変わってしまうプロローグ-1
・・・
始まりは唐突だった。予見どころか想像もしていなかった。
あまりに突然で、ある種、運命的だったともいえるかもしれない。
思いもよらないファンタジーの世界は、実はリアルのすぐ隣にあった。
常に、いつだって踏み越えてしまえるような境界線の先にあったのだと知ってしまった。
迂闊にも踏み越えてしまい、取り返しのつかないほど全てが変わったのだ。
どうせ、後戻りなどできやしない。考えても仕方がない。
大事なものを守るためには、もう進むしかなかったのだから。
・・・
できるだけ妹とは毎日、連絡を取るようにしている。
父は仕事で家を空けることが多く、自分も就職に伴い家を出ることになった。
だからこれから先、家にいるのは妹一人だけになるだろう。
妹も中学生だ。一人で留守番くらいはできる。
それでも、できるだけ妹が寂しい思いをしないようにと。
何かあった時のために、助けになれるようにと。
全ては、妹のためと思って始めたこと。
……しかし、本当にそうだったのだろうか?
単なる自己満足のような、義務感でやってただけなんじゃないのか?
学生から社会人へ。
生ぬるいモラトリアムを抜けた先は、控えめに言っても別世界だった。
覚えることがとにかく多く、信じられないくらいに忙しかった。
周りについていくのが精一杯で、余裕が無かった。
でもまぁ……、そんなのは言い訳だろう。
そんなこと、家族を蔑ろにしていい理由にはならないのだから。
(失敗したな……)
いつもの、仕事から帰宅後の電話。
何も考えずに返答していたことを見透かされたのか、妹の声が少し不機嫌だったように思えた。
何事もなかったかのように会話は切り上げられたが、もしかすると気を遣われたのかもしれない。
言葉にできないような自己嫌悪がじわりと広がり、胃が少しヒリつくような気持ち悪さと、ずっしりとした倦怠感がのしかかる。
自分の家にいるのに、なんだか身の置き所が無いような感覚。
……少し頭を冷やして反省しよう。
そう思い、コンビニにでも向かうとする。
(……。今度の休み、実家を覗きにでもいくか)
実家は隣町にある。そこまで離れていない。
仕事のために借りた今の家からは、電車で片道一時間と少し程度。
気軽に立ち寄るには少々遠いが、少し気合を入れれば休みの日に顔を出すくらいはできる。
そうだな、何か適当な手土産でも持ってご機嫌伺いにでも行こう。
明日にでも予定を聞いて、次の週末、お互いの都合が良ければ。
しかしどうだろうか、友達ができたという話もしていた気がする。
もしかしたら予定があってもおかしくないかもしれない。
そうだとしたら夕方にでも向かうか。どうせなら夕飯でも作ってやるか?
もし親父の帰宅が早ければ久々に食卓を囲むこともできるかもな。
そんなことを考えながら夜の街を歩く。
ボーッとしていたからか、気づいたらコンビニまでの道から少し外れていた。
まだ近所の地理には慣れていないにせよ、迷ってしまうなんて恥ずかしい。
やっぱり少し疲れてるみたいだな、と。
ため息をついて、振り返り、……そのまま足を踏み外した。
「な」
段差につまずいたわけじゃない。
ただ、さっきまであったはずの地面が無くなっていた。
抵抗の余地もなく、身体が倒れていく。
視界がスローモーションになり、視点の上下が入れ替わる。
身体を翻して、何かをつかもうと手を振り回し、むなしく落ちていく。
今まで踏みしめていた地面には闇が広がり、あっという間に地面の中に――
・・・
「……」
「……!」
「……、……?」
「……!」
……どこか、遠くから声が聞こえる。
かなりこもってるような、ぼやけててよく聞き取れない。
どこだろうか、ここは。
暗くて何も見えない。身体も動かず、酷く寒い。
いったい、何が……。
「……」
「……! ……!」
(っ……!!)
「……ああ、とんだ事故だなクソ」
「いー!」
「ああ? 反省しろ、テメーも下手したら廃棄だぞ」
「いー!?」
衝撃と、突然の激しい耳鳴り。
痛みは感じないが、強烈な吐き気がする。
しかし、そのおかげかはわからないが、声は少し聞き取れるようになった。
低い声と、甲高い声。
不思議と、低い方が少し小さくて濃く、甲高い方が少し大きくて薄く感じる。
声の大きさもそうだが、声の持ち主の大きさも、そのように。
何故だろうか。何も見えないというのに。
「あー、でもこれどうすっか」
「いー?」
「反応有りなら適性も有りそうだが、どのみち男だし使えねぇよなぁ。あーあー、落としたせいで状態もひでぇしよ」
「いー……」
「……元のとこにそのまま戻すか。ああ、うん、よし、その方がいいな」
「い、いー!?」
「ああ? いいって、大丈夫だろ。バレねぇよ。ボスも忙しいしな」
……頭が回らない。意識が霞む。とにかく、寒くて眠い。
気を抜くと眠りそうだ……、というか今が現実なのか、夢の中なのかも怪しい。
何も見えない。わかるのは、意味の分からない会話。
聞き覚えは無いと思うが、もしこれが夢なら何の意味もない。
「あー……、じゃあな。わりぃがテメーの不運を恨んでくれ」
「いー!!」
――びちゃり。
・・・
意識が途切れ、戻る。光が刺激となって、脳を叩く。
一瞬、まぶしさに目がくらむが、すぐに収まる。
見覚えのあるような気がする街灯の明かり。
はっきりとは見えないが、ぼんやりと視界に入ってくる夜の街並みを見上げる。
……妙に視点が低い。いつの間にか、アスファルトで横になっていたようだ。
(……さむい)
まるで酔いつぶれたかのように、身体が言うことを聞かない。
冷たい地面が容赦なく熱を奪ってくる。本当に寒い。
果たしてこれは、どこまでが夢で、どこからが現実なのか。
ひょっとすると今も夢で、目が覚めたら出勤前の朝かもしれない。
ふと気づいたが、なにやら身体が濡れているような不快感がある。
もしや水たまりか何かに倒れ込んでしまっているのか。
少し嫌だな、と身体を起こそうとするも、身悶えするに留まる。
……ああ、それにしても寒い。そればかり強く感じる。
なのに、寒いのに、身体は震えもしない。
貼り付けられたかのように、ピクリとも動かない。
そうこうしているうちに、眠くなってきた。家に帰らないといけないのに。
こんなところで。こんなことをしている場合じゃ。こんな。
ああいや、これは夢か。そう、目覚めればきっと、家にいる。夢だから。ああ、眠い。夢なのに眠い、起きよう、早く。帰りたい。早く。いや、もう帰、起きなきゃ、さむい、帰り、明日、でんわ、あれ、かえ、か――
(ずいぶんと、珍しいものを見つけた)
……。
(……そうだね。じゃあ何か、望みはある?)
……。
(欲張りだね。でもそのままじゃ帰れないよ?)
……。
(……いいよ、助けてあげる。本当はダメだけど、特別な君に贈り物を)
……。
(でも君は受け取れないから、受け取れる君にする)
……。
(よし。お家に帰ろうか)
・・・
……。
……?
……目覚ましのアラームが聞こえる?
ああ、いや、朝か。眠いな。起きなくては。
やっぱりしんどいな。今日も仕事で……、明日も仕事だ。
自分は社会人になったのだから、これから先、これがずっと毎日続くってこと。
覚悟していただろう?
よし、起きるぞ。さぁ布団を……?
「……?」
(おはよう、ちゃんと元気みたいだね)
「は?」
待て。
なんだこれ。
いやちょっと待て。意味が分からない。
突然、意味不明な出来事が大量発生していて思考が麻痺してる。
せめて一個ずつ順番に来てくれ。頼むから。
(大変そうだね)
うるせぇ。えぇーっと、あー、いや、そう、まず一個ずつ整理を、しよう。
二兎を追うもの何とやら。使い方違う気もするが。
混乱した頭を無理やり落ち着けて……、だ。
ひとまずベッドの横。この部屋の中心。
そこに、明らかに物理法則を無視して浮いている黒い毛玉がいる。
あとなんかさっきから普通に話しかけてくる。
こちらに近寄ったりも、別段何かしてくる様子もない。害は無いのか……?
普通に幻覚幻聴の可能性もあるが、あまりにもくっきりと存在感がある。何回見直しても、やはりいる。
(落ち着いた?)
落ち着くわけあるか。
ああいや、まあいい、他にも色々あるんだ。
とりあえずこいつは何もしてこないし、警戒はするがいったん無視しよう。
布団を改めてめくる。
視線を下げると……、何も身に着けてない素肌が見える。
そ、そして……、だ。
昨日までの自分とは違う、起伏……。
ああいや、太ったわけじゃない。……もう少し上の部位。
……そう、胸。
……。えっと。
「……おおぅ」
(何してるのさ?)
うるせぇ、やるだろ普通。触るだろ。男のロマンだぞ。
……やったらやったで、何故か凄まじい自己嫌悪に見舞われてるが。
横にいる黒い毛玉を見る。
その頭の動きを追うように長い髪が揺れる。
ああ、これは……、夢だろうか。
とりあえず頬をつねるとする。ぎゅっと、思いっきり。
「いってぇ……」
(……何してるのさ?)
「現実逃避……?」
(いや、残念ながら、といっていいかわかんないけど、ちゃんと現実だよ)
わかってる。
何もかも、あまりにも実在感がありすぎる。あと自分の声も変だし。
でも、わかってても、中々受け入れ難いんだ……。
そう……。
どうやら自分は……、女になったらしい……。
・・・
→【変わってしまうプロローグ-2】
(次回6/24)




