天使の晩餐(100g)
あらかた事情を話し終えると、またもや店主がメソメソしていた。両手でしっかり顔を覆っている。メレンゲメンタルにはちと刺激が強すぎたようだ。
「ね? 面白くなかったでしょう?」
「面白いぐらいドン引きですよ! なんでそんなヘラヘラしていられるんですか!?」
「もういい加減慣れました。まぁ、兵糧攻めだけは流石に堪えるんですけどね」
おかげでいらぬ恥をかいた上に、雪華に口裏を合わせてもらわねばならなくなった。ストーカー許すまじ。
「クラスメイトは許すんです?」
「誰が一番悪いかっていったら、やっぱりストーカーですからね。巻き込まれてる人たちを責められないでしょう」
「いやいやいやいや、フツーはそんな簡単に許せませんて。心広すぎでしょマジで」
別に心が広いわけではないのだが。あと、オシャカフェの店長が『マジで』とか使わないでほしい、マジで。
「基本、薄情なんだと思います。映画でもよくあるじゃないですか。『絶対泣ける』とか『感動の嵐!』って言われるような奴。あー言うのを見てもちっとも泣けないんです」
悲しいシーンはちゃんと悲しいし、感動的な映画を見たら心が動く。
でもそれが涙腺にまで及ばないのだ。節水精神の行き届いた肉体である。
どうしても千咲を泣かせたいのならバッドステータス:腹ペコにするしかないが、万が一そんなことをすれば、よりおぞましいものを見るであろう。
そして今まさに、非常にレアな涙腺解放が迫っていた。
時計を見る。現在18時7分、蜜葉がキッチンに凸ってからおよそ15分が経過している。
飴玉一つでよく持った方だ。もう少しかかるようなら一度外に出て、そこらへんで道草を物理的に食った方がいいかもしれない。
しかしそれは杞憂であった。厨房から成し遂げた顔つきの蜜葉が出てきて、大声で主を呼ばわったのだ。
「カエデ! 出来た! 運んで!」
楓は「ヤレヤレ、ようやくお仕事ですか」と小物な大物感をだしてカウンターへ向かい、蜜葉にむこうずねを蹴られていた。また少し涙目になった。
◆
待ちに待ったメニューはオムレツである。セットでハーブティーがついてきた。柑橘系の香りからして、レモンバームだと察する。ストレスまみれの千咲にはありがたいチョイスだ。
そしてオムレツの方は、かなり珍しい代物だった。黄色いふわとろの奴ではなく、パッと見はパンケーキに近い。ソースの入った小鉢を並べながら、楓が解説してくれた。
「スフレリーヌ。フランスの世界遺産、モン・サン・ミシェルの名物料理です」
そこだけを切り取れば完璧な給仕だが、いかんせん工程を知っているだけにフクザツな気分だ。
気を取り直して供されたオムレツを見る。やっぱりでかい。蜜葉の頭ぐらいあるんじゃないかというボリュームだ。千咲の見立てでは300g、餓え切った狼を満足させるに十分な質量である。
これは多少時間がかかるのもうなずける。すでに匂いだけで多幸感が沸き上がり、唾液が洪水を起こしていた。早急に食べて口の中に箱舟を作らねば、あっけなく溺れてしまいそうだ。
一仕事終えた蜜葉は千咲の隣に腰掛け、生絞りのオレンジジュースをくぴくぴ飲っている。目が合うとにぱっと笑った。
「さめないうちに召し上がれ!」
「うん。いただきます」
両手を合わせてから食器を手に取り、一刀入魂──ナイフもフォークもあっけないほど簡単に刺さる。
かと言って豆腐のように崩れることもない。まさにスフレの感触だった。
期待と緊張を綯交ぜにしながら、最初の一口をほおばってみる。
「おほぉ……!」
ある意味でJKっぽい、秘境のサルみたいな声が出た。そのぐらい衝撃的だった。口の中に運んだとたん、とろける様にしてほのかな塩気とうまみが広がる。官能的な寒気が脊椎をのぼり、脳の中心でガツンとはじける。待ちに待った滋味の到来に、全細胞が喜びの悲鳴を上げた。
降参、降参である。一手頓死とはこの事か。だがすぐに折れては腹ペコの名折れ、まだプレーンを食しただけである。
真にシェフのワザマエを図ろうというのなら、卓上に広がるソースも併せて食さねばなるまい。
卓上には三つの小鉢が並んでいる。それぞれの中身はベーコンと野菜、キノコのクリーム、アサリとエビのノルマンディ風ソース。
一つとして出来合いのものはなく、楓の言う「徹底したこだわり」を強く感じさせる。
二口めは己の中の獣に従い、アサリとエビのソースを選ぶ。
これはワイン蒸しにしたアサリを生クリームのソースで絡めたものだ。
これだけでお茶碗五杯は行けちまいそうなやつにオムレツをぶち込み、口の中に放り込む。
「ぎょぎょう……!!」
千咲の中のさかなクンさんが叫んだ。あっさり味のオムレツスフレが、濃厚な海の恵みで武装したのだ。海老反るほどに、美味い。
それはさながら連合軍──空腹に屈した千咲を救うべく、起死回生で放たれたノルマンディ上陸作戦に他ならない。
指揮を執るのは天使じみたゴスロリシェフ、その深謀遠慮が瞬く間に千咲の飢えを駆逐していく。
瞬く間にソースを平らげてしまうと、続けざまに二つのソースに取り掛かる。どれもこれも革命的な美味さであり、千咲のパリはいともたやすく解放された。
気づけば卓上の皿はすべて平らげ、千咲は少しぬるくなったお茶のカップを両手で包む様にして持っていた。蜜葉が得意げに問いかける。
「どうだった?」
「すっっっっっごく美味しかった! もうそれ以外何も言えない!!」
「そうでしょうそうでしょう。この子は天才ですから」
何故か楓の方が得意げだ。コイツ何もしてねえのに。
千咲はそっちをガン無視し、蜜葉の両手をはっしと握る。天使は上目遣いに見つめ返す。
「元気出た? もう悲しくない?」
「うん、元気出たよ。また絶対食べにくるから、その時はよろしくね」
蜜葉と指切りをかわし、傍らに置かれたメニューを取る。次は倍、いや三倍は食べたい。やはりお高めなお品書きをつらつらと眺めていると、目当てのものに行き着いた。
「スフレリーヌ(オムレツ) 100g 10€」
1ユーロはおよそ130円、つまり今食べた量でおよそ4000円。千咲の口からはエクトプラズムがとめどなく溢れ続けた。
◆
エクトプラズムが在庫切れを起こすころには、19時近くになっていた。
いつも通り予備校に行っていればこれからが本番なのだが、そろそろ母も痺れを切らす頃だろう。
千咲はさっとカウンターをの上を噴き、いそいそと帰り支度を始める。
「おや、もうお帰りになりますか?」
「はい。母も心配してますし、久々に父とも暖かい夕飯でもたべようかと」
「やっぱりまだ食べるんですね……」
怯えたように楓が言った。成長期の少女をそんな暴食を見る目で見ないでいただきたい。
千咲は席を立ち、姿勢を正して楓と蜜葉に頭を下げた。望外の贅沢をさせていただいてしまったので、かなり恐縮してしまう。
「ご馳走様でした。いろいろ片付いたら、改めてお客として伺おうと思います。そんなに色々は頼めませんけど……」
「またいつでもいらして下さい。蜜葉も喜びますので」
「うぃ! お待ちしてます!」
可愛らしいお見送りに千咲は手を振り返し、店を出ようとしたところでふと気づいた。
「店長、ウエメセなアドバイスはやらなくていいんですか?」
「ああ、そういえば。貴女を見てるとそんなもん要らないようにも見えますが……そうですね」
楓は何事か少し考えると、雑貨コーナーからいくつかの商品を持ち出し、千咲の手へ押し付けた。
「これって……」
手渡された品を見て、千咲は目を丸くして楓と品物を交互に見た。パッと見、小ぶりの口紅にも見えるそれは、先ほども見た花でできた弾丸だ。
合計三つ。赤、黄色、薄紫。赤はおそらくホウセンカで、ほかはよくわからない。
「私が作ったオリジナルのお守りです、花言葉にちなんだご利益があるって設定です。これを肌身離さず身に着けてください」
よく見ると薬莢に細い穴が空いており、別売りのチェーンや組紐でネックレスやブレスレットに加工出来るようになっている。値札を見るとやっぱりこれまたお高い。
「いただけません! どうしてそんな施しばっかりするんですか!?」
「いやぁ多分売れないだろうなあと思って。在庫処分にご協力願えますか?」
ならなんで作ったんだ、というか開店早々やる事かそれ。
千咲はなんとか突き返そうとしたが、楓は両手を高く上げ、ヨガみたいなポーズで千咲の返却攻撃を阻んでいる。真似している蜜葉がかわいい。ならば、とばかりにそっちにパスしようと思ったが、辣腕シェフはさっと身を引いてしまう。
「やっぱり受け取れません! ご馳走になった挙句こんなものまで! ちゃんと商売してください!」
「まぁまぁ。興味がある人も出てくるかもですし、訊かれたら当店を紹介していただければ十分。……あ、花言葉とかはグレカスでオナシャス。いちいち教えるのめんどいんで」
「癒しと憩いの提供はどうした」
「ロハの時はしません」
語尾にハートでも付きそうなほど甘ったるく言って、楓は最初にした挨拶と同じく、慇懃で優雅な一礼を千咲によこした。
問答はこれにて終わり、さっさと帰れと言う事らしい。その時再び携帯が鳴った。今度は父だ。実に間がいいというか悪いというか。
千咲はグギグギと歯ぎしりした挙句、本日何回目かの白旗を余儀なくされた。
◆
「Bonne nuit,お嬢さん。またのお越しをお待ちしております」
「おります!」
「必ず返しに来ますから! 覚えてなさいよ!」
千咲の魂の捨て台詞が、夕飯時の住宅街に響く。
楓と蜜葉はにこやかにお客の姿を見送っていたが、やがて千咲のちんくしゃな背中が見えなくなると、まったく同時に笑顔を消した。
「ヤレヤレ。帰国して早々ビンゴっぽいですね。蜜葉の見立てはどうですか?」
「……いるよ。たくさん、たぁくさん撃たれてる」
蜜葉は茫洋とした声で答え、恐ろしいほどに透徹した目で千咲の去った方角を見つめている。
たっぷり一分ほどそうしたのち、蜜葉は楓を仰ぎ見る。
「カエデ、どうするの?」
「準備だけは怠らず、しばらくは様子見です。Si vis pacem, para bellum──汝平和を望まば、戦争に備えよってね」
そう答える楓の笑みは、先ほどのオシャカフェのダメ店長のものではなく、死神じみた凄愴な物だった。




