耕起祭の変
二妃と二皇子と、三皇子の顛末駆け足風味。
王
それが蘇という国の最高権力者だ。
その王には寵愛する妃がいる。
二妃、炎から来たので炎二妃と呼ばれている。
蘇王の好みはふくよかな女性のようで、各国から嫁いできた妃以外に貴族たちから差し出された愛妾たちはだいたいがふくよかな女性だった。
そのなかで、ふくよかというだけでなく王の機嫌を取るのが上手だったのが、炎二妃だった。
炎王の娘ではあるが他国から嫁いできた公主の娘というわけではなく、炎の貴族の娘で、蘇王に輿入れする娘のひとりに選ばれたことで、一族の大きな期待を一身に背負っていた。子供を炎王にはできなかったが蘇王にはできるかもしれない、蘇王と縁戚になれれば、炎の貴族たちのなかでも頭一つ抜きんでた一族になれるだろうというわけだ。
段達と芳児が、臥渓と芳俊として顔を合わせる二週間ほど前、その二妃は息子を眺めながら、息子の癇癪の原因に苛立っていた。
「范延はまだ地龍の公主を見つけられないの? 苹州に行ってもう一か月になるかしら」
「あの間抜け、天公廟に十二歳の女児を集めて並べでもすればよいと言ったら、本当に十二歳の女児を集めるだけで終わらせようという! 各州を虱潰しに回ればよいものを!」
二皇子蘭俊の癇癪はやる気のない范延に向けられている。
「宜州に行った詢欧は娘が見つからないまでも片っ端から邑を回っているというのに、范延、ダラダラとやる気のない男め! 文を寄越したと思ったら、苹州は頴州よりも羽振りがいいと寄越す! 私が煕俊に劣るとでも言うのか!」
苛々と部屋を行ったり来たりする蘭俊を眺めて、二妃は「大丈夫よ、王は私たちの見方です」と笑った。
蘭俊は母を振り返る。
「しかし母上、ただでさえ頴州は他の州との交易が少なく、父上にも苦言を呈されておるのです」
泣きそうな息子は人間でいえばだいたい四十代、泣いてわがままを言ったところで「可愛い」と許される年齢ではない。
「煕俊殿がおらねば苹州だって勢いを失うでしょう。あるいは苹州をちょうだいしたほうがよいかしら」
「母上、妙案がおありですか」
一段高くなった場所に設けられた椅子に座る二妃の膝に這うようににじり寄って縋りつき、蘭俊は期待の目を母に向けた。
「煕俊殿がおらねばよいのですから、そうね、どうにかしましょうね」
二妃は微笑んだ。
手元の銀器に盛られた、生国から贈られてくるオアシス産の果物の数々の下に置かれた手紙に爪紅を塗った指を伸ばせば、炎の祖父たちからの無数の催促が目に入る。
どこでどう知ったものか、蘇に地龍の公主がいると言い、その公主を息子に与えることができれば太子の座はまず間違いないだろうという手紙の束だ。
「煕俊殿が次においでになるのは、どの宴だったかしら」
二妃が侍女に問えば、侍女が「耕起祭でございます」と侍女が答える。
ふっくらとした頬にえくぼを浮かべ、二妃は「そうね煕俊殿には最後の耕起祭でしっかりと目立っていただきましょ」と言いながら紅で赤くつやを付けた唇に、摘まんだ葡萄を運んだ。
「なにがよいかしらね、毒はありきたりかしら? なにか不手際を糾弾することができればよいのだけれど」
二妃の呟きに、侍女が頭を下げる。
「祭典で使う牛は三殿下が苹州から連れて来たものをご用意なさると聞いております」
「あらそれは、さぞかし頑丈でご立派な牛でしょうね」
指を飾る指輪を眺めながら、二妃は「耕起祭は」と呟く。
「地公に繁殖を祈る祭祀だわね。そこで使われる牛が畑を汚したら、地公も煕俊殿の無礼にご機嫌を損ねるのではないかしら」
蘭俊は「ああ」と何度も頷いた。
「煕俊の牛が大役を果たせばよいということですね」
二妃は息子をちらりと見る。
「そうね、大役を果たしてくれないと」
*** *** *** *** ***
耕起祭は、体裁こそ苹州の豊穣祈念の祭祀とは違っているが、秋の豊穣を祈り、春、天公が畑を耕しはじめ土にしっかりとした種を埋めることを地公に知らせる儀式で、その土を掘り起こす鋤を各地から献上された牛のなかで、特に立派な牛が牽く。
耕起祭の朝、苹州公を任じられている三皇子煕俊は、父が祭祀で使う牛を確かめた。
その牛が、畑の途中で泡を吹いて倒れ、死んだ。
煕俊は父に向って冤罪を訴えることはしなかった。
牛が泡を吹いて死んだだけで、牛の管理をした者が悪かったのだと訴えることはできない。それをすれば牛の世話をした厩舎の者が罪に問われることになる。
それは、煕俊にとって不本意なことだった。
だからこそ、煕俊の管理不行き届きを糾弾する二妃の行為に対して何も言い返すことなく、王に対する不敬罪を犯したり謀反を企てたりした政治犯を捕らえるための特別な牢、天牢に入ることも拒否することはなかった。
その煕俊にとっても、牢に入れられて一週間も経たないうちに、二妃の要求を受け入れた父から毒酒が出されてくることは想像の外だった。
「これは想像していなかった」
祭祀につかう牛が倒れて死んだというだけで、自分が死ぬのだ。
気を落とす煕俊を、連日その処遇に憤慨する大臣たちが天牢の煕俊の元を訪れては「助命嘆願を試みている」という話をして帰って行ったが、煕俊の元に出されたのは毒酒だった。
見舞いに来た司空の比河は煕俊の前に出された毒酒を見て顔をしかめ、人払いをした。
「二妃はずいぶんと焦っている様子」
「蘭俊を太子にしたいのだろう」
「それにしても、最初が煕俊様になるとは思いませんでした」
煕俊は笑った。
「孫がいま豊穣祈念の祭祀を見るのだと言って苹州に行っておりまして、戻ったときに煕俊様に会いたがるだろうと思うと、それまではどうにか時間を稼ぎたかったのですが、叶わず」
「孫と言って、苹州まで祭祀を見に行こうと言い出すのは比轍だな。私は比轍が帰るまで生き延びられれば御の字だったか」
「もちろん、天牢から釈放されるのが一番ではございますが、比轍は史書や物語を好むだけ、建築土木ばかりが取り柄の一族のなかでは、抜け目のない妙な策を思い付くことのできる子です。孫に甘いと言われても仕方ありませんが」
そう笑いながら、比河は声を落とした。
「地公を降ろすと聞いて、地公廟に行くと言って出ましたもので」
煕俊は比河を見て顔をしかめた。
「天龍の身で、地公廟には入れまい」
「人間の器を得たのですよ」
「それは戸部が許さない。地龍が人の器を使うのは許されるが、天龍が人の器を使うのは央原君の矩に反する」
「作ったのは芳俊殿下です」
煕俊は比河を見た。
「比轍はよくそんな抜け穴を見つけたものだな。まだ命譜のない、地公に認知されていない州を人が住める場所にするために許される器だ」
「申し上げましたでしょう。うちの孫は抜け目ない」
「そのようだ。だがそれを私に伝えてなんとする」
煕俊はまた比河を見、それから自分の手元にある毒酒に目を落とした。
「孫は芳俊殿下と一緒に苹州に入っております」
比河の言葉に煕俊が目をあげ、小さく「そうか」と笑った。
「二妃と蘭俊殿は苹州を欲しがるだろうが、いま苹州に芳俊殿がいるなら、私がいなくなったときには苹州の統治権が芳俊殿に移る」
「お助けしたいのは本心ですが、それができずともまず苹州の統治についてはご安心いただけるのではないでしょうか」
煕俊は頷いた。
「安心した」
煕俊が絶命した二日後までに、煕俊の助命嘆願を王に上奏した大臣たちは軒並み天牢に入れられ、彼らと関係のある者たちは天龍としての力を剥奪された。
*** *** *** *** ***
「どういうことだ!」
蘭俊は取り乱し、地団駄を踏んで目をギョロつかせる。
「煕俊はいなくなったはずではないのか! なぜ苹州の統治権が空かない!」
二妃は息子を眺めて顔をしかめる。
「おかしな話だことね」
「空位になった苹州の統治権を父上から私が譲り受け、交易利権を領袖の者たちに与えるはずだった! グダグダと時間をかけて帰ってこない范延がなにをしているかも、苹州の統治権が手に入ればわかるはずであったというのに! なぜだ! なぜ空位にならんのだ!」
蘭俊が八つ当たりで蹴り倒した花瓶が転がって床に水を散らした。
「なにがなんでも、苹州をまず奪い取る、そこに誰がいようとも排除してやる」
蘭俊の血走った目を見て、二妃は「母もおりますからね」と不気味な笑みを浮かべた。




