59 追い詰められた者
「レオン、いいニュースよ!」
レオンが教室に戻るなりクレール嬢が胸に飛び込んで来た。
「お、おい、やめないか」
「いいじゃない、私達婚約したんだし」
「え……!?」
その一言にレオンは固まる。
――どういう、ことだ?
「ふふーん、さっき使いの者が来てわざわざ報せてくれたのよ。これでロゼリア嬢との勝負は私の勝ちね」
レオンの胸に頬ずりしながら嬉しそうに話す。
――なんという、ことだ……。
家同士で結ばれた約束は絶対である。もはやレオンにはどうすることもできなかった。
「いったい……、どういうことなんだい……?」
レオンは震える手でクレールを引き離す。笑顔はかなり引きつっていた。
「うふふ、私がお父様にお願いしたのよ。レオンの婚約者になりたい、って」
クレールは両手で頬を隠すように包みながらいやん、いやんと首を振る。普通なら可愛い行為だが、このときレオンは殺意すら湧いた。
「おめでとうレオン!」
「お似合いだわ!」
そんなレオンを無視してクラスメイト達が騒ぎ立てる。
――外堀、もう埋まってる?
逃げられない、と理解するのにさほど時間はかからなかった。
レオンとクレールの婚約の噂はあっという間に学園内に広まった。高等部のみならず、その日の内に初等部にまで噂が広まる。
そしてそれをどうしても許せない令嬢がいた。
「不覚ですわ……! 家同士の約束にされたら覆せませんわ!」
ロゼリアは家に入るなり不満を叫ぶ。そして飾ってあった壺を手にして高く掲げた。
ガシャン!
息を荒くして床に叩きつける。
「あー、忌々しいですわ! こんなことでは、こんなことでは終われませんわぁっ!」
それでも苛立ちは収まらず壺の破片を蹴る。
「そこのあなた、これ、片付けといて」
「は、はいお嬢様!」
メイドに片付けを命じ、2階に上がろうと階段を上る。
「荒れてるわね、ロゼリア。わかるわぁ、愛しのレオンを奪われたのね。なんて可哀想なロゼリア」
「お姉様……!」
遮るようにマリーヌが立ち塞がり、声をかけた。しかしその目に憐れみの色はない。あるのは悪女の笑みだった。
「噂は私も知っているわ、同じクラスだもの」
「お姉様……!」
マリーヌは怪しく囁く。
「酷い話よね。貴方は本当にレオンを愛してるというのに。あのクレールという女は狡猾な女ね。権力で無理矢理レオンをモノにしたのね」
「そうよ! そうに違いないわ!」
マリーヌは先ずクレールに対する憎悪を植え付ける。そうやって怒りの感情を引き出した。
「そうね、許せないわよね? あんな卑怯な女に負けたなんて。でももう手遅れね。家同士で繋がったら普通はどうにもならないわ」
「それは……!」
今度はロゼリアを言葉の刃で傷つけ始める。
「可哀想なロゼリア! 本当に貴方は不幸な子。どれだけレオンを愛しても貴方のモノにならないの」
「酷いわお姉様……!」
ロゼリアは涙を浮かべマリーヌに抗議する。
「でも本当のことよね? ここから貴方、どうやってあの女に勝つつもりなのかしら?」
「それは……」
小さい声。
何も思い浮かばず、マリーヌから目をそらした。
「無理よね? 諦める?」
「ううっ……。酷い、酷いわお姉様! 私は、私は……!」
ロゼリアは泣きながらマリーヌをぽかぽかと叩く。
「うああああ……」
そして声をあげて泣き出してしまった。そんなロゼリアを、今度は優しく抱き締める。
「でもね、ロゼリア。何も心配いらないのよ? 私がついてるわ。まだ、勝てる方法があるの」
「本当……?」
ロゼリアが涙目でマリーヌを見上げる。マリーヌは優しく微笑みかけ、頭を撫でた。
「簡単よ。クレールと決闘しなさい。後は私が上手くやってあげる」
「お姉様が……?」
――何をする気なの?
しかしその先をロゼリアは怖くて聞けなかった。
「そうよ。可愛い妹のためだもの」
「でも、勝てるかしら……」
ロゼリアは不安そうに視線を外す。
「心配? ふふっ、ならいい物をあげるわ」
「お姉様、これは……?」
マリーヌはロゼリアに紫色の小瓶を手渡す。
「これはね、強くなれる薬よ」
「強く……なれる?」
「そう。さぁ、飲んでみなさい」
「怖いわ、お姉様……」
――これ、本当に飲んで大丈夫なの?
手が震える。
本能がこの薬は危険だと警鐘を鳴らしていた。
「レオンを奪われたままでいいの?」
「嫌……!」
「これはね、貴方のためなのよ?」
ロゼリアがマリーヌと薬を交互に見る。
「でも……」
「後悔しない?」
「それは……、でも……!」
決心がつかずロゼリアは揺れる。
「そう、残念ね。せっかくレオンを取り返す手伝いがしたかったのに。本当に、残念だわぁ……」
マリーヌがロゼリアの手から紫の小瓶を摘み上げる。
手を伸ばせば簡単に届く位置。そこでマリーヌは待った。
「これが、最後のチャンスなのよ? 毎日レオンを想って泣いて暮らすつもり?」
「そ、それは……!」
震える手で小瓶へ手を伸ばす。
――だめよ、まだ、戻れる。
ほんの少し、手が離れた。しかしマリーヌはさらに言葉で揺さぶりにかかる。
「貴方の手でレオンを取り戻すのよ。貴方にしかできないことよ」
「……っ!」
ロゼリアは目を瞑りながら唇を噛み締める。
「選びなさい、ロゼリア。レオンの胸に抱かれるか、諦めるかを」
悪魔が選択を迫る。
――いや!
――諦めるなんてできない……!
そして――
震える手で薬を、手に取った。
「そう、それでいいの。この選択を、きっとレオンは喜んでくれるわ」
「レオン様が……」
震える手で蓋を開ける。
瓶の中から甘い匂いが漂った。
「大丈夫、何も怖くないわ」
震えながらもロゼリアは小瓶に口を付ける。
甘い蠱惑的な香りが鼻腔をくすぐった。まるで誘われるように、瓶を傾ける。
そして、目を閉じて一気に飲み干した。
それから1週間、ロゼリアは学校を休んだ。
そして――




