36 紅い蝶とずるい人 前編
アルノーブルの中央辺りには公園がある。特に噴水のある池にはたくさんの睡蓮が浮かんでいた。人もたくさんいるのに、この空間だけはなぜか静寂すら感じられる。
見ていて飽きない。
それどころか戦いに疲れた心を癒やす清涼剤だ。
近くの睡蓮を軽く指で突く。
ゆっくりと滑る睡蓮が小さな波紋を広げて近くの花にくっついた。
「ふふっ」
そんな光景に笑みを浮かべながら、私はその時が来るのを待つ。
待ち合わせの予定まではまだ30分くらいはある。結構待たないといけないはずなのに、この時間が妙に愛しく感じられた。
「あれ、早いね。僕の方が早いと思ったんだけどな」
後ろから声がかかる。
間違えようのない声。黒いドレスを翻し、振り向く。
「レオン様こそ早いですね」
「待たせちゃ悪いと思ってね」
レオン様は赤いコートを羽織り、赤い半ズボン(ブリーチーズ)を穿いていた。銀色の刺繍も施され実に豪奢だ。
――カッコいい。
ため息が溢れる。
……目があっちゃった!
笑顔で返されたけど、ガン見してたのモロバレだよ……。
「そのドレス着てくれたんだね。よく似合ってる」
くはぁっ!
レオン様の笑顔に、褒め言葉に心臓が射抜かれる。
――このドレスにして良かった!
その言葉だけでここに来て良かったって思えちゃう。
今きっと私、耳まで真っ赤に違いない。身体中が熱を帯びたみたいに火照ってるよぉ!
「じゃあ行こうか。お手をどうぞ、お姫様」
一瞬、迷う。
――私なんかがいいの?
レオン様が私に手を差し出す。
その指先を求めて手が震えた。
――触っちゃった!
小さな感動に胸が高鳴る。
さらにレオン様の手が私の手を優しく包んだ。
手から体温が伝わる。
――あったかい。
「お昼、まだだよね。せっかくだし屋台を見て回ろうか」
「は、はい!」
レオン様がゆっくりと歩き出す。優しく手を引かれ、身を任せるようにその横を並んで歩く。
――私の歩幅に合わせてくれてる?
気遣ってくれてるんだ……。
私にとって無理のないペースだ。街の景色がゆっくりと流れる。
ただ一緒に歩いてるだけなのに、とても優しい時間。
露店の立ち並ぶ商店街に入る。
様々な食材を扱う店、ゴザを敷いて陶器などを売っている商人。色んなお店をゆっくり眺める。
客引きの声やたくさんの人たちの雑踏は実に賑やかだ。レオン様の私の手を握る手が少し強くなった。
「あったあった、あそこの屋台だ。とても美味しいらしいんだ」
レオン様の指差す先の屋台。のぼりには『名物ミノス串焼き』と書かれているようだ。人もそこそこ集まっており、私達も列に並ぶ。
「おっ、すげー美味そう!」
「あたぼうよ! 最高級のマツザカミノタウロスだぜ?」
前の人がミノス串焼きを手に満面の笑みを浮かべている。それにしてもマツザカミノタウロス……?
ビールが主食なのかな?
「すいません、串焼きを2本お願いします」
「へい、2本なら銀貨2枚でさ」
私達の番になり、レオン様が指を2本立てて注文する。
「まいど! その子は妹さんかい?」
妹……。
やっぱりそう見えてしまうんだ……。
「いえ、違いますよ」
レオン様が即座に否定する。
その声はどこか力が籠もっていた。
私の手からレオン様の手が離れる。少し寂しいけどお金を払うのだから仕方がない。
「へーっ、可愛い子じゃないか。やるなぁにぃちゃん。ほら、串焼き2本だ」
「ありがとう」
わ、可愛いだって!
レオン様にも――言われたいな。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
レオン様の差し出した串焼き。
私が持ちやすいように指3本で支え、持ち手を私に向けていた。
そっと、両手で受けとる。
――指、触れたいな。
一瞬魔が差す。でもやめた。
「向こうで食べようか」
「はい」
少し行くとベンチの並んでいる場所があった。屋台などの共同飲食スペースになっているようだ。ごみ箱まで完備されていた。
2人並んでベンチに座る。
……近い。
意識しないように、なんて無理!
どうしても気になってしまう。
気持ちを落ち着けようとミノスの串焼きに目を向けた。
塗られたタレが光を反射させる。それでいて垂れていない。しかも結構量があり、銀貨1枚は納得のボリュームだった。
「いただきます」
串焼きの肉にかぶりつく。
口の中に肉汁が溢れ、タレと混ざり合う。肉が唇でちぎれそうなくらい柔らかい。
「美味しい……」
まるで和牛のような味に感動すら覚えてしまった。
「うん、美味しいね。話には聞いていたけど、期待以上だよ」
「そうですね」
美味しい串焼きに心が弾む。レオン様の笑顔も相まって最高の時間だ。
「タレ、口に付いてるよ」
私の口周りをレオン様のハンカチが拭った。
――!
不意打ちだった。
近い!
近すぎるよぉっ!
ドキドキが止まらない。
心臓が爆発しはしないかと心配になるほどに。
「ふふっ、可愛いね」
ふはぁっ!!
――もう無理!
今日、絶対無理!
心臓が、保たないよ……。




