44 紅き蝶の帰還
「まさか既に魔神が育っていたというのか……?」
突然雰囲気の変わったテアにツヴァイは困惑していた。
「ふむ、どれどれ」
「……!」
テアが、いや、ヤーヌスが一瞬でツヴァイの目の前に姿を現す。
その姿は紅い翅を生やした黒髪紅目の少女。しかしその醸し出す雰囲気は圧倒的な存在感を放っていた。
「なるほど、お主の中にも魔神がおるのか。結構育っておるが、妾の敵ではないのう」
ヤーヌスがゆっくりとその小さな掌をツヴァイに向けた。
次の瞬間、ツヴァイの全身を激しい衝撃が襲う。衝撃に押され、ツヴァイはなす術もなく地面に叩きつけられる。
床石を砕き、土煙が舞い、石の破片が辺りに飛び散った。
「うーむ、まだ器が不完全よな。この身体では致し方なし、か」
ヤーヌスが自らの掌を見て不満を漏らす。
ツヴァイの方を見る。しばらくするとツヴァイが身体を起こした。しかしダメージが大きかったのか、少しふらついている。
「なぜだ! 魔神であるなら我らゾーア教団に付くべきではないか? お前を生み出したのは我々だぞ!」
ヤーヌスはツヴァイの言葉を鼻で笑った。
「はっ、それがどうかしたのかの? 文句があるなら力で来ればよかろ?」
「このっ……、言わせておけば! くらえ、千の弾丸!」
ミラージュサーヴァントの力を使い、分身達と共に大量の魔力球を生み出す。
「バカの1つ覚えよな。所詮は格下の低級魔神か」
ヤーヌスが翅をバタつかせる。
「見せてやろう……、魔神の力の一端を。滅びのプレリュード!」
紅い翅から生まれたのは無数の紅き蝶。その蝶が大群となりツヴァイを取り囲んだ。
その紅き蝶達と大量の魔力球がぶつかり合う。魔力球が光とともに弾け、紅き蝶もまた割れるように消失していった。
その激しい攻防の中、ツヴァイの顔には焦りの色が。ヤーヌスの顔には余裕の笑みさえこぼれていた。
そして残ったのは、紅き蝶の群れ。
「では、消えるがよい。終焉となせ、終わる世界!」
ヤーヌスが両腕を頭上で交差させた。
途端、紅き蝶に包まれた空間に膨大な熱が籠もる。
「蝶が……燃えている!?」
その紅い蝶達が一斉にツヴァイに向かって飛んでいく。燃え上がる紅き蝶に包まれ、ツヴァイが炎に巻かれた。
そして、悲鳴をあげる間もなくツヴァイは意識を失い、炎の中に消えていった。
ツヴァイを中心とした半径僅か2メートル。狭い範囲ではあったものの、石床が溶け、下の地面さえも溶け落ちてクレーターができていた。
「うーむ、もう少し狭い範囲に集中させたかったのだがのう……。やはり完全ではないな。半身を未回収なのだから仕方がないが……」
ツヴァイを消したものの、ヤーヌスは不満そうにブツブツ言っていた。
「な、なぁ、テアちゃん……なんだろ?」
生き残っていたアルスターがヤーヌスに向かって声をかける。辛うじて致命傷は避けたが、それでも満身創痍に近かった。
「是、とも言えるし否とも言えるのう……」
ヤーヌスが質問に答える。翅をひらつかせ、そのまま地上に舞い降りた。
「どういう……ことだ?」
「妾はこのテアという少女の願いにより顕現した魔神である。喜べ、妾という存在により、魔物達は逃げ出したようだのう」
ヤーヌスは門の方に目を向ける。いつの間にか辺りは静寂に包まれ、生きた魔物達の姿は全くなかった。
「あんたは……、テアのなんだ?」
「さての。妾はこう見えても義理堅くてな。テアの最後の願いくらいは聞いてやろうと思っておる」
「最後……、だと?」
ヤーヌスの言葉にアルスターが拳を強く握る。
手から、少量の血がこぼれた。
「アルノーブルとその民の生命の保証よな。それと引き換えに妾は顕現したのでな」
「なんだと……!?」
アルスターはその意味をなんとなく理解する。少なくとも、テアはもう戻って来ないのだと、分かる程度には。
「その辺に転がってる奴等の中にはまだ生きている者もおる。残念ながら妾ではまだ癒神の手は使えぬようでな。後はお主らでなんとかせい」
ヤーヌスは腕を組み、ふん、とそっぽを向いた。
「……返せ!」
静かに、力強く言葉を絞り出す。
「ほう?」
「テアを……、返せ! あの子はこの街に必要な子だ。聞いているんだろう、テア!」
ヤーヌスの態度に苛立ちを覚え、アルスターが強く言葉を放つ。
「無駄よな。テアにはもう、気力が残っておらん。側にレオン様とやらでもいれば、声が届いたかもしれぬのにな」
「嘘だ! 聞こえているんだろう、テア! 目を覚ませ!」
アルスターがヤーヌスの両肩を掴み叫ぶ。すると、やれやれ、とヤーヌスが頭を搔いた。
「うっとうしいのう……」
そのとき、ヤーヌスの左手に髪飾りが触れる。
紅い蝶の美しい髪飾り。
「む……!?」
飲み込んだはずのテアの意識。
それが、ヤーヌスの脳裏にテアの記憶を呼び起こさせる。
――レオン様がくれた、髪飾り。
似合ってる、って言ってくれた。
「バカな……!?」
ヤーヌスがよろめく。
「涙……だと?」
こぼれる涙、甦る記憶。
それはテアの記憶。
「テア!」
その声にヤーヌスの身体がビクン、と震えた。
ヤーヌスは声の主に視線を向ける。
そこにいたのは――傷だらけのレオンであった。
胸の奥からこみ上げてくる熱い感情がレオンの声に引っ張り上げられる。
魔神の知り得ぬ感情にヤーヌスが苦しそうに胸を押さえた。
――私、あのときハッキリとわかったんだ。
「まさか……!」
ヤーヌスの髪に少しだけ銀色が混ざり始める。
――あのとき、私が抱いた気持ち。それはもう憧れなんかじゃない。
「この、溢れてくる気持ちはなんなのだ!? 妾は知らぬ! 知らぬぞこのような感情!」
溢れ出す涙に戸惑いを隠せず、ヤーヌスは押さえ込もうと力を込める。
「テア! 戻っておいで。君は一人じゃない。僕は、ここにいる!」
レオンがテアに向かって手を伸ばす。
――レオン様ぁっ!
その名を思った瞬間、テアの中で何かが弾けた。
止まらぬ感情に身を任せ、テアが足掻く。
私は――レオン様が好き!
この気持ちにだけは嘘はつけない!
だから――
「ぬああああああっ!」
ヤーヌスが両手で頭を抱え、悶え叫ぶ。
「テア、僕はここだ!」
レオンの声に少女が走り出す。
光の差す方に少女が手を伸ばした。
紅い蝶の翅が弾けるように割れて、消える。髪も美しい白銀色を取り戻した。
「レオン様ぁっ――――!」
「テアっ!」
お互いがその手を掴もうとする。
二つの手はお互いを探すように空を掴み、それでも確かに。
その距離は縮まっていった。
そして――二つの手が重なる。
そのままレオンは強引にテアを抱き寄せた。
大切なものを壊さないように優しく、それでいてこぼさぬようしっかりと。
「あまり……心配させるな」
「はい……、ごめんな……さい」
レオンの腕の中、テアは涙を流す。
欲しかった温もりに身を委ねた。
レオンはその髪を優しく撫でる。
「いつっ!」
レオンがふらつく。
テアはその声でようやくレオンが傷だらけであったことを知った。
「レオン様! こんなに怪我を……。すぐに癒します。癒神の手よ――」
テアが癒神の力を解放する。光の波紋が広がり、兵士達を、レオンを光の粒子が優しく包んでいった。
パチパチパチ。
上空から手の叩く音。
何事かと、テアとアルスターが空を見上げた。
「いやいや、なかなか面白い見世物でしたな。しかし惜しかった。一番の見せ場を見逃したようです」
見知った声。
見知った姿。
「これは……どういうことだ」
レオン様が怖い顔で空にいる者達を睨んだ。
「答えろヘルクス!」
上空にいたのはサーラとヘルクス子爵だった。そして、無数の手が封印されたままのアトスを抱えていた。




