第79話
巨大な翼が空を切り裂く。羽搏く度に吹き荒れる暴風が、周囲の一切を吹き飛ばしていく。
大空の大魔獣。高速で飛翔する巨大質量は、唯それだけでも恐ろしい程に脅威だ。その身そのものが巨大な砲弾のようなもの。
ジズが通り過ぎる度に大地は抉れ、羽搏きに巻き込まれた魔物の群れは磨り潰されて挽肉に。大魔獣は己以外の全てへと、破壊と破滅を撒き散らす。
「はっ!」
そんな大魔獣の魔の手から、逃れ続けている亜人の男。リアム・ファミーユの手札には、この大魔獣への有効打と言う物が殆どない。
ジズは単純に強く、単純に大きく、単純に速い。
あらゆる性能で上を行かれている以上、搦め手を使うか死中に活を求めるか、どうあれ出来ることなど極僅か。
幸運に恵まれ、罠に掛けて、命を捨てて、それで漸く手が届くかどうかという怪物。だと言うのに、ジズは何度でも蘇るのだ。
死力を尽くした所で、意味はない。一度や二度の殺害では届かない。この時点で、大魔獣の攻略はほぼ不可能。
更には闇の魔王が放つ波動の所為で、リアムの心威は機能を制限されてしまう。
彼の心威の本質は、魔物化と言う事象の完全制御だ。その性質上、自身を支配しようとする魔王の意志にも抵抗は出来る。
しかし制御しているとは言え、魔物になると言う異能である以上は影響を受けることが避けられない。
その意志に逆らう為に力を割くと言う必要が生じ、故に結果として発動中の維持コストが大きく跳ね上がるのだ。
本来、リアムの心威は戦闘中でも無ければ常時使用可能と言う程に低燃費である。
一度発動したのならば、他の行動で闘気を消費しない限り、それこそ死ぬまで維持出来るだろう。
だが魔物の王であるアカ・マナフが近くに居る限り、その消費量は数千数万倍と言う表現ですら足りない程となる。
おそらくは持って三分。この場で心威を使える時間はそれだけだ。
「ははっ!」
その上更に、敵はジズだけではないのである。
大魔獣の襲撃から身を躱して、着地したリアムに向かって襲い掛かって来る無数の影。種々様々な魔物の群れと死者の軍勢。
彼らに足の一つも掴まれれば、それだけでリアムは終わるだろう。
高速で襲来するジズの突撃を躱し切れず、魔物に変じることも真面に叶わぬ体は容易く砕け散る――とまでは行かずとも、直撃を受ければかなりの被害を受けるのは目に見えていた。
それが分かっているからか、万魔の軍勢は切り裂くでも嚙み千切るでもなく男の体を拘束しようと蠢いている。
それら全てを紙一重で躱しながら、上空から襲い来るジズの姿からも意識を外さない。
一歩間違えばその時点で終わりを迎えるこの状況、命を賭けた綱渡りと言う表現が妥当であろうか。
それを続けるリアムにとって、万魔の軍勢はある意味ジズよりやり難かった。
リアム・ファミーユは広域広範囲を纏めて薙ぎ払うような技を持っていないのだから。
四肢に刻まれた魔術を使えば、ある程度の数は巻き込めるだろう。
しかしどんなに多くを巻き込もうと、彼の手足に刻まれた魔術では一度に数十の敵を薙ぎ払うのが精々だ。
それでどうして、億や兆を超える魔の軍勢に抗えるのか。
ましてや使える力が魔術では、発動の度にアカ・マナフの糧にもなってしまう。
大元が回復してしまうのなら、傘下を幾ら削れたとしても全てが無駄だ。
故にリアムの側に、万魔の軍勢を倒し切る術はない。
逆に万魔の軍勢からしてみれば、手足の一つも掴んで動きを鈍らせればそれで勝ち。
有利不利を語るまでもない、余りにも圧倒的な盤面だった。
「はははっ!」
だと言うのに、男は嗤う。顔の半分を覆う火傷の痕を歪めながら、哄笑する男は実に楽し気だ。
圧倒的な不利? 打つ手が殆どない? 大変結構、だからこそ己を磨くに相応しい。
目指す頂きは遠い。あの焔の王の背を追うことを想えば、あの悪竜王と肩を並べる未来を描けば、この程度の窮地など乗り越えられずして何とする。
そんな意地と歓喜が入り混じり、リアムの笑みは深まっていく。
「はーっははははっ!」
感情や意志の一つだけで、覆せる程に生温い状況ではない。ならば其処に策を混ぜ、何でも使って勝利を掴むのがリアムの流儀。
想いだけでも力だけでも足りぬのならば、其処に混ぜ込むべきは非情さや悪辣さと言った外道の類であるべきだ。
そうと判断したのなら、即座に動けるのが男の強み。格上喰いの所以である。
「どうしたどうしたどうしたよっ! 俺は此処だぞ、鈍間野郎っ!」
【Kiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!】
哄笑しながら挑発を行うリアムに乗せられて、ジズは最高速度で突撃する。
0から100への瞬間加速。予備動作すら見せないそれを、ギリギリまで引き付けてから躱す。
掠っただけでも挽肉に変わる暴風を前に何ら怖気付くことなく、最低限の闘気消費で受ける被害を軽減しながら、人の姿のままにリアムは迫る軍勢を足場に跳躍を繰り返した。
その度に、万魔の軍勢は数を減らす。すぐさま復活するとは言え、ジズによる殲滅速度の方が僅かに速い。そう、リアムの想定した通り。
万魔の軍勢を駆逐するだけの手札を、リアム・ファミーユは有していない。
ならば殲滅を行える奴を誘導して、同士撃ちを誘発すれば良いのである。
ジズの攻撃を全て回避して、その攻撃に軍勢を巻き込んで処理させる。
それは言葉にすれば簡単で、しかし実際に行おうとすれば遠くにある針の穴に糸を投げて通すような難度の作業であろう。
しかし、それを容易く為す。それこそが、英雄級と称される男の実力だった。
「ははっ、よしよし、その調子だっ! その調子で減らしてくれよな! ああ、だが、もう少し難易度を上げてくれても良いぜ! この調子じゃぁよ、眠くて欠伸が出そうになるんだわ!」
自身を囮に、気分は宛らマタドール。躱した闘牛を衝突させて削っていく軍勢が、復活しなくなればあの少年の勝利を確認出来る。
後は残った軍勢を全滅させてから、死力を尽くしてジズを一度だけ殺せば良い。
リアムの勝ち筋はそれ一つ。ならば出来る出来ないは考えない。やり遂げるだけで良い。
あの少年の敗北だって考慮にしない。偉大な王に勝ったのだから、此処で敗北するなどあり得ない。そう信じ、リアムは駆ける。
一歩の踏み込みが命を分かつ。一瞬の判断が死地に繋がる。
瞬きのタイミングですら、僅かにずれれば致命に繋がる。
そんな状況で、しかしリアムは嗤いながら駆け続ける。
拘束しようと掴み掛って来る魔物を足場に跳躍し、しかし巻き込む為にも距離は取らない。
ジズが最接近する瞬間だけ、闘気の強化を底上げして攻撃範囲から何とか逃れる。
無傷とはいかない。それでも、致命傷は一度も受けない。
そんな綱渡りを、一体どれ程に続けたか。数十分か、数時間か、或いは数分にも満たない僅かな時間であったか。
脳内に溢れるアドレナリンとドーパミンが、ひり付くような歓喜を齎し時間感覚を狂わせる。
それでもそれすら気にもせず、リアムは平然と笑いながら、命を賭けた綱渡りを続けてみせる。
そんな男はしかし、その光景を前にして、目を見開いて動きを止めていた。
「な――――っ」
地平線の果てまでも、並び続ける魔物と死者の混成軍。その中に一つ、見知った姿がある事実に硬直する。
その衣装を覚えている。嘗て王宮に仕えていた際に王より直接下賜された物であり、勇者と共に旅をした際にも着ていたのだと自慢していたそのローブを。
その被り物を覚えている。今はもう居ない家族がゴミ山から拾って来た本を片手に、皆の毛を使って編み込んだ獣毛のフードを。
無理矢理に毛を引っこ抜いて来た癖に、皆揃って泣きそうになっていた癖に、一人だけ泣いたと馬鹿にされたあの日の記憶を。
慈愛に満ちた優しい瞳で家族を見詰めていたあの老人が、死後に変じたことは覚えている。
忘れやしない。皮膚と血肉を失った、異形と化したその姿を。
「親、父……」
声が震えた。目を離せなかった。一体どうして、と言う疑問には直ぐに思考が追い付いてしまう。
男を拾ったあの老人は、死後に魔性の存在へと堕ちたのだから。
闇の魔王はあらゆる魔物の支配者だ。それは当然、人から魔へと堕落した者も含む。
ならば嘗て賢者と呼ばれた老人を、復活させた上で隷属させることなど容易い筈だと。
ならばそう。あの最期に与えられたと思われた僅かな救いでさえ、本当の救いにはなっていなかったと言うことで――
(いやっ、違うっ! あれは、あれには、中身がねぇっ!)
そう、思い掛けた所で否定する。あの日の奇跡を、その想いを、否定したくはなかったから今を否定する。
最初はそんな条件反射で、しかし直ぐにそれが事実だとも確信する。
東国六武衆は――神威法の使い手達は、魂の専門家だ。
本来目には見えないそれを、彼らは伝えられた技術を用いることで認識出来る。
故にその目で見ることで、あのジャコブ・ファミーユが偽物なのだと判別出来た。
(そりゃ、そうだ。聖剣で浄化されてんだぞ、今更出て来る訳がねぇ。出て来られて、溜まるかよ)
彼の賢者はあの日、ヒビキが振るった聖なる剣にて浄化された。
消滅の間際には、その魂は人のそれに戻っていたのだ。その時点で、魔王の支配下からは抜け出せている。
もしもあの時、異なる形であのアンデットを倒していたならば、此処に居たのは間違いなく彼本人であったことだろう。
だからそう、リアムの視線の先に居たのは、形を良く似せただけの偽物だ。
そうとも、この世の死者は邪神が作り出した地獄の中へと引き寄せられる。
死んで直ぐはその場にあっても、時の流れと共に回収される。肉の器を無くした魂が、世界に残り続けるのは困難な事象なのである。
故に死後に時間が経過すればする程に、蘇生と言う奇跡は行使が難しくなっていく。
余程の強い意志や未練があればその限りではないだろうが、賢者ジャコブ・ファミーユはその例外には当たらない。彼は死に際に満足していた。
だからそうとも、あれはリアムに隙を作る為に用意された精巧な人形。中身のない外側だけを真似た空洞。そうと分かっていた。分かっていた、と言うのに。
「ぐ、くそ――っ!?」
隙を晒した。その姿に気付いて硬直し、信じられぬと疑って、確認の為に魂を見抜く技術を使ってしまった。
ほんの一瞬の隙さえ命取りとなる綱渡りの中で、リアムが行った三つの動作は十分過ぎる程に致命的。気付けばリアムは、捕らわれていた。
両の足を動く白骨死体に掴まれて、悍ましい異形の人型に前後左右から抱き着かれて、様々な魔物が濁流となって圧し潰さんと迫って来ている。全身を拘束されて自由を奪われた男は、視界に映る影に顔を上げた。
頭上には、この場で最も恐るべき大魔獣。鋭い鉤爪の先に集まるは、膨大な量の呪詛。球形をそれは、ジズの腐卵と呼ばれる物。大洪水を引き起こすとまで言われる、病毒を孕んだ汚水の集合体だ。
――内功実行・以って我は心威を示す――
咄嗟にリアムは詠唱を開始するが、しかし当然間に合わない。
巻き込まれると分かっているだろうに、纏わり付いて離れない魔の軍勢が四肢を掴んで口を塞いで首を絞める。
言葉を発さずとも詠唱を行うと言う意志があれば成立するのが神威法とは言え、極限の状況で呼吸もせずに詠唱を続けられるのは修羅と言う生き物が異常なだけ。
普通は激痛を与えられたり、物理的に口を塞がれたりすれば、その時点で詠唱は妨害されるものだ。修羅のような戦闘生命ではないリアムもまた、その例に漏れると言う訳ではない。
首を絞められ、口を塞がれ、四肢や胴には噛み付かれ、手足は引き裂かんと言わんばかりの強さで四方に引っ張られる。
そんな状態で平然としていられる程に、亜人の肉体は頑丈ではなかった。
――熊、猪、狼。毛皮を纏い、フュアカトにてヒヨスを飲み干し、我は獣と成りて狂うモノ――
抜け出すことは叶わない。それでも、詠唱だけは意地で続ける。だが、遅れる。
それだけでも修羅ではない真っ当な生き物が出した結果としては、目を疑う程に驚愕するべき内容で――しかしやはり、余りに遅い。
巨大な卵が落ちて来る。落ちて、割れた。卵の殻が落石にも似た衝撃をリアムと彼を拘束し続けている群れに与えた後、中から溢れた汚水の津波が北方大陸の全土を押し流す。
戦いの中で激しく動き回っていたリアムは今、北方大陸の凡そ中央付近に居る。
其処で発生した津波が、遠く離れた海辺付近でも三メートルと言う高さを保っていた。
そう語れば後は、被災の中心部がどれ程に悲惨な状況となるかまでは説明する必要もないだろう。
事実と言うべき結果は一つ、ジズの起こした洪水は多くの物を水に沈め海へ流した。
――秘薬と共に痛みを忘れ、激しい怒りを吠えたてろ。盾の端を嚙み千切り、出会う全てを喰い殺せ――
流される。流される。汚水を飲んで病毒に汚染され、激流によって流される中でその光景を確かに目にした。
流されたのは、男だけではない。流されたのは、人間だけでもない。全ての生き物が、様々な家屋が、大洪水の犠牲になる。
当然、コートフォールも巻き込まれていた。外周の砦は水の圧力に耐えかね壊れ、控えていた兵らをその病毒と呪詛で犯し殺す。
石の砦を砕いたことで僅か圧の緩んだ洪水は、それでも再建途中だった家屋や木造の平屋などを巻き込み腐らせ押し流していく。
幾つもの死骸を飲み干した津波が、多くの人が生きていた町を更地に変わった。今も其処に残っていた、命を更に飲み込みながら。
津波に耐えられたのは、庁舎として使われていた城壁跡のようなごく一部の建造物のみ。
その屋上に居たであろう少女らと女性と、敵対していた邪教の者ら。彼らを除いて、誰も彼もが津波の影響を受けていた。
――忘我の果てに、残すは芯深く刻まれた焔の庭。嘗ての傷は、我が焦がれ。我が身焼く炎こそ、今も乞い願う憎悪の憧憬――
そんな町の中にまで流されて、大量の汚水に溺れ掛けながら、それでもリアムは詠唱を続けていた。戦う為に。戦い続ける為に。
この汚水に籠った呪詛は凶悪だ。片手間で治療出来るカルヴィンが異常なだけであって、解呪も治療も本来はそう簡単なものではない。
そして効果も凶悪だ。六武の一角たるリアムですら、戦闘を続けることが困難になる程の呪詛と病毒。そんなものを常人が浴びれば、先ず間違いなく命はない。
それ程の汚水を、この大陸で浴びなかったのは僅か数人。それだけの人が、この僅かな時間で命を終えた。そうと分かって、リアムは歯噛みする。全て己の責任だと。
あの一瞬の隙が、この結果を生んだのだ。そんな弱さの結実こそがこれである。そう思えば、どうして意識を飛ばせよう。
肺にまで流れ込んだ汚水を吐き出しながら、リアムは見た。
――我は唯、戦士となりたい。王の敵を討つ、一本の牙であらんと願う。故に強く、弱さを捨てた獣と変われ――
同じく流される水中に、嘗ての父の似姿を。形だけを似せたそれが無様に流れていく光景に、一瞬だけ瞳を閉じてから開く。
それで終わりだ。もう、過去は見ない。
夢を見ている暇はなかった。過去を振り返る必要だってない。追い掛けるべき焔の背は、並び立つべき竜の姿は、まだ遥か遠くにあるのだから。今は唯、前だけを見詰めて進む。
気付けば水は減っていた。高きから低きへ流れる性質は、病毒と呪詛に満ちて腐った羊水でも変わらない。町を流れる精霊力の宿った水で僅かに浄化されてから、海の流れに混ざっていく。
立って歩ける程度には、水位が下がった町。そんな景色の中でよろめきながらも立ち上がった男は、漸くにその詠唱を終える。
そして、深く、深く、息を吸って息を吐く。鼻が曲がる程の悪臭の中で、リアムは自らを変貌させた。
――心威・解放――
「月夜に狂え――狼面狂者っ!」
変貌するリアムが己の心威に求めたのは、呪詛と病毒への耐性と単純な生命力の強化。
如何なる異能であれ、魔物のそれならば本質は瘴気。同じ力で自身を強化すれば、多少なりとも耐性を得られる。
そうして呪詛や病毒による影響を抑えた上で、増やした生命力を薪に自己治癒能力を増幅させる。
要は寝て風邪を治すのと同じように、新陳代謝を活性化させて強引に己を蝕む病毒を治療したのだ。
病毒が消え、体力がある程度戻り、余裕が出た所で闘気による肉体への干渉を。
残る呪詛をそうして正常化させた後、頭上を見やれば其処には既に男を追って来ていた巨大な翼が。
【Kiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!】
「は、ははっ」
原初の魔王の命により、大空の大魔獣ジズはリアム・ファミーユの殺害を最優先事項としている。
故に押し流された男を追っているのは当然で、治療に時間を掛けた以上は既に追い付かれているのもまた当然のこと。
明白なまでに、勝ち目は薄い。正気を保ったまま魔物化を維持出来る時間は三分未満で、ジズを殺し切るだけの手札も男の内にはない。自身の消耗を考慮に入れれば、状況は悪化の一途を辿っている。
だから思わず、リアムは嗤った。それは歓喜の哄笑にも、悔恨の自嘲にも、自暴自棄な失笑にも、如何様にも見える複雑な表情。だがしかし、その瞳に諦めの色は一切ない。
(さて、どうするか……)
その瞳が気に入らなかったとでも言うのか、或いは単に本能的なものであるのか、羽搏くジズが上空から高速で接近して来る。それをリアムは、空気を蹴って躱してみせた。
大きく空中へと跳躍してから、大気中にある極小の物質を闘気で強化し足場と使う。
本来自由の利かない空中と言う領域で、自由自在に動いてみせる男にはしかし見た目程の余裕がない。
こうしている瞬間にも、大量の闘気を消費し続けているのだ。いつまでも回避し続けると言うのは現実的な話ではなく、かと言って回避をしないと言う訳にもいかない。
ジズの突撃は幸いにして、変異した状態ならば、受けても即死すると言う程ではない。
だがそれでも、直撃を受ければ無視出来ない手傷を負う。
再生の為に必要となるエネルギーも考慮に入れれば、直撃に耐えられるのは二度か三度が限度だろうか。
その限界が来るまでに、ジズを攻略する手段を見付けねばならない。
故にリアムは無拍子での急襲を繰り返すジズの攻撃を躱しながら、周囲に目を配らせて忙し気に観察する。
己の中に、敵を殺せる札はない。ならば己の外側に、それを求める他ないだろう。
未熟を認めた上で、機転が回ることこそ男の最大の武器ならば――それを見付けて、男の笑みが歪んだのも当然の結果と言えた。
「ああ、この町には、丁度良いもんがあるじゃねぇかっ!」
笑みを浮かべた男は、即座に脳内で試算する。自身の知識と擦り合わせ、可能かどうか試案する。
確実に勝てる策、とは言えない。幾つもの博打を乗り越える必要だってある。だが、それでも勝てる目は見えた。
ならば、迷う必要はない。このままではゼロなのだ。見付けた勝機がその実、那由他の果てに結実するような極小の可能性だったとしても関係ない。元より博打など、勝つか負けるかの二択であろう。
嗤ってリアムは、大魔獣に背を向ける。雄叫びを上げて迫る魔獣の動きを風の流れと音を頼りに躱しながら、進む男の脳裏に浮かんでいたのは中央公園の時計塔。悪竜王と炎王が、戦いを始めたその場所だった。
(北の牙。あれは元々、大魔獣を倒す為に作られたと聞く。なら、今こそが使い時って訳だろ)
両の足に力を込めて、町の中央部へと進む。向かう先には、対大魔獣用の巨大兵器。
だがしかし、無視出来ない程の問題点が二つある。
(だが、そのままじゃ使えねぇ。その砲身となる時計塔は、北と俺らの戦いで倒壊したまま。そうでなくとも、単発の砲撃じゃ殺せて一度だ。それじゃあ全く意味がねぇ)
一つに、北の牙はその砲身となる時計塔が崩壊している。
ヒビキと炎王の戦いで壊れた塔を、修復する時間も能力も北方政府にはなかったのだ。
故に本来の用途で、北の牙を運用することは出来ない。
一つに、闇の魔王の存在。アカ・マナフが完全復活を遂げている以上、連射が出来ない大砲では撃てたとしても意味がない。
必死になって二度三度と殺した所で、敵は不滅の存在なのだ。直ぐに蘇って襲い来る。
(だから、真っ当な使い方をしない。普通に使ったんじゃ意味がねぇなら、意味がある形で利用してやれば良いだけの話だ)
製作者が意図したであろう、巨大な敵を撃ち倒す大砲。そんな形で、北の牙を運用する心算はない。
言ってしまえば奇策の類。だがリアムの想定通りに用いるなら、砲身が壊れていても問題なかった。
(子龍の奴が盗んだ資料じゃ、確かこの辺だったよな。北の牙の安全装置)
そんな策を即座に思い浮かべることが出来たのは、今は亡き仲間のお陰である。
重要書類を盗み見て戦力を丸裸にしていた友人が居たから、北の牙の構造が分かるのだ。
(はっ、あんの野郎。俺が疲れて寝てぇって言ってんのに、書類片手に邪魔してきやがって)
北方を六武衆が占拠していた際、リアムは他の配下には任せられないからと言う理由で捕虜への対応を一任された。
彼以外の者らには明確な指示もなく自由な時間であったのだが、子龍と言う名の男は自発的に北方政府の保管資料を漁っていたのだ。
軍事物資の場所や北の牙を始めとした古代兵器の詳細。そうした貴重な情報を、何故だか子龍は夜な夜なリアムに吹き込んできた。
捕虜の扱いと自己鍛錬で疲れている所に、これは嫌がらせかと。
そう考えつつも無駄な情報と言う訳ではないのだから、姿勢を正して聞いてしまう。
苛立ちながらも真面目な反応を返す、そんなリアムの姿が面白かったのだろう。
ニヤニヤと笑いながら安眠妨害して来る友人を、殴り飛ばしたくなったのは一度や二度の話じゃない。
(あの時は割と殺意が湧いたが、世の中何が功を奏するか分かんねぇもんだ。っと、あれだな。洪水の結果だと思うと腹が立つが、探す手間が省けるのは楽で良い)
中央公園に続く大通りの一角。本来ならば其処に家屋が並んでいたであろう跡地の一部に、違和感を覚える程度には形状を保った施設が一つある。
周囲の建物が全て流されたと言うのに、殆ど原型を保ってはいないとは言え残っている建物。他より強固に作られたであろうそれこそが、目的の場所だと判断出来た。
北の牙の安全装置。破損や故障を起こした際に、暴発や誤射を防ぐ為にエネルギー路を遮断する。その制御施設こそが、辛うじて残っているその建物だ。
砲身となる時計塔が壊れた以上、北方政府は安全装置を起動している筈である。そうなれば時計塔へのエネルギーは遮断されており、これを解除しない限り北の牙は使えない。
(中に入って、操作する時間はねぇ。そもそも、動く状態かも怪しい。なら――っ)
左手に炎を灯し、闘気を食わせて増幅する。その炎を球形に纏めてから軽く放ると、風を纏った左足でサッカーボールのように蹴り出した。
風を飲み込み更に巨大化した炎球が、僅かに形状を残していた施設に着弾。轟音と共に焼け焦げ砕けるその光景に、何かを想う暇はなかった。
【Kiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!】
「が、ぐ――っ!」
ジズの急襲は続いていたのだ。逃げに徹することで、如何にか躱せていた。ならば施設の破壊の為に足を止めれば、その突撃を身に受けるのも当然の流れ。
高速で迫る大質量の突撃。咄嗟に頭と心臓を守ろうと動かした腕の骨が折れ、磨り潰されて壊されながら血反吐を吐いたリアムは吹き飛ぶ。更地となった町中に、その身を受け止める物などなかった。
「く、くそ……っ。必要経費と、分かっちゃいたがっ、一発でこれかよ」
吹き飛ばされて地に落ちて、壊れた人形のような無様を晒す。それでも、倒れたままでは居られない。追撃が来るのだ。連続で受ければ、確実に命なんて残らない。
再生を始めた手足が治り切るのを待つことはなく、折れた骨が自重で歪に歪むのを気にもせず、即座に立ち上がったリアムはその場で大きく跳躍して空の面を蹴り進む。
一瞬前まで、リアムの居た場所を巨大な鳥が通り過ぎて行った。あと一秒でも動き出すのが遅れていれば、抉れた大地と同じような被害をリアムも受けていただろう。
そうと分かって、だからと今更に怯えることはない。やるべきことが変わらないのなら、怯懦に震える時間が惜しい。故にと振り返りもせずに、リアムは強く駆け出した。
(安全装置は、あれで壊せたか? 分かんねぇな、賭けになる。出来たと想定して、次の動きをするしかねぇ。……策として考えれば、片手落ちなんてもんじゃねぇ三流品だな)
中央公園へと向かう途中で、襲い来るジズの強襲を躱しながら、歩を進めるリアムは思う。自身の描いた策の根本、その最重要な部分は運任せにせざるを得ないと。
単純に手が足りない。自身の性能も足りていない。だから仕方がないことではあるが、少しだけ口惜しくも思ってしまうのは郷愁を煽る出来事が続いているからか。
過去は振り返らないと決めた。それでも前に進む為、その過去に助けられている。そんな風にも思えたから、リアムはその異形の相貌を小さく歪めるのだ。
(北の牙は、魔物の軍勢と戦う為の大砲。基本は司令部からの操作で動くが、緊急時には現場で動かす機構もある。その方法は、あの馬鹿が自慢げに教えてくれた。だから、ああ、覚えてるよ)
目の前に広がるのは、荒れ果てた公園の景色。崩れ落ちた時計塔は汚水に流された後なのか、その威容は何処を探しても見えはしない。
だが、問題はない。必要なのは砲身ではなく、砲架の部分にある設備と装置。故に塔が存在していたであろう場所に目を向けて、リアムは笑って大地を蹴った。
「持つべき者は、ダチだよな。柄にもなくそう思うぜ、今はよ」
【Kiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!】
その場所へと向かう途中で、突撃を仕掛けて来るジズの気配を感じる。感じた上で前傾姿勢を取ったリアムは、塔の跡地で真上に向かって跳躍した。
風を読み、音を聞き、タイミングを合わせる。目的地はこの真下。其処にジズを叩き落とす。策を成功させる為に、最低限必要な工程こそがそれである。
故に――
「偽四凶鳥っ!」
今度の回避は、これまで以上にギリギリまで引き寄せた。大魔獣の翼が生み出す風圧だけで全身を切り裂かれながら、リアムは空を蹴って落下する。
ジズの上を取り、左の拳に疾風を纏わせ頭部に向かって叩き付ける。
衝撃に大魔獣が怯んだ隙に、続くは三色の連続攻撃。氷を纏った右の肘打ち、雷を纏った左の膝蹴り、炎を纏った踵落とし。
一つ一つに全霊を込めて、続く四連撃を寸分違わず同じ場所へと。
皮膚を破り肉を抉り骨を砕いて、範囲は小さくとも軽くはない傷を刻む。
結果として、巨大な鳥は地に落ちた。
「教えてやるよ、大魔獣っ!」
ジズの巨体が大地に落ちて、弱っていた地盤がその重みで沈下する。鳥に乗ったまま地下へと落ちるリアムの姿は、魔物のそれから人のものへと戻っていた。
まだ闘気には余裕もあるが、この技は唯でさえ不完全。精密な制御が必要になった今の獣化と併用するのは難しい。故に獣化を解除して、残る闘気を拳に込めたのだ。
四属性へと変じた闘気を、混ぜ合わせて白く染める。右の拳に集めたその力は、今はまだ使い熟せてはいない物。それでもこの鳥に叩き込むのに、これ以上の物はないだろう。
「全ての鳥の王はお前じゃねぇっ! 頂点に立つのは鳳凰だっ!」
央座・玉雀。瓦割の要領で、真下に向かってその拳が放たれる。
砕けた肉の内側へと叩き込まれた一撃に、耐えられなかったジズの頭部が内側から弾けて飛んだ。
拳を振り抜いたリアムの背から、炎のような翼が羽搏く。過剰な力の排出は、しかし本来のものとは異なり片方だけ。双翼ではなく片翼だと言う事実が、男の未熟を示していた。
そんな事実に、何かを想うような時間はない。頭部を完全に砕かれた筈のジズは、既に再生を始めている。血と肉片を浴びたリアムは、既に限界が程近い。
復活を許せば、敗北は確実。そうと分かっているが故に、リアムはジズの背を足場に大きく地上へ跳躍する。そして急ぎ向かった場所は、時計塔の台座の裏側。
脳裏に構造図を思い浮かべながら、僅かに色が異なる壁を見付けて砕く。そしてその中に隠れていた制御ボタンを見付けると、一つ笑ってから押した。
「なあ、偽物。砲身がねぇのに発射のシークエンスを進めれば、結果が一体どうなるかお前に分かるか?」
そして直ぐに、大魔獣を見下ろせる大穴の下へ向かう。賭けに失敗し、不発に終わった時に備えて。
身構え警戒しながら覗き込むリアムの視線と、復活し羽搏こうとするジズの赤い目が合った。
「集った膨大なエネルギーが、壊れた場所から漏れて溢れる。要は途中で切れた電線に、電気を流せば漏電するのと同じ理屈さ。テメェが落ちた場所はその漏電が起きる場所で、たった今俺が電気を流すように指示を出した。安全装置が生きてりゃ電気の流れは途中で止まるが、死んでりゃさてはてどうなるか。丁半博打の結果を見ようぜ!」
丁半博打と笑って言うが、その実勝てる可能性は五割なんて程に高くはない。何故ならばリアムの狙いを成立させる為には、幾つもの幸運に恵まれる必要があるからだ。
先ず第一に、安全装置が切れてなければエネルギーが集まらない。そして第二に、主砲の機能自体が生きている必要もある。更に第三に、大元のエネルギー量も足りていなければならなかった。
それら全てが運任せ。故に策と言うには三流以下だが、リアム・ファミーユには確信があった。
彼が戦場で頼りにする勘が言っている、これは十分に勝ち目がある行為だと。
「賭けは、俺の勝ちだ」
そして、男の勘は外れなかった。結果は余りに明白に、光となって周囲を照らす。
貯蔵庫から水路を伝って集まったエネルギーが、砲架の装置で増幅されて放たれたのだ。
轟音と共に溢れ出す光は、本来砲門に向かう筈の増幅されたエネルギーが行き場を無くして漏れ出した物。魔物にとっては天敵足り得る、膨大で暴力的な星の力。
【Giiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!?】
「なら、テメェはそのまま、此処で死に続けてなぁっ!!」
大元の電気を止めない限り、感電した者の体に電気が流れ続けるように。増幅された精霊力は、エネルギーが尽きるまでジズの体を浄化し続ける。
滅びることがないからこそ、死と蘇生のループに陥り行動不能となるのだ。少なくとも北の溜め込んだ精霊力が無くなるまでは、この大魔獣はこれでもう動けない。
「さぁてと……これで終わり、って訳にはいかねぇよな」
故にリアムは、苦しみ続けるジズに背を向ける。軽く首に手を当てて、肩を回しながらに進む先は町外れ。
崩れ落ちた壁の向こうには、数え切れない程の魔物の群れが居る。
復活出来るのは、ジズだけではない。闇の魔王が居る限り、あらゆる魔物は不滅であった。
決して倒せず、無限に増え続ける。その軍勢が、地平線の果てまでも大地を埋めていたのだ。
「はっ、良いぜ。最後まで付き合ってやらぁ」
奇策で引っ繰り返して尚、状況は未だに悪い。リアムは巨大な個との戦いや持久戦を得意とするが、際限のない殲滅戦に向いた能力を有している訳ではない。
その上更に、もう魔物化が出来ない程に消耗している。心威は使えず、闘気は底が見え始めていて、軍勢規模の数を蹴散らすような技もない。となれば結果は明白だろう。
そして敵は、眼前に広がる数え切れない雑兵だけではない。行動不能にしたジズとて、戦いが長引けば復帰して来るのだ。
貯蔵庫内にある精霊石の量があとどれ程に持つのか、それさえもリアムには分からない。故に現状は、疑いようもなく窮地である。
「目に付く端から縊り殺すっ! 踏み潰して踏み躙って、何一つとして残さねぇっ! 死骸を天高く晒し上げ、あの人への手向けにしてやらぁぁぁぁぁっ!!」
それでも一歩も引くことなく、哄笑と共にリアムは駆けた。これぞ己の闘争だと、これぞ己の忠義が証であると、言わんばかりに叫び吠えて敵を砕く。
誰よりも修羅と言う名に相応しいと言われた亜人の男は、多勢を相手に血で血を洗う戦いを繰り広げる。誰よりも死に近付きながら、しかしその死を踏み越えて進むのだ。
魔物の軍勢に生えた賢者は、本物にするか否かで結構悩みました。
本文中の理由で偽物の方が説得力があるんですが、邪神が許可出せば地獄から本物の賢者を引っ張って来ることも可能ではあるのでそっちの方が絶望感あるかな、と。
偽物になった主な理由は二つ。一つはリアム側に対処能力がないので、賢者が本物だと救うことも出来ずに苦しめ続けるしか出来ないと言う胸糞展開になりそうだったこと。
もう一つがアカ・マナフの性格的に、本物賢者は使えても使わなそうだなと感じたから。ちゃんと頑張れば突破出来るし、想定以上の結果を出せば報酬も与えるのがアカ・マナフなので。(邪神なら本物を使うと思う)
リアムが動揺を一切見せなければ、犠牲者0も目指せなくはない(ほぼ不可能)くらいの調整をアカ・マナフならするだろうと思ったので賢者は偽物になりました。
因みに腐卵の津波の影響を全く受けていないのは、ミュシャ、アンジュ、オードレとディアナ、アダムの五人だけ。
路上で戦っていたクリスやシャルやデュランは勿論のこと、窓や扉の隙間から入り込んで来た汚水の影響で避難所の民間人などにも多大な影響が出ています。(常人は水滴浴びただけで不味いレベルの呪詛なので、犠牲も既に発生しているでしょう)




