気持ち
取り敢えず、寒いです。夕方になると冷え込みがかなり進むから、そろそろ解放してほしい。微動だにしない彼は、恐らく私の痣で動揺しているのだ。
よりによってあの日に怪我をした、それが問題だった。
あの日は、遠くから明智くんが駆けつけ、愛梨ちゃんに車で一緒に帰ろうと誘われた日だった。もう少し一緒にいれば、もう少し引き止めていれば何も起きなかったのでは? と後悔させているのが心苦しい。
「中に入る? 外は寒いし暗くなってきたから」
後ろから抱きしめ続ける明智くんに声を掛けてみた。
そろそろ両親も戻るだろうし、こんな場面を見られたら誤解されてしまう。近所の人に見られるのもちょっと……。
「では少しだけ」
彼が拘束していた腕を外してくれたので、息を吸うのが楽になる。
前よりか手加減をしてくれているが、やはり力が強い。私じゃなくて愛梨ちゃんや遥ちゃんだったら骨が折れちゃうんじゃないかな。これは少し注意しておいた方がいいかも。
「どうぞ」
玄関のドアを開くと、少し立ち止まった。
どうしたのかな? 声を掛けようとしたら、中に入った。家族の靴は出しっぱなしにしていないし、脱ぎにくいスペースでもなかろうに。
明智くんが靴を脱いでいる横を通り抜け、居間へ案内する。まぁ、案内といっても以前来たことがあるから知ってるか。
「えっと、煎茶でいいかな」
「なんでもいい」
「さっきまで愛梨ちゃんが居たんだよ。会えなくて残念だね」
そうだ、愛梨ちゃんが残していった生ジュースはどうだろうか? でも外が寒かったからやっぱし温かいお茶が良いかな?
台所で悩んでいると、驚く。
「わ」
「どうした?」
「いや、なんでも……」
台所がとても綺麗に磨かれている。汚れの隙がないぞ?一体何が起こった!? ってここにいた人は一人しかない。
「ひゃぁあ、プロはすごいなぁ」
「どうした?」
今度は訊ねるだけじゃなく側に来た。
そうだよね、こんな言い方されたら気になるよね。だって凄いんですもん、口に出ますって。
「いやね、愛梨ちゃんの側にいる執事さん、藤間さんがここを使ってたんだけど、綺麗に掃除してくれたみたいで」
ちょっと台所を貸しただけで、ここまで掃除してくれるなんて、逆に申し訳ないぞ。
「良かったな」
「まぁ、そうなんだけどね」
明智くんの感動が薄いのは、before afterのビフォーを知らないからだ。
だからしょうがない。後でお母さんとこの感動を分かち合おう。勝手に触られたからって嫌がらないでね? お母さん。
でも執事さんってすごい職業。私には無理そうだ。というか、藤間さんがすごいのかな?
「これが作ったクッキーか?」
テーブルの上に置きっ放しのお菓子を明智くんが見ている。
作ったかと聞いてくるあたり、愛梨ちゃんからの情報なんだろう。仲がいいね、君ら。その輪に私も入れて欲しいよ。高校生になって携帯を持ったら、入れてくれるかな?
「四角の市松模様を愛梨ちゃんが切ったんだよ」
「そうか」
やかんに火を掛けて、私もテーブルに近づく。
するとなんという事でしょう、四角のクッキーが見当たりません。あと数枚はあったと思うんですが?
カップに詰めた4枚中2枚とワックスペーパーに詰めた6枚中3枚は残ってそう。……もしかして、藤間さんが持ち帰ったのかな。愛梨ちゃんのおばあちゃんへは包装したし、それ以外は他の執事さんへ配るためだったりして。執事の近藤さんなら喜びそうだもんね。いつも彼女を可愛がってたから。
「でもごめんね、これココア入りなんだ。他に茶菓子が無かったかな? 待ってて」
「いや、これでいい」
明智くんは丸い渦巻き模様のクッキーを掴むと、口の中に入れた。
「ちょ、大丈夫なの? 今お茶を……って沸いてないから水を持ってくるね!」
慌てて台所へ行くと、コップに水を注ぐ。
「別にココアが苦手なわけじゃない」
「え? そうなの」
水を渡そうとしたけど、平気な顔でクッキーを食べている。
「手作りが駄目なだけだ」
「それ、既製品じゃないよ?」
「俺に向けられて作られたものじゃない」
「そうだね、息抜きで作ったものだから」
やかんが沸騰したので、また台所へ移動した。
俺に向けられた? もしかして彼は過去に危険な手作り製品でも食べさせられたのかもしれない。恐ろしい手作り品と言えば、髪の毛や血や爪を入れて食べさせたりするという。
恋のおまじないとはいえ自分でも食べられるものにしないと嫌だよね。相手の髪を入れて食べても平気だ! な人は、ちょっとアレだけど。
そういえば髪を食べてしまう癖を持った人が大人になった時、胃の中に溜まっていた大量の髪に苦しめられたってニュースを見たような。
急須に煎茶を入れてそのままお湯を入れる。本で煎茶の正式な入れ方が載っていたけど、素人なので勘弁してもらおう。
やりたい人だけすればいいよ、私はこのままでも平気なので気にしない。
「……」
そうだよね、こだわりたい人はこだわりたい人で。趣味は人それぞれ、なので同じ趣向の人なら髪の毛入りでもいいのかもしれない。健康に害さない程度で、世の中に迷惑さえ掛けなければだけど。
お茶を湯飲みに入れてテーブルに置く。
「超適当に入れたお茶だから、味は二の次で温まってね」
「ありがとう」
私もクッキーを食べようと見るも、かなり減っていた。
「……もしかして、お腹空いてた?」
「いや、別に」
そういいながらも、また1つクッキーを掴む。
「そ、そう?」
「久しぶりに甘い物を食べた」
「あ、はは。口に合ったならいいんだけどね」
「美味しいと思う」
うーん、『と思う』は余計です。
もし彼女が出来たら、そこらへん注意をしてあげよう。
んん? 何か引っ掛かったぞ……そうだ、遥ちゃんの作ったお菓子。あれは明智くん宛じゃなかった。なぜ口に入れなかったんだ?
「遥ちゃんの作ったお菓子……」
「なんだ?」
「いや、別に」
ココアが平気でもチョコが駄目だったのかもしれない。最初に遥ちゃんが用意したのはチョコだったし、バレンタインだから避けたのかも。別のお菓子でもたっぷりとチョコが入ってたからな。
お菓子の話題から帰国の話に切り替えよう。好きでもない話題は避けてあげないとね。
「こんなに早く帰国するなんてビックリしたよ」
「俺も驚いている。思ったより早く手続きの書類が回ったらしい。先週電話したのはその件を話そうとしたから」
あれ? なら『気になっている人』の選択は関係ないのかな? 要に話したのは最近だから日付が合わない。
「なんだか先週来て帰ってと勿体無かったね。だってすぐ日本に戻るんだから」
「別に大した事じゃない」
いや、私にしたら大事ですよ。一体どのくらいの時間とお金を無駄に掛けさせてしまったのか、それを考えただけで申し訳ない。
明智くんはお茶を一気に流し込むと、ふぅと息を漏らす。一息つけたかな?
「その怪我、階段じゃないな」
いきなり断定で質問? 来ました。
こちらを向いていないので驚く。いつも突然すぎて怖いです。
「やだなぁ、階段だよ」
「どこのだ」
「え」
「どこの階段で落ちた」
「それは、ですね」
彼は椅子に座っていなかったので、近寄られると威圧感がハンパない。
「そんな怪我が出来る階段はどこだ」
登下校一緒だったし、階段のある場所なんて限られてる。……誤魔化しが難しい。
「その階段は……」
冥加さん詰めが甘かったです。どうやらどんな言い訳をしても逃げる道が見つかりません。いや、冥加さんが事件にならないよう考えてくれた案だ。人の所為になんかせずに自分も頑張らねば!
「ほら、海岸の浜辺に降りる階段だよ」
明るく答えるも、彼の不穏な空気は和まない。
「下は砂地だ。アスファルトでないとそんな削るような傷は出来ない」
顎を掴まれ、少し顔を横へ向けられた。
痣をジッと観察されると、ますます逃げられそうにない雰囲気。お願い、あんまり見ないで。
「細かな石とかあるじゃない」
「違う。それにもっと傷があるんじゃないのか」
「階段の一番上から落ちたんだ、ほら……池田屋事件の階段落ちみたいな?」
「ならば全身に傷があるはずだ。見せれるか?」
「いいっ?」
「見せられるはずが無い。恐らく片側しか怪我していないからな」
証拠があっても見せられませんて! そんなツッコミしたいけど、怖くて俯くしか出来ない。弱いな、私。
「すみません、油断してました」
素直に謝ると、抱きしめられました。驚かないのは、慣れてしまったからかも。
「いいや。事件が起きる可能性があったのに気が付かなかった俺も悪い」
「それは違うよ。自己管理が出来てなかったんだ。認識の甘さが招いた事故だよ」
顔を両手で掴まれ、少し上に向けられる。
優しく傷を撫でられると、少しくすぐったかった。
「痛かっただろう。辛かっただろう」
「気にしないで。もう大丈夫だから」
背丈が大きい分、なんだかお父さんに慰められている気分だ。
「どうも何かがおかしい気がする」
「おかしいって何が?」
「まだはっきりとは話せない。俺も理解していないから」
私から離れると、ポケットから袋を取り出す。
「お土産」
「へ? あ、ありがとう」
何やら考えているようで、唸りながら残りのクッキーを食べ始める。なので、私はもう一度お湯を沸かした。そしてお茶を注いでいると、氷室くんゲームの話を思い出す。
「あの、宇留間さんと別所さんと私が攻略対象なんだよね」
「ん? 別所は違うぞ」
「え」
突然予想とは違う事を告げられて、戸惑う。別所さんは違うの?
「宇留間と伊賀崎は対象だが、別所は対象じゃない」
「もしかして愛梨ちゃん? 愛梨ちゃんは、違うよね?」
過去に悲しい思い出を持っている彼女が対象なら、全力を持って阻止したい。いっそ、身代わりが私になってもいいくらいに。
「ああ。頼元は違う」
「そっか」
愛梨ちゃんとよく連絡を取っているようなので、少し疑っていたんだ。違うのなら良かった。彼女は是非とも幸せになってほしいからね。
ホッとしたけど、別所さんが違うというのが気になった。
「あのさ、攻略対象の12人は痴漢や変態に遭いやすいんだよね」
「ああ」
「宇留間さんも遭っているの?」
「それは無いだろう。いつも回りに護衛がいるからな」
「そうなんだ。あと、宇留間さんから別の人に攻略対象が移るのかな」
「わからない」
「そうなの? だって誘拐された人が変わったから」
「宇留間は特別だから比較対象にはならない」
そうだよね、お嬢様だから難しいよね。
「伊賀崎の方が比較しやすい」
「そうなの?」
「まぁ、な」
「どこが? どこら辺が?」
明智くんは再度お茶を飲むと、クッキーの入ったカップを掴んだ。
「これ、貰ってもいいか?」
「うん、いいよ」
「では明日」
「ええ!?」
スタスタと玄関へ移動すると、靴を履き始めた。
「話の途中で酷いよ」
「もう遅い」
外は確かに薄暗く、玄関も電気をつけなければ見えにくい。
「それに」
「それに?」
「ご家族がいない状態で男を家に入れるのはよくない」
出た、説教! でも今更じゃないですか?
「だって外で話すの寒いじゃない」
「それでもだ」
「明智くんだし」
「例外を作るのは良くない」
厳しい、厳しいぞ! 明智くん。将来の君が娘を持ってしまったら、どんな厳しい躾けをするのか心配になってしまうほどの厳しさよ!?
「あと、玄関先で油断しすぎだ」
「それは……」
「俺だったから良かったものの、変態なら危なかったぞ。後ろから刺されたらどうするんだ」
「ご、ごめんなさい」
「以後、気をつけろ」
「はい」
「また、明日の朝」
それだけ伝えると、玄関を出て行く。
「見送りはするな。逆に両親が戻るまで鍵を掛けておけ」
「はい」
「戸締り忘れるなよ」
「はーい」
扉が閉まり、嵐が去ったな……と肩の凝りを解すように腕を回す。すると、玄関が開いた。お母さん達かな? と思いきや違った。
「早く玄関の鍵を閉めろ。油断は禁物だぞ」
開いた扉の隙間から、不機嫌な明智くんが! ちょっと怖いんですけど。
「は、はい!」
再び閉まる扉に鍵を掛ける。私を心配してくれるのは嬉しいけど、怖いぞ。鍵を閉めたかどうか確認しているようで、数回ドアの取っ手がガチャガチャと少し動く。覗き穴をそっと見ると、満足した明智くんが背を向けて帰っていく姿が見えた。
「きょ、教官と呼ぶべき?」
一先ず戸締りとカーテンを閉める事にした。
「帰ってきたんだ」
要が驚きもせずにカーペットに寝そべる。
「驚かないんだね」
「まぁ、クリスマスにデートに誘うくらいだから」
「デートって……ただのお出かけだよ」
あの後お母さん達が大荷物で帰ってきたけど、玄関の鍵に驚いてた。一応暗くなったから怖くて……と話したらお父さんはそれでいいと賛同してくれたけど、やっぱり大袈裟な気がする。
「いいなぁ、カーペット。俺も欲しいよ」
「へへ。来年受験勉強始まるから特別だって。でも呼び出して悪かったわね」
「近所に住んでるのに電話じゃ勿体無いよ。それに外は寒いし、窓で会話する内容じゃないし、カーペットが暖かいから」
クッションに乗っかる姿はまるで猫の様だ。
「あのさ、そろそろ明智くんにもゲームの話をしようかと思ってるんだけど」
「本気? 止めといた方がいいと思うぜ?」
「そうかな」
むしろお父さんに磨きがかかりそうな気がするけど。
「攻略対象者に喧嘩売りに行くぞ、絶対」
「まさか」
「明智は花音を守らなければ、とかなり思い込んでるんだろ?」
「うん。護衛を命じられた武士って感じ」
「何かあいつに引け目に感じさせる出来事でもあったのか?」
「うーん。そうだな……」
出会った時から思い出すも、そんな場面は思いつかない。
「無いなぁ」
「じゃあ恋愛感情絡まないと、おかしいよ」
恋愛? あの明智くんが? どちらかと言うと、そう、あれだ。
「親鳥」
「は?」
「雛を厳しく躾ける親鳥だ、それがしっくりくる」
後は氷室くんのゲームに係わっているから、見逃せないんだろうな。
「私がしっかりして、問題さえ片付ければ安心して見送ってくれるよ」
「そうか? 想像がつかない」
それにしても14歳にしっかりしていないと判断される私って、情けない。
「後はお父さん達に会いに来た時、自分の所為で私に怪我させたかもって」
「それだ」
「でも犯人に回し蹴りしただけで、私に当たってないよ」
「なら違うか」
「確かに犯人と一緒に倒れこんだけど、それは犯人が私の腕を掴んでたからで」
「やっぱりそれだ」
「それぐらいで私を守ろうと誓うの?」
「明智の身体能力は一緒に走ってれば、なんとなく想像つくよ」
私達が全力で走っても、彼は息を乱さない。彼の息を乱すほどの全力疾走がどのくらいか気になるくらいだ。
「明智が初めて力を振るった時、花音を巻き込んでしまったと引きずってるんじゃないか?」
「そう?……だから12人中、私を優先的に守ってるのか」
「12人?」
「ん?」
「何その人数」
えーっと、どう誤魔化そう。
「私のほかに弱そうな人たちがいて、その人よりも私を優先してるみたいなの」
「12人も気にしてんの!?」
「うん。たぶん」
言葉に嘘はない。本当の事だもん。
「なら、俺が明日話するよ」
「何を?」
「俺が花音の側にいるから、明智には11人の方へ行ってもらおう」
「いや、それもちょっと」
「明智が離れるのは嫌?」
「要が色々と諦めるのが嫌」
「またそれ?」
堂々巡りだよと彼がふてくされる。
「一先ずは自己管理に気をつけて、星雲高校に入ることだけに集中する」
「勉強ばっかりは手伝えないからな。逆に俺が受験の時は助けてね」
「受かれば、ね。もしかしたら違う学校へ通う事になるかもしれないんだから」
「ゲーム関係無くなるね」
「だってもう新設校じゃないんだもの。入れるかどうか分からないわ」
「いっその事、ゲームの記憶が無ければ良かったのにな」
「どうだろう。私としては美味しいと思うけど」
「どこら辺が?」
「読めなかった本がたくさん読めるし、ラブコメが目の前で堪能できる」
「受験頑張れよ」
呆れたようで、投げやりに応援された。
「もち」
そして要はクッションを抱きしめながら起き上がると、神妙な顔になる。
「明智にゲームの話をする時は、まずは俺に確認してからにしてよ」
「なんで?」
「それまでに明智を見極めるからさ」
「見極めるって」
「花音の事が本当に好きなのか、友人なのか、娘なのか」
「娘だよ」
きっぱりと答える。
「いや、花音の主観じゃ信用なら無いね」
「おいおい」
「花音が前世で男ならいざ知らず、女だったんだろ?」
「まぁね」
「なら男の気持ちが分かるはずがない」
「やだなぁ、ははは」
私が笑ったので、ムッとされた。だって、そんなの私には関係ないもの。
「ごめんごめん。でも考えてよ、私の過ごした年数って合計50年以上よ?」
「え? 50歳?」
「そう!」
少し盛ったけど、いいよね。
「好きとか嫌いとか、遠いお話過ぎて身近に考えられない」
「……ふぅん」
「本質はおばちゃんだから、優しくしてね」
「見えないよ、そんな」
「あら、ありがとう」
年上っぽく笑ってみたけど、目を逸らされた。
振り回してゴメンね、要。




