51 残酷な優しさ
「聞いたわ、あなたのこと」
その日、教室に入るなりロゼリアが話しかけてきた。後ろに取り巻きを引き連れ、腕を組んで覚めた目で私を見ている。
「……」
いったい何を聞いたと言うのだろう。下手に反応せず、ロゼリアの出方をうかがう。
「アルノーブルのスタンピード。あなたが抑えたんですってね。しかも治癒師としても優秀で、上級治癒魔法をも超える魔法を使えるそうじゃない」
「それが……どうかしたんですか?」
何が言いたいんだろう、この人は。
「おまけに算術の授業でも優秀、私達なんてさぞ愚図に見えるんじゃないのかしら?」
「そんなことありません」
嫉妬?
恐れ?
どっちでもいいか。
私は別に自分が完璧だなんて思わない。だから当然、否定した。
「嘘ね。いいわね、天才は。生まれ持った才能が優秀で羨ましいわ。白い蝶なんて持て囃される程の美貌に類稀なる魔法の才能、高い頭脳。人生イージーモードじゃないの」
私の人生が……イージーモード?
なにも……、なにも知らないくせに!
沸々と言いようのない怒りがこみ上げる。
「ふざけないで!」
私はつい、感情的になりロゼリアの襟首を掴んでしまった。
「ひぃっ……!」
ロゼリアが顔色を真っ青にさせ呻く。
「なんにも……、なんにも知らないくせに!」
それでも私は止められなかった。
掴む手に力が籠もる。
「やめて、殺さないで!」
取り巻きが叫ぶ。
その声にハッとした。
私、今何してた?
しばらく固まる。
周りの冷たい視線。
自分が取り返しのつかないことをしてしまったのだと気づく。
身体中がジーンと熱くなった。それなのに身体には鳥肌が立っている。
「も、申し訳ございませんロゼリア様……」
慌てて頭を下げる。
やってしまった。
最悪だ、感情に任せて伯爵令嬢に手をあげるなんて……!
「ふ、ふん。なんて野蛮なのかしら。見ました? これが白い蝶なんて呼ばれていい気になってた女の本性ですわ!」
「ち、ちが……!」
ロゼリアの言葉を否定する。しかし周りの視線は冷たかった。
「謝りなさいよ」
「はい……。本当に、申し訳ございませんでした」
ロゼリアの要求に従い、深く頭を下げる。
「顔をあげなさい、テア」
「はい……」
良かった、許してくれた。そう思って顔を上げた。
次の瞬間、私の頬に痛みが走る。
小気味よい破裂音が教室に響き渡る。
静まり返る教室。
遅れてやって来た頬の痛み。そこでようやく自分が頬を張られたのだと気づく。
「これで、なかったことにしてあげる」
ロゼリアが勝ち誇ったように笑う。
「ありがとう……ございます」
頭を下げる。
こう言わざるを得なかった。家の問題にされること。これは貴族令嬢として絶対に避けなければならない。
煽られたとしても、それに対処できなかった浅はかな女と思われる。それが貴族社会なのだ。
アンネがいなくて逆に良かったのかもしれない。彼女は、私を完璧な淑女だと思っているから。
こんな姿、見られたくない。
「……」
頭を冷やそう。
私は頭を下げ、教室を出る。まだホームルームまで少し時間があるはず。
1人になれる場所を求め、私は高等部近くの茂みに辿り着いた。
誰も……、いないよね?
周りを確認し、地べたに膝を抱えて座り込む。
俯き、少しだけ咽ぶ。でも涙は押し殺した。泣いたら、負けなような気がしたから。
――こんなことで、負けるもんか。
歯を食いしばり、涙を堪える。そうだ、もっと辛い経験をしたじゃないかと自分に言い聞かせた。
「テア……さん?」
声がした。
顔を上げる。
「アドリアン……様」
それはプレデビュタントの会場で出会った人だった。
――どうしよう。嫌なところ見られちゃったかな?
「……泣いてるの?」
アドリアン様が心配そうに私を見つめる。
「平気です。なんでも……ないですから」
強がる。本当は懸命に涙を堪えていたところだ。
「頬、赤いよ? 無理しないで。泣いてもいいんだ。君の味方は、ここにいるから」
優しい一言。
誰も味方がいないと思ってた。
彼がそっと、頭を撫でる。
普通なら嫌がられる行為だ。髪が乱れるから。
でも、その手の温もりが、残酷なほど私の弱さを包み込もうとする。
ダメだよ、いけない。
こんなこと――
でも――
「大丈夫、見なかったことにしてあげるから」
その優しさに、縋りたくなった。
見透かされてる。その上で、言ってくれてるってわかったから。
泣いたら負け、そう思ってた。
だから、泣かないと決めていたのに――
「うあああああああっ……!」
とめどなく涙が溢れる。
こんなに泣いたのはいつ以来だろう。思い出せない。
アドリアン様は何も言わず、ただ側で私が泣き止むのを待っていてくれた。
始業を報せる鐘がなっても……。
私はこのとき、夢にも思わなかった。
このとき、まさかレオン様に見られていたなんて。




