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中ボス悪役貴族に転生したので、予定通り王国を奪います ~悪役をやめると死ぬ誓約なので、征服という名目で人類を救います~  作者: Jint
第1部:心臓の契約

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第1話:手配書の朝

 目を開けた瞬間、俺は天蓋を見た。


 薄い絹を幾重にも垂らした天蓋だ。染みの浮いた事務所の天井でも、仮眠用の折り畳みベッドを囲うパーティションでもない。


 鼻を刺す消毒液の臭いもなかった。代わりに漂うのは薪と蜜蝋、それから乾いた薬草の香り。


 俺は息を吸い、吐いた。


 生きている。


 その事実に安堵するより先に違和感が押し寄せた。最後の記憶は豪雨災害の被災地だ。届いた支援物資を倉庫へ運び、仮設住宅の割り振り表を修正していた。胸が焼けるように痛み、机に手をついたところまでは覚えている。


 三十四歳。災害復興NPO勤務。休暇は三か月取っていなかった。


 救急車の音すら記憶にない。


「……ここは」


 喉から出たのは俺のものではない低い声だった。


 体を起こす。寝台の脇には磨かれた銀の姿見がある。そこに映った男を見て、今度こそ呼吸が止まった。


 黒髪。高い鼻梁。人を値踏みするような鋭い灰色の目。鍛えられた大柄な体と、黙っているだけで相手に罪を自白させそうな悪相。


 知っている。


 あまりにもよく知っている顔だった。


「ヴァイス・レーゲンハルト……?」


 鏡の男も同じ名前を口にした。


 寝間着の襟を開く。左胸の皮膚に黒い紋章が刻まれていた。茨に絡まれた王冠。その中心が鼓動に合わせて赤く明滅している。


 あり得ない。


 そう思って視線を逸らした先に、もっとあり得ないものがあった。


 壁に一枚の紙が留められている。王都の瓦版をわざわざ額装したらしい。紙面には王冠へ手を伸ばす黒衣の大男が描かれ、その下に大仰な活字が躍っていた。


『逆賊の疑い――東辺の簒奪公ヴァイス』


「疑いだけで簒奪公と呼ぶな。まだ何もしてないだろ」


 絵の俺は実物の三割増しで悪かった。角まで生えている。記事によれば、王都の社交界で王家への不満を隠さず、辺境に兵糧を蓄える危険人物だそうだ。


 ゲーム内の収集アイテム《王都瓦版・第六十七号》。ヴァイス初登場前に拾える小道具である。


 瓦版というより、似顔絵つきの手配書だ。俺を捕らえたところで賞金が出るとは書かれていないが、壁へ飾った人間も同じ感想だったのだろう。


 頭の奥で二つの記憶が噛み合った。


 前世で俺がやり込んだRPG『レガリア・オブ・ルーン』。周期的に大地を侵す災厄《蝕》を、勇者アルヴィンが仲間と鎮めて回る王道ファンタジーだ。


 そしてヴァイス・レーゲンハルトは、その中盤に立ちはだかる悪役だった。


 王座を狙って私兵を集め、王国東部で反乱を起こす辺境公。《簒奪公》の二つ名を持つ中ボス。魔人化した姿で勇者一行を苦しめた末、城の大広間で討ち取られる。


 プレイヤーだった俺は二十三回倒した。


「俺が俺を二十三回……いや、問題はそこじゃない」


 問題は敗北後だ。


 ヴァイスの反乱から三年後。いや、いまから三年後に討伐イベントが起きる。本人が死ぬだけでは済まない。レーゲンハルト家は逆賊の一族として連座処刑。領地は王家に没収される。


 それで終わりでもない。


 五年後、王国東端に《蝕》が発生する。


 レーゲンハルト領は黒い浸食に呑まれ、地図から消える。ゲームでは終盤の会話で一行触れられるだけだった。


『かつて豊かな穀倉地帯だった東辺も、いまは死土です』


 背景の説明にすぎない一文。だがその土地には人が住んでいる。


 俺がいま立っている。


 窓辺へ寄り、重い掛け金を外した。


 朝霧の向こうに灰色の城壁と赤い屋根の城下町が見える。さらに遠くには畑が続き、土煙を上げて荷馬車が街道を進んでいた。書き割りではない。車輪の軋みも、門番が交わす声も、パンを焼く煙の匂いも確かにある。


 寝台脇の呼び鈴へ手を伸ばしかけてやめた。この体の常識が記憶の底から浮かぶ。呼べば従僕が着替えから洗面まで世話をする。それを当然としていた男の記憶だ。


 同時に別の記憶も流れ込んだ。


 剣術。領内の地名。家臣たちの顔。父は病で伏せ、実務の大半をヴァイスが担っている。原作開始まで一年。王都では若き勇者アルヴィンが認定されたばかり。


 俺は完全な赤子として生まれ直したわけではない。二十五歳のヴァイスへ、三十四年分の俺が上書きされたらしい。元の人格がどこへ行ったのか考えると薄気味悪い。だが答えの出ない問いに沈んでいる暇はなかった。


 少なくとも記憶は消えていない。父を案じる気持ちも、リーゼが蜂蜜入りのパンを好むことも、知識ではなく懐かしさを伴って浮かんでくる。前世の俺とヴァイスは、境目を探せないほど深く混ざっていた。


 奪った体だと断じることも、以前から俺だったと言い切ることもできない。この問いには生き残ったあとで向き合う。三年後に首を落とされれば、答えを得る意味さえなくなる。


 机の引き出しを開けると、王都へ送る予定らしい書状が入っていた。文面は尊大で、国王の病状を気遣う一文すら反逆の脅しに読める。


 なるほど。手配書じみた瓦版が作られるだけの下地は十分にある。


「三年で勇者に殺される。切り抜けても五年で領地ごと消滅か」


 笑えない。なのに乾いた笑いが漏れた。


 前世でも制度の都合で支援からこぼれる人を山ほど見た。今度は俺自身と家族と領民が、物語の都合で切り捨てられる側らしい。


 寝室の扉が控えめに叩かれた。


「お兄さま、起きてる?」


 返事をする前に小さな顔が覗く。


 淡い金髪を背中まで垂らした少女だった。青い瞳が俺を見つけて明るくほどける。


「よかった。今日はちゃんと起きてる。朝食が冷めちゃうよ」


 リーゼ。


 ヴァイスの十二歳の妹。三年後には兄の反逆に関与していないと知りながら、見せしめのため処刑される少女。


 ゲームでは名前と一枚絵しかなかった。その絵には泣き腫らした顔で処刑台へ上がる姿が描かれていた。


 目の前のリーゼは笑っている。


 俺の袖をつまみ、急かすように二度引いた。


「今日のパン、蜂蜜が入ってるんだって。お兄さまが好きなやつ」

「……そうか」


 この手が三年後には縄で縛られる。


 そんな結末を受け入れられるはずがない。


「どうしたの? 胸が痛い?」

「いや。何でもない」


 俺は襟を戻し、紋章を隠した。


 食堂へ向かう廊下では使用人たちが壁際に並んで頭を下げた。誰も俺と目を合わせない。原作のヴァイスは苛烈な性格だったらしい。若い侍女など、俺が足を止めただけで肩を震わせた。


 食堂にも疲れた顔が多い。朝食を運ぶ手が遅れまいと皆がせわしなく動いている。給仕長の目の下には濃い隈があった。


 前世の嫌な記憶が蘇る。


 災害直後は誰もが休むことに罪悪感を抱く。だから上に立つ人間が止めなければならない。倒れてからでは遅い。俺の死因が証明している。


「皆、無理せず休むように。体を壊しては――」


 左胸が潰れた。


「ぐっ……!」


 見えない万力が心臓を挟み、一気に締め上げる。


 膝が床についた。息が吸えない。視界の端が黒く染まり、冷たい汗が背中を流れる。


「お兄さま!」


 リーゼが駆け寄る。使用人たちが凍りついた。


 何だ。毒か。病気か。


 違う。


 胸の紋章が焼けるように光っている。


 脳裏にゲームのフレーバーテキストが浮かんだ。設定資料集の片隅にあった一文。中ボスの戦闘形態を説明するだけだと思っていた文章。


『簒奪公は魔性の契約に縛られている。善を語れず、王冠を望むほかに生きる道を持たない』


 まさか。


 俺は胸を押さえたまま顔を上げた。


「休めと言ったのは……貴様らの働きが鈍れば俺の損だからだ。勝手に壊れることは許さん!」


 叫んだ途端、痛みが引いた。


 食堂に沈黙が落ちる。


 給仕長が恐る恐る頭を下げた。


「は、はい。閣下の財産として十分に休養いたします」


 違う。そうじゃない。


 そうじゃないんだが――どうやら俺の心臓は、悪役の言葉しか受けつけないらしい。


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