新しいノート
朝。玄関を出ると、いつもいた場所に彼がいました。
「……おはよう、明智くん」
「おはよう」
昨日は要と2人でジョギングをしていたのに、なんだか不思議。ほんの少し前まで3人一緒に走っていたのに。昔と違い彼の着ている服はウィンドブレーカー上下だし、あの時と身長も体格も違う、眼鏡を覆いかねない前髪が無かったら、別人だ。しっかし、何を食べたらこんなに大きくなれるんでしょうかね。
「おっはよう!」
要が元気よく出てきた。
一応昨日、明智くんの帰還報告をしておいたので、驚く事無く挨拶を交わしている。平然と振舞う要くん、驚かなかったんだから教えてあげた私に感謝してもらおうか。
両手を挙げて伸びをしていると、明智くんが目の前に来た。また何か言いたいことでもあるんだろうか? ……何か失態したっけ。
「伊賀崎は走って大丈夫なのか?」
「え? なんで?」
「足」
私の膝の傷を見ての発言のよう。しまったなぁ、いつものハーフパンツでなくジャージ上下を来てくれば良かった。見た目転んだ擦り傷なので、気にしないでほしい。
「もう平気だよ」
「痛みは無いのか?」
本当はお腹の火傷の方が痛い。お風呂に入る度、沁みるから辛い。実際、大きな動きをすると、傷がちょっとぴりぴりする事も……。早く完治したい。
「昨日からジョギングしてるし大丈夫」
「……分かった」
笑顔で伝えると、納得してくれた。
「今日は伊賀崎に合わせて走る」
「ストップ!」
私の横に並ぼうとする彼に、要がストップを掛ける。どうした? 何か問題か?
「今日はさ、花音遠慮してもらえる?」
「え」
最近走らない事が多かったので、出来れば走っておきたいんですけど。継続は力なりっていうし、足が鈍ったらどうしてる。
不満そうな目で要を伺えば、真っ直ぐ見返された。
「ちょっと明智と走ってくるからさ」
「え? 明智くんと?」
「そう。男二人で」
もしかして勝負したいの? それは勇者だな。でも男同士だけでだなんて、私も入れてほしい。ハブらないでほしいな。
今日もジョギングでなくて、走りたいので全力は好都合だ。
「私も走りたいな」
ボソッと希望を伝えると、要が渋い顔になる。これは足手まといと思ってるんだろう。……もう男女差が出てるかもしれないけど、ご一緒したい。
「だったら、行きだけ全力で走ってもいい? 向こうで待ってるから、花音はゆっくり走って来なよ」
「えー……、でも私も頑張って」
「待て」
要が妥協案を出してくれたけど、ストップが掛かる。もちろん、明智くんが。
「それは駄目だ」
「ほんの少しくらいいいだろ」
「駄目だ。伊賀崎を一人にできない」
明智くんが凄む。要は氷室くんのゲームを知らないから……私を1人に出来ない理由を求められても答えられないので、今日は大人しくしておこう。
「わかった。今日は家でストレッチでもしてる」
「伊賀崎、いいのか?」
「うん。男の勝負に口出しは駄目だもんね」
「そうか……」
引き下がると、すぐに明智くんが私を家へ追い立てた。
「ではすぐに家に入れ」
「え」
「今すぐに」
「はーい」
家に入るまで、彼は走りに行かないだろう。やっぱり鍵も掛けないと駄目ですかね? 今日は家族が揃ってるからいいかな? 扉を開けて振り返りつつ要を見ると、どうも勝負したそう。要は明智くんの全力疾走に挑みたいんだ。私も参加したかったぞ。
「あ、花音」
「なに?」
要に呼ばれて、やっぱり一緒に走ってくれるのかと喜んでみれば、ビシッと注意された。
「後から追いかけるのは駄目だからな」
「……わかってまーす」
笑顔で見送りながらも、その手があったか! と思ってたら、ぐいっと明智くんが顔を近づけてくる。
「伊賀崎。電話でした約束、忘れるな」
「え」
電話でした約束? 約束、約束……なんかあったっけ? しきりに思い出そうと頑張っていると、明智くんがボソッとヒントをくれた。
「代行だ」
そしてすぐに顔を背けて、眼鏡を抑える。
「代行……代行……」
言葉を反芻して思い出した。
「約束って、あの時話した?」
「そうだ」
氷室くんのゲームで起こる事件を、明智くんが代行で一気に片付けるってやつですか?
「ちょっと、それって明智くんが日本に戻るまでの約束じゃなかったっけ」
「俺が伊賀崎から離れている時の約束だ」
「なっ!」
「伊賀崎次第だ。伊賀崎の意思で、決めてくれ」
それは一体どういう意味なんでしょうか? 理解できません。確かに事件を全てこなせば、氷室くんのゲームは詰むかもしれないけど、それって表ざたにするの? それだと、明智くんが犯罪者になってしまう。
「ちょっと条件や疑問点について話し合いたいんですけど」
根本がおかしい。それに事件解決の為に襲ってOKってどんな人だ。悲しい茶番にしかならない。というより、なぜそういう事が私の意思なんだ! 何か変だし、ほんとよく考えようよ。
「それは戻ってから話そう」
私と目を合わせないまま、彼は要の所へ戻った。それにしても明智くんに襲われるなんて、なんとなく死に直結するイメージなので、話し合いは頑張らねば。彼を納得させる為にも、多少の妥協を提案しよう
考え込んでいると、視線を感じたので顔を向けたら要と目が合った。ひゃー、結構視線が痛いぞ。後で明智くんとなにを話したか根掘り葉掘り聞かれそうだな、あれは。
「では、合わせる。走ってくれ」
「……おう」
扉をゆっくり閉めながら見ていたけど、2人ともかなり早く走って行っちゃった。これからどんな走りを見せるんだろう? すごく気になる。それと、ちょっと2人だけにさせるのに不安もあったり……。そうだ! そんな時こそあの眼鏡があるじゃないか!
急いで自分の部屋に入り、江里口くんの眼鏡を持って玄関に戻る。さっそく掛けようとしたら、お父さんに声を掛けられた。
「花音、今日は大人しくストレッチをするんじゃなかったのか?」
「え……っと。やっぱり追いかけようかなって」
「止めときなさい。約束したんだろ? しかもなんだ、その眼鏡は」
約束した、という事は見てたんだ。……ちぇっ。
「えっと、これは…」
「もしかして変装か? それぐらいじゃ見抜かれるぞ」
笑いながら居間へ入っていく。
もう無理だ。大人しく眼鏡をケースに入れて、ポケットに隠す。まさか親に引き止められるなんて思わなかった。が、危なかった。もし眼鏡を掛けて、目の前で変身していたら魔法が消えるところだった。
「私ってタイミング悪いのかな……」
「花音、ちょっとこっちに来なさい」
「はーい」
唸っていると、お父さんに呼ばれたので居間へ移動する。
「なぁ、花音」
庭を見るように立っているので、お父さんの表情がわからない。
「なに?」
「花音は、その……」
「そうだ。おはよう、お父さん。んで、何?」
「あ、ああ、おはよう」
朝の挨拶は大事だよね。それにしてもなんだろう。……あ、もしかしてクッキーがなくなってたから、欲しかったとか。
「もしかして昨日愛梨ちゃんと作ったクッキーを食べたかった?」
「それもあるが、違うんだ」
「?」
手元に残っているのは、遥ちゃんへ渡そうと思っていた物しかない。どうしよう、お父さんへ譲るか……。でもバレンタインの時に試食をたくさんさせてもらったから、かなり遅くなったけどお返ししたい気持ちもある。今度冬休みにでも作るので、それで許してくれないかな。
「あの、な。その……聞きたいのは」
「お父さんは、花音に好きな人がいないか知りたいのよね」
お母さんが居間に入ってきた。もちろん馨も一緒だ。
「お母さん、おはよう」
「おはよう、花音」
お母さんが馨を床に降ろすとご機嫌に部屋をハイハイしてきた。もうミルクは飲んだのかな?
っと、私の好きな人の話だったっけ。
「なんで私の好きな人を知りたいの?」
「そ、それは」
お父さんを見るも、お母さんにセリフを奪われたらしく、なにやら口ごもっている。それを横目にお母さんがうふふと笑った。
「ほら、花音の周りには明智くんや要くんに、例のバイオリンの男の子がいるじゃない」
「まぁ、存在はするね」
嬉しそうですね、お母さん。もしや恋バナしたかったりします?
「お父さんは花音が誰か好きなのかと気になってるの。昨日ずっと話してたのよ」
「お、おい」
楽しげに話すお母さんに、お父さんは少し困った顔だ。なんだ、杞憂な心配事か。そんな心配事、まったく必要ないのに。
「好きな人って、私まだ中学生だよ?」
「じゃ誰とも付き合っていないのか?」
「付き合うって……」
お父さんが真剣に聞いてくるので、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「付き合うって、誰と?」
「誰って……それは、その……」
不安がるお父さんの気持ちが、少しも理解できない。
「私が誰かと付き合っているように見える?」
「だが、さっきの会話じゃ、どう聞いても要くんと明智くんが花音を取り合っているように思えたし」
もしかして心配して話を聞いていたのかな?
「取り合うって……ないない。ありえないし、そんな会話なかったよ」
「あら、有り得なくないわよ。花音は可愛いもの」
お母さん、それは親の欲目です。私の顔は可も無く不可も無く普通です。
「そうだ! それに明智くんの態度は、ちょっと彼氏っぽかったぞ」
「お父さん……」
アレが彼氏彼女の会話なら、問題ありですよ! 脅迫が混じってたんだよ?
「あら、そうなの? 私も聞きたかったわ。どんな会話をしていたの?」
「お母さん……」
興味津々なお母さんへ言えるはずも無いので、曖昧な笑いしか出来ない。きっと話したら斜め向こうな捉え方をして、楽しむぞ、絶対に。
「実は、花音を一人にできないとか、早く家に入れとか」
「もう花音ったらモテモテね」
いかん、ここに誤解が広がろうとしている! 阻止しなければ。
「違う、違うの。私がそそっかしいから過度に心配しているだけなの」
「えー、そうなの?」
「そう。1人で走らせるとまた怪我するんじゃないか、変な人について行くんじゃないかって心配しているのよ。まるで子供扱い」
「確かに怪我しているから、それは否定できないな」
「お父さん、私そんなに子供じゃないわ」
「すまんすまん」
安心したようで胸を撫で下ろすお父さんへ、私の中身がおばさんと言ったら、ショック受けるだろうな。
「とにかく! 明智くんって私が雛に見えるみたいで、親鳥みたく口煩く指導してくるのよ」
「どんな?」
「伊賀崎、無用心だ。伊賀崎、気をつけろ。って」
お父さんとお母さんが一緒に笑い出す。
「それは花音が悪いかもな」
「そうねぇ」
酷いな、昨日そんな彼を家に入れた事は黙っておこう。更にあらぬ誤解がおきては面倒だ。
「それにお父さん」
「なんだ?」
「中学生で付き合うって、私には向いていないと思うんだけど」
「そうか?」
「だって好きだの愛してるのだのは、時間とお金と気持ちの余裕がないと出来ないと思うんだ。それを考えればお金や余裕の無い中学生にはめちゃくちゃ難しい事かと」
これは常日頃思っている事だ。余裕が無ければ人に気を遣えない。
「花音は本ばかり読んでいるから、知識に偏りがあるな」
「いいえ、本音です」
そうですよね、子供がこんな事を言ったら、親はそう答えるだろうな。
「でもな、制服着て純粋に好きだ嫌いだ言えるのは学生のうちなんだぞ?」
「やだ、お父さん。そういうのは花音に言わないでください」
「付き合うのはまだ早いから容認は出来ないが、初恋くらいはした方がいいと」
まさか情緒面で心配されるとは。まぁ、気持ちは分かるけど、それは馨に期待してね。それにしても制服着て純粋にって、お父さん結構ロマンチスト?
「一先ず、要は弟だし、明智くんは父親ポジションだし、天ヶ瀬司に関してはテレビの中の人だから、好きになれって言うのは無理な話だよ」
本当に恋愛シミュレーションゲームなのか問いたいけど、私自身にそういう事が降りかかるのは遠慮したいので現状に満足している。
「お父さんは好きじゃないのか?」
「家族は別です。当たり前でしょ」
「そうだよな、うんうん」
お父さんは納得したようで、馨を捕まえると抱き上げた。弟は何かで遊んでいたみたいで、邪魔されたと泣き始める。
「よしよし、馨はいい子だ」
降ろしてあげようよ、おもちゃで遊びたいんだから。
私は少し笑うと自分の部屋に戻った。貴重品の眼鏡を隠さないとね。居間に置いといたら触られる可能性があるから、私以外が触って魔法の効力が消えたら大変、取り扱いに気をつけなければ。
「それにしても、好きな人ね」
前世併せて記憶の中にそんな人が居なかったとは言わない。でも、相手が高嶺の花すぎて遠すぎる人だった。私の事を好きになって欲しかったけど、本人を目の前にしたら緊張して変な事ばっかりしてたな……。ああっ、なんであんなことしちゃったんだろう! もう一度やり直せるなら、もっとスマートな対処をしたい。
「胸が苦しい。思い出さない方が良かった」
いつになっても恥かしい記憶は消し去りたいものだ。いや、相手の記憶から消え去りたい。本気で忘れ去って欲しいと思う。
部屋に入ると椅子に座って机に眼鏡ケースを置く。机の上にあるのは昨日のクッキーと、明智くんのお土産袋だ。袋の中身はスチームクリームで、可愛い花の缶に入っている。これをくれたのは、肌を気をつけろという事だろうか? そんなに肌荒れが酷いかねぇ。
「って、違うだろうな」
恐らくどっかで適当に選んだんだろう。今度は愛梨ちゃんの分も買ってきたかな? この前、忘れてたって言ってたから大丈夫だとは思うけど。
「……」
愛梨ちゃん。素直に表情を出せずにいつも固まっている女の子。普段から男性と距離を置いて怖がっている。過去を知っているからわかっているけど、彼女には例外がいる。それは明智くんだ。彼とは良く連絡を取り合ってる。明智くんも彼女を悪くは思っていないようだ。
「これって……」
ほんの少し思っただけなのに、私の中で何かが膨らみ始めた。悪い癖かもしれない、でも止められない癖。高揚感と焦燥感と衝動が折り重なって爆発しそう。
「きっとそうだ」
2人が一緒になると、素敵じゃない? そう思うと自然と口の端が上がってしまう。だって可憐なお嬢様とSPの様な万能彼氏。彼女の危険な時に駆けつけてくれるヒーロー。明智くんなら愛梨ちゃんを全力で守って助けてくれるだろう。なにせ究極の紳士だからね。
「あ、ヤバイ。ヤバイけど」
何とかしたくなってきた。いけない、プランとか考えてしまいそう。ゲーム以外のカップル作って大丈夫かな? 怒られないかな?
「ああ、愛梨ちゃんも幸せに出来そうなんてすごく嬉しい」
だって愛梨ちゃん、明智くんの事が嫌いじゃないよ。楽しそうに会話してるし、執事さんより緊張してなさそうだもん。まだ中学生じゃ心の整理が難しいと思うけど、これから花が綻ぶ様に少しずつ恋に目覚めていくとかありえるよね?
「うん、いける! 素敵」
明智くんもゲームのことばかり考えてないで、自分の事に目を向けるべきだよね。その点、愛梨ちゃんなら彼の庇護欲も満たせるしヒロインとしてOK。それにガラス細工の様な女の子は彼女こそ形容されるべきだ。
「でもこれも難易度高いな」
まずは愛梨ちゃんと明智くんのお互いの親密度を確認したいけど、ゲームと違いそんなものが見えたりしない。どんなイベントがあるかもわからない。どう進めたら良いかもわからない。リセットボタンなんて無いので、失敗は許されないから悩んでしまう。
バッドエンディングだけは絶対に避けたい。
「ふむ」
これは参謀の要くんに……は相談出来ない。ゲームのキャラじゃないから、どんな状態になるかわからないし、今はサッカーや勉強に集中してもらわないと。実際にゲームでも相談に乗ってくれていたのは高校からだ。これ以上彼の時間を極力奪わない方面で進めなければ。
でも明智くんと愛梨ちゃん、2人が一緒になれば私は離れないとお邪魔虫になる。寂しいけど仕方ない。高校生になったら色々動かなくてはいけないので、遠くから幸せな図でも堪能させてもらえたら、それだけで嬉しい。
「よっしゃ!」
やるべき事が見つかると、俄然意欲が燃えてくる。今出来る事は、彼女に自信を取り戻させること。そうすれば自然に気持ちが開くかもしれない。恋する彼女はもっと綺麗になっていくだろう。
明智くんには、いずれ愛梨ちゃんが心を閉ざして悲しそうに見える話を少しずつ流していくか。何かあると分かれば、支え始めるだろうし、助けに行くだろう。過去を教えるかどうかは愛梨ちゃんがすべき事だから、そこは黙ってないとね。
「それまでに、やっぱし体を鍛えるか」
期末試験が終わったら、加納お姉さまと会う約束をしているので、相談に乗ってもらおう。加納さんは手の形や体型を気にしていたけど、私の理想なので戦う方法をやっぱり教えて欲しい。強くなれば明智くんも安心して私より他の人を優先できるし、彼を助ける事だって出来るかもしれない。
「そうよ。負けてる暇なんかないんだから」
新しいノートを取り出すと、誰にも秘密のノート第二段を書き始めた。




