自分が比轍なのに、今は常梅香なのは変な感じしない?」
「しますよ。特に最初は扱いに戸惑いました。ですがこれも六皇子ご自慢の作品ですからね、あまり粗雑にすると六皇子に怒られてしまうのです」
段達は「出た六皇子」と小さく唸る。
「六皇子の審美眼は確かなのだな」
言ったのは段季だった。
「爪の形が非常にきれいなんです」
常梅香は自分の手の爪の形を段季に見せてから、芝居の役者がやるように手をひらひらと動かす。
「比轍は六殿下の側近なんですか?」
「比一族の者として一番親しかったのは三殿下です。あの方はよく祖父のところにおいでになりました。六殿下にお会いしたのは最近です」
段達は常梅香に首をかしげて見せる。
「なぜ六殿下のために動くことにしたんですか?」
「頼ってくださったからですよ。どなたからも州を譲ってもらえないぐらい、宮中での六皇子は立場が弱いんです。玄から嫁いできたお母上も早くに亡くされて、皇子としては序列一位と思えないほどなにもない方です」
段達と段季は顔を見合わせ、それから常梅香に視線を戻した。
「この宿のほうが、六殿下の暁寧殿よりも立派なぐらいです」
「皇子なんですよね?」
「皇子です」
段達は叔父を見上げて困ったような表情を作る。
「どうして、その皇子にしたんですか?」
「必死に新しい州を作ろうと努力しておいでだからです。神話の世界を作るようなものです! まだなにもなく、これから作りあげていくのですから、これほど楽しいことはありません」
満面の笑顔で言う常梅香の手を掴んで、段季が「わかります!」と声を張り上げた。
「真新しい州をこれから作るなど、生きているうちにこの目で見ることがあるとは思わなかった」
「そうなのです!」
喜色満面で言った常梅香に、段季は言った。
「まあ、原初神話に登場する女神をこの目で見ることがあるとも思わなかった」
「原初神話の女神をご覧になったんですか? どんな方でした? それは地公の廟で?」
「違いますよ、珊州で最初に作られた女性は常梅香なのでしょう? それなら常梅香が珊州の原初神話の女神でしょうよ。天龍の一族から人に文化を伝える役割の、よくある女神です」
常梅香だ段季を見つめ、「あー」とやる気なく落胆の声を落とす。
「私は、原初神話に登場することになる女神は臥渓公主に期待していたのですが」
「六殿下はお断りします」
段達は改めて言い切った。
「私は地龍なので、生命が生命であろうとする意志を操るそうです」
「意志ですか」
「直接的なことをなにかするわけではなくて、草木が上に伸びようとする意欲を強くしたり、欲望を煽ることで戦を起こしたり、病原菌を元気にして疫病を流行らせたり、逆に戦意喪失させたり疫病を収束させたりすることができるらしいです」
段季と常梅香は怪訝な表情で段達を見つめた。
「地公、思っていた以上に怖い存在ですね」
「戦はともかく、疫病がいきなり発生したりするのは地公の仕業だったのか」
これからこの子供が戦や疫病を支配するのだと、大人二人は神妙になってしまった。
芦楓と比轍は司徒の一族と司空の一族なので、面識がある。予定です。




