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Re, DS  作者: SIOYAKI
第四章 死して後已む
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第70話

戦後処理②

◇聖王歴1339年風ノ月38ノ日


 コートフォールは北にあるシャーテリエの里近く。雷の雨により焼け焦げた木々が倒れる森を抜けて、彼女達はその地に逃げ込んでいた。

 此度も勝てぬと判断した時点で、女は主君すらも囮に使う心算であったのだろう。其処は嘗て、翡翠に輝いていた遺跡。今は暗き瘴気の色に染まったカシェテーレ。


「あは、あはは、ははははははははははははははっ!」


「…………」


 そんな場所で、黒髪の女は腹を抱えて嗤っている。趣味が悪い程に真っ赤な色で彩られた唇が、歪んだままに戻らない。

 心底から堪らないと女の傍らで、無数の魔術刻印を身に刻まれた半裸の男は死んだ瞳をしたまま。また死にそびれた、と塞ぎ込むばかりである。


 黒いナイトドレスを身に纏う邪教の教主、ディアナ・プロセルピナ。土葬されたような色合いの肌を晒した邪教の幹部、夢幻のアダム。

 これまでの繰り返しで死に続けてきた者達は、此処に漸く生存と言う目を掴む。その事実を前に、抱く情は真逆であろう。それは明確なまでに、差として表れていた。


「死んだ! 死んだ死んだ死んだ! あの男がっ! あの怪物がっ! 漸く! 初めて! このタイミングで死んでくれたっ!!」


 同じ演目を繰り返しているこの世界。上演回数は未だ三桁ではあるが、その全てにおいて万魔は炎王に敗れてきた。当然、この女もその内の一人。

 過去視の能力を有するが故に、分かっていたのだ。炎王が北を制した後の数日以内に、ディアナは毎回殺されていた。そんな運命から、今漸くに解放されたのだ。


 無数の策を企てて、幾つもの博打を重ねて、漸くに至ったこの状況。達成感も解放感も一入で、喜ぶことを抑えようとも思えなかった。


「うふふ、あはは、これで私たちはもう自由! これで、未来の事象は未確定と成った! これで漸く、始められる!」


 今までは常に此処で死んでいた。だからこそ、これから先の未来はディアナさえ知らない形となる。その事実に、不安がないと言えば嘘になろう。

 この女がこれまで、誰も彼もを手玉に取れていたのは過去の知識があればこそ。それが役立たずとなれば、これまで通りとはいかなくなる。地頭が良いと言う、自負はないのだ。


 何せこれまでの繰り返しの中で、自分と同じ役を担った他人は些細なミスで幾度も足を掬われていた。この運命の日に、辿り着けない過去も多くあったのだ。

 それでどうして、己の絶対性を信じれようか。故にこれまで以上に慎重に動く必要がある訳だが、しかし高揚感が邪魔をする。今はまだ、酔い痴れたいと思ってしまった訳である。


「あらららららら、あらららら♪」


 何時から其処に居たのか、笑い転げる女の傍に童女が居る。母を真似するように楽し気に、笑いながら転がるその姿。

 悪意なき無邪気な怪物は、その素性を知らねば可愛らしいとしか思えぬものだろう。彼女こそ第三魔王、アリス・キテラ=ドゥルジ・ナス。


「楽しいわ♪ 楽しいの♪ 悲しいけれど、嬉しいの♪ 何故何故何故何故、何故かしら♪ アリスは何にも分かりません♪ キテラは沢山知ってるの♪ あらあらあらあら、あらららら♪」


 炎王との戦いにおいて、童女が加勢しなかった理由は危険であるから。彼女が死ねばアダムが消える。そのリスクを、ディアナは嫌った訳だ。

 己が同行すればある程度は制御出来るが、それも完璧ではない。自身に対し反抗的なアダムと同時に連れ回せば、どちらか片方は支配の軛から外れてしまう。


 そのリスクを考慮に入れて、連れて行くのはアダムの方と成った訳だ。其処にどうせ死ぬのならば共に、という女の執着がなかったと言えば嘘にもなるか。

 女を優先する母の心情に気付くこともなく、転がるのに飽きたのかアリスは砂遊びを始める。


 そんな、いつの間にかこの場に居た童女ではあるが、これまで一人だったと言う訳ではない。


 護衛と監視。炎王と言う万魔にとっての死が存在している場において、余計なことをせぬようにと充てられた人材が一人。此処に、その姿を現していた。


「俺らはこれで自由。んじゃ、漸くに暴れられるって訳だよなぁ」


 男らしい一人称とは異なって、其処に居たのは豊満な体形の女だ。白のタンクトップに、青いダメージジーンズと言う寒空の下には似合わぬ姿。

 くすんだ赤毛は、男性のようなベリーショート。服装や口調も相俟って、マニッシュやボーイッシュと言う表現が似合うか。そんな女の名を、ロラ・ブスケ。


 貪欲の二つ名で呼ばれる邪教の幹部。しかし女に邪神や大魔女への信仰心や忠誠心などはない。単に今のこの立場が、欲を満たすのに最も都合が良いから邪教に居るのだ。

 性自認が本人にも分からぬ女は、男も女も見境なしに見目麗しければ構わず襲う。そんな下種で下劣な悪党だ。最も本人曰く、今に求める男は一人だけだから一途だそうだが。


「待ち兼ねたぜぇ。目の前に居るのに、殺しに行けなくてよぉ。疼くんだよ、早く早くってよぉ」


 ねっとりとした視線を、コートフォールの方角へと向ける。そんな女の最たる特徴は、その性格や煽情的な見た目以上にその右腕の無骨さであろう。


 右肘から先、其処には特殊な合金製のフレームが剥き出しと成った義手がある。三本指の機械義手。彼女が執着する男に対抗する為に、その男に切られた腕の代わりと取り付けた物。

 その指先を多脚の昆虫のようにワサワサと動かしながら、左腕で己を抑えるように抱いて俯き呟く。その表情は飢えた獣のようで、涎すらも垂らしている程に見苦しい。


「ええ、でもまだよ。まだ、もう少しだけ」


 ロラのその様相を見て、僅か冷静になったディアナは息を吐く。この女もつくづく制御し難い駄犬だと。邪教と言う組織には、そうした破綻者ばかりが集う。

 或いはそれも仕方がないことか。邪教はその教義が故に所属する者など、追い詰められた被害者か、救いようのない加害者だけだ。話が出来るだけ、まだマシと言うべきもの。


 極上の餌を前にして、こうして待てが出来ている。駄犬にしては上等だなと切り替えて、ディアナは遺跡の段を一段上る。他の三者を見下ろしながら、嘲笑を浮かべて彼女は告げた。


「我らの真なる王に為された封印は、もう間もなく解ける。原初の魔王が完全解放された時、その時こそが私たちの動く時」


 言ってディアナは、頭上を見上げる。ドクンと鼓動にも似た音がして、カシェテーレ遺跡の頂上に一瞬誰もが幻視する。其処に現れた、石作りの玉座を。

 輝かぬ黄金の姿は、未だない。土の精霊王はまだ奮闘を続けていて、現実世界で暴れ回る程の力はまだ魔王に戻ってはいない。それでも、最早時間の問題だ。


 一分一秒毎に、その波動は膨れ上がっている。破綻の時は程近い。後数日もすれば、クロエはその腹を内側から破られ、原初の魔王は蘇るであろう。

 或いは外側から干渉すれば、その時を早めることも可能であろうか。しかし、ディアナはそれを選ばない。彼女には、彼女なりの思惑もまたあるからだ。


「悪竜王の相手はアカ・マナフ様に任せ、私たちはアリスと共に動く。コートフォールで遊びましょう」


 蜃気楼のように、出現と消失を繰り返す玉座。其処から目を背け、ディアナは再び皆を見下ろす。見回す配下らは、その指示すらも聞いていない。


 夢幻のアダムは死ねなかったと言う事実に消沈したまま、石段に腰を下ろして項垂れている。ディアナに対して、顔すら向けていない有様だ。

 貪欲のロラは意中の男性へと意識を向けて、故に他の全てに興味すらも向けてはいない。ディアナの言葉など、右の耳から左の耳へと聞き流している訳だ。

 大魔女アリスは折角作った砂の城に自らダイブして、何故だか砂塗れになっている。ディアナの言葉を理解出来ない童女は、そのまま地面を転がり遊んでいる始末。


「好きに暴れなさい。我らは邪教。我らに対話は必要ない」


 だが、それで十分。東国六武衆のように、世を救おうと言う目的がある訳ではない。聖教会のように、人の繁栄を求めている訳でもないのだ。

 全てを引っ掻き回して台無しに。必死に頑張る者らを蹴落として、苦しむ姿を嘲笑う。これぞ試練であると嘯いて、負けても楽しければそれで良い。


 そんな破綻者集団こそが、彼ら邪教の幹部であれば。果てには何も、要らぬのだ。


「好きに穢しなさい。我らは邪教。我らに倫理は必要ない」


 だから後先なんて考えずに暴れよう。だから結果なんて考慮しないで穢し尽くそう。果てに滅ぶと言うのなら、指差しながら腹を抱えて嘲笑しよう。

 大義や世界などよりも、我らは己の欲求こそを選んだ愚者。明日世界が滅ぶとしても、今日楽しければそれで良いと言う愚物。そんな者らが、もう間もなく牙を剥く。


「犯しなさい。壊しなさい。潰しなさい。我らは邪教。邪なる願いの為に、悪辣なる行いで世界全てを染めるとしましょう」


 北の大地で、邪教の幹部は蠢動する。彼らが動き出すその時、世は荒れ多くが穢されよう。故に邪教徒とは、在ってはならない者らであるのだ。






 コートフォールは北西の外れ、沿岸地帯の行き詰まり。あてもなくその場に辿り着いた男は、肩を竦めて息を吐いた後に座り込む。

 近くの大岩を椅子の代わりに、何をするでもなく海を見詰める。一体何をやっているのだろうかと、胸に浮かぶのはそんな感情。


 東に戻ると言うのであれば、進む方向は逆だった。それが分かっていて、今はあの少年と同じ道は歩けなかった。だからこうして、行き場を失くして佇んでいる。

 そんな男は情けないなと己を自嘲して、ゆっくりと顔を上げた。腹立つ程に澄んだ空。吹き付ける冷たい潮風が、全身に刻まれた傷を疼かせる。その痛みが、少しだけ救いのようにも思えた。


「やぁ、リアム君。存外、元気そうで何よりです」


「……爺か」


 さて、どれ程にそうして居たのだろうか。背後から声を掛けられて、漸くにリアムはその存在に気が付いた。

 全く気が抜けているな、と火傷を負った頬を歪ませる。胸中は複雑だ。仲間の生存は嬉しいが、その仲間の行いは褒められる物ではなかったのだから。


「逃亡兵が、今更何しにきやがった」


「それを言われると痛いですなぁ。元よりそういう契約だ、と以前ならば開き直れていたのですが」


 命尽きるまで戦い続けた仲間達。その中で唯一、武鋼と言う名の男だけが余力を持ったままに撤退した。

 主君の命も聞かずに自分の意志で、となればその行為は敵前逃亡と同じであろう。顔も向けずに指摘するリアムに対し、武鋼は困ったように苦笑する。


 元より武鋼と炎王は関係は、他の主従らとは異なる。力で負けたから暫く従えと、そういう契約を結んでいた相手だ。

 忠義も妄信も執着も、その間には存在していない薄い関係。そうだからこそ、武鋼は契約分は働いたと判断して退いたのだ。


「恨まれている。そう思っていたのですよ。だから、最低限は付き合う。それで十分だと、ね」


 それに武鋼は、王が愛した女が死ぬ原因を作った男だ。となれば当然、怨嗟や憎悪を向けられているのだとも思っていた。

 事実、狂い果てる前の朧は隙あらば武鋼を殺そうとしていた。ならば狂ってなど居ない炎王が、武鋼の隙を見逃す筈もないのだと。


 だから最期まで付き合えば、己の身の安全を保証出来ないと。要は信用していなかったのだ。内心で、敵だと判断していたまである。

 その判断は、間違いだったと今は思う。最初はそういう関係であったのだとしても、あの王は余りに情が厚過ぎたから、変わってしまっていたのだろう。


 武鋼は才に恵まれていない修羅だ。武鋼は情の薄い修羅だ。だが、それでも影響を受けぬと言う訳でもない。

 故に好々爺染みた笑みを浮かべながらも、何処か困ったような態度でリアムの隣に腰掛ける。そして愚痴るように、空を見上げて呟いた。


「だと言うのに、最期の言葉があれでは――私はとんだ不忠者ではありませんか」


「事実だろうが、糞爺」


「ええ、ですので、もう暫くはお付き合いしようかと」


 隣り合って座ったまま、視線を向けることもなく、リアムは武鋼の言を切り捨てる。お前は不忠者だと断言されて、武鋼が返すは苦笑い。

 自覚はある。相手の後出しだとしても、見抜けなかった己の未熟を悔いるのが修羅の性。それは戦の場に限る話ではなく、ならばこれより巻き返すとしよう。


「主君の遺命です。柄ではありませんが、世界の危機に立ち向かうとしましょうか」


 生前に忠義を向けることの出来なかった相手に対し、その行いを後悔したと言うのならばせめて、その死後に忠節を全うすることで汚名返上の機会とする。

 世界を救わんとした徳王が、望んでいたのは人の救済。とは言え修羅に過ぎぬ己の身では、出来ることなど敵対者を殺すことのみ。故に世を脅かす害悪を、殺すことを以って忠義の証明としよう。


「……もっと早く、そうしろってんだよ」


「はっはっはっ、ぐうの音も出ない正論ですなぁ」


 言われて笑う老人の表情は、先の苦笑いではなく何時ものそれ。飄々と嘯いている武鋼の姿に、流石に切り替えが早いと感心しつつも嘆息する。

 己には其処まで、直ぐに切り替えることが出来そうもなかったから。もう一度だけ深く息を吐いてから、リアムはそのまま後ろに倒れた。冷たい岩の上に仰向けとなって、澄んだ空を見上げて言う。


「生き残りは、俺と爺か。朧も子龍も姫乃も、死んじまったのかよ」


「あー、いえ。夜叉と乾闥婆――子龍君と姫乃さんは、死亡を確認しています。けれど朧月のお嬢さんは、まあ生きてるでしょうねぇ」


「……そうか。まあ、そりゃそうか。朧の奴が、簡単に死ぬとは思えねぇわな」


「ええ、ですので暫くはこの地で待とうかと。彼女の帰還と、次なる戦の幕開けをね」


 数少ない朗報を聞いて、目を少し細めるリアム。嬉しそうに小さく歪んだ唇を直さぬまま、ゆっくりと目を閉じて取り留めのない思考をする。

 この後に待ち受ける戦のことだとか、朧の本名には捻りが無さ過ぎるだろうとか、子龍や姫乃の異名は過去に六武衆が八武衆と呼ばれていた頃の名残だったかとか、この爺が第一席の頃に八人も要らないとか言って減らしたんだったかとか。そんな意味のない、現実逃避にも似た思考。


「私はですね。自分の人を見る目には自信があったのです」


「あ? いきなり何言い出すんだよ」


 ぼんやりと頭の中で思考を巡らせていたリアムに対し、ふと思い出したかのように武鋼が口にした。行き成りの自慢話に、リアムは半眼を開いて老人を見やる。

 何処か自慢そうな表情の武鋼に鬱陶しいなと思いつつも、これで付き合いの良い男は何だと問を返す。我が意を得たりと頷いた後で、武鋼は言葉の続きを紡いだ。


「迦楼羅殿に敗北はない。あるとすればそれは、修羅であることを否定するその精神が足を引く時だけだ、と」


「……」


「まあ、だとしても負けはないと踏んでいたので、この結末は想定外。不詳の弟子とその娘にしてやられたのもあって、少し自信がなくなった訳ですな」


「……で?」


「なので確信があるとは言えないのですが、そんな私でも思うのですよ。この先、一番伸びるのは君ではないかと」


 老人が口にした言葉は、そんな音。嘗ての東国六武衆が天龍八部衆に準えた集団であったとは、新参よりのリアムでも聞いたことがある。

 天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽。当時の六武はその何れかの異名を名乗っていたのだと、その名残で武鋼は時折その名で仲間達を呼ぶ。


 炎王が迦楼羅。朧が緊那羅。武鋼が摩睺羅伽。子龍が夜叉。姫乃が乾闥婆。と成れば残る三つの内の何れかがリアムの異名。

 だがこれまでの一度もその名で呼ばれたことがない故に、今に至るまでリアムはどう評価されているのかも知らなかったのだ。


「修羅よりも修羅らしい。阿修羅と呼ぶに相応しい、その精神性。それこそが、陛下の域に君を至らせる。そんな気がするのです」


「は、何を言うかと思えば」


 修羅に憧れた。その生き様に、その強さに、その歪さを知って尚。そんな男は瞳を閉じて暫し、息を吸って吐いて、そして瞼を開く。口元には、挑戦的な笑みが浮かんでいた。


「んなもん、当然だろ。待たせてる奴が居るんだ。俺が至らなくて、一体誰が其処に行く」


 勢いを付けて起き上がり、そのまま立ち上がった前を向く。悲しいと言う想いも寂しいと言う想いも未だあれど、立ち止まっている暇などなかったから。

 ヒビキに活を入れておきながら、自分がこの様ではどうすると言うのか。立ち上がったリアムは日を背に振り返る。座り込んだまま見上げる武鋼は、その表情を見て笑みを深めた。


「成程、繰り言でしたか」


「ああ、んな無駄なこと考えてる程に暇なら付き合え。次の動きがあるまでに、もう一度鍛え直す。気に入らねぇが、指導者としちゃテメェ以上は居ねぇからな」


「はっはっは、中々に言うではありませんか」


 言われた武鋼は立ち上がり、示し合わせたように両者は跳躍する。沿岸地帯の砂浜に、多少の間合いを開いて着地。

 向かい合った二人は互いに、不敵な笑みと好々爺染みた笑みを浮かべて睨み合う。最早、開始の合図など不要であった。


「では――以前と同じく、実戦形式です。隙あらば殺しますので、隙あらば殺しなさい」


「上っ等っっ!!」


 汗を流し、血を流す。鍛錬と言うには血生臭い時間を、彼らは暫し過ごすのだろう。万魔の蠢動が始まり、この地が次なる危険に晒されるその時まで。






◇聖王歴1339年風ノ月39ノ日


 北方の庁舎として使われている城の一角、一時的にでも占領されていたとは思えない程に綺麗な部屋で少年は身支度を整える。

 袖を通すのは、下ろし立ての衣服。聖王国軍は北守師団で採用されている、濃紺色の生地を用いた軍服。それを子どもサイズにした特注品だ。


 階級章のない軍服を身に纏い、襟首までのボタンを閉める。少しだけ息苦しく感じたから、第一ボタンだけは外して少しラフに。

 更衣室にある姿見を見て、異常がないかを一人確認。くるりとその場で一周回って、問題はないと判断したヒビキは良しと呟く。


 そうしてから見下ろしたのは、綺麗に折り畳まれた緑のシャツと茶色の半ズボン。大切な宝物を手に取るように持ち上げて、少年は一つ呟いた。


展開(enchant)


 途端に彼の影が伸びる。そこにゆっくりと両手を沈めて、貰った衣服を収納する。

 これは決別だ。本来の持ち主と敵対した以上、この衣服を纏う訳にはいかぬのだから。


「これで、良しっと」


 影を戻して、ヒビキは迷わず歩を進める。更衣室の扉を開いて、廊下に出る。其処には、彼を待っていた少女達の姿があった。


 今のヒビキに成ってから、初めての再会と言う訳ではない。だが一昼夜では、まだ少しだけ距離がある。だから、少しだけ気後れしてしまう面もあって。

 しかしそう思うのも、或いは弱さか。見知った大切な相手の筈なのに、どこか初対面にも思える不思議な感覚。それを押し殺しながら、ヒビキは彼女達の下へと向かう。


 扉が開く音。近付く少年の気配に、気付いた二人が寄って来る。集った三人の内、二人が異なる理由で言葉に詰まる。故に明るい声音で、誰よりも早く口を開くのは栗毛の少女。


「あ、着替え終わった?」


「うん。大丈夫」


 ミュシャ・ルシャは笑みを浮かべて、自然体で言葉を掛けて来る。緑の瞳を細める彼女はあたかも、何も気にしてはいないのだと示しているかのようで。

 少しだけ気後れがマシになり、ヒビキはゆっくりと肩から力を抜く。気にし過ぎだと自分に言い聞かせながら、少女に向かって言葉を返す。同じように、微笑んで。


「え、と、ヒビキ。似合ってるぜ」


「そう、かな。ちょっと服に着られてる気もするんだけど。けど、ありがとう」


 もう一人の少女。碧眼を揺らして顔を逸らしたアンジュが言葉に詰まる理由は、単に恋慕う相手に見惚れていたからと言うだけ。恥ずかしくて、何を言えば良いのか分からないのだ。

 そんな想いを隠し切れてはいないから、やや鈍感な気質のあるヒビキにも伝わる。伝わって、目を逸らすのもまた同じく。恥ずかしそうな表情で、頬を指で掻く少年は如何にかそれだけを返した。


「王国軍の制服だっけ? あんま外じゃ見掛けないけど」


「そりゃ、外回りの連中は剣や鎧を装備するから目立たないんだよ。重装系の鎧だと、インナー自体が違ったりするし。この手の制服だけを着てるのは、内務を専門とする連中さ」


 空気がその色を桃色に変える前に、口を挟んだミュシャが話題を変える。やらせはせんぞと言わんばかりの行動に、他の二人が気付いていないのは幸か不幸か。

 羞恥に耐えられそうもなかったから寧ろ助かったと、アンジュは率先してその話題変更に乗る。そうして彼女が口にしたのは、聖王国軍に於ける内部事情の一部である。


 表舞台で、この制服を着ている者は多くはない。これだけで所属に気付けるのは、それなり以上に情報に精通した者らに限られるだろう。

 軍服と言うことで市井では目立つが、ヒビキの場合は元の美貌もあるのだから今更だ。気付けるような相手には、裏に軍が居ると言うアピールにもなる。総じて、然程悪くはない装束だろう。


「でも態々、服を変える必要あったの? まだ、使えるんでしょ?」


「うん。けど、ケジメみたいなものだから」


「ま、そういうのも大事だよな。学者志望にゃ、分かんねぇか?」


「なにをー」


「あはは、まあ、僕もしっかり分かってる訳じゃないからさ」


 この特注品の軍服は、何時か役に立つかもとクリスが用意していた物だ。西へと逃げろと言ったタイミングで、彼から餞別にと少年少女達に譲られた物である。

 仕立ての良い物ではあるから悪くはないが、軍服と言うことで悪目立ちするかもしれない。そんな判断を下したミュシャの下、彼女の魔道具に仕舞い込まれていた。


 それを今に下ろしたのは、ヒビキが違う服が欲しいと言ったから。故にミュシャは元の服を使わなくなるのは勿体ないと口にして、ヒビキはそれに苦笑を混ぜつつ言葉を返す。


「武人の流儀、とかじゃない。唯、そうしたいと思っただけなんだよ」


 リアムから貰った衣服の存在は、ヒビキにとっては彼に助けられたと言う過去を連想させる物。男にとっては些細な親切の証明で、少年にとっては守られていた証であった。

 だから、宝物の一つとして影の中に仕舞い込む。彼との決着を付けるその日まで、この衣服に袖を通すことはない。そうしたいと思ったから、ヒビキはそうすると決めたのだ。


「ねぇ、ミュシャ、アンジュ」


 そんな少年は、笑い合う少女達の顔を見る。二人の顔がしっかりと視界に収まるように、少しだけ位置を変えてからヒビキは口を開いた。


「これから先、世界は荒れる。もう間もなく、人類にとっての冬が来る」


 真面目な口調で言葉にしたのは、この後に訪れるであろう未来。この世界を襲う危機。最早、それは避けることが叶わぬ物だ。


 原初の魔王は、もう間もなく蘇る。嘗ては一つの文明が死力を尽くして、滅びと引き換えに封じた闇の魔王。それが、今の世界に現れる。

 しかし、今の世界は一つに纏まることも出来ていない。各地では火種が燻り続けていて、これでは魔王と戦う以前の話であろう。そんな窮地に、世界はある。


「その原因は、僕だ」


 もう目を背けないと決めたから、ヒビキは此処にそれを認める。原因は己の浅慮であると。きっと誰よりも、世界を危険に晒した魔王が己であると。


「土の精霊王を傷付けた。その聖域を穢して、彼女は封印を維持出来なくなった」


「そ、それは私が、先生に騙されて、君を連れてっちゃった所為よ」


「ううん。切っ掛けはミュシャであったとしても、それを為したのは僕だ。だから、これは僕の責任だ」


 ヒビキの言葉に反発するように、ミュシャが慌てて言葉を重ねる。その想いを受け止め微笑みながらも、首を横に振ってヒビキは否定した。

 当時のヒビキは意識が朦朧としていて、責任能力が欠如していた。そうと弁護することも出来なくはないが、そんな風に逃げることは止めたのだと。


 其処に如何なる道理があれ、其処に如何なる悪意があれ、ヒビキならば防げたのだ。目を逸らさずに最初から、己の内にある悪意の衝動と向き合っていれば良かった。それが出来なかった弱さこそ、彼が負うべき咎の一つ。


「東の武王を打ち破った。世界を救えたであろう人を死なせて、その所為で彼を恐れて動かなかった魔の軍勢が間もなく動き出す」


「それだって、ヒビキの所為じゃない。切っ掛けになったのは、私だろ!」


「ううん。争う切っ掛けはアンジュにあったとしても、それを為したのは僕だ。僕が、自分の意志で、やったことだよ」


 そして続く、ヒビキの言葉。魔王との戦いを前に、世界を一つに纏めることの出来た男を死なせた。それこそが、ヒビキの為した二つ目の罪。

 真っ直ぐな瞳でそう語るヒビキに対し、アンジュが思わずと口を挟むがやはりヒビキは首を振る。そうとも、自ら望んで選んだ道だ。人の所為にしてしまえば、その決意が安くなる。


 知らなかったと、言い訳するのは簡単だ。誰かの所為だと、押し付けるのは簡単なのだ。だから、そんなことはもうしない。己の所為だと受け止めて、だから為すのはその尻拭い。

 やってしまったことはもう、覆すことは出来ぬのだから。為すべきことは、知ったことかと投げ捨て逃げ出すことでは断じてない。為すべきなのは、覚悟を決めて背負って進む。唯それだけのことなのだ。


「だから、責任を果たそうと思う。それが、僕の義務だって思うんだ」


 そうと決めたヒビキであるが、しかしだからと言って彼の問題全てが解決している訳ではない。

 産まれることは確かに出来たから、卵の中で腐って死ぬことはなくなった。だが、克服出来たのはそれだけなのだ。


「けど、僕はあんまり頭が良くないからさ。一人じゃ、出来ないことも多くある」


 ミュシャを見詰めて、そう語る。ヒビキの頭脳は性能だけで言えば人間の物など超えてはいるが、ハードは良くともソフトの面で足を引く。

 ヒビキと言う人格が、そもそも向いていないのだ。考えごとも争いごとも。だから一人じゃ出来ないことが多くあり、誰かの助けを求めてしまう。


「けど、僕はあんまり心も強くないからさ。一人じゃ、きっと何処かで折れてしまう」


 アンジュを見詰めて、そう語る。まだ足りないことが分かっていて、まだ弱いことに気付いていて、だけど問題はそれだけじゃない。

 眼前の少女らを、犯し嬲り壊してしまえと言う衝動は今もある。悪事の限りを為したいと言う本能が心の中で渦巻いていて、いつ負けるか分からないと言う怖さもあった。


「だから、二人の力を借りたい。だから、二人の知恵を借りたい。だから、二人に支えて欲しいんだ」


 だけど、もう逃げないと決めたのだ。目を逸らすのを止めて、その衝動と共に生きていく。憧れた王と同じように、耐えられなくなるその日まで。

 だから素直に、彼は頭を下げた。二人の少女に向かって、顔を伏せて頼み込む。共に居るだけで危険な自分と、それでも一緒に居て欲しいのだと。


「ねぇ、ミュシャ。僕は君の家族を救った、僕じゃない。あの日に死者の魂を救ったのは、龍宮響希の残滓だった」


 断られても、仕方がないとは分かっている。だって危険は生半可な物じゃない。ヒビキが戦うであろう脅威は、神話に語られる規模のモノばかり。

 その上、ヒビキ自身にも何時爆発するか分からない地雷が埋まっている。少女達には、絶対に共に居なければならない理由もない。ならば、遠ざかる方が自然であろう。


「ねぇ、アンジュ。僕は君が好きだと言ってくれた、僕のままじゃない。響希と恭介。二人の意志が混じった僕は、きっとあの日の僕とも別人なんだ」


 ましてや、今のヒビキは嘗ての彼と全く同じ者ではない。聖剣の輝きでミュシャの家族を救ったのは、卵の殻であった龍宮響希だ。此処に居る、ヒビキではない。

 アンジュが好きだと言ってくれたヒビキは、今のヒビキの核と成った人格ではある。それでも等号で結べないのは、今のヒビキが響希と恭介を取り込んで、産まれたまた別の者であるから。


「そんな僕だけど、それでも君たちと一緒に居たい」


 だから、そう語るヒビキの内には恐怖があった。断られる理由は沢山あって、受け入れて貰える理由の方が少なくて、でも逃げないと決めたのだ。


「そんな僕はこれから、危険な場所へ義務を果たす為に行く。それでも、その後でも良いから、君たちと一緒に居たいんだ」


 拒絶されたら、どうなるだろうか。考えるだけで怖いけど、それでも二人にだけは危害を加えないようにしよう。そう覚悟する為に考える。

 思い浮かべるだけで少しだけ、目尻に涙が浮かんでしまう。でもだからと言って、なし崩しに巻き込むのも違うから。此処にケジメを付けるとしよう。


「だから、どうか、これからも――僕と一緒に、生きてくれますか?」


 ヒビキは瞳を不安で揺らしながら、それでもその手を差し伸べる。どうか手を取ってはくれないかと、二人の少女を見上げて言った。


「勿論。私はずっと、君と居たいよ」


「アンジュ」


 迷いなく一歩を踏み込んで、その手を繋いだのはアンジュ・イベール。少年の小さな手を両手で覆って、自身の胸元へと近付け白百合の乙女は微笑む。

 そうとも、彼女に迷う要素などはない。恋い慕う少年は少し変わったとは言えど、その中核は変わらない。ならばその変化とは、成長と呼ぶべきものなのだから。


 触れる人肌の熱と、伝わる鼓動。二人の視線は交わって、感じる想いは恥ずかしいような嬉しいような。だから当然、其処にもう一人が割って入る。


「はいはい、近過ぎ近過ぎ。少し離れてー、お触り厳禁よー」


「ちょ、何すんのよ、ミュシャ!」


 少年少女の胸元を両手の平で押し退けて、間に入ったミュシャ・ルシャ。馬に蹴られそうな行いをする少女に向けて、アンジュは犬歯を剥き出しに威嚇する。

 がるる、ぐるる、と幻聴が聞こえそうな勢いで睨み合う少女達。その片方であるネコビトは、きっと複雑な胸中であろう。恩人がもう居ないのだと、本人に言われたのだから。


「あ、勿論。お姉さんも一緒に行くにゃん。二人だけじゃ、まだまだ心配だもんね」


「ミュシャ」


 それでも冗談めかした口調で、振り向き様に軽く言う。ウインク一つをヒビキに向けてから、アンジュに向き直ってがっぷり四つに組み合う。

 素の実力差を考えればあっさり勝負は付きそうな、それでも何故だか拮抗している押し合いを始める。きっと互いに、じゃれているのだろう。


「二人とも、ありがとう」


 手と手を組み合って、押し合い圧し合い転がって、人目に付く場所で行うべきではないだろう姿を晒している少女達。

 そんないつも通りとなりつつある光景に微笑んで、ヒビキは胸を撫で下ろす。これを失わずに済んで良かったと、そんな安堵が確かにあった。


(感じるよ。二人の想い。その暖かさ。触れる体の熱じゃなくて、その心の温度を感じるよ)


 結城恭介を取り込んだからか、それとも契約神の祝福で聖剣を使えるようになったからか。今のヒビキには、心の繋がりを感じられるようになっていた。

 繋がっている数はまだ少ない。本当に心の底から信頼し合い、その手を取り合える相手だけ。そんな暖かい物が確かにあるから、もう一つも今まで以上に感じ取れる。


(それに、もう一つ。これは、この冷たさは、お前だろう。アカ・マナフ)


 自問自答のような言葉に、心の中にある冷たさが揺らぐ。まるで破顔するように、それは微笑か嘲笑か。分からないが、それでも確かに反応があった。


(僕とお前は繋がっている。だから、分かるんだ。目覚めまでは、あと僅か。数日か? 十日、はないだろうね。それでお前は、クロエの腹を裂いて表に出て来る)


 原初の魔王アカ・マナフは意志を持った瘴気である。人の悪思の集合体である彼は、その性質故に全ての魔物と繋がっている。

 アジ・ダハーカも例外ではない。だから分かるのだ。その鼓動が日々、強くなっている。一日毎に、ではない。一分一秒毎に力を増している。クロエ・グノーメの限界は程近いのだと。


(クロエは、死なない。殺せば人が滅ぶから、お前には殺せない。それでも、彼女に戦う力は残らない。復活に際して、お前が何もしない道理もない)


 腹を内から裂かれたクロエは、死なずとも戦う力を残せはしない。となれば魔王の手によって、彼女は囚われ闇に沈むであろう。

 自由を取り戻した魔王とその配下らは、己の役目を果たす為に動き出す。復活の地が北の果てなら、先ず真っ先に襲われるのはこの土地だ。


(北に今、居る人たち。彼らに頼る訳にはいかない。敵はお前だけじゃない。アリスがこの地に居るんだ。お前とアリスの両方が、囮としても本命としても機能する。この町を無防備にする訳にはいかないから)


 だが、東国六武衆との戦いで誰もが傷付いている。数日で復帰出来るのは一部の実力者達だけで、しかし彼らに頼る訳にもいかない理由もある。

 大魔女が、邪教の幹部らが、きっと今も蠢動している。アカ・マナフとの戦いに全てを費やせば、その隙に人の世は凄惨なまでに穢されてしまうだろう。


(決着は、一対一で。きっと、そうなる。それは、お前もそう考えているんだろう? アカ・マナフ)


 だから最適解は、ヒビキが一人で闇の魔王を請け負うこと。恐らくは敵にも予想されているであろうそれだけが、人の世を延命させる僅かな手段だ。


(良いさ、乗ってやる。目覚め次第、僕が倒しに行ってやる。だから、首を洗って待ってろ)


【そうか。では、私は君を待つとしよう】


 少年の決意に、返る言葉は楽し気だ。アカ・マナフには本来、自我と言うモノがない。人に害を為すだけの、システムでしかないのが彼だった。

 だがしかし、彼は全ての人を知る。高性能なAIが学習を重ねることで人に近付いていくように、アカ・マナフもまた学習によって疑似人格を構成したのだ。


 もしも世界がこれ程に繰り返されていなければ、学習に必要なデータが足りずにアカ・マナフは更に機械的なモノに成っていたことだろう。

 もしも世界が今以上に繰り返されていたのなら、学習に必要なデータが多過ぎて逆に一つ一つに対する精度は甘く成っていた。目を通すだけで済ませた結果、やはりアカ・マナフは機械のままで終わっただろう。


 今なのだ。この周回数だからこそ、アカ・マナフは人らしい人格を得るに至った。そんな闇の魔王は間違いなく、過去の彼より未来の彼より遥かに強い。


【次の夜に、また会おう。期待しているよ、アジ・ダハーカ】


「言ってろ、アカ・マナフ」


 それは今のアジ・ダハーカをして、勝てるかどうかも分からぬ程の敵。されど最強の王を倒した義務が故、負けるかもとは考えることも許されない。

 勝って当たり前なのだと、その自負と共にヒビキは決意する。その決意。内心の不安を抑える意志の強さ。それら全てを察して、アカ・マナフは喝采し歓喜と共に待つ。


 魔王と魔王の戦いはもう間もなく。世界の運命を賭けたその時は、今も確実に近付いている。されど、今はまだその時ではない。それもまた、事実ではあったから。


「ヒビキ?」


「……ううん。何でもない」


 首を傾げて問うミュシャに、目を伏せてからヒビキは答える。何でもないよと嘯いて、彼は今を過ごすのだ。


「行こっか、ミュシャ、アンジュ。僕、お腹空いたよ」


「……ヒビキがお腹空いたって、不味いんじゃないのこれ。戦後直ぐで食料品の高騰も考えると、私たちの財布が死ぬにゃん」


「いや、もっとやべぇぞ。最悪、北に貯蔵されてる食料自体が底を尽きちまうかもしんねぇ」


「もう、二人とも。寝惚けてなければ、そんなに食べないよ。食欲のコントロールくらい出来るもん」


『本当に~?』


「ていうか、アンジュの方は知ってる筈だし、ミュシャだって目で見れば分かるでしょ! 元々、僕は小食だって。魔王になってから幾らでも食べれるようになったけどさ、食べなくても問題ないんだし、要は自制心の問題だってさ!」


 話題を変えようと口にすれば、揶揄い混じりに返して来る少女達。そんなミュシャとアンジュに、子どもらしく頬を膨らませて返してから、ヒビキは吹き出すように笑った。そんな少年の態度に、少女達の笑みも深くなる。優しい時間が、此処にはあった。


(こんな時間を、守り切る。それが僕が、果たすべき責任だと思うから)


 優しい時間を過ごしているのは、きっとヒビキだけではない。悲劇はどんな所にもあるけれど、それだけが全てと言う訳ではないのだから。

 きっとどんな所にも、こうした時間はある筈なのだ。それを守る。世界を危機に陥れた罪に対して、果たせる責任とはそれであろう。目を逸らさぬ今、ヒビキは想う。


(もう、逃げない。二度と、微睡むことはない。死ぬまで、ううん、死んだ後だって、前に進むことは止めないんだ)


 いつかこの選択を、後悔する日も来るかもしれない。いつか衝動に耐えられなくなって、壊れてしまう日も来るかもしれない。それでも、進むと決めたのだ。

 死した後に已む。それは死んだら止めると言う意味で、ならばきっと今に相応しい言葉ではない。そんな覚悟を胸に抱いて、ヒビキはもう迷わない。断じて、進めば良いのである。


「それじゃ、行こうか」


 胸に願いを一つ宿して、悪竜王は未来に進む。そう生きたいと願った姿で、最期の時までそう生き抜くと。それこそが、今の彼の心の芯。

 振り返り、一歩を踏み出す。傍らには猫人の少女と白百合の乙女を引き連れて、日に照らされた城の廊下を唯前へ。光の中へと包まれるように、もう迷わぬ歩で歩き続けた。






 斯くして、漸くに心を定めた少年は歩き出す。



 そうとも、これは新たに産まれ直した悪なる竜の物語。



 さあ、小さな旅路を始めよう。





 Rebirth, Dragon Story。






こんな引きをしておいてあれですが、書き溜めのストックが尽きたので毎日更新は今日で終了します。

取り合えず第一部は次回の第五章で魔王と邪教との決戦をやって終わりです。


その後の第二部西方編は、第一部より原型を留めなくなる予定なので更に時間が掛かると思います。


SIOYAKIには勢いで書くと設定崩壊を起こすと言う悪癖(ミュシャの異能でどこまで出来るのか、作者も誤解するなど)があるので、書いた内容を何度か吟味してから投稿したく、どうしても遅筆になるでしょう。

余りに時間が掛かり過ぎるようなら、途中で設定公開とかでお茶を濁したりするかもしれません。


そんな本作ですが、のんびりとお付き合い頂ければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
初勝利なのに、死亡フラグとしか見えない邪教。 そいえば、雷娘の心威を借りる時、"理想"の基準は雷娘のまま?それとも基準がヒビキに移る?
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