57 紅い蝶は“紅”を見失う
その日の授業は全く身が入らなかった。ボーッとして目の前の現実を見ないようにしているかのようだ。
放課後になり、空虚な気持ちのまま私は帰り支度をしていた。
「ちょっと、テアさん!」
「……ごめんなさい」
ロゼリア嬢が何か話しているが、よくわからない。何に腹を立ててるんだろう?
「まったく、さっきから呼んでいるのに、どうしたというのです?」
「……どうも、しないです……」
頭が回らない。もう思考することさえ拒否している。
「……アンネさん。テアさんはどうされたんですの?」
「うーん、まぁ、何と申しましょうか……。レオン様とクレール様のお噂は聞いたことありますか?」
アンネが困った顔でロゼリア嬢に耳打ちする。
「ええ、それはもちろん。レオン様に纏わる害虫の一匹ですわね。その内彼女も蹴散らしてみせますわ」
ロゼリア嬢は余裕の笑みを浮かべている。どこからあの自信が湧くのか。
「家同士で結びつく可能性があるとしたらどうです?」
「なんですってぇっ!!」
ロゼリア嬢の顔が般若のようになる。
「私というものがありながら! これは絶対に許せませんわ!」
ロゼリア嬢が息巻くと、凄い勢いで教室を出ていった。
――ロゼリア嬢、凄いな。私も、あんな風になれたらいいのに。
私もふらつく身体で教室の出口へと向かった。
――大丈夫って言ってくれたレオン様を信じなきゃ。
少しだけ、前に出られそうな気がした。
* * *
高等部1年A組の教室。
皆が次の授業前に駄弁っている中、突如ドアが開かれた。
「レオン様っ!!」
突如教室にロゼリアが現れ、一斉に視線が注がれる。しかしロゼリア嬢は周りの視線など物ともせず、ツカツカとレオンに近寄った。
「レオン様! 私というものがありながら他の女にうつつを抜かすとは、どういうことですの!」
ロゼリアの爆弾発言に周囲がざわつく。レオンは「これ、なんの罰ゲーム?」などと頭を抱えた。
「えーっと、君は確か……」
「プレデビュタントで貴方とダンスをしたロゼリア・ド・エンゾですわ!」
胸に手を当て、盛大に自己紹介する。クレール嬢もまた、彼女の言葉に素早く反応した。
――そういえば聞いたことがあるわ。レオンには意中の相手がいて、その子とダンスをしていたと。まさか、この子が!?
クレールはエンゾをじっくり観察する。なるほど、確かに可愛いかもしれない、と素直に思った。
――でも、テアちゃん程じゃないわね。あの子だったら手強かっただろうけど、この子だったら負ける気がしないわ!
クレールはふっ、と肩の力を抜く。そしてここは淑女らしく正々堂々と向き合うべきね、と立ち上がった。
「なるほど、あなたなのね。いいでしょう、このクレール・ド・ラ・ルミエール、逃げも隠れもしません!」
ビシィッ、とクレールがロゼリアを指差す。
「おお、三角関係だ!」
「レオンを巡って2人の令嬢が対立だと!?」
教室は瞬く間に騒ぎとなった。
一方のレオンは。
――なんでこうなる……?
展開について行けず、ただ頭を抱えるばかりである。
「いいわ、勝負よクレール様! 私、負けませんわよ!」
ロゼリアもまた腰に両手を当て胸を張る。根拠の無い自信に押され、笑みすら浮かべていた。
「レオン、どっちを選ぶんだ!?」
「男だろ、ハッキリしろ!」
騒ぐクラスメイト達。
――なんでこうなった?
レオンは少々混乱していた。
ガタリ。
席を立つ。皆がその動向を見守る中、レオンはごく、自然な動きで教室を出ていった。
固まるクラスメイトたち。
しばらくして。
「あ、逃げた」
誰かが呟く。
「レオン様!」
クレールとロゼリアが慌てて追いかけるのだった。
「逃がしませんわ!」
もちろん捕まえてどうするかなど考えてはいない。
「お待ちになって!」
クレール嬢もそれは同じであった。二人共ただなんとなく追いかけただけである。
しかしレオンの動きは素早い。クレールは二階の窓から校舎を出て走るレオンを発見した。
躊躇なくクレールは窓を開ける。
「滑空!」
力ある言葉を解き放つ。
同時に窓から飛び出した。
そこから真っ直ぐ――レオンに向かって一直線。飛ぶスピードは速いが、曲がれない欠陥魔法でもあった。
「レオーーーン!」
「!!」
クレールの声が近づいて来たため、つい振り返る。
もう、彼女はすぐそばまで来ていた。
「とーう!」
振り向いたことに反応し、クレールがレオン目掛けてダイブする。
――避ければ怪我をする!
仕方なくレオンはクレールを抱きとめた。怪我をさせないよう、精一杯優しく。
「……無茶をするな」
「ウフフフー、レーオン!」
クレールがちゃっかりレオンの胸に顔を埋める。
「おい、誰かに見られたら……」
視線を感じ、レオンが振り向く。
「レオン……様……」
そこにはテアが立っていた。
ボロボロと涙を零して。
「待っ……!」
レオンが止める間もなくテアは駆け出していく。
それでも手を伸ばした。
するとバランスを崩し、クレールの下敷きになる。
クレールはテアに全く気づくことなく、欲望を全開にしていた。
春の風はまだ、冷たかった。
* * *
その夜、テアは姿見の前に立っていた。着ているのはレオンと初めてダンスをした白のクチュールドレス。
レオンの贈った紅い髪飾りとティアラをつける。
そして広い部屋の中、テアは1人、ダンスを始めた。
初めて踊った、あの心ときめいたダンスを思い出しながら。
涙が零れる。
それでもテアは踊った。涙でドレスの胸元が濡れる。
――レオン様!
レオンを想い、ステップを踏む。
見えないレオンを相手にテアは踊る。
ステップ、ターン、またステップ。
レオンと踊ったダンスを再現する。
テアが、ダンスを止めた。
テアの中で、流れていた曲が終わったのだ。
そのまま棚にある宝石箱に向かう。
中を開ける。
後ろ髪の紅い蝶の髪飾りにそっと、手をかけた。
外そうとして手が止まる。
――外せない。外したく、ない。
でも――
涙を堰き止めるかのように目を閉じ、歯を食いしばった。
――さようなら、レオン様。
どうか、お幸せに――
紅い蝶の髪飾りを外す。
そのとき――大切な何かを失くしたような気がした。
それでもテアは宝石箱に紅い蝶の髪飾りをしまう。
と、同時に身体から力が抜け、その場にへたり込んだ。
「うええ……、うああああ……」
1人部屋の中で泣くテア。
その泣き声を、部屋の外でディアーヌが声を殺して聞いていた。




