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Re, DS  作者: SIOYAKI
第一章 後悔先に立たず
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第8話

SFすごい・ファンタジー

◇聖王歴1339年風ノ月5ノ日


 日差しが中天へと近付いた頃、彼らの姿はその地にあった。立ち並ぶ木々の中、開けた場所に聳え建つは古の遺産。


 外装石を積み重ねて、僅かな段差があるのは意図的か。草木の蔓と無数の苔が覆う石段の道を、少年達は一歩一歩進んで行く。


「此処が、カシェテーレ」


「大、きい」


 石段の道は外装石より低めとは言え、足を大きく動かさねば歩けぬサイズ。当然の如くヒビキは足を引っ掛けて、転ぶ直前にミュシャに抱き留められる。


 その豊満な胸に顔を埋めながらぼんやりとしている少年に、女は苦笑しその手を引く。女の様子は母や姉を思わせる物で、素直に手を引かれるヒビキの様子は幼い子どもを思わせた。


「さ、ヒビキ。もう直ぐよ。こっちに扉があるの」


「おー」


 外壁の上を大きく回って、来た方角の正反対。其処から少し下った場所に、落ち窪んだ部分がある。2メートルもないかと言うその隙間には、金属製の扉が一つ。


 一体如何なる金属で作られているのか、触れても分からぬ黒き扉。その中心に存在するのは、半円状の白い球体。鍵穴もないその扉は、一体如何にして開けるのか。ヒビキは分からず、小首を傾げる。


「開け方、分かる? 壊す?」


「壊しちゃ駄目。大丈夫、開ける方法は教わってるから」


 言ってミュシャは、腰の後ろに隠していた小さなナイフを鞘から抜く。そのままくるりと一回転させ、己の指先を浅く切り裂いた。


「痛い?」


「ちょっとね。でも、認証には必要だから」


 心配そうに聞いてくる少年に笑って返して、ミュシャは血で濡れた掌を扉の中央にある半球へと近付ける。


 まるで血を馴染ませるように触れて暫く、球体が緑色に輝いたかと思えばすぐさま光は線状に広がり扉の表面を走り回った。


「Ordre en tant qu'enfant de gnome. ouvrez la porte」


 輝きながら、鼓動を始める。そんな扉を前に、ミュシャは口早に言葉を紡ぐ。他者に理解させる心算のない音は、真実の形を此処に晒している。


 何語なんだろうと言わんばかりに、首を傾げているヒビキ。寝惚けた幼い子どもは優れた語学力など有しておらず、ならば寧ろこれまで会話が成立していた事の方がおかしいのだ。


 そう、余りにもおかしい話である。ヒビキは、ミュシャは、リアムは、誰もが初見で会話を成立させていた。


 摩耗したヒビキには、日本語ですら怪しいと言うのに。明らかに国外どころか人外の要素を有する者らと会話が成立する。それを誰もが、おかしいと思わない。それを異常と言わずに、何と言う。


(統一、言語?)


 唐突に、ヒビキの脳裏に浮かぶ思考。知らない筈なのに知っている。頭の中身を搔き混ぜられるような不快さと共に、新たな知識が刻まれていた。


 それは彼が有する権能が故。神より与えられた役は千の魔術を操る邪竜。そうであるが故に、千の魔法を操るに必要な知識を彼は既に知っていることになっている。


 なれば知らないと言う現状こそが異常となり、関連する知識が強制的に脳裏に刻まれる。この現象、果てに得られる力も含めて、竜の権能「幾千之魔導」なのである。


(音は、虚飾。皆、本当は、違う言葉で話してる。伝えよう、とする意識が、伝わってる、だけ)


 刻まれた知識が告げるのは、本当は誰もが違う言葉を話していると言う事実。バベルが崩れる以前の世界が、この幻想の世には満ちている。


 誰もが聞こえる音を心で受け止めて、己が脳で母国語として認識する。故に伝えようと言う意思がなければ、音は元の音のままに周囲に響くだけ。


(変、なの)


 何故、こんな力があるのか。分からないし分かろうと思うことも出来ない。ぼんやりとした小さな子どもは、何故変だと感じているかも分からず首を傾げていた。


 そんな少年に対して、この地の言葉は伝わらないだろう。虚飾が剥がれた音を言葉と認識出来ない。それは生まれた地が違えば妥当な話で、ならばネコビトが生まれた地にあるこの遺跡は異なる。


 元よりこの言語に反応するように、造られているのだから当然のこと。少女の声に応えるように、大地は輝き鳴動した。


「お、おー」


 ゆっくりと揺れる巨大な遺跡。思わず蹈鞴を踏んだヒビキの足元で、遺跡が鼓動するかの如くに発光する。


 消えては光る、翡翠の輝き。石段を覆っていた無数の蔓は光に飲まれて溶けていき、苔生した外装石は作られた当時の輝きを取り戻す。


 黄色かった石段は、長き年月による劣化と土砂の堆積によって色を変えていた物。その本来の姿は、超高純度のクリスタルクオーツ。


 大地の底まで続く半透明な結晶は、泡のように浮かぶ翡翠の光に照らされる。光が照らす水晶は、奥まで透き通って見えるのに、何処まで続いているのか分からない。


 地上にある水晶部分は入口でしかなく、地下深くへと何処までも広がるその広大な空間こそを中核とする遺跡。それこそが此処、カシェテーレ。


「先史文明。遥か昔に滅んだ文明は、この世界に幾つかの痕跡を残しているわ。此処、カシェテーレもその一つ」


 如何にして、奥へと進むのか。問い掛けるよりも前に、彼らの足元が動き出す。緑の光に染まった水晶の一部がゆっくりと、外れて潜行を始めたのだ。


 まるでエレベーターを思わせる構造。周囲に満ちる淡い光が、それを幻想的に見せている。目を輝かせてヒビキが泡に触れれば、指先に走るのは鋭い痛み。溶けて消えるその泡は、高密度な精霊の力である。


 魔を拒む、星の息吹。沈めば沈む程に強くなるその力に、少し表情を歪めるヒビキ。そんな彼の傍らに立つミュシャは、感慨深いと息を吐く。


 中央で師と共に旅した中で、似たような先史文明の遺跡は見てきた。それこそ両手の指を超える数程、だがその中にもこれ程に荘厳なものはなかった。


 これならば師の言うように、大いなる力にも期待が出来る。そう喜びながらも胸に僅か、靄のように負の感情が沸いてしまう。それはきっと、この遺跡が身近な場所であったから。


「私たちルシャの氏族が管理していた、古い古い時代の遺跡」


「して、いた?」


「もう、3年になるのかな。……ここに来る人はね、もう誰もいないんだ」


 嘗てあった、ネコビトの集落。カシェテーレは遺跡の名であり、その集落の名でもあった。シャーテリエの由来はChat terrier。猫の巣穴と名付けられた、その森の奥。


 ネコビト達は、遺跡と共に生きてきた。幼い頃は此処がそうであるとは知らず、内へと入ることは誰にも許されてはいなかった。祭りの日に、長と巫女が何かをしていた。その程度の認識でしかなかった。


 だから、思ってしまうのだ。この奥底に大いなる力があると言うなら、集落の誰もがそれを知っていたなら、きっと今に生きているネコビトはミュシャ一人ではなかった筈だと。


 内にあるナニカだけではなく、管理する者らすら眠ってしまった場所。此処は墓所だ。何れは世界の全てから、忘れ去られてしまう場所。それがどうしようもなく、寂しいのだとミュシャには思えた。


「ミュシャ。大丈、夫?」


「うん、大丈夫。お姉さんだもん。頑張らないとね」


 優しく顔を覗き込むヒビキの手を、ミュシャは強く握り返す。そんな仕草に力を貰って、ミュシャは心を前へと向ける。寂しいで、終わっては駄目だ。終わらせては駄目なのだと。


 今は忘れ去られた墓所であっても、いつまでもそうでなければならない理由もない。大いなる力を得て、皆を取り戻した後ならば、ルシャの氏族はまた封印の守り手として立ち戻れよう。


 そうして暫く、決して長くはない時間の後で水晶板が動きを止める。日の光が差し込まない程の地下空間を、翡翠の輝きが照らしてみせた。


「暗い、海、みたい」


「と言うより、宇宙かな。星の海、それを模した物だと思うわ」


 光が照らす空間は、宛ら黒い海である。何処までも続くのではないかと思える程に広大な、黒い黒い果てなき空間。周囲を仄かに彩る翡翠の泡は、宛ら夜空に浮かぶ星々か。


「何処へ、行くの?」


「それよね。てっきり最後まで案内してくれると思ったんだけど、こんなだだっ広い所に放り出すとか。ご先祖様も、結構性格悪いにゃん」


 上下前後左右に差がなく、何処までも暗い闇が広がる空間。僅かな泡の輝きと、天井から微かに差し込む日光だけが僅かな頼りか。


 だがその日差しとて、数歩も離れてしまえば分からなくなるだろう。途方もなく広大な空間に、道案内もなく放り込む。それを試練とするならば、確かに性質の悪い話である。


「普通に考えるなら、長が口伝で知ってたとかよね。……謎解きとか力試しとかがあるパターンは予測してたけど、これはなぁ」


 大いなる力が眠ると言うのならば、セキュリティに気を使うのは理解出来る。一族の血だけで開くのは入口だけとなれば、守り人を傷付けて入ろうとする輩も阻止出来よう。


 となれば一度入ったら、目的地に辿り着くまで出られないと言う罠もありそうだと。足元にある筈の水晶板を何度か踏み付けて、返って来ない音と感触にだろうなと嘆息を漏らした。


「戻、れない?」


「みたいね。これ、もう動かないわ」


「ジャンプ、しようか?」


「……それは、最終手段ね。また入って来れるか怪しいし、地上までの距離を跳ぶ勢いにお姉さんの尊厳が耐えられる保証もないわ」


 水晶板の動きは緩慢で、要した時間もそれ程長くはない。となれば常人では不可能だが、ヒビキであれば跳躍するだけで脱出することも可能だろう。


 それでも聖剣の泉にあった断崖よりも距離は長いのだから、共に脱出する際に生じる衝撃はそれを上回るのも妥当な話。冗談めかした言葉も多少は、本音が籠ったものだった。


「さて、それでどの方向に行くかだけど」


「あっちに、光る、大きいの、ある、よ」


「ネコビトって純粋な人間種より視力が高いって言われるんだけど、その辺の光と違いが全く分からないレベルに見えるわね。本当、君って何なんだろう」


「?」


 大きな光が見えたと指さすヒビキの言葉に、同じ方向を向いたミュシャが声を漏らす。ネコビトの平均視力は12.0以上。学者志望な少女はネコビトとしてはかなりの近眼だが、それでも人間基準ならば決して低くはない。


 そんな視力でも見えない何かを、あっさりと見付けるヒビキ。そんな少年の規格外さに、もう驚くのも疲れたと呆れてしまう。とは言え何のあてもなかった現状、頼りになるのも事実である。先ずは行ってみようかと、結論付けるのも早かった。


「一先ず、此処に目印だけ置いて行ってみましょう。駄目なら戻ってくれば良いだけだし」


「う、ん」


 腰に付けた魔道具のポーチから、取り出したのは黄色の宝石。小さな丸い石は、風の力が宿った精霊石。土の力に満ちたこの場所ならば、反発する力を内包する石は遠くからでも目立つだろう。


 そうしてその場に背を向けて、少年と少女は手を繋いで歩き出す。ゆっくりと暗闇を進んで行くは、浮かぶ光を辿る星巡り。広大な銀河を模る闇の中で、共に進む彼らの耳に聞き覚えのない女の声が聴こえて来た。


【西暦2535年、月軌道上に大型コロニーが作られる。幾つかの技術的ブレイクスルーを経て、人類は遂に宇宙で生活が可能となる環境を築き上げた。これはそれ以前より存在した、宇宙旅行の話ではない。人類は地球ではなく、宇宙で生まれ宇宙で育ち宇宙で死ぬ。それが可能となったのだ。この時、誰もが人と言う種の躍進を感じたことだろう】


「せい、れき……?」


「あ、うん。先史文明で使われてた年号の一つよ。もうどれだけ昔か、分からない程に古い時代の言葉ね」


 脳裏に直接伝えるような、硬い口調の女の声。聴こえた音に目を見開いて、思わずと呟きを漏らすヒビキ。その様子に何を思ったのか、ミュシャは驚きながらも説明する。


 今よりも古い時代。もう遥か昔に滅びた文明。それが使っていた年号は、嘗て西暦と呼ばれていたこと。そんな事実を上手く咀嚼出来ないのは、思考が鈍っているからだけなのか。


【西暦2600年。環境汚染の深刻化により、地球での生活が困難となる。当時研究が進んでいたテラフォーミング技術も、月や火星に用いた方が低コストで行えた。そうした多くの理由により、富裕層が地球を離れる。貧富の差は、そのまま惑星間の国力差へと繋がることとなった。地球が廃れ、宇宙が中心となる時代の到来である】


「これ、録音かな? 報告書、と言うよりは私的な記録。日記とか、にしてはちょっと文体が固い気もするわね。誰かに伝えるための物、ってのが妥当かしらね」


「…………」


 紡がれる女の声は、大きな光に近付く度に脳を揺らす。聴こえなくなるまで足を止め、暫く歩いて進んだならばまた聴こえて来る。ある種、案内代わりの物なのかもしれない。


 そうまでして、伝えたい物とは何なのだろうか。学者気質故に思考を巡らせているミュシャに対し、ヒビキは何時にも増して無表情。言葉を発することもなく、唯ほんの少しだけ、繋いだ手を強く握った。


【西暦2650年。火星政府が宇宙連邦制度を提唱。国家の解体を宣言し、それを拒んだ地球への支援を停止する。月面政府もそれに同調。国力差故に戦争へ発展することはなかったと言われているが、ほぼ同時期に地球のとある国家に隕石が衝突したという記録もある。月面でマスドライバーが開発された時期と重なることと繋げることは、果たして邪推であろうか】


 誰が何を思おうと、星の海に響く音は過去の物。唯の録音データに心情を酌むような機能がある筈もなく、硬い女の声は事実の羅列を只管に続ける。語られるのは、どれ程に進歩しても拭えない、人の業と言う物だった。


【西暦2772年。木星圏にて国家樹立の宣言と共に、月と火星が不当に富を独占しているとして両政府に対し宣戦を布告。これを受け両政府が反発、世界初となる宇宙戦争の幕開けである。本来国力差故に結果は見えていると言われていた戦いだったが、互いに慣れない初の宙間戦闘、惑星間という物理的な距離、月面・火星両政府間の不仲と技術的に当時最先端であった木星圏が導入した新兵器の存在などにより泥沼化。各地のスペースコロニーも巻き込んで、最終的には太陽系全土にまで戦火は広がった。後に言う、第一次宇宙大戦である】


 宇宙に踏み出しても、人間が進化した訳ではない。人は人であるが故に争いと言う業から逃れることは出来ず、技術の進歩は唯々被害を増やすことに繋がってしまった。


 凄惨な映像が、暗闇の中に浮かぶ。星の海を模した空間に、複数浮かぶ窓の向こう。映画を思わせる戦火の情景は、しかし実際にあった無数の悲劇なのだろう。沢山の命が、散っていった。


【西暦3223年。過去に百年戦争と呼ばれた長い戦争はあった。されど五百年以上続いた戦争は、有史以来これが初であったことだろう。度重なる戦火に巻き込まれた母なる星は、遂には生物の生まれぬ死の星と化した。地球の滅亡。歴史にその大きな事実が刻まれたのがこの年であり、一部の心ある者達が地球圏からの脱出を提言したのもこの年のこと。今も残る当時の記録を此処に映す】


 歩いて進む彼らの前に、映る記録は切り替わる。青い星から水が失われ、不毛の大地と変わる景色。宇宙に浮かぶ砂時計に似た機械群が、火を上げて壊れていく情景。その最後に、年老いた男が残した声明。


 太陽系は、今の人類には狭過ぎる。手を繋ぐ隣人として在れないのならば、純粋に距離を取るべきだ。無限に続く銀河の果てへ、辿り着けたのならば我らは変わる。アルカディアを目指して、共に銀河へ旅立とうと。


「五百年の戦争。その後の冷戦から、銀河移民計画の発足。……でも、人の本質が変わらないなら、その結末は――」


 映像を見て、小さく呟くミュシャ。彼女の懸念した通り、この世界の人類は未熟であった。技術的には大きく進んで行ったのだが、精神的には全く進まなかったのだ。


 距離を幾ら作っても、亜光速や超光速での移動技術が発達することでまた狭くなる。宛ら針鼠のジレンマだ。近付けば傷付けるしか出来なくなるのに、何度も何度も近付き争う。


 声は語る。百年経とうと千年経とうと、その度に戦争は起きたのだと。第二次宇宙大戦、第三次宇宙大戦。大規模な戦争の度に人は愚かと自嘲して、されど暫しすればまた争う。まるでそうなるように、仕組まれて生まれてきてしまったかの如く。


【宙暦元年。プロキシマケンタウリ・コロニーにて、銀河系への大規模移民計画が発動。旧暦3223年に提言され、しかし技術的な問題から夢想論と言われたアルカディア計画。三千年以上の時が過ぎても尚も争い続ける人類種に絶望した一部の人々は、夢想を現実へと変える為に、果ての銀河へと旅立って行った。その際の新人類宣言と呼ばれる演説を機に、人類は長い争いと共に古き暦を捨てたと言われる。……人は夢の果てに、理想を求めた。しかしそれは、悪く言えば逃避であったのかもしれない。過去を捨てると言うことは、古きに責任を負わぬと言うこと。ならば今の現状は、その罪に対する罰なのかもしれない】


 歩けど歩けど続く暗闇。その中に浮かぶ砂時計から、巨大な船が隊を組んで出港する。アルカディア計画によって建造された、超大型宇宙船アルカディア。


 人が生きるのに必要な全ての要素を、艦内で完結させている大型船。その内側は巨大な都市になっていて、当時の計画参加者達は艦内で生まれその生涯の全てを艦内で終えたと言う。


 そうして、百年が過ぎ、千年が過ぎた。人が外宇宙に出て、約六千年。争いを終わらせることが出来ず、己が業からさえ逃げ出した。そんな彼らに、罰は下った。


【宙歴5950年。移民計画船二番艦ユートピアの再設計艦が、やまねこ座超銀河団にて消息を絶つ。同時期に太陽系を含む銀河全土に魔王を名乗る何者かの声明が発されるが、当時は誰もが悪質な悪戯だと取り合わなかった。この時に動いていれば、何かが変わったのかもしれない。されど我らがその脅威を認識するのに、もう一万年の時を必要とした。業から逃げて、罰を前に思考を止めた。故に我らは、滅ぶのだろう】


 飛び立った船が、一つ二つと星屑へと変わってしまう。最後まで残っていた二番目を継ぐ船は、真っ暗な何かに飲まれて消えた。そして何かは肥大化を続けながら、争い続ける太陽系へと迫っていく。


【宙暦16950年。プロキシマケンタウリ・コロニーが壊滅。彼の地より送られた情報により、人類は初めて魔王アカ・マナフを認識した。彼の存在は、精神生命体。プラトンやデカルトが提唱し、過去に否定された実体二元論。それに基づいてのみ、存在を証明出来る生命である。実世界には存在しないのに、しかし確かに存在している。そんな怪物を前にして、高度に発展していた技術はしかし、何の意味も為さなかった】


 宇宙の果てに、その姿が現れる。暗き闇。悪しき黄金。整った美男子にも見える、しかし人とは違うと分かってしまう存在。それこそが、最初の魔王なのだろう。


 そんな魔王が現れて、以降の景色は一方的だ。幾つもの船が、幾つもの星が、何も為せずにアカ・マナフに飲まれていく。刻一刻と迫る滅び。当時の人々が抱いていたであろう感情が、見ているだけでも伝わって来た。


【当時の人類は、光よりも早く移動が出来た。限定的ながらも因果律や時間にも干渉し、正に全能に近付いたのだと驕っていた。されど、その殆どが魔王には意味を為さなかった。アカ・マナフには、肉体がないのだ。故に物理的な現象は、どれ程のエネルギーを保有していようと通用しない。アカ・マナフは精神に干渉してくる。故に如何なる守りを以ってしても防げず、精神を持つ生物は影響され怪物へと成り果てる。そして最悪なことに、アカ・マナフは人間が一人でも居る限り滅びない。その大本は何をしても消し去れず、その配下は無限に増え続けてしまうのだ】


 始まりの魔王アカ・マナフ。その悪しき黄金は、人間が有する負の感情から生まれたモノ。悪しき思考が拭えぬ限り、魔王は決して滅びない。そして人間である限り、悪しき思考を切り離せない。


 彼の魔王は、人類全ての対存在。その性質故に、人類が進歩すればする程に強くなる。ブラックホールを人為的に生み出して星ごと飲み干そうが、膨大なエネルギーで一星系ごと消し飛ばそうが、因果律を操り存在を消滅させようが、平然と再出現して襲い来るのだ。


 人類は、余りにもあっさりと追い詰められた。救いであったのは、或いは地獄であったのは、アカ・マナフの力が常に人類の総量に比例すると言う点であろうか。


 最盛期には数日で一星系を滅ぼし銀河を軽々と移動していた魔王だが、太陽系以外の人類が滅ぼされてしまった後では惑星間の移動にも数年を必要とする程に弱体化していた。


 故に人類には対策を練る時間があり、されど如何なる対策も意味を為さずに終わり続けた。下手な希望が見えてしまったからこそ、真綿で首を絞めるような地獄が続いた。


【宙歴21757年、木星帝国が崩壊。木星人が滅亡する直前に送られた情報により、アカ・マナフの全容解析に成功。彼の魔王の本質とは悪思。生命の有する悪い思考、負の感情の集合体だ。故に理論上、人類全てが集団自殺を行えば消滅する。逆説、誰か一人でも人間が生きている限り倒せない。絶望的な事実を前に、遂に人類は団結した。月と火星は共同で、この脅威に対する研究を進めた】


 目指していた光は、既に確認出来る距離にある。青い星、地球だ。それを模した光が、暗闇の中に浮かんでいる。何となく、其処が終着点なのだろうと分かっていた。


 其処へと向かう途中、女の声は音を紡ぐ。彼女が語るは、人類悪と言う絶望に対して、最期の瞬間まで足掻き続けた先史文明の記録。本来ならば許されぬ筈の、人道に反した行いの数々。


【亜人計画、修羅計画。火星政府が主体となって進めた研究は、人類と言う種の改良。悪思から切り離された人間を作り出すことで、彼らにアカ・マナフの打倒を担わせようとしたのである。……されど結果は失敗だ。生れながらに動物の因子を加えることで、集合無意識から外れようとした亜人計画。しかしどれ程に姿を変えようと、人間であると言う事実は変わらなかった。寧ろ中途半端に外れてしまった結果、アカ・マナフの齎す悪意に対する耐性が低下すると言う結果に終わった。対する修羅計画は、悪意なく戦闘行為を行える存在を生み出そうとするものだった。こちらはある意味で成功するが、そもそも前提となる見通しが甘かった。善意で闘争を行う生き物が、魔王とだけ戦う筈がない。生まれた修羅達は火星政府に対して善意から攻撃を仕掛け、これを滅ぼす原因となってしまったのである】


 古き彼らは、人間を作り替えようとした。結果として、亜人や修羅と呼ばれる生き物がこの世に生まれた。その事実を知り、ミュシャは驚く。師はこれを知っていたのだろうかと。


 今の世にも多く生きる、獣の因子を宿した人間。先史文明の計画の果てに生まれた人間紛いがミュシャ達ならば、修羅と呼ばれる存在は今も東で生き続ける彼らであろうと少女は結論付ける。


 知っているのだ。東方大陸において、日夜血で血を洗う闘争を繰り返している者達を。偶然知り合った際には、本当に同じ人間かとその精神性を疑った。だがそれにも理由があると言うなら、悲しいけれど納得出来た。


 亜人は獣の因子を宿しても、結局の所人間だった。アカ・マナフに触れてしまえば、彼の眷属たる魔物に堕ちてしまう。中途半端に外れた所為で、瘴気に対する耐性は常人よりも遥かに低い。


 修羅は闘争を是とする生き物だ。笑いながら親を殺し、喜びながら友を殺し、嬉しそうに恋人を殺す。人間の形をした魔物だと、語る者も居る程に。そんな救いようがない生き物だから、彼らは何もかもを台無しにした。


 遺伝子を弄り、人間の形も心も歪めてしまった。そんな先史文明の民達は、故に清算を必要としたのだろう。火星は自滅と言う形に終わり、残るは月面のみとなった。


【揺り籠計画。月面政府が主体となって進めていたのは、時間軸を狂わせて魔王を閉じ込めようと言う物である。一定の区画を切り取って、その領域内の内的時間をループさせるのだ。そうして生まれるのは、一度内側に捕らえたならば決して逃がさぬ時の檻。その発想自体は間違っていなかったのだろうが、どうしようもなく時間が足りなかった。惑星単位での時間回帰が可能となった時点で、火星が自滅したのだ。矢面に立たされた月にいつ完成するかも分からぬ研究を続ける余裕はなく、火星の生き残りと共に月面住民は地球へと避難する結果となった】


 火星の滅びは唐突で、凶報を受けた防衛線の崩壊はまるでドミノ倒しの如く。アカ・マナフの汚染を受けた万魔の軍勢が、月に迫ったのはそれから数ヶ月程後のこと。


 月面戦力は三年程に渡って抗うも、リソースの多くを費やす防衛戦を行いながら研究を続ける余裕はなかった。あと十年あれば、結果は違っていただろう。防衛戦はすぐさま、撤退戦へと形を変えた。


 月の生き残りと、火星の生き残り。そして研究結果の亜人達と、比較的従順だった一部の修羅。地球に残ったのはそれだけで、それだけで魔王に対抗せねばならなかったのだ。


【宙歴22503年。早期に月面を放棄したのが功を奏したのか、魔王の進行速度は急速に鈍化した。現在の進行速度ならば、地球に到達されるまでに凡そ二十年。期せずして研究の為に使える時間が生まれたが、死の星と化した現在の地球には設備が不足していた。新規研究の為に施設の建造から始めるような余裕はなく、故に求められたのは既存研究の発展応用。結論として我々は、ガイア理論を応用した計画を実行に移すことにした。最終計画(Last plan)神代回帰(Fantasia)。正に人類最後の、無様な悪足掻きが始まるのだ】


 最終計画・神代回帰。その目的は、集合無意識よりも強大な存在を作り出すこと。魔王アカ・マナフが人類全ての半分に等しい力を常に有するのならば、人間全体よりも強い存在が居れば良い。それはそんな単純で、強引な解決策を求めて為された最後の悪足掻き。


【先ず最初期に、月面の時間操作技術を応用して地球環境の改善を行う。これは惑星規模の時間回帰装置の雛形が完成していたから行えることであり、しかし試作機故に回帰の完了までには凡そ30万年の時間が必要だと試算されていた。今後の情勢次第では、更に時間が長く掛かることだろう。並行して時間を稼ぐ必要がある。30万年と言う稼働に耐え、魔王とも戦える存在。その核として用意されたのが、火星の遺伝子操作技術を下に作られた私を含む四名の亜人である】


 人の総意に勝るのは、星と言う巨大な生命以外にない。より早く行えるであろうテラフォーミング技術を使わなかったのは、重要となるのが認識の問題だからだ。


 人間が治した惑星では駄目なのだ。そういう認識が出来てしまえば、星は人よりも下なのだと言う意識が生じる。その差別意識は、魔王により強い性質を与えてしまう。


 星を回帰させるのは、古き人にとって星とは途方もない存在であった為。無意識の内に己よりも上位だと、純粋に信じられていた時代まで巻き戻す。そうすることで、当時の信仰までも利用しようと考えた。


 その為に必要となるのが、30万年と言う気の遠くなる程の時間。その時間を稼ぐ為の存在を生み出す為に、目を付けられたのが火星で発達した遺伝子操作技術。獣の因子を宿した、亜人と呼ばれる存在だ。


 亜人が魔物に弱いのは、亜人の総意が未発達故に悪思に影響されやすい為。人間であるのに人間ではない。その性質が故に染まりやすい彼らは、しかし故に役に立つ。


 悪思以外にも染まりやすいのだ。ならば先に星の意思で染めてしまえば、星の触覚とも眷属とも言える生き物が出来上がる。それを精霊と呼称して、魔王に対する特記戦力にすることとした。


【蜥蜴の因子を宿したシュア、鱘魚(チョウザメ)の因子を宿したマリナ、鶸鳥(ヒワドリ)の因子を宿したフェドーシャ、砂猫の因子を宿したクロエ。私たち四人が全員女として作られたのは、ガイアとは命を産む母であると見做しから。星と一つとなる生命は、性別を整えた方が良いだろうと言う判断だろう。我々四人を材料に、星の触覚足る存在を作り上げる。そうして生まれた星の化身が魔王と戦い、30万年の後に原初の姿へと回帰した星の内側へと魔王を封じ込める。それこそが最終計画・神代回帰だ】


 星の炎と同化した蜥蜴の亜人にして、火の精霊王シュア・ホォロンユエン。

 星の海と同化した鱘魚の亜人にして、水の精霊王マリナ・オンディーナ。

 星の空と同化した鶸鳥の亜人にして、風の精霊王フェドーシャ・シルフィード。

 星の地と同化した砂猫の亜人にして、土の精霊王クロエ・グノーメ。


 彼女ら四人が死力を尽くして、魔王を食い止め弱体化させる。その果てに人類総意よりも巨大な力を得た星の中核へと、人の闇である魔王を封じ込める。それこそが、神代回帰の全容。


 前例などない行為。理論上は可能と言うが、それ以上の保証はない。そんな儚い希望であり、仮に叶ったとしても余りにも長い苦難が続く選択肢。それでも、それしか、古き彼らには道がなかった。


【私はそのために生まれてきた。世界を救う礎として、人外となって長き時間を戦い、果てに人を救う為に生まれたのだ】


 語る女はそう紡ぐ。遺伝子を弄って、命を弄んで、殺す為に、救う為に、作られた。そんなクロエと言う女は、しかし嘆きの色をしていない。


【そう望まれて、迷ったことは当然ある。己の生まれに、悩んだことも、嘆いたことも、恨んだことすら、一度や二度のことじゃない。けれど今は、誇りに思う】


 最初から、そうだった訳ではない。生まれ方こそ特異であっても、見た目こそ変わっていても、女はごく普通の人間だ。どうして自分がと、思ってしまうのは当然のこと。


 泣いて、喚いて、それでも逃げ場なんてなかった。だから何時しか、彼女は覚悟を決めたのだ。それが自分の生き様だと受け入れて、その上で守るべき人の世を確かに見た。


【私は未来の為に、人の為に生きるのだ。この今に繋げる為に、宙で散っていった戦士たち。彼らの想いを無為にしない為、後に生きる人々を守る為。愛する為に、私は生まれた。それをどうして、誇りに思わずに居られよう】


 見詰めて、思った結論はそれ。抱いた答えは、そんなこと。魔王と言う絶望を前にして、最期まで抗い続けた人が居たから。死に物狂いで生き抜いた、戦士たちの背中があったから。


 罪深い行為に手を染めて、決して褒められないことを繰り返して、それでも求めたのは明日。例え地獄に堕ちるとしても、彼らは人類の未来を求めたのだ。それをどうして、否定出来よう。


 罪深くとも、邪悪ではない。悪徳ではあっても、下劣ではなかった。だからクロエは、是と決めた。身勝手な理由で作られて、生きる道は制限されていて、それでも未来を切り拓こうと彼女は決めた。


【私、クロエは間もなく星と一つになる。その後の私が、私である保証はない。だから此処に、言葉を残そう。どうか知って欲しいと、私の願いを此処に記す】


 そんな女が、最期に遺したと言う願い。祈るように口にする言葉。その音の葉が紡がれる前に、ミュシャは思わず息を飲んでいた。


 クロエの想い、その大きさに飲まれ掛けながらに思う。何かがおかしいと、脳裏に過るのはそんなこと。知識と現実が嚙み合わない。此処には、大いなる力があるのではないのかと。そんな少女は、続く言葉に心を打たれた。


【貴方は今、幸せですか?】


 暗闇の中に、女の顔が浮かんでいる。ミュシャと良く似た顔立ちの女性は、何処までも優しい表情で問い掛ける。祈るように、願うように、彼女の残した最後の未練を。


【貴方は今、笑えていますか? 寄り添う誰かと、愛し合えているのでしょうか? そんな当たり前の日々を、貴方達は過ごせていますか?】


 己と言う存在が消える。或いは残ったとしても、途方もない戦いが後に控えている。そんな絶望的な状況で、祈る言葉はそんな色。甘くて、優しくて、そして強い。そんな言葉だ。


【だとするならば、私は嬉しい。貴方達が幸せに過ごせる時間を作ること。その日々を、尊いものだと思ってくれれば。それだけで、私は、唯のクロエは報われるのだから――どうか幸せな今日を噛み締めて、素晴らしい明日を過ごしてください】


 彼女が恨み言を語っていたなら、きっと確かに信じられた。憎悪と共に作り上げた兵器が、絶対なる力がこの先にある筈だと。


 彼女が嘆き続けていたのだら、きっと確かに諦められた。古き文明がその粋を尽くしても、どうしようもなかったのだと。だと言うのに、これは何だ。


「私、は……」


 酷く、喉が渇いた。それは水分が足りていないからではなくて、原因はもっと精神的な理由。ミュシャは緊張から、そんな風に感じている。


 何故だか、自分が決してしてはならない事をしている。そんな風にも感じてしまって、だからこそ喉が渇くのか。辿り着けそうな答えから、それでも女は逃げている。


 何故ならば、もう目の前にある。暗闇の果て、青き星の目の前に、巨大な扉が聳えている。間違いなくその先が、終着点だと分かってしまった。


 引き返す道は、まだ確かにある。それでも一歩進めば手に入る。そんな場所に、辿り着いたのだ。なのにどうして、進まず戻ることが出来ようか。


「ミュシャ?」


 開けないのか、と目で問い掛けるヒビキ。その姿を見詰め返して、ミュシャは思考を切り上げる。何処まで行っても、悪い想像でしかないからだ。


 仮に此処に大いなる力がないのだとするなら、何かを致命的に間違えていたと認めるならば、それは慕う先生を疑い裏切ると言うこと。きっとそうではないのだと、ミュシャは信じたいと望んでいる。


 判断材料は、遺跡内の記録だけなのだ。引き返すことを促す為に、敢えてそれらしい映像を流していた可能性だってある。それに例え本当に無関係な場所だとしても、少し覗いてから直ぐに戻ってくれば良いのだ。


「うん、大丈夫。私は、間違えてなんかない。大いなる力があれば、きっと――」


 亜人の少女は手を伸ばす。聳え立つ巨大な扉に向けて、その先にある大いなる力を求めて、皆で過ごしていた過去の幸福を取り戻す為に。扉を開ける、道しかなかった。


 だから、これは当然の結末だ。その最期まで雄々しく立ち向かい戦い続けた彼女の祖と違い、少女は今も現実から逃げ続けている弱虫だから。


 引き返す道なんてないと思っていて、取り戻す過去以外を見てなくて、本当は今もあの日に死にたかったと思っている。そんな弱虫が、碌な結末を齎す訳がないのである。




 扉に触れた直後、翡翠の光が場を満たす。開くより前、血に濡れた手で触れただけで扉が光と共に消えたのだ。そして直後――膨大な砂が突風と共に吹き込んだ。


「わっ、ぷ」


「な、なにこれ? 砂? 砂漠!?」


 突然の熱風。吹き付ける風に目を細めれば、何時しか口腔には違和感。ミュシャが唾を吐き捨ててみれば、唾液に混じる黄色の砂。


 目の痛みも治まって周囲を見回せば、其処は砂漠のど真ん中。照り付ける太陽の下、背には扉など残っていない。一体何が起きたのか、少女は目を白黒とさせながら混乱する。


「あれ、太陽? ここ、遺跡の中よね?」


 意味が分からない。訳が分からない。日の光も届かない程に地下深い遺跡の扉を開けたのに、気付けば日差しが照り付ける熱砂の砂漠。


 先とは異なる理由で喉の渇きを感じながら、周囲を見回すミュシャ。そんな少女を他所に、ヒビキは唐突に座り込む。その顔には、疲労の色が見て取れた。


「……此処、息、苦しい」


 この場所には、精霊の力が満ちている。強大な怪物であるヒビキが、多少体調を崩す先の遺跡内。それさえ比較にもならぬ程、この熱砂には星の息吹が満ちている。


 唯、息をするだけでも苦痛を感じる。宛ら底無し沼に沈み続けているように、呼気と共に泥を飲み続けているかの如く、鈍く重い苦痛を受けて少年は片膝を付いていた。


 そんな少年から、滲み出る色。目に見える程に大気を歪めている黒は、魔物が放つ負の瘴気。星の中心に飲まれた彼が、浄化に抗おうと本能的に為したこと。


 瘴気は魔物を生かす力にして、あらゆる生命を汚染し冒涜する力。無自覚であれこの場所で、生存の為に穢れを撒いた。それは許されざる大罪であり、故に――彼女は此処に降臨する。


「な、何か、来る……?」


 少女の言葉に呼応するかの如く、膨大な量の砂嵐が巻き上がる。天にも届き、空を埋め尽くす程の大砂嵐。先の熱風など比較にならぬ程の、力に満ちた風が吹き荒ぶ。


 膝を付いた少年も、立ち尽くしていた少女も、体勢を保つことも出来ずに砂上を転がる。そんな両者の見上げる視線の先、中空に集った緑の光が人の形を作り上げる。


【嘆かわしい】


 声は、確かに嘆きの色を含んでいた。しかし、それだけではない。その音には、怒りを無理矢理に抑え込んでいるかのような色もある。


 その音は、つい先程に聞いた語りの主。心の底から、誰かの幸福を祈っていた女。されど今の声音には、その慈愛の色など欠片もない。


 それが唯々、少女には恐ろしく感じる。この時には既に悟っていたのだろう。己はどうしようもない程に、間違えてしまったのだと。


【嘆かわしいぞ、我が末裔。ルシャの血を引く、最後の子よ】


 砂嵐の勢いにも目が慣れて、音だけでなく光も確かに映り出す。声の主の姿を見る。其処には獣毛に覆われた裸体を晒す、浅黒い肌の女が居た。


 目を引く程に長い髪は鮮やかに輝く緑色で、ネコ科の特徴を有する瞳もまた輝く新緑。溢れる光を全身に纏った女は、ミュシャと言う名の少女に良く似た顔立ちだった。


【お前には、引き返す道があった。お前には、選び取れる道があったのだ。しかしお前は、数多の道よりこの道に来た。選んだのではなく、盲いた心で流された。それが大罪であると、気付ける身でありながら】


 ミュシャに良く似ていて、しかしより獣に近い。そんな女は爛々と輝く瞳で語る。許されないことをしたのだと、その鋭い瞳が射貫く先には今も膝を付く少年の姿。


【第五の魔王、アジ・ダハーカ。(ワラワ)は知るぞ。妾は星の触覚にして、悠久にある大地そのもの。妾は土を介して、この星で起きた全てを知り得る】


 その女は、精霊の王。遥か太古に、生きたまま地に埋められて命を終えた亜人の成れ果て。多くの命を星に捧げて、人の祈りを重ねた果てに生まれた存在。


 今の女は、星であり土である。星を構成する四要素、その内一つを司る彼女は土に触れる全てを知る。この大地の上において、この女に分からぬことはない。故に、少年のことも知っているのだ。


【邪なる神に捧げられし神籬よ。聖なる剣に救われし小さな子よ。汝は確かに、憐れむべき幼子だ。汝は確かに、導かれるべき被害者だ。汝は確かに、邪悪なだけではないのだろう。されど――汝は悍ましき害悪だ】


 哀れな神籬。その少年は、生まれからして悲劇にあった。人々の妄想が、歪んでしまった信仰が、特別な日に生まれた彼に特別な才能を与えた。故に、恐ろしい神に目を付けられた。


 神の贄たる神籬は、その内に如何なる力だろうと宿せてしまう。故に第五の魔王が器として、少年は利用されて変貌した。悍ましい怪物として再誕し、されど彼を想う人の子の遺志が奇跡を起こした。


 今の彼は、悪ではない。どうしようもない魔王ではない。女が良く知るある少年の想いが、彼に僅かな光を残した。故にそれを知る女は、ヒビキを邪悪と断じたくはない。されど少年は、どうしようもなく害悪だった。


【この地は星の中心。遥か嘗てに、始まりの魔王を封じた場所。そして今も、妾を楔として機能し続ける封印の地】


 気の遠くなる程の昔、四体の精霊王と魔王は戦った。激闘の果てに星は人の総意を超えて、勝利した精霊王たちは星の中心へと始まりの魔王を封印した。


 されど封印は完璧ではない。人の世が発展すれば、力を取り戻した魔王の影が溢れ出す。封印の隙間より溢れ出した魔王との戦いに、精霊王は表立って助力することも出来ずに居た。


 理由は一つ、彼女らは封印の楔であるから。火は東、水は西、風は南、土は北。それぞれが担当する大陸から外に出れば、魔王の封印が解けてしまう。影ですら人を追い詰める怪物が、真に解き放たれてしまうのだ。


 特に他の三体と異なり、土の精霊王は大陸は愚かこの遺跡から外に出ることすらも叶わない。何故なら魔王が封じられたのは、星の中枢。大地の奥底。最も重要となる封印の要こそ、今この場に降臨した土の精霊王である。


【封印は、魔王一柱が限界だ。この異界に満ちた全ての精霊力で浄化し続けても尚、滅ぼせぬのがアカ・マナフという大悪。それを浄化し続ける為に、妾の力の全てが必要となる。だと、言うのに――】


 三十万年、片時も休むことなく浄化を続けた。影が現れる時を少しでも遅れさせる為に、ほんの僅かでも多くの人々が幸福な時を過ごせるように。女は唯、その為に生きた。


 この女をして、その全霊を費やさねばならなかった。そんな異界に、しかし今異物が紛れ込んでしまった。愚かな末裔が、女の世界に連れ込んだのだ。存在するだけで、世界を穢す怪物を。


【ミュシャ・ルシャ。お前は魔王をこの地に連れて来た。あの薄汚い吸血鬼を師と縋り、騙されていると気付きながらも妄信し、果てにこの地を穢した! 許されざる大罪だっ!!】


 連れ込まれたのが、唯の魔物ならば問題なかった。遺跡の精霊力で浄化出来るし、いざとなれば女が動けばそれで済む。例え大魔獣であったとしても、この異界に入り込んだ所で消滅する。


 故にあの吸血鬼も手が出せずに居たのだ。故に女の末裔を手駒にした時、この悪辣な策を企てたのだろう。限定的ながらも未来が分かるアレならば、第五の魔王が誕生する瞬間にも気付けると女は知る。


 そう、女の力を以ってしても、魔王の瘴気は浄化し切れない。故にヒビキがこの場所に入り込んでしまった時点で、女にとってはもう詰みだった。


【魔王の瘴気は、妾をして消し切れぬ! その悪竜がこの地で生きるため、瘴気を発してしまった今っ! 始まりの魔王の封印は、もう永くは持たぬのだっ! 例えこの今、貴様を消そうと、この穢れは人の破滅を引き寄せるっ!!】


 人の世に、冬が来る。この三十万の時、遠ざけ続けていた冬が。決して滅ぼせぬ魔王が真の力を取り戻し、多くの命が嘆きの果てに散ることだろう。その未来を、もう避けることが叶わない。


 故に女は怒るのだ。無自覚に世界を滅ぼそうとするヒビキと言う魔王の存在に、妄信と惰性から世界の滅びを招くミュシャと言う子の存在に、こうなると分かっていながら動けず破滅を呼び込んだ己という存在に。


【ならば裁こうっ! 断罪を下そうっ! 貴様の祖としてっ、その血を産んだ母としてっ、この妾が裁定するっ!! せめての慈悲だっ! 痛みなく終わらせるっ! 首を出せっっっ!!】


 溢れんばかりの激情に呼応して、砂漠と化した世界の全てが震えて揺れる。震度で形容出来るのならば、二桁を軽く超えるであろう強さを以って。


 当然の如く立ち上がる事もままならず、砂の大地に尻餅をついたまま放心したミュシャ。似た顔立ちの女は鋭い瞳で彼女を睨み、右手を高く天へと掲げる。


 その掌より僅か離れた中空に出現するは、刃にも似た鋭く尖った石の杭。黒光りするその石杭は、人の胴程の大きさがあり、刺されば命に関わるだろうと確信出来る凶器である。


 表れたる意図が何であるのか、問うことに意味はないだろう。答えに辿り着いて目を見開くミュシャはしかし、真面に立つことも叶わぬから逃れることなど出来はしない。いいやそれ以前の状態だ。


「――っ!? な、何がどうなって、こんな、大いなる力がある筈じゃ!?」


 師がそう言った筈なのに。此処に求めたものがないなら、一体何をどうすれば良いのか。混乱の極地にあるミュシャの頭に、女の語りはその殆どが入って来ていない。


 それでも宙に浮かんだ女が何者なのか分かってしまう。その身に流れる血が告げるから。その積み重ねた知識が伝えてくるから。その瞳に宿った異能の萌芽が、答えを導き出しているから。


 ああ、間違いない。其処に座すは、大地の王。ミュシャの一族が祖と仰ぎ、神と信じた信仰対象。それが己に対し、激しい怒りを抱いている。それだけで、呼吸さえ儘ならない程に怖くなる。


「クロエ、様。……ミュシャは、何を、間違えたの?」


 クロエ・グノーメ。精霊の王たる一柱は、末裔の言葉に僅か目を細める。されど寛大も温情も既に尽きている。後に残るは、僅かな慈悲だけ。


 楽に死ね。その意志を以って、振り上げた右腕を振り落とす。鋭き石杭は音速の壁すらも突き抜ける速度で飛来して、動けぬミュシャの命を奪い去ろうと――


「ミュシャ、虐め、ないで」


 する直前に、ヒビキが彼女の前に立ち塞がる。その右腕を無造作に振るって、迫る石杭を打ち落とす。接触の直後、響いた音は爆撃のそれにも似通っていた。


「……痛い」


「ヒビキ!? き、傷が!?」


 裏拳で払ったヒビキの手が、骨が見える程に抉れ潰れ傷付いている。今まで超然としていた規格外の少年が初めて見せる苦悶の表情に、ミュシャは目を見開くことしか出来ない。


 だが苦々しい表情を浮かべているのは、中空に座す精霊王もまた同じく。杭には触れただけで、大型の魔物が消し飛ぶ程の精霊力が込められていた。


 更に言えば、此処は星の領域。精霊王にとっては体内のようなものであり、魔王にとっては猛毒の沼にも等しい場所。呼吸さえ出来ない程に、弱体化している筈なのだ。


 だと言うのに、奪えたのはそんなヒビキの片手のみ。それさえ既に、血肉が盛り上がって再生を始めていた。瞬きにも等しい時間で、彼の体は元通りになっている。


【悪竜王。貴様はやはり、妾の前に立ち塞がるか】


 そんな少年の瞳を見詰め返す女の心を満たすのは、敵対心と言った負の感情だけではない。果たさねばならぬと言う使命感と共に脳裏に過ぎるのは、瞬きの間に過ぎた過去の思い出。


――俺は帰りたい。大切な、友達が待ってるからさ。


(勇者よ。そなたの想い、その光、消えてはいないと、果たして信じられるであろうか)


 この遺跡は、大地の王と謁見する為の場所である。その本来の役目を果たしたのは、二十年は前のこと。年若い少年が、巫女の少女と聖騎士の青年と亜人の老人を連れて来た。


 その際の問答を、その後の活躍を、果ての軌跡を思い浮かべる。魔王として再誕した少年が、しかし化け物には成り果てず、唯の幼い子どもとしてあるのは彼が遺した奇跡が故に。


 その輝きを尊いと知るが故。されど摘み取らねば、待つのは破滅だけだと信じるが故。女は此処に、己を示す。溢れんばかりの力が籠った声が、少年少女の鼓膜を打った。


【ならば、先ずは名乗りを上げよう! 妾はクロエ! 四大精霊が一つ! 土の精霊王が、クロエ・グノーメである!!】


 星の化身であり、世界の守護者である精霊王。その内の一つこそ、クロエ・グノーメと名乗るこの女。


 そしてこの地こそ、彼女が統べる地。砂漠の王墓は、始まりの魔王を永劫眠らせ続けるために作られた要石。


【貴様がこの地に現れた以上、アカ・マナフの封印は破れるだろう! 果てに冬の時代が訪れる! 誰もが涙し、苦しみに満ちた未来が来る! されど、妾が退く理由はない! 我らの足掻きが、抗いが、無為ではないと示すため――っ!!】


 封印は崩壊した。例えるならば、表面張力で均衡しているグラスの中に水を更に注ぎ込むような暴挙。その行為の果てに、水が溢れ出そうとしている。


 故に封印は持たない。それは此処でヒビキを撃退したとしても、もう変わらぬ事実と結末。30万と言う気の遠くなる時を重ねて得た成果は、もう元には戻せない。


 更に言えば、精霊王の死は更なる最悪を呼ぶ。故に此処で戦いを選ぶのはリスクでしかなく、得るものなど殆どない行為。されど、それでも手に出来るものはある。


 この場所ならば、五大魔王の一角を滅ぼし得る。可能な限り早期に倒せたならば、第一魔王の復活を遅らせることも叶うだろう。故に要を捨てて逃げるという道は、この女の内にはない。


 多くの想いが、此処にはある。この地を作り上げる為、幾つもの命が散った。この地に魔王を縛り付ける為、どれ程の嘆きが生み出されたのか。


 クロエ・グノーメは知っている。30万を超える歳月、この女はそれだけの年数を戦い続けた。その日々は何一つとして、この今も忘れてない。だから――


【此処で滅びよ、悪竜王っ!!】


 戦う他に道はないのだと、大地の女は咆哮する。その頭上に浮かぶのは、少年の片手を砕いた杭と同じ物が数百数千。その背に湧き立つのは、高層ビルよりも高い砂の壁。


 壁は津波の如く押し迫り、石杭は雨の如く降り注ぎ、翡翠の輝きを纏った精霊の王は強き意思で咆哮する。迎え撃つヒビキは頭痛に耐えるような表情で、迫り来る脅威を睨み上げた。






旧版より多弁になったクロエ様は、精霊王の中で一番の苦労人。

因みに精霊王クロエは黒ギャルみたいな褐色肌だが、亜人クロエは白人なので記録映像とは肌の色が違っていたりする

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