第71話
そろそろ前回から一週間経つので、少し不満点もありますが投稿します。
◇聖王歴1339年風ノ月41ノ日
北方政府の庁舎である砦の中庭。訓練場としても扱われるその場所で、二つの影が刃を交わす。
片や獅子を思わせる逆立った髪の大男。対するは一つに結んだ青い髪を風に揺らす、顔に刀傷を刻まれた女。
互いに僧服ではなく布面積の少ない運動服で、晒した肌には無数の古傷。その肌色に、出来たばかりの赤い傷が増えていく。
聖典は使わない。術の類も行使はしない。使えるのは闘気による強化だけ。エスカレートを避ける為に付けた条件で戦って、今に示す結果は五分。
隙なく鍛え抜かれた筋肉が、汗と血に濡れていく。鮮やかに彩られるカルヴィンの五体は衝撃を緩和する為に脂肪を残しつつも、それ以上に肥大化した筋肉に支えられる野獣を思わせるもの。
ならば、と対するオードレの服の隙間から見える体は、女の柔らかさなど殆ど残していない程に絞り抜かれた肉体である。全身の脂肪はゼロに等しく、その上で剣で多様する筋肉ばかりが肥大化した姿は、異様ではあったが何処か芸術的にも見えた。
そんな両者が、剣と無手で死闘を繰り広げる。これが訓練なのか、と傍目に見た者が驚愕する程に凄惨な戦い。現状がこうなった理由は単に、互いが負けず嫌いであったと言うだけ。
カルヴィン・ベルタンは口では罵倒しつつも、オードレ・ダグラスを気に入っている。気に入っていればこそ、本質的には女が戦いに向いていない性格だとも気付いている。
だから殺意を込めた拳で壊して、重体を負って戦線を外れてしまえば良いのだと。そんな押し付けの善意が、ないと言えば嘘になる。とは言え身勝手だと言う自覚もあるから、それを言葉にすることはない。
オードレ・ダグラスは心の底から、カルヴィン・ベルタンと言う男を嫌っている。それは言動や性格と言う面ではない。そういった要素は戦士として、寧ろ好意には値すると思うのがこの女だ。
女にとって譲れないのは、女の宝を男が壊し掛けたと言う過去。唯一人守りたかった血を分けた妹。同じ十三使徒に属した彼女に、カルヴィンは瀕死の重傷を負わせたことがある。それが殺し合いにまで至った切っ掛けで、今も決して許せぬこと。
互いの意地とそんな理由が混ざれば、訓練と言う名目で始めた手合わせは直ぐに歯止めを失い過激化する。最早、殺し合いと言える程の光景は、しかし彼と彼女にとっては常態だ。
顔を合わせれば売り言葉に買い言葉。どちらかが表に出ろと言い、こうして殺し合いを始めるのである。
故に割って入って来たデュランはいつもの光景を前にして、呆れたような嘆息を一つ零すだけで済ませるのだった。
「カルヴィン、オードレ。少し手を止めろ」
「あ? どうしたよ、デュラン」
「珍しいな、貴様が訓練の邪魔をするとは。何か急報でもあったのか?」
冷めた声を掛けられて、滝のように汗を流す二人は足を止めて振り向く。こっちに来いと手招きをするデュランを認めて、どちらともなく意識を切り替え近付いていく。
熱が収まったことで今更ながらに、肌に張り付いた衣服に気分を害する。パタパタと仰ぐように唯でさえ布地の少ない衣服に風を通す二人。
異性が居ると言うのに恥ずかしがる素振りも見せない女に対し、背を向けるカルヴィンは意外と紳士か。対して表情一つ変えないデュランは、手にした紙の書類を二人に投げ渡した。
「お前達の訓練は刺激が強い。この場ではもう少し抑えろ。……と、話がずれたな。本題はこれだ。人数分用意したから、目を通せ」
無感動な瞳にそう促されて、受け止めた書類を捲る。読み進める内にカルヴィンとオードレの表情は、その色を一変させていた。
「報告書? なっ!? 王国内にある聖教の施設が、襲撃されただとっ!?」
「シュドラースに、エスドラースまで含まれているではないか!? 訓練施設を、未来ある若者達を狙うとは――下劣なっ!」
それは早朝にデュランの下へと送られて来た、中央は聖教からの報告内容。それを午前中を掛けて中央の教徒らに精査させ、更に彼自身が目を通して纏め上げた物だ。
内容は複数あるが、大きく分類すれば一種類。聖教が保有する施設に対し、何者かの襲撃があったと言う報告書。何処にどれ程の被害が出たのかと、記録されていたのはそれである。
シュドラースとエスドラースは、どちらも聖教の訓練施設がある町の名だ。聖兵や審問官と呼ばれる聖教が有する軍事力を育てる為の場所である。
のみならず、シュドラースには聖教でも最大級の研究施設が存在しており、エスドラースの方には聖兵が扱う武具の生産を担当する大規模工房が併設されている。
どちらも共に、聖教にとっては重要に過ぎる軍事施設。これらを失ったことによる戦略的な損害は、最早説明の必要がない程に大きな物と言えるだろう。
「そっちもやべぇが、次を見ろ。テラボンダまで焼かれていやがる! 聖教が抱える、大陸でも最大級の穀倉地帯だ! 確か軍を通じて、聖王国にも流してんだろ! 軍相手の顔役やってる、お前の方が分かるだろうが! 早く言え、何人死ぬ!?」
「なっ!?」
だが、それ以上に問題となるのがテラボンダと言う聖教が保有する穀倉地帯だ。周辺領主同士の争いを発端とした紆余曲折を経て、現在は一時的にだが聖教の管理下となっている場所。王の不在が故に、返還が滞っている領土である。
その穀倉地帯は、聖王国どころか世界全体を含めても一・二を争う規模を有する大穀倉地帯だ。聖教内だけでは消費し切れぬその作物を、聖教は無料に近い薄利で王国内へと流通させていた。
王の不在からなる政治の混乱。貧富の拡大からなる資源の不足に対して、現在の餓死者が然程多くはない理由。その内の一つは紛れもなく、こうした聖教側が行う貧民救済活動である。
だからこそ、テラボンダが焼かれたと言う事実は戦略面とは異なる方向で不味いのだ。聖王国の総人口、その多くが頼りにしている食料品が消えて失せたのだから。
「……まだ作付けしたばかりで、今すぐに影響が出ると言う訳ではないが。このままテラボンダから収穫が出来ないと仮定した場合、概算だが聖王国人口の約三割。2000万以上の人間が、次の冬を越えられん」
「補足すると穀倉地帯は油のようなもので焼き払われた後、海水でも流し込まれたのかと言う程に高濃度の塩素が検出されている。如何に神聖術を用いようと、復旧には時間が掛かるだろう」
聖教が直接施しを行えば、或いは内政干渉と成り兼ねない。そうでなくとも元は聖王国が権利を有する農作物でもある。聖教が人気取りに用いるのも理屈に合わない話と言える。
故に軍と繋がりの深いオードレも窓口の一つとして、聖王国軍と様々な取引を行って来た。人件費を払えば寧ろ足が出てしまうような金額で、軍部に食料を流していたのである。
マイナス分は聖教側でも、生産された農作物を消費して良いと言う条約で埋めていた。
そんなやり取りをしていた女だからこそ、未来が見えてしまい顔を蒼褪めさせる。オードレには、どれ程の被害が出るかが分かってしまったのだ。
民の被害は概算で2000万人。そう告げた本人ですら、それが甘い見通しであるのだと分かっている。実際には、それさえも超えるだろう。
元々軍が動かねば、物資の流通にも滞りが出る状況なのが今の聖王国情勢なのだ。その軍を動かす為にも糧食は必要で、と成れば食料品の不足は他の物資の不足にも繋がり得る。
利を見るに敏な商人や欲を優先する貴族などが残る物資の価格を吊り上げる可能性も十分にあり、となれば起こる混乱は実際の不足以上に膨れ上がることさえも容易に想像出来たのだ。
「ふざけた真似をっ! 誰だ! 誰がやりやがったっ!!」
激昂して書類を地面に叩き付けるカルヴィンは、暴力を生業としているが故に覚悟を決めている男だ。だからこそ、そんな男には民間人を狙い撃ちにしたようなこの所業が許せない。
聖教としては、前述のシュドラースとエスドラースの被害の方が大きいだろう。テラボンダの大農園が生産する物資が消えてなくなっても、短期的には問題ないだけの資産や財力は存在している。
テラボンダを失った所で、聖教関係者が飢えて死ぬ可能性は低い。精々被害を大きく見繕った所で、末端が数十名と言う程度で済む。寧ろ赤字経営を余儀なくされた場所が減った分、プラスと言える面すらある。大きな被害を受けるのはあくまでも、聖王国の国民達なのだ。
対して訓練施設と重要拠点への襲撃は、向こう数年は取り戻せない程の軍事力の喪失に繋がっている。十三使徒と言う特記戦力こそ残ってはいるが、分かりやすい数の喪失と言うのは決して楽観出来ない事実であろう。
だからこそ合理的に考えるのであれば、兵力の損失こそを惜しむべきではある。だが、カルヴィンはこうも考えるのだ。志願した兵らは、端から覚悟を決めていた筈ではないかと。
暴力を売りにするのなら、自身もまた暴力に晒されることを良しとせねばならない。そう考える男だからこそ、軍人の死は悲しくもまだ許せる話だ。
許せないのは、銃後の者を狙い撃つような方策。無辜の民ばかりが被害に合う敵の策が許せないのだ。それは筋が通らぬだろう、と。
「分からない。だが、西方と邪教が主犯ではないのは確かだ」
筋を通さぬ敵に激昂するカルヴィンと、被害の大きさに顔を俯けるオードレ。両者と違い既に詳細までも理解していたデュランは、冷徹な瞳のままに自論を語る。
曰く、敵の正体は分からないが除外出来る者らは居ると。それは此度の被害による聖王国の弱体化を、或いは他の誰よりも喜ぶであろう筈の二つの勢力。西方商業者連合と邪教の二つだ。
「西方の連中が単独でこれだけの被害を出そうとすれば、相応の大部隊を派兵することになる。当然、国境を守る軍が気付く。例え裏切者が軍に居たとしても、全く情報なしに此処まではやられまい」
「当然だな。西守のセラフィン殿は一時期とは言え、師や刀将の上官を務めたこともある古株だ。最年長の師団長にして軍人の鏡とまで言われた彼が、そう簡単に出し抜かれるとは思えん」
西方商業者連合は、聖王国軍にとっては最も身近な仮想敵だ。長い歴史の中で幾度も聖王国に敗れて来た彼らは、相応に恨みを持ち、隙あらば仕掛けて来るだろうと読めていた。故に王国の西を守る西守師団の長には、三将軍が最も信頼を置く古株を置いている。
セラフィン・ポール・テシエと言う最年長の師団長は実力人格の両面から、確かな信頼が置ける人物だとオードレは語る。軍部に努めていた女の声は、多くの聖王国軍人の意見と一致するだろう。
それ程の人物が守る場所ならば、波風一つ立てずに大規模部隊を通すと言うのも考え難い。そして被害規模の大きさから考えても、個人若しくは少人数で為せることとは思えない。そう、オードレも納得する。
この論には無論、穴もある。デュラン自身も理解しているが、極少人数ならば通せなくはないのだ。
例えば西方の英雄である灰被りの猟犬が、迷彩系の新技術を用いて侵入して来たと言うのなら、この戦果も挙げられなくはない。
或いはそうした少数精鋭の極秘部隊に、西守師団の内通などが重なれば、西方主導でもこの結果は出せるだろう。
だが、それは余りにリスクが大きい。そして得られる成果も、貧民層と中間層の一部が餓死するだけと言うもの。
聖王国の指導者層には然したる被害を出せぬのだから、唯一人しか居ない英雄を失う可能性を考えれば、単純にリターンが見合っていないのだ。
故に何らかの見返りで共犯と成った可能性はあっても、西方が主犯と言う可能性はないとデュランは読んでいた。
「邪教じゃねぇ、って判断も分かる。連中は死体で遊ぶ。あいつらが襲った後は、汚ねぇから分かりやすい。偽装や報告が足りてねぇだけって可能性も、なくはないが」
「朝に連絡を受けた後、可能な限りの調査内容を全て送って来るようにと命じて送られた物だ。俺の方で不要な情報は幾つか削って纏めたが、調査不足と言う印象は受けなかった」
邪教じゃない、と判断した理由は単純だ。彼らの多くは即物的で理性がない。我欲を抑えられない加害者達は、生きたまま人間を辱めてから殺す。過去だけを想う被害者達は、大魔女を喜ばせる為に死者の躯を穢す。総じて彼らが起こした戦場跡は、悪臭と白濁と前衛芸術に塗れた汚物のような場となるのだ。
「偽装についても、末端にまで徹底させられるような人材は邪教には少ない。夢幻と貪欲、後は教主くらいだろう」
真っ当な精神では、邪教の犯行現場の模倣など出来るものではない。そして逆に、邪教が真っ当な素振りを偽装することも難しい。邪教徒の殆どは、会話にならない類の狂人だからだ。
話は出来る。だが伝わらない。そんな者らを率いて、余計な行為をするなと命じて徹底させることが出来る者などそう多くはない。邪教の幹部たちならば、或いは多少はと言った所か。
「内の二人が直近で北方で見付かっている上、今回の被害規模は大き過ぎる、か。貪欲一人でこれを為せた、と言う可能性もないな」
幹部ならば制御出来るとは言っても、それでも教主ではなく夢幻や貪欲では一度か二度で限界だろう。それでこれ程の被害を出せるかと言えば、出来ないと答える他にない。
何せ邪教の幹部陣は、この北方で姿を確認されているのである。未確認な貪欲一人で為せるようなことではないと言うデュランの思考は、どこまでも真っ当な物だと言えよう。
故に、犯人は消去法で絞れてしまう。主犯となるのは、先ず間違いなく――
「詰まりはあれか? 貴族派か王党派か知らねぇが、連中がやりやがったってことかよっ!? テメェの国民が、大勢死ぬような真似をっ!! ふっざけやがってぇぇぇぇぇっ!!」
聖王国の指導者層。二つに分かれた派閥のどちらかが、今回の聖教襲撃事件を仕組んだのだ。そう、この場の誰もが理解していた。
「上が下を食いもんにしてんじゃねぇぞっ! それをさせねぇのが、テメェらの役割じゃねぇのかよぉっ!!」
「……意図は何処にある? 我々を削って、王権争いに参加出来なくさせる為か? だとしても、このタイミングで何故だ?」
「このタイミングだから、だろうな」
これ以上ない程に激昂するカルヴィンに対し、如何にか深呼吸を繰り返して自身を落ち着かせるオードレ。それでも怒りから思考が纏まらない女は、この場で最も冷静な男に疑問を投げた。
「東国六武衆に対処する為に、十三使徒の俺達三人が抜けた。また、連中が前言を翻す可能性や邪教が便乗する可能性を恐れて、猊下らの護衛に筆頭殿とマキシムの奴が当たっていた。残る八人の内、半数は天見の塔の防衛。もう半数は、大司教らの護衛を担当していたそうだ。特記戦力、と言える我々は全員が行動を制限されていた訳だな」
問われたデュランは、自身が纏め直した内容を頭に浮かべながら言葉を選ぶ。口にした事実は、聖教に隙が生じていたと言う現状について。
東国六武衆と言う強大過ぎる敵を前にして、彼らの目は眩んでいたのだ。だからこそ、彼らに抗することばかりを考えていて、その足元が疎かに成っていた。
「その状況でシュドラースとエスドラース周辺の村落が幾つか焼かれ、調査の為に軍と共同で人員を派遣。普段は教導官を担っている実力者が離れた隙に、訓練生たちの住まう宿舎が焼かれ混乱する中、両施設が奇襲を受けた。シュドラースに併設されている研究施設や、エスドラースの武具生産用の工房もその時に半壊。復旧の為に人員を再配備した所で、敵の本命にテラボンダを襲われ田畑を焼かれた訳だ」
被害は聖教の施設だけではない。それがあった町は勿論のこと、周辺の村落などまで焼かれている。聖王国の王都から然程離れてはいない東南部が、広域に亘って被害に遭ったのだ。
特記戦力と言える者達は東国を警戒して動けず、熟練の兵らは次から次へと起こった襲撃で転戦を余儀なくされ、生まれた隙に脆い部分を盛大に突かれた。結果がこの今にある状況。
「1200キロと言う広大な穀倉地帯が火を付けられて全焼。事前に油のような物を撒かれていたようで、守備兵が気付いた時には手遅れだったそうだ。食糧庫も含め、文字通りの全焼だ。テラボンダの人的被害自体は少なかったと言う話だが、幸か不幸のどちらだろうな。冬に飢え死にする数が増える。……ともあれ、そうした理由は明白だろう」
この策謀を企てた下手人にとって、軍事施設の襲撃すらも村落の襲撃と同じく陽動でしかなかったのだろう。その本命こそが、穀倉地帯を焼き払うこと。
人的被害を減らしたのも、食料消費を少しでも増やす為の工作か。そうした外道を為した目的は恐らく、聖教への牽制にある。デュランは現状から、そう判断していた。
「近年、聖王国の弱体化と反比例するように、聖教の力は増していた。国民を食わせることすら難しくなっていた政府だ。餓死者がこれまで然程増えていなかったのは、軍と俺達が協調して貧困層の救済に当たっていたからと言う理由もある。当然、信者の数は増え、なし崩しとは言え大規模な領地を国内に有する程に成っていた。為政者から見て、これ程に目障りな組織もそうはない」
王党派も貴族派も、互いに争い奪っているのは王の座だ。だがそれを得た後で、従う者が皆無では玉座は張り子の虎にさえも劣るものと成るだろう。
聖教の信仰拡大は、そうした目的の陳腐化を引き起こし兼ねない。そう判断したのならば、削れる時に削っておこうと考えるのも妥当ではある。人の心と言うものが、余りに欠けた策ではあるが。
「その上で、軍と聖教の繋がりは更に深まりつつあった。だから下手人は最悪を想定した訳だ。刀将の遺児。第二位の王位継承者を俺達が擁立して、国を牛耳ろうとする可能性をな」
更に言えば、状況が状況だ。聖教の暗部とは言え、対外的には枢機卿と言う立場を有する十三使徒。彼らが三人も、北方政府と接触していたのだ。
裏を知らずとも、其処に懸念を抱く者は多く在ろう。ましてや内の一人は、雷将の一番弟子。妹弟子である第二王位継承者とは、昵懇の仲なのだから。
「下らん邪推だ。我々は戒律で、国政には関わらんと決めていると言うに」
「信じられない、と言うことだろう。事実、表向きは禁じられていることでも、裏では行っている聖教徒だって少なくはない」
自分達はそんなことはしない。そうは言っても、それだけで他人が信じてくれると言うのならば世に争いなど存在しない。やろうとすれば出来てしまうこと、それが問題なのだ。
それに聖教内の正常化を担当する処刑人として、デュランは教えに反する背教者たちを多く見て来た。
だから人の善意などは強く信じられないし、疑念を抱いてしまう相手の気持ちも分からなくはない。
「実際教えを第一にするのなら、宗教に過ぎぬ俺達が領土を持つと言う現状も問題ではある。貧民救済の為とは言え軍部と深く繋がり過ぎている今、今回のお前の行為だって言ってしまえばグレーラインの行いだぞ。俺にお前を、処刑させてくれるな」
「……分かってはいる、心算だとも」
更に言えば今回のオードレの行動とて、状況次第では処分対象と成り得た行為だ。故に冷めた口調のままに釘を差すデュラン。
彼の言葉に、少し声を詰まらせながらも、如何にかオードレはそう返す。その声音には、確かな恐怖があった。それも当然、処刑人であるデュランは全ての聖教徒の天敵だ。
そういうスキルを彼は持っており、故にほぼ全ての十三使徒は彼の敵にも成り得ない。敵対すればオードレですら、何も出来ずに一方的に殺されよう。
だからこそ、一部の例外を除いた全ての十三使徒はデュランを恐れている。そんな中で恐れていながらも、普段は対等に語り合えるこの二人は明確な上澄みなのだ。
「んで、俺らはどうすんだ? ここまで舐められたんだ。一旦、中央に戻ってやり返すのか?」
「襲撃の調査は継続する。が、判明しても責任追及は難しいと言うのが議会の判断だ」
怒り狂っていた頭に冷や水を掛けられて、冷静と成ったカルヴィンが問いを発する。デュランの発言で冷えた空気を切り替える為、言われた問いに処刑人は報告と共に受けた議会の決定を彼らにも伝えた。
「何故だ? これだけのことを仕出かされて、黙っている心算なのか。猊下らは」
「先の戒律だ。俺達が此処で下手人に手を下せば、その派閥は実質的に終わる。要は国政に介入することになる訳だ」
デュランの予想と同じ想定を、本国に居る筆頭もまた出していた。故に議会にも参加しているオスカーが教皇にその意図を伝え、大司教らとの会議の末に教皇は結論付けた訳である。
此処で報復を行えば、それは聖教の戒律に違反する結果となるのだと。軍事力を大きく削られても、聖教には未だ十三使徒が残っている。彼らを使えば、空将だって落とせるだろう。詰まりはどちらの派閥にも、勝とうと思えば勝ててしまうのだ。
となれば聖教が仕掛けた側ではない方が、王権争いに勝利するのはほぼ確定と成ってしまう。恣意的な行為の結果ではないとは言え、そんな形で政治に介入してしまうのは戒律違反なのではないかと。特に敬虔な者らから、そんな意見が上がった訳だ。
「それに、食料不足への対処を優先すべきと猊下は判断されている。今回の件で、貴族派も王党派も、貧民を見捨てると分かったからな。多くの民を救済したいのならば、俺達が動くしかない。となれば為すべきは、他国からの輸入か、或いは略奪か。どちらにせよ、聖王国と戦っているような余裕はないな」
それに聖教が仕掛ければ、対抗してきた派閥との全面戦争と成ってしまう。当然余力はなくなるのだから、食料不足の解決が不可能となる。貧民層を中心に、多くの犠牲者が出てしまうのだ。
聖教が勝利しても敗北しても、残る一派が漁夫の利を得る。そして彼らは、自国の民を救わない。故に餓死者と戦死者で、国内人口は大きく削れる結果と成ろう。その未来が視えたから、今は耐えるしかないのである。
「だから責任を追及するにしても、次の王が決まった後に、と言う内容で上の意志は統一された。反撃を行わないと言う意思表示も兼ねて、俺達も直ぐには戻れん。戦力を慌てて集めていると見られては最悪、その時点で聖王国との全面戦争が勃発する」
『ちっ』
その事も相俟って、暫くは中央に戻れないと告げるデュラン。淡々とした語りを聞いたカルヴィンとオードレは、揃って忌々しいと舌打ちし、深い息を吐いた後で姿勢を崩した。
そんな二人を変わらぬ視線で見詰めながら、デュランは静かに考える。食料不足の解決を優先するとは言うが、果たしてどのように解決する心算で居るのかと。
彼自身が口にしたように、足りない物があるのならば、ある場所から持って来るしかない。西方南部と繋がりも厚い聖教だから、そちらから格安で買い付けると言うのが妥当な所か。
だが、それだけでは聖教に所属する者らの分は兎も角、聖王国民の分までは足りない。そして2000万と言う民を養うだけの財力が聖教にあるのかも、それだけの余剰な食料が西方にあるのかも不明だ。となれば恐らくは、南伐がまた起きる。
亜人浄化の為に行われてきた、南方大陸にある亜人国家への侵略戦争。これまでの歴史の中で四度、聖教は王国と手を組んで南部への侵攻を行っている。それを南伐と言うのだ。
その五回目を、上の者らは計画しているのかもしれない。亜人浄化だけでなく、今回は聖王国の貧民を救済すると言う大義名分まで増えたのだ。
ならば聖教は引くまい。これまで以上の本腰を入れて、大部隊を派遣する。亜人蔑視の聖教にとって、人と亜人の命は等価ではないのだから。
「それに、それとは別に懸念事項もある」
亜人への蔑視がないからこそ、そんな碌でもない未来に鬱屈としてしまう。だが今は懸念でしかないと意識を切り替えて、デュランが口に出すのはもう一つの懸念事項。より切羽詰まった内容だ。
「聖教がこれ程に混乱していると言うに、中央では邪教が静か過ぎる。報告では、この北方で教主と大魔女、それに夢幻が現れたとも聞く」
「この北方で、奴らが動くとお前は見るのか?」
「妥当な所ではあろう。東国との戦いで兵は壊滅状態、将らも万全とは言えない状況。民と言う遊び道具がなくとも、奴らが襲ってきそうな状況ではある」
余りにも静か過ぎる邪教勢力。彼らが動き出すとするならば、この北方大陸で間違いはない。デュランはそう判断しても居たのだ。
そして動くとすれば、もう間もなく。東国六武衆との交戦によってこちらが消耗している現状をおいて、他にないだろうとも断じている。
恐らくは数日以内に動きがある。闇の魔王復活と言う事実を知らずとも、そう結論を下したデュランは指揮官として配下らに指示を下した。
「現地指揮官として、お前達に指示を下す」
言葉を受けて直ぐに、カルヴィンとオードレの二人も姿勢を正して彼に向き合う。流石は騎士道精神を有する元軍人と軍人的思考を有する戦士と言うべきか。その切り替えの早さは、彼らが上澄みと称される証明とも言えよう。
「オードレ。お前は北方の連中と組め。俺達の中で一番、お前があいつらと轡を合わせやすいだろう」
「了解だ。師や妹弟子らの尻でも叩いてやるとしよう」
そうして下された命令。オードレ・ダグラスに求められた役割は、北方政府の援護である。邪教が何らかの企みをしている現状を、自分達だけで解決出来ると思う程にデュランは慢心していない。
となれば現地勢力との協力は必須事項であり、このメンバーの中で最も協力し易いのがオードレと言うのも明白な事実であろう。この青髪の女傑には、華々しい表舞台の方が似合っている。
「カルヴィン。お前は遊撃だ。最初は見に徹し、必要と思われた場所に介入しろ。その判断はお前に任せる」
「あいよ。ま、好きにやらせて貰うぜ」
カルヴィン・ベルタンに求められた役割は、遊撃と言う補助戦力。後詰めとして無敵の男を配した理由は、単純に相手の意図がまるで読めないから。
邪教に対する情報が少な過ぎる現状、何時でも自由に動かせる戦力を残すと言うのも十分にありな戦術だろう。正面戦力はオードレと北方の面々だけでも十分ではあるのだから。
「んで、お前はどうすんだよ。デュラン」
「俺は身を隠す。暫く連絡は付かなくなるから、その間の中央との取次はオードレに一任する。判断も含めて、な」
最後に指示を出したデュラン・カルリエは、これが自分に一番向いている役割だと提示する。正面からの戦闘よりも、隙を突いての暗殺こそが男の得手なのだから。
「では、此処で失礼する。各自、為すべきことを為すように」
言うべきことを全て言い終えた後、即座にデュランは姿を消す。瞬きの後には何処に居るかも分からなくなった指揮官の姿に、やれやれとカルヴィンは肩を竦めた。
「おいおい、相変わらず遊びがねぇことで。もう行っちまいやがったぜ、あの野郎」
「まあ、らしいではないか。細目に指示を出す多弁なデュランなど、解釈不一致で脳が混乱する」
「はっ、言えてる。実際、報告の為とは言え、こんだけ長くアイツが話したのも何年振りだよって話だしな」
デュランが本気で隠れたのならば、十三使徒でも否――十三使徒だからこそ見付けられなくなる。故に追っても無駄な相手に、勝手な野郎だとカルヴィンは苦笑する。
現場指揮官としては落第寸前な行為だが、確かに適材適所ではあるし何より彼らしい行為ではある。故に同じく苦笑しながらもオードレがそう返し、カルヴィンも笑ってそれに頷いた。
「んじゃ、俺も外すわ。精々、死ぬんじゃねぇぞ。テメェに戦場は似合わねぇ」
「ふん、戯けたことを。貴様こそ、私が落とす首なのだ。何処かに忘れて来るなよ。首を落とす前に、メレーヌの奴に謝罪もさせねばならんしな」
「……あの女の名を出すんじゃねぇよ。萎えるだろうが」
言って立ち去るカルヴィンの背に、本気の殺意を混ぜつつも激励の意も込めて返すオードレ。その台詞に混ざった女の名を聞き、カルヴィンは深く深く嘆息した。
メレーヌ・ジェルメーヌ・ダグラス=プロスティチュエ・サント。公方姫乃と言う飛び切りを知って尚、未だにカルヴィンの最低な女ランキング一位を独占している女の名だ。
あの最低最悪の尻軽女と血縁と言う事実が、オードレ・ダグラスが有する最たる問題点だとカルヴィンは半ば本気で思っている。実妹のあれさに気付けないのが、或いは気付いて正そうとしないのが、この女の最大の欠点だと。
一気に萎えた気概を奮い立たせる気にもなれず、そのままカルヴィンは姿を消す。その様子に何事かと首を傾げつつも、オードレもまた思考を切り替えた。
「では、師の下へ向かおうか。知っていることを、聞き出さねば。……それと、悪竜王だな」
訓練施設近くの更衣室へと向かいながら、オードレは今後の予定を立てていく。先ずは何より、情報の共有が必要であろう。
救援として到着したのは六武衆との戦闘中。その後、牢の中で時間があったとは言え、話す内容の大部分は六武衆との戦いに関する物だったのだ。
十三使徒の三人組は、北の戦士らがどれ程の事実を知っているのかすら知らない。となれば先ずは、それを知らねば共に動くことも難しいだろう。
「あの小僧もまた、伏せている情報の一つ二つはあるだろう。今後の戦略は、それ次第か」
汗に濡れた服を脱ぎ、更衣室に併設されたシャワー室へと歩を進める。
途中の姿見に映る、傷だらけの姿。それを瞳に映す度に脳裏を過ぎるのは、幼い時分に感じた痛み。
常ならば論ずる価値もないと切り捨てて、振り払うその幻覚とその幻聴。しかし憂鬱になる話ばかり耳にしたからか、久し振りに過去を思い出してしまう。
――痛い。痛いよ。もう止めて、お父様。
ダグラスは五大貴族の一角だ。だが、五大貴族の中では末席として侮られて来た家柄だ。その理由には、ダグラス家の成り立ちが関わって来る。
元は西方に住まう、青の貴種を輩出して来た精霊王の血筋。ノルテ・レーヴェ家の分家であったのだ。それが栄光王の時代、第一次西方侵略戦争時に主家を裏切った。
裏切者のダグラス家。中央に身を寄せて千年が経過した今となっても、口さがない者らはそう噂する。歴史ある他の四家とは、常に比較されてきた。
故に代々の当主らは、より大きな功績を求めた。もっと貢献すれば、もっと評価されれば、この汚名も拭うことが出来る筈だと。子に孫に多くを求めた。
結果が裏切者と言う始まりながらも、貴族の頂点である五大貴族と言う今の席。だがしかし、此処まで来ても裏切りの汚名は残り続けている。
これ以上の立場向上は難しい。ならば汚名も気にならぬ程の、綺羅星のような偉人を生み出そう。何時からか、ダグラス家はそうなっていた。
ダグラス家の当主は、妻や妾を多く娶り、その血を継ぐ子を無数に産ませる。そしてその子らに、虐待どころか拷問レベルの教育を施すのだ。
途中で死ねば、母と共に屍を捨てる。こんな出来損ないを産んだ胎など必要ないと、昔はオードレにも兄と姉は多く居たが今は彼女が長子であると言うのがその証明。
――私が、頑張らないと。
母の異なる妹が産まれた時、オードレはそう決意した。少女が五歳の時に産まれた小さな赤子は、その柔らかな手で傷だらけのオードレの指を掴んで、嬉しそうに笑うのだから。
この子を自分と同じ目には合わせない。痛くて苦しいこの今を、妹には経験させたくなかったのだ。だから才能がないなりに、必死になって努力した。
父に自分が潰れるまではと拙いながらも交渉を持ち掛け、貴種に近い髪の色を有するオードレへの期待から、他の兄妹よりも過酷な訓練を受けることを条件に許可された。
以降は毎日のスケジュールを分単位で管理され、自由なんて殆どなかった幼少期。それでも月に一度、数分だけ許された休憩時間。その僅かな時間だけ、触れ合えた妹を大切に想った。
外に出しても恥ずかしくない程度に仕上がったと認められた段階で、彼女は雷将に引き合わされた。
ダグラス家当主の依頼を受けて、オードレを弟子にした雷将。彼の下で磨かれた実力は、今や誰にも認められる程であろう。
討魔師団の師団長に就任し、将来的には三将の一角と成るのも有望視された頃。久方振りに会えた妹も、武の英雄はオードレ一人で十分だからと、他家へと嫁ぐ為の準備に日々を費やしていた。
少しだけ苦い想いもあったが、それでも得られた物は確かにあるのだと。そう噛み締めていた所で、当主である父から予想外の言葉を告げられる。曰く、もう王国軍は落ち目だから見切りを付けろと。
ロス家の壊滅から数年が経ったと言うのに、次の王が決まる気配は今もない。国内情勢は荒れ続けており、今後どうなるか分からない。最悪は国の崩壊を想定する必要があり、故に保険を掛けねばならない。そう語った父が示したのが、聖教会への移籍であった。
以前よりオードレは、聖教会からの要請を受けていた。初陣で夢幻のアダムに顔を斬られた際に、輸送されていた第二聖典と適合していたが故に。
それでもオードレは断り続けていた。望んで選んだ道ではないとは言え、師も仲間も妹弟子達も、皆を既に愛していたから。三将となるのは、女の夢にも成っていたのだ。
しかし、情勢はそれを許さなかった。彼女の父も政争で負ける心算はなかったが、万が一と言うのはあり得ると言う。その時に当主と長子が共に聖王国側の組織に居ては、リカバリーが効かなくなると言うのだ。
合理的ではあったが、情と言うものには欠けていよう。要はオードレに、師や仲間達が掛けている期待を裏切り、抱いた夢を捨てろと言うようなものなのだから。
当然オードレも口籠り、直ぐには解答を出せなかった。そんな娘に対し、そうなると分かっていた父が見せたのは見合いの釣書。無数のそれは、オードレの為の物ではない。
誰も彼もが名を聞いたことのある者らで、中には余りに高齢な男性や後ろ暗い噂を持つ者も多く居た。そんな釣書を見せ、父は言うのだ。今ならメレーヌ自身に相手を選ばせてやれるが、どうすると。
お前が指示に従わないなら、例えばこの男はどうだろう。そう当主が手にした釣書の人物は、名のある資産家だが妻を18人も殺していると言う男であった。
決定的な言葉は口にせずとも、明白なまでの脅迫行為。それに対し、当時のオードレには幾つも選択肢がある筈だった。しかし彼女は父に従うと言う道を選び、結果が今の十三使徒と言う立場である。
自由はなかった。そんな中でも得た夢と仲間は、上から取り上げる形で奪われた。それでも、妹だけは守れた。そう納得していた、そんな頃だ。
――お姉様!
良家との縁談話が進んでいた筈の妹が、何故だか聖教会の敷地内に居た。十三使徒と言う自身と同じ立場に成って、これからはずっと一緒だねと笑うのだ。
訳が分からない。意味が分からない。これでは自分の努力は何だったのかと混乱しながら、笑顔の妹から話を聞く。何を言われたのかも、何を言ったのかも、殆ど記憶に残っていない。
覚えているのは、僅かなこと。父がこのようなことを許すとは思えないと告げれば、父は病に倒れたという言葉が妹の口からは返って来る。
そんな都合良くと気になって、実家に帰って調べてみれば病床の父は明らかに正気じゃない姿。経験から直ぐに分かった。毒を盛られたのだろうと。
伝手を使って調べれば、下手人も分かる。当時の使用人が犯罪組織から毒物を購入していた記録と、その使用人と妹が頻繁に密会していたと言う事実が分かってしまったから。
お前がやったのか、と言う言葉は口に出来なかった。父だけではない。その使用人も事後に行方を晦ませている。状況証拠には十分過ぎて、どうしたものかと頭を抱えるしかなかった。
英雄級の実力を有するオードレならば、その気になれば父親なんて直ぐに排除出来た。それでもそうしなかったのは、僅かであれど肉親の情があったから。
そんな父の惨状を見て、治す手段は幾つも浮かんでいたけれど、オードレは何もしなかった。此処で父を治療すれば、今度は妹が危険になるから。だからまた、切り捨てたのだ。
妹に幸せになって欲しかった。笑っていて欲しかった。なのに彼女は、危険な立場に自らの意志で成った。その途中で、幾人もの犠牲者を出しながら。その途中で、身内や自身の味方すらも踏み躙りながら。
その事実を知って、オードレにはどうすれば良いか分からなかった。叱責し罪を償わせるべきなのか、それでも守り続けるべきなのか。迷う女は答えを出せないまま、戻った教会内でその光景を見る。
カルヴィン・ベルタンの手によって、血の海に沈んだメレーヌ・ダグラスの姿。呼吸すらも確認出来ない程に傷だらけの姿を見て、オードレ・ダグラスは激昂した。
聖典すらも用いた本気の殺し合い。その果てにどちらも死ぬと言う瀬戸際で、割って入って来たデュランとオスカーに止められる。そして聞かされたのは、メレーヌが一命を取り留めたと言う情報。
――ああ、良かった。
ベッドの上で起き上がった妹を抱き締めて、涙混じりにそう告げる。失い掛けて漸くに理解した。一番大切な宝はずっと昔から、この最愛の妹である。その事実だけは、何があっても変わらないのだと。
ならば迷う必要などはない。これまで通り、妹の為に生きていく。共に戦いたいと言えば、死なないように鍛えてやろう。罪を償いたいと思えたならば、その手伝いをしてあげよう。生きている理由など、生きてきた理由など、それだけで十分なのだから。
――本当に?
幼い自分が問い掛ける。鏡を見る度に聞こえて来るのは、軋んだ過去の心が上げる悲鳴にも似た何か。
(愚問だな。私の道に、後悔など必要ない)
そんな脳裏に浮かんだ小さな声を、オードレは一顧だにせず振り払う。疑問など、不満など、抱く必要などはないのだと。だってそれ以上に、大切な宝があるのだろうと。
女は汚れを落とす為、冷たい水を浴びる。不安や怯懦や迷いや嘆きと言った感情を、汗と共に全て流して切り替える。
己の貫いてきた生き方に、後悔などしないと決めているから。幼い時分と異なって、今の自分には分かっているのだ。譲れぬ物が何かと言うことは。
烏の行水と言うに相応しい短さの後、精霊術で水気を払い軍服を身に纏う。髪を束ねて、歩き出した瞳に迷いはない。
その在り様こそが、女の異名の由来と言えよう。血の通っていないように思える冷たい視線で、踏み付けるのは過去の自分。
身内への情に厚く清濁を併せ呑めない女であるが、だからこそ其処から外れた相手に対しては何処までも冷血であり続ける。それがオードレ・ダグラスだ。
何よりも己に対して冷徹に、そうでなければ進み続けることが出来ぬ程に本質は弱い。そうと自覚しているが故に、オードレ・アルマ・カイ・ダグラス=サングフワーは止まらないのだ。
【中央でのトラブルについて】
全体の絵図面を書いたのは無能姫。北に派遣された十三使徒が死んだら良いな、と思いつつも本命はこちらの策。東国を警戒し過ぎた聖教の脇腹を突いて、大きな被害を与えることでした。
姫が自身の侍女に紛れている公爵のスパイを使って、公爵側にオードレとアンジュの関係性とそのオードレが北へ行ったと言った情報を流した。結果、国内東南を公爵の派遣した野盗に偽装した兵が襲撃。シュドラースとエスドラースは大きな損害を受けることになった訳です。
その後のテラボンダ襲撃も姫の策。彼女の文通相手である西のディエゴ君に、お手紙で情報を断片的に漏洩。結果、見抜いたことまで見抜かれてるだろうなと分かりつつも、自身には利益しかないし姫とは仲良くしときたいので乗るかぁとディエゴ君は判断。
西の英雄である灰被りの猟犬に光学迷彩を持たせて侵入させ、公爵が暴れた直後のタイミングで灰被りの猟犬が必死になった民衆はどんな輝きを見せてくれるかなぁと2828しながらテラボンダを焼いたと言うのが実際の流れです。
【デュランを怖がらない十三使徒】
筆頭「俺が選んだ後継が、俺を不要と言うなら俺に問題があるのだろう。その程度には信じているとも」
れず「デュランに処刑されるような後ろ暗い秘密も、誰かに恥じ入るような性癖も、私には一切ありませんのよ! おーほっほっほっ!」
ろり「デュランは私の恩人で恩師で絶対に助けてくれる味方だもん。私を処刑するだなんて、天地がひっくり返ってもありえないわ」
信頼・天然・妄信と言う其々の理由で、デュランを怖がらないのはこの三人だけ。他の十三使徒は大なり小なり、デュランのことを恐れています。
多分、一番デュランにビビってるのは第七聖典のほも。ほもは今の悪竜王にも勝てるし、本気の炎王ともある程度戦えるし、普通に対十三使徒特攻スキルを発動したデュランにも勝てる程の実力があります。
けど、デュラン相手だと実力差無視して殺される可能性もあるので、ほも的には炎王の次に位置する警戒対象としている訳です。
因みに十三使徒でデュランと戦闘が出来るのは、このほもとカルヴィンだけ。カルヴィンが辛うじて戦闘になるのに対し、ほもはデュランに圧勝出来ます。




