4. アイス
今日は一歩も外に出ていない。
昼を過ぎた時間に起き出して溜まった家事をなんとなくこなしながらシリアルで簡単な食事を済ませた。何気に点けたテレビでサッカーの試合に見はまってしまって、デリバリーで頼んだ昼食だか夕食だかわからない食事を済ませて、暮れていく空の色に気が付いた。
とりあえず外に出ようとボトムだけスウェットからデニムに着替えて玄関の鍵を締める。
なんとなく右隣のドアを見てしまった。
いや、別にあの男が居るか居ないかなんて、気にしてるわけではないけれど。
昼間の熱気をはらんだままの空気が肌にまとわりつくのを感じながら、大股で街路樹の横を歩いてみる。
一年付き合った彼女と分かれて三ヶ月、一人で過ごす休日にも慣れて来た頃のはずが、仕事の繁忙期でもあったために、休みの日も半日は職場に行ったり、仕事を持ち帰ったりで、ゆっくりと過ごす休日は久しぶりの感覚だ。
とりあえず入ったコンビニで雑誌コーナーの横を通り過ぎると、ふと視界の端に映った表紙が気になって立ち止まる。
「あ……えっ⁉ 」
思わず手に取った雑誌の表紙、見下ろすようにこちらを見る男には、確かに見覚えがあった。
驚きで開いた口に入ってくる空気を吸い込んでいたところに、楽しげな電子音と共に開いた自動ドアからその見覚えのあるはずの男がゆったりと入って来た。
「あっ!」
「おー」
まるで親しいみたいに右手を上げて歩み寄って来る。
この男は、ただの隣人のはずなのに。
「これって、アナタですよね」
「そう」
「知らなかった……」
「あ、そー」
「芸能人?」
あまりテレビを観ないし、ファッション誌を買ったのは学生の時くらいだ。
「んー、モデルだけ」
いつもと変わらぬ様子で俺の横を通り過ぎる……と思ったら。
「……何するんですか」
「いい尻だなぁと思って」
ぺろん、と手のひらで尻を撫で上げられて肩を跳ねさせてしまった。
「いいし……」
「何買い物してんの、エロ本?」
「違いますよ……」
手の中の雑誌の男にも見下ろされているのが癪に障って本棚に戻す。
笑った男は店の奥へと進んで、大きな手で牛乳を掴む。
そんな様子を見て、自分も何か買い物をしなければと店内を見渡す。
彼が表紙を飾る雑誌も気にはなるけれど、なんとなく本人の目の前で買う気にはなれない。じっとこちらを見て立っている隣人と目が合った。
「アイス買って」
「は……?」
自分よりも体格の良い男にたかられて戸惑う。十センチくらい違うだろうか、モデルと言われるとなるほどと思ってしまう。マンションのエレベーターや通路で見かけるよりも、こんな店に立っている彼は、なんだか浮世離れした造形美を体現していた。
「お礼、してくれるんだろ」
ぼんやりと捉えていた彼の全体像から、はっと意識を浮上させてその切れ長の瞳と視線を合わせた。
「なんで公園でアイス……」
「だって溶けるじゃん」
男二人で街灯が照らす夜の公園のベンチに並んでいる。彼が選んだソーダ味にバニラが包まれたアイスは、昔からある定番品だ。
「そっちの梨味ちょっとちょーだい」
「え? や、嫌ですよ」
つられて買ったコンビニ限定味のほうにかじりつく。
「意外とケチだな」
「いや、別に……あっ」
手首を掴まれて持っていたアイスバーに噛みつかれた。
「ちょっ、子供みたいな事……いくつですか」
「ニ六」
「年下⁉ 」
いくつだと聞かれてニ八と答えると、アイスにかじりつくのを止めて大きく見開いた両目でこちらを見た。
「……新卒かと思ってた」
「いくらなんでもそれはないでしょ……」
あの部屋に越して来たのは去年の春だから、その頃から新卒社会人だと思われたのだろうか。大学時代から住んでいたアパートから広い部屋に越したくて来た部屋が、彼の隣だった。
「あ」
「なに」
ずいっと整った顔を寄せられて身体を引こうとしたところで肩を掴まれる。
「な、なに……」
べろり、と熱くて大きな舌が唇の横を舐め上げた。
「……ちょっ……」
チュッ、とわざとらしいほど音をたてて唇を吸って離れた綺麗な顔が口元を上げている。
「……何して……」
「ついてたから、アイス」
「だからって!」
腕を払って立ち上がる。
「じゃ、白いの垂らして濡れてるエロい唇見られてるほうが良かった?」
「えろ……」
それ以上言葉が紡げずに砂を蹴って街灯が灯る公園の出口へと足を速めると、同じように砂を蹴る足音が着いてくる。
「着いて来ないで下さい!」
「家一緒だろ?」
「……!」
睨みつけようと振り返ったところでそう言われると、いよいよ言葉を失って口をはくはくと動かす。その様子が余程おかしかったようで、吹き出して笑う男に踵を返して砂を蹴る。
その音を追うように笑い声が響く夜空にはいくつもの星が灯った。




