43 紅き蝶、堕ちる
「私は――人間よ!」
紅い魔神の爪が男を襲う。
一瞬の動き――男の横を爪の斬撃が通り過ぎた。
石床が砕け、広場に爪痕が残る。
「なるほど、その手の能力はやはり魔神ヤーヌスのもの……」
ヤーヌス?
「奇しくもキャトルと同じ能力か。いや、お前の方が能力は強いな」
「何をごちゃごちゃと!」
男めがけて魔神の爪を振るう。この男には私の“手”が視えている。それを確かめる!
「さっきから同じ攻撃ばかり。実に美しくないな。この私がわざわざ出向いたのだ、お前の力を見せてみろ!」
男はやはり魔神の爪を軽く躱す。爪の衝撃波が後ろのヘルハウンド達をまとめて切り裂いた。
「やっぱり視えているんだ……」
「当然だ、俺もまた魔神の血を受けているからな。俺の名はツヴァイ! さぁ、俺を止めてみせろ。ミラージュ•サーヴァント!」
「……!」
ツヴァイの身体が5つに分裂する。なるほど、こいつがツヴァイか。
5体のツヴァイが動く。内4体の動きは本体の後に全く同じ行動を取るはずだ。
対処法は――
近づけさせないこと!
魔神の手を巨大化、そのサイズを5倍にまで膨らませる。
やることはただ1つ――殴る!
「ぬっ!?」
複数の手でラッシュをかけ、ツヴァイを押し留める。
「そこだ!」
動きを止めたところに爪の一撃。
しかしそれは辛うじて躱される。とにかく手数でツヴァイを押す!
「なるほどな……。段々わかってきたぞ」
ツヴァイは防戦一方に見えるが余裕の笑みすら浮かべている。6本の腕でラッシュをかけているのに、一発も当たってない……。
「少しだけ本気を見せてやろう……」
ツヴァイの姿が消える。
どこ!?
辺りを見渡すがどこにもツヴァイの姿はなかった。
「ここだよ!」
上空からの声――
見上げるとそこにはツヴァイが。
ツヴァイの周りには数え切れない程の無数の魔力球……!
――まずい!
嫌――やめて!
すぐさま手を大きくし、自らの防壁代わりにする。
これじゃみんなを――守れない!
「千の弾丸!」
ツヴァイが無数の魔力球を降らせる。その後を追うように彼の幻影も無数の魔力球を放った。
広場に振り注ぐ無数の魔力球――
それは仲間であるはずの魔物達をも巻き込んでいった。
轟音が鳴り響き土煙が、魔力の光が、そして悲鳴が広場を覆い尽くす。
「つぅっ……!」
飛んできた石の破片に頬を切る。
こんなのを繰り返されたら全滅しかねない!
土煙が落ち着き、ようやく視界が開けた。
「……!」
何人、死んだの?――
私の周りに広がる無数の死体。重症者たち。身体を貫かれ、死の瀬戸際にいる人たち。
――守れなかった。
私が弱いばっかりに――
「クククッ、どうだね? 幼き魔神よ。君の能力は確かに強い。だが、幼すぎたな。戦いの経験が足りないのだよ」
図星だった。
今までは不可視の手の力で魔物などものともしなかったのに。
今、私は自分より格上の相手と戦っている。ルキフグのときもそうだ。手が視えるあいつに何もできなかった。
今のままじゃ――勝てない!
いや、それどころか追い詰められて攫われる!?
「幼き魔神よ、選択肢をくれてやる」
「選択肢……?」
ツヴァイが何を考えているかわからなかった。
「レオン様……、だったか?」
名前が出た途端、呼吸が止まった。
心臓が凍りつく。
口をパクパクさせ、なかなか言葉にならなかった。
「……! お願い、やめて! それだけは、それだけは!」
一步後退り、ようやく言葉を絞り出す。
あいつが何を言おうとしているか。そんなのはわかりきってきた。
いやだ、考えたくない――
誰か!――
「お前の目の前で殺してやろうか?」
ツヴァイが愉快そうに嗤う。
たった一言。
それだけで十分だった。
膝を付く。身体が震えて動かない。
立とうとする気力さえ奪われて――
心の中で――
何かが、折れた。
「やめて、お願い、それだけは……!」
気が付けば私は身体を震えさせ、跪いて懇願していた。
「私は、私はどうなってもいいから……!」
お願い――誰か。
誰か助けて!
怖い。
もう、身体が動かない。
身体がガタガタと震え、恐怖に涙をこぼす。
――なら、助けてやろうか?
誰!?
いや、わかっている。私の中にいるナニカだ。
――妾なら助けてやれるぞ?
本当に?
――簡単なこと。妾を解き放つだけでよい。簡単であろう?
それだけは――
それだけはダメ!
――妾はかまわぬぞ? ただ、そのレオン様とやらは、死ぬな。
!
これは……悪魔の囁きというやつだ。
でも――
「ならば我が配下となるがいい。その力、我の為に奮え!」
選択を突きつけられる。
配下になれば、私は――
レオン様に嫌われる。ううん、それどころか憎しみさえ抱かれるかもしれない。
そんなのは――耐えられない……。
選べる選択肢は、もうこれしかなかった。
――わかったわ。お願い、力を貸して。
――良い返事よのう。我が名はヤーヌスである。さぁ、我が名を呼ぶが良い!
「……ヤーヌス、あなたを、解き放ちます」
それは最悪の選択かもしれない。
でも、私、頑張ったよね?
もう、いいよね?
ごめんね……。
涙が溢れた。
そして自覚できるほど冷たい何かが心を支配していく。
「か、髪が黒く……!? ま、まさか魔神化? いや、そんな馬鹿な!」
――何を焦ってるんだろうこの人は。
2つの意識が混ざり合うような不思議な感覚。
「ツヴァイと申したか? お主に本当の魔神の力というものを見せてやろう」
――見せてやらねばのう。
圧倒的な暴力の恐ろしさ、というものを――




