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Re, DS  作者: SIOYAKI
第五章 邯鄲に歩を学ぶ
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第78話


 影の海にて蛇がうねる。頭上の天蓋から這い出た頭が大きく口を開いて一つ鳴き、その巨大な蛇体の周囲に暗く輝く青白い球体が発生した。


 無数に表れた発光体は、内の一つですら地を砕き山を崩す程の力を秘めたもの。直撃は愚か掠っただけでも、人体など肉片一つ残しはしまい。


 そんな球体を、リヴァイアサンは自らに向かって放つ。一見すれば自傷行為にしか見えぬそれは、しかし彼の怪物が有する鱗によって意味を変える。


 蛇の総身を覆う無数の鱗は、あらゆる異能を反射すると言われるもの。それは当然、己の力も対象となる。鱗に当たった発光体は、細かく分かれて乱反射するのだ。


【Siiiyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!】


 無数に小さく分かれたそれは、怪物自身の意図も混ざらぬが故に軌道が酷く読み難い。威力は相応に落ちてしまうが、それでも無防備に受ければ手足の一つは弾け飛ぶ。


 闘気や神聖術で強化するだけでも、被害は大幅に減少するだろう。それでも無傷と言う程には軽くない。

 そんな威力の面制圧。雨のように降る暗き光は、カルヴィンにとっては嫌な手筋であった。


「ち――っ!」


 全身の肌に火傷のような傷を負いながら、カルヴィンは忌々しいと舌打ちする。


 距離を取って近付いて来ないリヴァイアサンの行動は、第五聖典に対する模範解と言うべきものであったのだから。


「あんの魚野郎っ! 厭らしい戦い方をしやがってっ!」


 リヴァイアサンの最たる強みは防御性能。その体はダイヤモンドよりも硬く、ゴムよりも柔軟であるが故に物理的な手段で破壊することは極めて困難だ。ならば異能はと言えば、全身を覆う鱗がそれを反射することで防いでしまう。


 故にリヴァイアサンを倒さんとするならば、古代文明の生み出した惑星消滅級の兵器などを用いて過剰な物理火力を与えるか、鱗のない体内に侵入して中から異能を用いた破壊を試みるか。そうした常識の範囲外にある力の行使を要求されてしまうのである。


 その防御性能に、転移能力がこの大魔獣の最大の武器。己が体躯を望んだサイズに変える能力と転移能力を合わせれば、リヴァイアサンが出現出来ない場所など世界の何処にもないだろう。


 実に凶悪な性能だが、一つ穴が存在している。それは世界の仕組み、異能には強制力と言うものがあるのだ。


 火に水を掛けた時、水が多ければ火は消えるが、火が強ければ水は蒸発するように。内包する力の差は、時に相性すらも覆す。それが強制力と、それに対する抵抗力の法則。


 リヴァイアサンの鱗は生態だ。生物として最初から備えている機能であり、故に抵抗力としては然程強くない。人間の異能はほぼ全て防げるが、魔王の権能とまで行けば対処出来なくなる程度。


 対して聖典とは、この世界を生み出した神が作り出した力の結晶。その強制力は神そのものに準じるが故に、神より弱き存在には抵抗さえも許さない。魔王の権能よりも優先される法則である。


 故に正面から戦えば、リヴァイアサンの防御性能は何の意味も為さない。その強固な筈の鱗は紙屑のようにあっさりと、獅子の爪に引き裂かれて砕けるだろう。


 ならば転移能力を用いての体内破壊は可能かと言えば、それも不可能ではないが難しい話。


 聖典の保持者はそれだけで抵抗力が増すのだ。其処から更に闘気や神聖術で強化されては、流石の大魔獣にも突破は先ず不可能だと言えよう。


 無論、無防備な状態で受ければ通る。そういう意味でも視線を外せば厄介なのだが、そうでなければどうとでもなる。相性と言う意味では、カルヴィンの側が圧倒的な優位にあったのだ。


「俺に近付けば、一方的な戦いで終わる。だから、徹底した引き撃ちっ! 面攻撃でこっちの力を削るだけ削って、粘り勝ちをしようってかよっ!」


 無敵の法則。あらゆる攻撃と防御を無視する第五聖典は、極めて凶悪な代物だと言えるだろう。


 だが完全無欠な力が存在しないように、この聖典には消費が重いと言う欠点がある。持久戦や対多数戦には向かないのだ。


 この場に存在している敵の中で、最も相性が良いのが大地の大魔獣。過剰な火力を有する山より大きな巨体など、カルヴィンにとっては大きくて当てやすい的でしかない。


 逆に相性最悪なのが大空の大魔獣。高速移動する風圧だけで地形を変える彼の怪物と相対すれば、カルヴィンでは追い付くだけでも精一杯。時間稼ぎは出来るかもしれないが、敗北と言う結果は恐らく揺るがない。


 そして大海の大魔獣を相手にすれば、その結果が今の状況。相性差から聖典が機能している内は優位に立ち回れるが、聖典が効果を失えば途端に形勢は逆転する。


 これが一騎打ちであれば、カルヴィンは速攻を仕掛けていただろう。聖典の応用技で距離を詰め、敵を掴んでから切り替えて叩き潰す。持久戦が下策となれば、それ以外に選択肢はない。


 だが――これは一騎打ちではない。


【Guooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!】


「くそっ! いちいちうっせぇんだよ、糞カバがっ! 不滅なるは獅子の咆哮(レルアバド・アサド)!!」


 蘇ったベヒーモスが雄叫びを上げて起き上がり、口内に力を集めているのを認識した瞬間にカルヴィンは動く。鎧を纏って近付くと、応用技を用いた拳の一撃。


 最大体力と同等の威力をその身に受けて、再び死骸となった巨体は砂浜に向かって崩れ落ちる。地に伏した残骸を横目で一瞥しながら、直ぐに鎧を脱いだカルヴィンは舌打ちする。


 見上げれば、空からは無数の発光体が落ちて来る。消耗を考えれば、無敵で受ける訳にはいかない。両手で頭部を庇った男は、そのまま光に身を焼かれた。


「ぐ、くぅっ!」


 苦悶は僅かに、治療をせねば動けない程の傷はまだない。リヴァイアサンは自身の安全確保を最優先にしたまま、距離を取って攻撃を仕掛けて来ているから。


 そんなリヴァイアサンに対し、距離を詰められない理由が再び起き上がろうとしているベヒーモスだ。音を立てて砂浜から起き上がる巨体に、カルヴィンは忌々しいと吐き捨てる。


 無敵の守りがある限り、ベヒーモスは敵ではない。過剰な火力は全て鎧に防がれて、その巨大なだけの体躯は拳の一つで倒れる的でしかないからだ。


 だがしかし、それは無敵の守りがあればの話。それが無ければ、恐らくは一撃を受けただけでも戦闘不能になりかねない。それ程の火力を、ベヒーモスは有していた。


「……カバが邪魔で、魚を殴りに行けねぇ。このままじゃ、粘り勝ちされるな」


 故に湧き潰しは必須。蘇る度に鎧を纏って応用技を行使して、信仰力の消費は重いがそうしなければ己が詰むのだ。リヴァイアサンの光球と異なり、生身で耐えると言う選択肢はないのだから。


 再び起き上がったベヒーモスを、再びカルヴィンは片手間で潰す。裏拳の一発で消し飛ぶ巨体がまた復活するまでの時間は数秒。その数秒で引き撃ちに徹する海蛇を仕留めると言うのは、どう考えても無理のある行為である。


(だが、そいつはこっちとしても都合が良い。どの道、闇の魔王が居る限り、こいつらは不死身だ。再生する化け物の土俵に、態々乗ってやる理由もねぇ。なるべく力を温存して、あのガキが魔王を倒す時まで耐えて、直後にこいつらを即死させる。それが頭の良い勝ち方って奴だろう)


 無茶をすれば、負担が大きい。それでも勝てると言うのならば、カルヴィンは無茶や無理の十や二十もするだろう。


 だが原初の魔王が居る限り、無茶や無理に意味はない。無限に復活し続ける相手に対し、持久戦以外の選択肢などない。


 そう考えれば、大魔獣たちの行動パターンはカルヴィンにとっても都合が良い。この今を続ければ、どうあれ状況は変わるのだから。


「なんて、んな都合良く行く訳ねぇわな。見誤んなよ、相手は格上。主導権を取られたままじゃ、持久戦だって続きはしねぇって考え直せ」


 そんな当然の思考を、カルヴィンはウンザリとした表情で否定する。これまでに自身が消費した信仰力と体の傷を考慮に入れれば、後四半刻もしない内にどちらも底を尽くと分かっていた。


 三十分にも満たない時間で、あの少年が原初の魔王に勝てるのか。だとしても、それから敵を殺し切るだけの力を残しておけるのか。出来ると軽く口にするのは、余りに見通しの甘い行為であろう。


(賭けに出る、しかねぇな。カバと同じく、魚の方も湧き潰しが出来るようにしておく。持久戦をするにしても、先ずはそれが前提だ)


 後の負担を最低限に抑える為に、今の一瞬に過剰な労苦を背負い込む。そうと決めたカルヴィンは、真っ直ぐに前を見詰めて力を纏った。


「行くぜ、 不滅なるは獅子の咆哮(レルアバド・アサド)!!」


 黄金のオーラが鎧へと変わり、獅子は雄々しく叫ぶと大地を蹴る。踏み込む先はリヴァイアサン――ではなく、蘇生し起き上がってきたベヒーモス。


 先と同じく応用技で、引いた拳に敵の体力と同等の火力を宿す。だが、それだけでは足りない。焼き直しにしかならぬから、此度は其処にもう一つ。必ず殺すと言う意思を混ぜた。


(先ずはカバを、念入りに殺す! 応用技の二重発動はキツイが、んなもん唯の前提条件っ! その程度、為せずに何が十三使徒だっ!)


 聖典の第二顕彰、その応用技は消費が重い。通常の聖典発動に際して消費する信仰力を1とすれば、第二顕彰は一秒間に10は使い、応用技は一秒間に100を使う。


 その応用技の重複発動ともなれば、消費は加算ではなく乗算だ。詰まりは100×100で10000。一秒の発動だけでも、カルヴィンが溜め込んで置ける信仰力の最大値など軽く超える。


 だから、発動時間は一秒以下。分厘毛糸、1秒の10000分の以下のタイミングで発動した拳を敵に当てる。想像するだけでも絶技であるが、その程度熟せずして何が英雄か。


(これで、復活までの時間が数秒から数十秒には増えた! だから、この内に魚を捕まえて、引き摺り回してカバと同じ場所に落とす! そうすりゃ、湧き潰しの労力は大きく減る!)


 またも崩れ落ちるベヒーモスを後目に、今度は鎧を解かないまま、振り向きざまに強く踏み込む。大地を蹴り付けるその一瞬に、応用技の発動効果を切り替え。


 求めたのは距離を制覇する速力。ヒビキやジズのような圧倒的な速力を得たカルヴィンは、周囲に傷跡を刻みながら黒い闇の中へと身を潜めようとするリヴァイアサンに迫った。


「逃がさねぇ、よぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 全身が闇の湖面に沈み込む直前に、辿り着いて尾を掴む。掴んだ瞬間に三度応用技を切り替え。敵を超える膂力を宿して、力尽くで表側へと引き摺り出す。


「掴んだ! なら、このまま――ぶっ倒れろぉっ!!」


 逃げられないと悟ったリヴァイアサンが身を巨大化させて暴れるが、知ったことかと言わんばかりに振り回して叩き付け、蘇ろうとしていたベヒーモスに向かって放り投げる。


 砂浜から起き上がろうとしていた巨大な獣と巨大な蛇は恐ろしい速度で激突し、そのまま海面へと落ちていく。そこに距離を制する速力を得たカルヴィンが追い付き、左右の手で二匹の頭蓋を纏めて潰した。


(聖典解除! くそ、分かっていたが、消費が重い! あと、何度使える! あと、どれくらい持つ! いや、考えるな、やるしかねぇんだ!)


 余りにも一方的な蹂躙劇。傍から見ればそんな展開であったとしても、内実を知れば追い詰められているのはどちらであるか。


 信仰力は祈りの力。神に対して真摯に祈った時間の数だけ、使用が出来る奇跡の類。そうである以上、戦場で補給なんて出来ないのだから。


 無骨な鎧をオーラに戻して、肩で息をするカルヴィンは海を睨む。海に沈んでいく二匹の大魔獣は、しかし既にその身を再生させ始めている。


 復活の瞬間を見逃せば、リヴァイアサンは転移で逃げる。先の消費が無駄になるのだ。それだけはさせぬと意識を集中して――故に彼は、後方からの攻撃に反応出来なかった。


「な――っ!? 陸から、津波、だとっ!? しくじりやがったか、六武衆っ!!」


 耳に響いた轟音で気付き、振り返った瞬間に頬を引き攣らせる。視界に映ったその光景は、身の丈の三倍以上の高さを有する汚水の津波だ。


 ジズの腐卵。彼の大魔獣はあらゆる毒とあらゆる病を宿した卵を産む。地に落ち砕けたそれは中から津波と錯覚する程の汚水を溢れさせ、世の一切を呪うのだ。


(ま、ずっ!? こいつは、毒と病と呪詛の塊かよっ! くそっ、直撃を食らった! 治療しねぇと死ぬっ!) 


 前方に集中していた時に、背後からの不意打ち。想定外の一撃は、聖典によって高められたカルヴィンの抵抗力さえ上回る。


 波に飲まれて押し流されたカルヴィンは、その先にあった岩場を掴んで身を持ち上げる。片腕で己の体を跳躍させると、波の高さを飛び越えた。


 空中で一回転して姿勢を正し、波が過ぎ去った後の砂浜に着地する。全身に浴びた汚水から皮膚を通して呪詛が染み込み、無数の異常に軽くよろめく。


(くそ、くそ、くそ、呪詛の数が多い! これを一つ一つ解除すると、馬鹿にならねぇ消費になる! だが、だからと言って治さねぇ訳にもいかねぇ! 解呪と周囲の浄化に、一体どれだけ持ってかれる!? 糞が、何て性質の悪い呪いを撒きやがるんだっ!!)


 頭痛や吐き気に高熱。世界最高の治療師でもあるカルヴィンは、茹だった頭でありながらも即座に己の状態を正確に理解する。


 解呪は可能だ。簡単だ。しかし、現状では無視出来ない程に消費が重い。それでも、治療をしないと言う選択肢はなかった。この状態では戦えない。


 故に残る信仰力の多くを消費して、何とか深い息を吐いたカルヴィン。そんな男は己を隠す巨大な影に気付いて顔を上げ、現状がどれ程に危険なのかを認識する。


「ちっ、もう蘇ってきたのかよ。カバ野郎」


 ベヒーモスが復活している。リヴァイアサンの姿がない。その口腔には膨大なエネルギーが集まっており、思考を纏めているような余裕はなかった。


 故にカルヴィンは残る信仰力を振り絞って、黄金の鎧を纏って駆ける。応用技を使用出来るのは、恐らくはこの一撃が最後。もう信仰力は残っていない。


「撃たせるか、ぶっ潰れろやぁぁぁぁぁ!」


 それでも、黙ってやられる訳にはいかない。ベヒーモスの最たる強みは、その過剰な火力なのだから。鎧も纏えない状態で直撃を受ければ、それだけで即死し兼ねない。


 迷わずベヒーモスへと殴り掛かったカルヴィンは、拳を振り下ろすその直前に目を見開く。それは余りにも、予想外にも程がある光景であったのだから。


「な――っ!? 魚が、庇う!? 魔物の癖に、仲間意識があるのかよっ!!」


 カバには血の汗と言う、体表に分泌液を発生させる機能がある。巨大なカバの大魔獣であるベヒーモスにもそれはあり、魔物であるが故に通常の生物よりも融通が利く。


 詰まりはそう、ベヒーモスは己の体皮に体液で湖面を作り出したのだ。其処から転移で生えて来たリヴァイアサンが鎧のように巻き付いて、カルヴィンの一撃を代わりに受けた。


 故に結果は確定する。鎧を保つことすら出来なくなったカルヴィンには最早、今にも放たれようとしているベヒーモスの主砲を止める術がない。


(まず、い。信仰力が、足りない。鎧の維持が、出来ねぇ。くそっ、防御――間に合わ、ねぇっ!?)


【Guooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!】


 重力球が放たれて、北の大地の地形を変える。大陸の三割弱が削り取られて、海面よりも下がった地表は海の中へと沈んでいった。


「が、は……」


 それだけの破壊が過ぎ去った後、浜辺に倒れた男は仰向けに倒れたまま、何度も咳き込み血反吐を吐く。


 カルヴィンは既に瀕死の重体。唯の一撃でこれだ。直撃を受ければ不味いと言う警戒は、決して間違った推測ではなかった。


「ああ、こりゃ、マジでやべぇな。神聖術の自動蘇生も、出来る程の信仰力が残ってねぇ」


 痛む体で、空を見上げる。血に塗れた男の見上げた空の色は、闇の天蓋に遮られて見えもしない。


 そんな闇の只中で、カルヴィンは静かに自嘲する。全く、己は一体何をしているのであろうかと。


(横入りが無ければ、何て言えねぇわなぁ。警戒する程度の余力もなかった時点で、手に余る敵ではあった訳だ。普段の俺なら、相手にしねぇ類のよ)


 クールドリオンの異名が通り、本来の彼はこんな博打などしない人間だ。六武衆の者らと戦った時のように、常に余裕を持った安全策を心掛ける。


 公方姫乃の真偽を受けた時のように、防ぎ切れないと分かれば損切りをして切り替える。そんな普段の彼がみれば、此度の戦場は真面に挑む時点で愚策と言える状況だった。


 原初の魔王が率いる、無限に復活する大魔獣が二匹。唯でさえ格上なのに、倒しても倒しても尽きることがない。そんな相手に、何故に挑んでしまったか。


「けど、しょうがねぇだろうが。アイツの言葉を聞いた時に、思っちまったんだよ。なら、しょうがねぇだろ」


 言葉にしてから、一つ笑う。それは自嘲で苦笑で冷笑で、それでも強がりの一つ程度も含んだ笑み。そんな笑みを浮かべた男は、頼りにならない程に衰弱した四肢に力を籠める。


(戦うと決めた。守ると決めた。その理由。守るべき者とは違うのだとしても、似ていると感じちまった以上、捨ておけねぇ。ったく、情けねぇ話だぜ)


 あの牢獄で一人の子どもが見せた決意。それを見た所為で、どうにも調子が狂っているのだ。だから仕方がないと嘯いて、カルヴィンはよろめきながらも立ち上がる。


 顔を上げ、見上げてみれば完全復活を遂げた二匹の大魔獣の姿。海から顔を出す大地と大海の魔獣たちは、その瞳に嗜虐性と愉悦の色を宿してカルヴィンの姿を見下していた。


 人を苦しめ、人を踏み躙り、恐怖と絶望の情を糧とする。そんな魔物の生態に、獲物としての弱き立場に、カルヴィン・ベルタンは息を吐く。


 怒りはなかった。恨みもなかった。唯、懐かしいと感じた。霞む思考の中で思い出す。ずっと幼い頃の気持ち。男にとっての始まりの感情を。


「ああ、けど、懐かしい感覚だ……ガキの頃はずっと、こうだった。は、そうだな。俺は、そうだった」


 見下され、虐げられて、痛みの中で生きてきた。そんな在りし日を思い出し、目を細めて笑う。絶望的な状況を前に、それでも男は笑っていたのだ。






 カルヴィン・ベルタンの生まれは王都の何処か、育ちは後ろ暗い者らが身を隠す裏路地。ろくでもない住人が多い場所で、男の父はまだ真面な経歴の持ち主だった。


 人魔大戦に従軍した傷痍軍人。退役に際して軍からは手当や恩給が与えられたが、それも国の混乱と共に先細り。


 片手を失い、片足も麻痺している。そんな男が国家の動乱期に落ちぶれるのは、妥当とも言える悲劇であろうか。


「んなことも出来ねぇのかよ、糞がっ!」


 怒鳴られて、殴り飛ばされる。カルヴィンにとって、父親とはそういうものであった。


 良い親だった頃の記憶などはなく、物心付いた時から父とは酒に酔って己を殴り飛ばす脅威であった。


 対して母親の顔を、カルヴィンは写真でしか知らない。


 ゴミだらけの家の中で、唯一綺麗に残っていた写真。其処に映った母の姿は他の場所では見たことがなく、だから己を捨てて逃げたのだと思っていた。


 父はいつも酒に溺れていた。先細りしているとは言え、僅かに残っている恩給や貯蓄。それらを安酒に浪費する父から、食費や生活費と言う物を受け取ったことはなかった。


 だから止む無く、カルヴィンはスリや強盗や恐喝と言った犯罪行為に手を染めた。そうして生きているのだと知った父は止めるでもなく、酒も盗んで来いと命じるようになった。


 上手く酒を盗めても、下手を打って私刑にあったとしても、泥酔する父親の対応は変わらない。酒を飲んで、己が不遇を愚痴り続けて、気紛れに子を殴るだけ。


 それでも、家から飛び出そうとしなかった理由は綺麗な写真があったから。きっと縋っていたのだろう。夢を見ていたのだ。赤子を抱いて微笑む男女は、とても幸せそうだったから。


(いつか、俺も……)


 そんな儚い希望は、カルヴィンが十の齢を迎える頃に砕かれた。最低の形での終止符は泥酔した父親から。まだ線も細いからと襲われた子どもは、屈辱と諦観の中で理解した。


 世の中はろくでもないのだと。理解した日の晩に、鼾を立てて眠る父の頭に鈍器を振り下ろした。


 近くにあったのは酒の空き瓶だけで、一度では砕けなかったから何度も何度も振り下ろす。


 そうしてから暫く、動かなくなった躯を見詰めていた。半ば放心しているような状態から、変な笑いが漏れ出て来る。


 その小さな哄笑が止んだのは、空が明るくなり始めた頃だった。


(取り合えず、埋めるか)


 死体を引き摺って、家の裏手へと。剥き出しの土を砕けた酒瓶の欠片を使って、少しずつ少しずつ掘っていく。無心になって墓穴を作る、その途中で何かが引っ掛かった。


 邪魔だなと思いながら掘り起こせば、其処に埋まっていたのは白骨化した誰かの遺体。生前の特徴なんて唯の一つしか残っていなかったと言うのに、カルヴィンにはそれが誰だか分かった。分かって、しまった。


「母、さん」


 骨となった遺体の薬指に、残っていた古びた指輪。薄汚れて錆びても居るのに、それでも分かってしまったのはずっとずっと見て来たから。


 心の支えとしていた写真に写っていたそれを、どうして見間違えると言うのか。

 分かったからこそ、物心付いてから初めてカルヴィンは大声で泣いていた。


(何となく、思うんだ)


 そして、彼は妄想した。それはきっと都合の良い空想で、真実を確かめる方法なんて既に失われていたけれど、そうだったら良いなと言う儚い希望。


(母さんは、俺も、親父も、見捨てなかったんじゃないかって。親父から俺を守ろうとして、こんな姿になってしまったんじゃないかって)


 母親の記憶なんてない。父親から話を聞いたことさえない。聞いても煩いと殴られたから諦めたのか、それとも端から聞いても答えないだろうと諦めていたのかはもう覚えていないけれど。


 だからきっと、多分に美化している。死人に口なしと、ある意味ではそういうことだろう。


 けれどそんな都合の良い夢を抱いたからこそ、落ちぶれようとしていた少年は其処で持ち堪えたのだろう。


 父母の死体を土に埋める。同じ場所に埋めるのは癪だから、隣に似たような穴を掘ってから。


 雑に埋めただけの父と違って、母の墓には墓標を作る。簡素だが、それでも心を込めて、時間を掛けてしっかりとした物を作った。


(んで、こっからどうすっかね)


 一人っきりになったカルヴィンは、身の振り方を考える。父を撲殺すると決めた時には今まで通りの犯罪生活を続けようと考えていたが、母の遺体を見つけてしまった後ではそんな生き方なんてしたくなかった。


 真っ当に生きたい。そうは思えど、身寄りのない子どもを受け入れるような職などそうはない。町中での募集を見て、軍人はと一瞬考えたが嫌悪の情が強く溢れる。父と同じになるなんて、死んでも御免だと思ったから。


(俺はきっと、親父に似てる。殺した家族を埋めようと思った場所まで一緒だったんだ。これでどうして、似てないなんて言えるかよ)


 同じ職に就いたからと言って、同じようになるとは限らない。それでも性根が似通っているのなら、自制を続けないと似たような形に収まるだろう。


 何となくそう思ったから、そうなるのだけは嫌だったから、国軍や領主の私兵と言う選択肢はなかった。だから町中を当てもなく彷徨って、彼はその場所を見付けたのだ。


(教会。そういや、中に入るのは生まれて初めてか)


 聖教会。各地に大きな影響力を持つ、この世界最大の宗教。亜人種にとっては危険で厄介な集団ではあるが、純粋な人間種にとっては都合の良い勢力だ。


 何せこの世界には、信仰力と言うものがある。祈って願えば神が加護を与えてくれるのだ。自然と神の実在を多くの人は信じ、故に襟元を正す宗教家は少なくない。


 悪意や欲望は、亜人を対象に吐き出せば良いのだ。神はそれを許している。

 故に結果として純粋な人間種に対しては、聖教は慈悲深く懐も広い。社会奉仕や無償の人助けも組織的に行っている程に。


 そんな教会の中に歩を踏み出して、思うのは肌に合わないなと言う感想。キラキラと輝いていて、盲目的に信仰していて、病的な白にも似た色合い。


 気色が悪い。そう思ったからこそ、カルヴィンは決めた。


(俺が嫌だって感じたことは、俺が似てる親父だって嫌だって思うことだ。だが、だから良い。親父とは違う道を選び取れる)


 聖教会に所属する。宗教家と言うのは柄ではないが、だからこそ良いのだろう。そう考えた彼は真っ直ぐに懺悔室へと向かい、己の全てを吐露し告解した後に神父を頼った。


 人に対しては善良な神父は涙を流して少年を抱き締めてから、伝手を用いて受け入れ先を探してくれた。


 そうして流れ着いたのが、シュドラースにある五年制の養成校。身寄りのない子を審問官として育て上げる施設であった。


(審問官、か。学も身寄りもねぇガキじゃ、選択肢なんざ多くはねぇだろうけど。暴力を飯の種にするような仕事かよ)


 聖教の異端審問官。主に対するのは邪教や内部の背教者相手だが、場合によっては亜人の弾圧にも用いられる聖教の武力。


 軍人になるのが嫌で、戦闘と言う行為自体も軽蔑してしまうカルヴィンにとっては余り望ましくはない職だ。だが、他に選べる道がないのも事実。


(この道しかねぇなら仕方ねぇ、俺自身で律するしかねぇだろう。親父が嫌がるような、母さんが胸を張って自慢出来るような、勤勉で清廉な生き方を貫く。そうして生きればきっと、俺は真っ当に成れる筈だから)


 故にカルヴィンは誰よりも勤勉であろうと決めた。授業が終わった後の放課後は、遊びにも行かず図書館に籠った。人目がある方が、己はサボらないと考えたからだ。


 文字を覚える所から始めると言う、他の誰よりも遅れたスタート。一年次は付いていくことも出来ず、二年次にはようやく普通になり、三年目以降で主席争いに参加出来るようになった。


 何度も辛いと思ったし、何度も投げ出したくなった。それでも真っ直ぐに生きようと決めて、入校四年目で主席を獲得。トップに立って初めて、周囲を見やる余裕も出来た。


 同期の多くは付き合いが悪く、野性味のある顔立ちなのに堅物と言う違和感の塊であるカルヴィンを遠巻きに避けていた。


 だからそんな彼に絡んで来るのは、似たような変わり者ばかり。


「やあ、カルヴィン。今日も勤勉な君は素敵だけど、七三分けは似合わないと言うか見てて笑えてくるから変えた方が良いと思うよ」


「うっせ――う、ううん。えっと、あー、余計なことだ、です。エレーニン君」


「敬語も下手だし、似合わないねぇ。僕らの仲だろ。今更、そう取り繕わなくても良いんじゃないかな?」


「……うざってぇ。ってかよ、距離が近ぇよ。少し離れろや、マキシム。何かお前、ネットリしてんだよ」


 同期の変わり者の一人が、鶸色をした瞳と同色の髪色をした少年。マキシム・エレーニン。何が気に入ったのかは知らないが、入学時からカルヴィンに良く絡んで来る男である。


 常に笑みを絶やさない類の胡散臭い男である彼は人当たりこそ良いが、特定の相手に対してのみボディタッチが多くなる厄介な人物でもある。主な被害者はカルヴィンと、もう一人の同期である少年。


「およよよよ。悲しいねぇ、思わず悲しくて、癒して欲しくなるよ。デュラン」


「……尻に触るな、マキシム」


「良い形してると思うよ!」


「…………」


 サムズアップしているマキシムに冷たい視線を向けて、距離を取る少年の名をデュラン・カルリエ。マキシムと同じくカルヴィンの同期の一人で、同じ被害者枠とも言える人物だ。


 口数は少ないが意外と付き合いは良い奴で、所謂天才と言う人種でもある。出自はカルヴィンと近いのか、文字を覚える所から始めたのは同じ。だと言うのに、二年生の頃には学年主席に至っていた程。


 そんな彼らとの出会いは単純。最初に図書館で自習していたカルヴィンにマキシムが声を掛け、面倒だと思いながらも最低限の相手をしていたら、マキシムがデュランを引き摺って連れて来たのである。


 二人の境遇は似ていて、共に文字の読み書きも怪しいかった。だから纏めて面倒を見てあげようと、教師役を買って出たマキシムの行動は素直に助かる物だった。故にカルヴィンも、彼らとの関係を受け入れたのだ。


「んで、何見てんだよ。むっつり野郎」


「……いや、何と言うべきか。少し悩んでいただけだ」


 マキシムとの関係は、教師と教え子。対してデュランとの関係は、好敵手と言う表現が近いか。同じような底辺から這い出して、己よりも先に上へと行った彼をカルヴィンはそう捉える。


 そして同時に、気恥ずかしくて口に出すことはないが、確かな友人だとも思っている。そう思っているのは、きっとカルヴィンだけではないのだろう。独り善がりではないからこそ、デュランは確かにこう告げた。


「今回は負けた。次は俺が勝つ」


「は、次も俺が勝つに決まってんだろ」


 名詞を口に出さずとも、それが何を指し示しているかなんて分かっている。学校の主席争いだ。


 一年次の試験ではトップを取ったマキシムは、二年次からはあからさまに手を抜くようになった。


 入れ替わるように主席になったデュランが二年連続で上を取り、四年目で漸くにカルヴィンが引っ繰り返したのだ。


 そうした関係だからこそ、互いにこう思うのだろう。お前には負けない、と。


「目と目で分かり合うなんて、ずるいなぁ。僕も混ぜて欲しいんだけど」


「…………」


「意味深な言い方すんじゃねぇ。男色にはトラウマがあんだよ。テメェと一緒にすんな、ホモ」


「残念、僕はバイセクシャルさ。女もいけるからね!」


「…………今日知った中で、一番無駄な知識だな」


「同感だよ、マジで。ってか、なら女の尻でも追っ掛けてろや」


「う~ん。この学校、魅力的な女性が少ないからさ。その分、君たちと言う魅力的な人物に出会えた訳だし、差し引きはもちろんプラスだけどね」


「…………」


「人が同性愛にトラウマあるって明かしてもこれかよ。恩や情がなけりゃ、思いっ切りぶん殴ってるところだぜ」


 粗野な顔立ちに反して堅物なカルヴィンと、無口な割には意外と付き合いの良いデュランと、人当たりは良いが怪しい上に性癖が終わっているマキシム。


 訓練校の同期三人にして、上位三席を独占する凸凹集団。そんな彼らと馬鹿みたいなやり取りをする時間を、カルヴィンは存外好んでいたのだろう。振り返ってみれば、良い青春だったと思える程度には。


 そんな日々を五年過ごして、卒業後も道が重なったのは如何なる意図か偶然か。第五聖典と第七聖典と第十三聖典。後にその地位に至る三人は、初任務を共にすることとなっていた。


「この地の領主に、邪教との繋がりの疑いあり、ね。証拠集めも仕事の内たぁ、審問官ってのは便利屋の別名かよ」


「まあ、他の人員に任せる訳にもいかないだろうし、仕方がない話でもあるんじゃないかな」


「…………」


 中央のある貴族に、邪教との繋がりがあると言う噂が流れた。聖教は貴族院に対し調査を要求したが、貴族院は明確な証拠がないことを理由にこれを拒否。


 ならばと聖教主体で聞き込み調査を行えば、出るわ出るわと不正や圧政の証拠は山に。


 だが邪教との繋がりだけは明確にはならず、唯の悪評なのか否かを判断する為に彼らが派遣された。


 新人に任せたのは、悪徳貴族の実体を見せる為であろうか。或いは悪事は確実に行っているから、情報収集は簡単だろうと言う判断なのかもしれない。


 上層部の意図がどうあれ、三人のやるべきことは簡単だ。気配を殺して邸宅の中に潜入。内部を調査して邪教との繋がりや不正の証拠を集めて来ること。


 訓練校を出たばかりの新人とは言え、成績上位を独占していた優秀な三人だ。人目の付かない侵入口を見付けて、必要な情報を確保するのも簡単だった。


 人身売買。得た証拠はその記録。奴隷の売買は合法だが、国が許可した相手に限る話ではある。この領主は明らかに怪しい業者から、無数の女を買っていた。


 使い捨てているのだろう。そう思える頻度で、大量に購入されている奴隷たち。その仕入れ業者が、単なる違法業者なのか邪教の関係者なのか。


 他には明白な証拠がない以上、怪しいのは此処だろう。そう判断した三人は、他にも見付けた様々な不正の証拠を手に教会への撤収を決めた。


「ああ、そうだ。一応、どんな奴隷が取引されているのか、実物も見て確認しておこうか」


 その道中、マキシムが急に口にしたのだ。そこまでする必要があるのか、と言う疑問もあったが大した手間と言う訳でもない。


 館の構造図も見付けてはいるのだ。多少遠回りするぐらいは良いだろうと、カルヴィンとデュランは同意しマキシムの先導に従った。


 そして、その先で――カルヴィンはその人生を変える光景を目にしたのだ。


「誰か、そこに、居るの、ですか?」


 か細く掠れた声は、ともすれば聞き逃してしまいそうになる程。

 それでも誰も聞き逃さなかったのは、きっと声音に必死さが垣間見えたからだろう。


 使い終わった奴隷を入れていたと思われる、腐乱した死体が乱雑に放り込まれている牢獄。内の一つから聞こえて来た声の主は、生死の判断すらも一瞥だけでは叶わぬ有様だった。


「ああ、居るとも、君は誰かな?」


 一瞬何を言ったものかと迷ったデュランとカルヴィンに先んじて、常と変わらぬ笑顔で踏み出したマキシムが問い掛ける。


 返す声は途切れ途切れで、病か何かに侵されているのか、牢の中の人物は何度も何度も咳き込んでいた。


「私、は……いえ、名乗るべきでは、ないでしょう。もう、余り、永くはないと、思うので」


「だろうね。それでは、名も知らぬ君。僕らに対し、君は何を望むんだい?」


 真面な管理などされていない場所。牢獄と言うよりもゴミ捨て場と呼ぶに相応しい場で、その女は己の死を受け入れていた。


 嘗ては美しかったのであろうが、その名残など何も残らぬ骨と皮だけの身。しかしその腕の内には、一つの微かな命が抱かれている。


 恐らくは獄中出産。それも産まれてから、一日二日も経ってはいない。こんなにも最低な衛生環境で、赤子が生きている理由などそのくらいしかないだろう。


 食べる物もないのだ。死体に集る虫やネズミが居る程度で、赤子が何日も生存していられる筈もない。故にこの遭遇は、女にとっては奇跡に等しい幸運だった。


「救われたいのかなぁ。助けて欲しいのかい。だとしたら悪いね、君は証拠だ。ここで死んでいないと、僕らにとっても都合が悪い」


「私、は、いえ、私は、助から、なくて、構いま、せん。唯、この子は……この子、だけは……」


「我が子だけは、と? 察するに、望んで生まれた子ではないと思うのだけど」


「それ、でも、私は、母、で、この、子は、私の子、です。だから、どうか、お願い、します……」


 しかしその幸運を、女は子の為だけに使う。己の命が終わるのは仕方がないが、この腕の中にある小さな命だけは救いたいのだと。


 縋られるマキシムはしかし平然と、言い難いことを言い、聞き難いことを聞く。いつも通り微笑む男に、身動きすることすら辛いであろう女は姿勢を正して頭を下げていた。


「と、言うことだけど。二人はどうしたい?」


「…………」


「……ここで俺らに投げて来んのかよ」


「僕らはチームだからね。リスクがある行為なら、勝手には引き受けられないさ」


 そんな女に安心させるような言葉を返す訳でもなく、飄々とした仕草で振り返ったマキシムが問い掛けて来る。


 親の想いの深さに飲まれていたカルヴィンは、皮肉を口にする程度のことしか出来ない。


 それでも、何とかしたいとは感じていた。そしてそう思うのは、カルヴィンだけではなかったのだろう。


「……母と違って、子の方は、記録に残っていない」


「だね。父親も認知すらしていないんじゃないかな」


 手にした証拠の中身を再確認して、デュランは何とかそう返す。母親の方は救えないと言う冷たい現実は、この場における共通認識としてあった。


 何故なら記録が残ってしまっている。国や聖教が大々的に調査を行う際に、ここに遺体の一つも残っていなければ、彼らの侵入と言う証拠が残ってしまうのだ。


 上手くすればそれも誤魔化せるかもしれないが、そこまでしても無数の感染症を発症しているだろう女を救える可能性は限りなく低い。ここは見捨てるのが正解だ。


「ちっ、ならリスクはねぇも同然だろ。死に行く者の願いだ。連れてくぞ」


 それでも、記録に残っていない赤子であれば。父親の方も認知している可能性が低いのであれば。この子だけを連れ出すならば、リスクは低いと確かに言えた。


 皆無とは言わない。穴には成り得る。それでも、カルヴィンは助けたいと思った。デュランも同じ気持ちであった。マキシムだけは、読めない笑みを浮かべていた。


「了解。それじゃ、そうしようか」


 しかし異論を口にすることはなく、三人は同意に至る。


 そして慣れた手つきでマキシムが牢のカギをピッキングで開けた後、さあ誰が子を預かると言う手番になって二人は足を止めていた。


 母に愛された子を預かる資格が、己にはあるのだろうか。


 足を止めた両者の迷いは即ちそれで、だから躊躇いのない男だけが肩を軽く竦めた後で一歩前に出る。


 硬直した二人の前で、片膝を付いた男は微笑みながら女に向かって問い掛けた。


「君の子は、僕らが預かろう。何か言い残すことはあるかい?」


「そう、です、ね。最期に、その子と、別れを」


 何とも思っていない笑みのマキシムに促され、名も名乗らなかった女は彼に赤子を預ける。


 そうしてから震える腕を伸ばすと、優しく赤子の頭を撫でて柔らかく笑った。


「ごめん、ね。アー、ニャ。一緒に、居てあげられ、なくて。ダメな、お母さんで、ごめん、ね」


 汚れた牢獄だ。死臭と悪臭に塗れた場所で、客観的に言えば見るに耐えない光景だろう。それでもしかし、その光景は美しかった。


「愛しているわ。幸せになりなさい」


 カルヴィンと言う男には、それがどんな宗教画や芸術よりも美しい光景だと思えたのだ。


「……くそ、これの何処が、ダメな親なんだよ」


「…………」


「感傷に浸っている時間はないよ。さ、撤収だ」


 それだけ言って、女は力なく崩れ落ちた。無力さを噛み締めて俯く二人に、赤子を抱えたまま立ち上がったマキシムは告げると踵を返す。


 仕事が優先だと切り替えたデュランがその後に続いて、女々しくも最後まで何度も何度も足を止め掛けたのはカルヴィンだけだった。


「ああ、そうだ。二人とも、この子、ハーフエルフみたいだよ」


「おい、そりゃ……」


「……預ける場所は、選ばなくてはな」


 脱出は順当に終わったが、残る問題は預かった赤子の処遇。子を育てた経験などなく、そんな時間的余裕もない三人に育てることなど出来はしない。


 となれば何処かに預けると言う話になる訳だが、子どもの素性が此処で問題となった。


 衰弱し過ぎて気付けなかったが、母は亜人だったのだ。となれば子どもも、その特徴を宿している。


「伝手は、誰かあるか?」


「一応、融和派との伝手はあるよ。そっちの孤児院に、捨て子を拾ったと言って預けるのが無難じゃないかな」


「……融和派、か」


「うん。聖女が旗頭に成ってる、亜人の浄化ではなくて、亜人との共存を謡う派閥だね。まだ規模は小さいけど、勇者と聖女が提唱した派閥だからさ。伸びるかも、と思って接触はしてるんだよ」


「それが、一番マシか。俺には伝手がねぇし、その様子じゃデュランもそうだろ。頼むわ、マキシム」


「ああ、頼まれた」


 亜人の血を引くともなれば、聖教は赤子を守らない。寧ろ状況次第では、率先して害する方向に動くだろう。故にまだマシな場所に預けて、今後は関わらない方が良い。


 そう結論を出した彼らは、言葉少なく帰路を進む。任務自体は成功だ。それでも残る気持ちは何処か後ろめたくて、歩む足は少し重い。諸手を上げて、喜べるような初任務ではなかったのだ。


 後日、貴族院と聖教の共同捜査によって、違法業者と邪教の繋がりは明らかとなり、取引をしていた貴族は摘発されて家も取り潰しと言う結果になった。


 喚き散らす貴族や身内の醜態を遠目に眺めながら、一人カルヴィンは己の行為の結果を見届けた。


 あの美しかった母親は、物言わぬ証拠品の一つとして運び出されて、簡単な調査の後で荼毘に付された。それで、終わりだ。


(これが、俺らの仕事か)


 審問官向けに用意された独身寮に戻った後、どうにもじっとして居られなかったカルヴィンは、夕刻に沈む町並みを歩いていた。


 あの日のように当てもなく彷徨い歩いて、今度は教会ではなく小さな公園のベンチに腰を下ろす。見上げた空は、腹が立つ程に鮮やかだった。


(他に、出来ることはなかった。けど、これで良かったのか。あんなに綺麗なもんが、壊れる姿しか見れねぇのか。だとすりゃぁ、俺らの行く戦場は、汚泥と同じだ)


 戦うことは嫌いだ。暴力で脅して、尊厳を踏み躙る行為だからだ。どんなに綺麗事で飾っても、その本質は変わらない。勝って笑う奴が居れば、負ける奴は何処かで泣くのだ。


 そんな気色が悪い行為の中で、巻き込まれて壊れる綺麗なものがある。あんなにも美しかったのに、誰かの都合で壊されている。そんなものばかり見ることになるなら、戦場とは穢れと悪意に満ちた毒の沼と同じではないのか。


「なんつーか、やるせねぇなぁ」


 そんな戦場で戦うことを生業とする。そうして生きることの意味に迷い、カルヴィンは深く息を吐く。


 やるせないなと感傷的になっていたからか、ふと視線を戻した先に見えた平凡な光景が何故だか印象深く残った。


(親子、か。どこにでも居そうな。はっ、ガキがニコニコと、笑ってやがる)


 小さな男の子が、左右の手を父と母に握られて笑いながら歩いていた。今日あったことだとか、夕飯は何だとか、そんな何でもない会話が聞こえて来る。


 何がそんなに楽しいのかと、笑う子どもと微笑む両親。仲良く歩いていく平凡な光景を、目にしたのは初めてじゃない。けれど何故だか、今日はそれが綺麗に見えた。


(ああ、そうか)


 きっと、あの美しい母の愛を見たからだろう。だから思ったのだ。


 家族に向けるその慈愛は、決して特別な物ではない。ああして笑い合う家族なら、危機に際せば同じように動ける筈だと。


 理由なんてないが、そう信じることなら出来た。或いは、そう信じたいだけなのかもしれない。けれど、それでも良いと思った。それでも良いんだと思えたのだ。


(俺が美しいと思えた光景は、きっとどんな所にもあるんだ。町の中に煌めく夜灯。家の窓から零れる小さな光。そんな灯りの一つ一つに、美しい色が隠れている)


 町の中にある幾つもの灯り。その一つ一つに命が息づいていて、誰も彼もが日常と言う時間を過ごしている。そんな当たり前の事実を、今更になって実感する。


 灯りの中にはカルヴィンやデュランのような、真面ではない家庭もあるのだろう。


 それでもそれは少数だ。遠ざかっていく三人組こそが、何処にでもあるスタンダードの筈だから。


(見えなくて良いんだ。分からないままで良い。綺麗なもんは、汚泥に染まって鮮やかになる必要なんてない。その為に、俺らみてぇなのが居る。戦場と言う汚泥を体を張って押し留め、綺麗なもんはひっそりと目立たないままに。その為に生きるのなら、それはきっと悪くない生き方ってやつだ)


 幾つもの家庭があって、幾つもの愛がある。それを守る為ならば、大嫌いな汚泥に浸かるのも悪くはない。カルヴィンと言う男は、心の底からそう思った。


 町灯りの中に隠れた尊いものを守る為ならば、何だって出来るとさえ思える。これを生きる理由として、戦う理由として胸に刻む。気付けば、父の呪縛は色褪せていた。


「先ずは髪型から、だな。形だけ整える意味はねぇ。見た目一つにも、威圧効果はある筈だ。どんな些細なもんでも戦う為の道具にして、一つでも多くの灯を守る。それが俺の、生きる理由だ」


 七三分けに整えていた髪の毛を自ら乱して、カルヴィン・ベルタンは立ち上がる。


 もう道に迷うことはない。もう立ち止まることはない。尊いものを守る為、全てを費やし汚泥に沈む。それこそが、男の決めた道なのだから。






 それはきっと、言ってしまえば身勝手な思いでもあったのだろう。


「は……分かってんだよ、代替行為でもあるってよ」


 一瞬、飛んでいた意識が戻る。過去を思い出して、あの日の自分を冷静に見て、出した結論は即ちそれだ。


「本当はああなりたかったって、ガキの背中に自分を重ねてる。親ならそうあるべきだって、理想の形を他人に押し付けてる。真っ当な奴であろうと父親ってだけで、助けるのを後回しにしちまう。は、立派な差別主義者だわなぁ。分かってんだよ、そんなこと」


 カルヴィン・ベルタンは差別主義者だ。己の理想を他人に押し付け、違えば勝手に腹を立てる。子を愛さぬ親には我慢がならない。


 カルヴィン・ベルタンは差別主義者だ。亜人を一人救うより、純粋な人間を十人救う方が簡単だから、より多く救う為に差別を理由に選別している。


 父親のようになりたくはないと嘆いていた少年時代の自分が見れば、きっと唾棄するであろう程にろくでもない男だと言う自覚はあった。


「でも、俺の内心なんざ関係ねぇ。だからどうした。どうあれ、慈愛に満ちた光景が、尊い事実は変わらねぇ。親なら愛するべきで、ガキなら愛されるべきで、戦場に居る奴はそれを守るべきなんだよっ!」


 だが、それでも想うのだ。どれ程に己が屑だとしても、守るべき慈愛に満ちた景色が尊い事実は変わらぬのだと。


 美しいものは美しい。素晴らしいものは素晴らしい。誰が何を語ろうと、その事実だけは決して揺るがぬ真実だろう。


「テメェらを捨て置けば、テメェらはそれを貶める! なら、こんな所じゃ終われねぇ! 終われねぇわなぁ、こんな所でぇっ!!」


【Siiyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!】


【Guooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!】


 そして魔物とは、大魔獣とはその美しさを穢すもの。ここで万が一にもカルヴィンやヒビキらが壊滅すれば、この化外どもは平然とあの灯を汚しに行く。


 それは許せない。それだけは認めない。そんな権利は誰にもないのだと、獅子のように咆哮した男は力を行使する。死に体に等しい体が、見る見る内に癒えていた。


 傷を癒した秘儀は、神聖術の類ではない。内に溜め込んでいた信仰力など、とうに底を尽いている。故にこれは、精霊術だ。


「悪ぃなぁ、聖典だけが俺の武器じゃねぇっ! 治療に関するものだけだがよぉ、精霊術も魔術もスキルも大体全部、最上級のを使えんだよっ!」


 本来、術と言うのは複数の体系を学ぶような物ではない。魔術と精霊術は相反するし、そのどちらとも神聖術は相性が悪い。満遍なく学べば、どれも中途半端となる物だ。


 しかし、カルヴィンと言う男には治療に関する天与の才があった。そしてあの日、美しい女が死ぬ姿を見るしかなかったと言う後悔もあった。治し救うことに、執着があるのだ。


 故に回復と言う行為に限定すれば、彼には貴種にも勝る精霊術の技量がある。そして同じく魔術においても、治療に限った話ではあるが、賢者にすらも勝る魔術を行使出来た。


「さあ、持久戦だ。俺は兎に角、死に難いんでよぉっ! ガキが魔王を討伐するまで、付き合って貰うぜ。下等生物どもっ!!」


 魔術。精霊術。スキル。神聖術と合わせて、四種の回復手段を持つ男。それら全てにおいて、死んだ直後であれば蘇生すら行えるのがこの獅子だ。


 無論、消費を誤魔化すなど出来ない。一系統の術式体系で、覆せる死はそれぞれ一度が限界だろう。それでも四度、男は死から蘇る。全ては唯、美しい灯を守る為。


 これ以上、この戦場で語ることはない。魔王の命と己の欲求に従う大魔獣たちは、カルヴィン・ベルタンの命が尽きるまで彼を責め続けるだろう。


 しかし、不屈の獅子は決して倒れない。悪なる竜として生まれた幼き勇者と原初の魔王の戦いが終わるその時まで、汚泥を堰き止める防波堤として在り続けるのだ。






【強制力と抵抗力について】

強制力と抵抗力の設定は旧版とほぼ同様。(旧版では強制力ではなくて干渉力だった筈。違いはそれくらい)


分かりやすく例えるなら、ゲームの魔法攻撃力と魔法防御力。アルテリオス計算式程に単純な式ではないが、大体そんなのをイメージして貰えば合ってます。

相性差は弱点での倍化や耐性での半減みたいなもの。強制力と抵抗力がどちらも近い数字なら相性を覆せないが、桁違いな程に彼我の力量が離れていれば相性差にそれほどの効果はないと言う感じです。


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想像以上に真人間のカルヴィンくん。 え、待って、スキル? カルヴィンがスキル持ち?
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